Episode.6:気楽なリーズニング
『──くん、今日はどこ行く?』
聞き覚えのある声に、俺は身を起こす。目の前にはスラッとした女が、マグカップを二つ持っている。
一つを受け取って、中身を口に含む。
『なんだこれ、甘すぎるだろ……』
『うへぇ、間違えたぁ……』
顔をしかめながら、俺はマグカップの中身を見る。普段見ている濃い茶色……ではなく、濁った肌色のような液体を見つめていた。
彼女は苦いものが苦手だった。砂糖とミルクを大量に入れた甘いコーヒーを飲んでいる。だが、牛乳は嫌いなようだ。
『なんだ、もしかして寝起きか?』
『うん、さっき起きた』
さっきの質問はどこへやら、たわいもない会話が続けられている。昨日の買い物での話、最近読み始めた小説の話、最近行きたい旅行の話。
『あ、思い出した。ハネムーンの話してたんじゃん!』
『誰かさんがコーヒーを間違えるのが悪い』
もー、と少し怒りながら彼女は隣に来た。手にはタブレットを持ち、ブラウザのタブをたくさん開いている。
『それにしても、学生結婚ってなんかスリルだよね〜』
しみじみと語りかけてくる彼女、そんな彼女が愛おしくて、儚くて。俺はぎゅっと、その体を抱きしめた。
『──くん……いたい……いたい……よ……』
腕の中で冷たくなっていく体、喉元に穴が開いてとても苦しそうだった。ひゅうひゅうと空気の漏れる音と共に、砕けた喉骨が露わになっている。息を吸う度に、彼女は体を壊されていく。息を吐く度に、傷つけられていく。
『空…………おい、空、そら……ソラァァァァァァァァッッッッッ!!!!!』
目の前には、見慣れた天井とタオルを持ったクラリスが見える。彼女は、見たことのないような表情をしていた。
「…………何だ」
「帰ってきたら部屋が暑かったから様子みたら、ジュンがやたら汗かいてたから拭いてた」
クラリスにしては珍しい行動だな、と思いながら俺はシャワールームに向かう。
────今日も嫌な夢を見た。
空、
十年前の“テロ”で彼女は両親を失った。そんな彼女に寄り添っているうちに、いつの日か関係は深くなっていた。
『結婚しよう』
『結婚しましょ?』
公園でした何気ないようなプロポーズ。しかも図ったかのように同時だった時は、言いようのない恥ずかしさがこみ上げてきた。
だが、今から九年前。奇しくも俺が二十歳の誕生日を迎えた次の日だった────
『そう、じゃあね?』
間に合わなかった。全力で彼女の部屋の走ったのに、間に合わなかった。彼女の喉元にあてがわれた
俺はあの時の犯人を許さない。修道服を着てフードで顔をほぼ隠していたが、必ず見つけ出して“極刑を執行する”。
────そこに復讐心なんてものは無い。ただ、次の被害者を産みたくないだけだ。
そう強がってみるが、空の声でやはり胸が痛くなる。せめて、周りには悟られたくない。その為に“カメレオンフェイス”を覚えたのだ。やはり、師匠には感謝しなくちゃいけない。
身体にはたくさん傷が付いている。執行者として生活する前、傭兵として世界中を飛び回っていた頃につけられた傷だ。
いつものように髭を剃り、いつもの服に袖を通す。
昔の事よりも、今は今の事に集中しなくてはいけない。俺は、冷水で顔を洗ってから浴室を出た。
「で、今日はどうするの?」
クラリスは、グラッチの分解清掃をしている。俺は、そっと地図を見た。
「通商代表から探れない以上、他の事件からアプローチするしかない。だが、どこも廃ビルまたは警備の薄い雑居ビルが狙撃ポイントとなっている。だが……」
「だが?」
俺はコーヒーを淹れて、クラリスと向かい合うように座っている。彼女の指がハンドガンを組み立てていく姿は、どこか美しかった。
「三件目だけは違う。現場は都会の交差点、しかも狙撃点は四ツ越デパートの屋上。何かしらの手がかりは残っているはずだ」
「ふーん、じゃあとりあえずランチしてから考えましょ」
彼女は、手についたガンオイルを落としに洗面所に向かう。俺はその間に簡単なサンドイッチを作ることに決めた。
料理は一通り師匠から教えてもらった。師匠曰く、胃袋を掴んでおけば物事は穏便に進むそうだ。
「はい、できたぞ」
「ありがと」
パンにマヨネーズを塗って、ハムとレタスとスクランブルエッグを挟んだだけの簡単なモノ。だが、この簡単さがやはり丁度いいと思う。
「ロシアンティーがいいか?」
「私、あれ嫌いなの」
ストレートティーに砂糖を入れながら、彼女は微笑んでいた。散々飲んできたのだろう、俺もあまり好きじゃない。
「ミルクティーにジャムって、味が濃くて嫌いなの」
「へえ、クラリスの国はみんな飲んでると思ってたぞ……」
「飲んでるよ、あとウォッカも」
ランチくらいは世間話をしてゆっくり過ごす。俺は空いた皿をシンクに持っていき、お代わりの紅茶とデザートのイチゴを持ってくる。
「それで、その三件目をどうやって調べるの?」
「そんなの、簡単だよ。中に入ればいい」
俺はクローゼットから名刺入れを取り出す。そこには「チェリー警備保障 館内警備部次長 飯田 純」と銘打たれた名刺が一枚。
「偽物使うなんて、随分スリリングな事をするのね」
「いや、偽物じゃないぞ?」
訝しげにみる彼女を無視しながら、俺は一枚の地図を出す。
新都第五地区、商業の中心地であり一番賑わっている地区だ。
「事件現場がここなら、とりあえずは四ツ越の防犯カメラ。ここに何もなければ、聞き込みするしかない」
「それは、確かに王道ではあるけど成功率が低いと思うわ」
口の端にマヨネーズをつけた彼女は、したり顔で反論してくる。俺は、テーブルにあった手ぬぐいで拭ってやろうと────
「残念でした、とっくに気づいてるわ」
もったいぶりながら口の端を、妖しく舐めとっている。俺はその辺に手ぬぐいを放って、皿とティーカップを片付けた。
「アンタレスは、二人だと思う」
水回り掃除をしながら俺は自分の考えを共有し始める。彼女は、知恵の輪を弄りながら聞いているようだ。
「どの案件も、一発で仕留めている。二件目と三件目、あと六件目に関しては、ワンマンでは条件が悪い。それなのにここまでの精密性を見るに、優秀な観測手がいるはずだ」
「へぇ、それで、軍出身とかかしら?」
「いや、それにしてはどの件も型にハマりすぎている」
俺はベランダの窓を開けてタバコに火をつけた。クラリスが反対の方へ逃げていくのを横目に見ながら、俺は話を続けた。
「狙撃点の選択、気象や時間を定石通り選択して、遊びのない狙撃をしている。元軍人の狙撃手なら、そもそも二件目と三件目と六件目は選択しない。その辺りの甘さから考えると、経験者ではないが、侮れない」
三件目は大都会の中心のターゲットを、人ごみの中で狙撃。六件目は警備の固い第一地区のターゲットを、誰にも気付かれずに狙撃。
誰にも怪しまれない格好で、第一地区を歩くことなんか、可能なのだろうか……
「それにしてもスポッターがいるなんて随分大胆なサソリなのね」
「まだ過程だが、そうだろうな。そういえば、二件目に使われたのはヴィントレスだったのが分かったんだが、何か知ってるか?」
「まさか、あんなの使うわけないじゃない」
彼女は面食らったように、最近ハマり始めたストロー付きのいちごオレを飲んでいる。そういえば、冷蔵庫の一段にこのいちごオレがストックされているのを思い出した。
「冷蔵庫、早く空けろよ」
「ちゃんと飲んでるから別にいいでしょ。なに、使用料でも取るの?」
俺は諦めて、今日三杯目のコーヒーを……豆を切らしているので、クラリスのいちごオレを一本もらう。久しぶりの甘さに目を細めながら、俺は飛んできたナイフを避けた。
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