8 俺の方から全てを捨ててやる

 もう、何回目だったろうか。

 アルドはそんなことを考えながら、例の屋上に来た。

 たぶん今度こそ、これで最後になるだろう。


 「全員死ね」


 俺を辱めた人間。痛めつけた人間。認めない人間。拒絶する人間。弄んだ人間。世界が、すべての世界が自分を認めないと言うなら、俺の方から全てを捨ててやる。

 アルドの頭にはもはやそれしかない。自分を認める者のいない世界など、滅んでしまえばいい。

 いつものように、あの黒い男がフェンスにもたれてタバコを吸っている。


「もう、人殺しになろうが化物になろうがなんでもいい! 全員殺してくれ!」


 男が黒い瞳をアルドに向ける。相変わらず何の感情もうかがえない。


「全員……。さすがに俺も、地球人全員を皆殺しにすることは不可能だ」

「まずザンだ! あいつは俺の恥部を知っている。それだけで万死に値する! それからミナだ! 俺を偵察するためにニコニコニコニコ近づいて来ただと? ふざけるな! ユナもだ! 気があるフリしてなんだよアレ! 俺を認めないオヤジもだ! 認められてる兄貴もだ! 俺を愛してるふりしてる母さんもだ!」


 一気にまくしたてたアルドは、肩で息をしていた。瞳は恨みで暗く輝いている。それを見ている男の瞳はさらに暗く、なんの光も灯していなかった。


「六人。以上か?」

「せっかくだからクラスのやつらも殺してくれる?」


 暗くぎらついた瞳をして、唇を歪に吊り上がらせる。このアルドの表情を見て、誰も、彼をまともな人間だとは思わないだろう。


「さすがにこれ以上は、前に貰った金では受けることはできないな」

「あっそう。じゃ、とりあえずは以上で」


 食事の注文を締め切る軽さで、アルドは言った。


「よかったよ。あんたが受けてくれて。さすがに無茶ぶりかなぁって思ってさ……」


 そう言いながら、アルドは男の隣のフェンスにもたれた。


「やっぱり信用できるのは、金とあん…………は……?」


 視界が勢いよく回る。最初は屋上の出入り口が目に映っていたのに、雲で淀んだ黒い夜の空が見え、横に並んでいたはずの、フェンスにもたれる男の背中が見えた。


 そのまま――もたれたそのまま、フェンスはアルドの体重を受け入れずに後ろへと倒れていく。


 男がこちらを振り向く。やはり何の表情も浮かんでいない。

 アルドが最期に見たのは、男の煙草の光。吸って、強くなった光。かつて、希望の光だと思った光。それが、遠のいていく。


 そうして何も抵抗できずに、アルドはビルの下へと落ちて行った。



    * * * *



 男は、倒れたフェンスをちらりと見た。

 表情を変えずに、その場を立ち去る。


 以前、アルドがザンの殺害依頼をキャンセルしに来たその時、ミナはアルドを尾行していた。そうして見た、アルドと男のやり取りの意味を理解した。

 アルドが依頼をキャンセルし、恋人が死ぬ脅威は去った。


 だがミナは、そんなことでは油断ならない、情緒不安定なアルドがいつそれを覆すかわからないと、そう考えた。

 そうしてミナは男にアルド殺害を依頼した。男は金額にこだわらない。金額に、その人物の本気を感じれば受けるのだ。


 先に依頼された仕事を、先に遂行した。

 男にとってアルドの死は、ただそれだけのことだった。

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