5 ミナちゃん
通学路を歩くアルドは、そわそわと落ち着きがなかった。
昨夜、父が帰ってきて対面し、機嫌を悪くしたアルドだったが、その夜見た夢で例の女性――ミナが出てきた。
特別何をしたわけではなかったが、彼女は微笑みを湛えながら静かに側にいてくれた。そんな夢に、アルドは心の落ち着きを得た。
そうして、もしも、バッタリ会えたら。
バッタリ会えて、あの『また会えたらお茶しよう』と言う言葉が本当だったら。
そんなことを考えながら家を出ると、肩まで伸ばした綺麗な黒髪の女性とすれ違うたびにドキリとしてしまうようになっていた。
そんな期待は叶うことなく学校についてしまい、アルドはほんの少しとは言え落胆している自分に気づき「いや、どんだけ偶然に期待してんだ俺」と小声で呟き首を振る。
その日の学校でも遊びに誘われたが、なんとなく断り、誰と話すでもなくぼーっとした休み時間を過ごした。遊びの話以外、誰も話しかけてこなかったがそれが気にならなかった。
なぜ遊びの誘いを断ったのかと自問すると、もしもミナに再会してお茶に行くことになったら……と自分は考えていたのではないか。
そのチャンスができるとすれば、皆と遊びに行っていない時だと考えてのこと……と気づくと恥ずかしくなる。彼女とは数分の会話しかしていないのに、なぜこんなに彼女のことばかり考えているのか。
自分でも自分がバカなのではないか、とアルドは思う。
「なーに、ニヤニヤしてんだ?」
休み時間の廊下で、たれ目の男が不機嫌な声で話しかけてきた。ザンがいない。たれ目の男の単独行動は珍しい。
気分の良いところに水を刺され、アルドは舌打ちをした。
「ああ? 今、チッ、っつったかぁああ? たまたま予言っぽいこと当たったからって調子乗ってんじゃねぇぞ!」
アルドは顔をしかめてため息をつく。するとたれ目は唇をアルドの耳に近づけてくる。
「あんまりバカにしてると、今度はあんなもんじゃない痛い目と、恥ずかしい目に合わすぞ」
「そしたらソッコーでお前らは死ぬけどな」
「んだら、今ここでやってみろよウナズキサマに頼んでみろよ! できねーだろぉお! やっぱただの偶然なんだよ、バーカ!」
たれ目は耳に口を近づけたままで大声を出す。
「マッド」
ザンの声がした。
たれ目の男は驚いたように少し飛び上がり、アルドから離れた。
「そう。ただの偶然だ。ウナズキサマなど存在しない。だから無様を晒すな」
「いや、別にビビってねぇって」
そう言ったたれ目の顔は完全に図星を刺されたような顔だった。
「マッドがビビってるようだったから、俺も調べた。ウナズキサマのことを。そっち方面に詳しい奴がいてな。ウナズキサマの呪いで死んだとされる人間は、呪いで死んだのではないと科学的に証明できることばかりだった。犯人がいたり、事故だったりな。ライは、屋上に行くのが好きだった。よく行く場所で事故に遭うことはそこまで不思議なことじゃない。いずれ、警察が解明するだろう」
ザンの顔は、それを完全に信じている顔だった。恐怖が微塵も感じられない。
「おまえは、ハッタリでしか相手を怯えさせることができない、無能だ」
ザンがアルドの顔を見て言う。
「あっそう。そう思うんなら、そう思えば?」
アルドは歪んだ笑顔でそう言うと、その場を離れる。
ザンは本気で信じていない。つまりはフィルムを返さないと宣言したのも同じ。
「あーあ。あいつら死ぬの確定じゃん」
小さくそう呟く。
■□■□
学校が終わり、一応友人達に挨拶しながら教室を出る。
校門を出たところで「あっ! 君!」という声が聞こえた。
自分のことではないだろうと思ってそのまま歩き続ける。
「君だよ君! お金持ちで遊びまわってるけどちょっとウブな男子!」
「は!?」
頓狂な声を上げてアルドは振り返る。そこには微笑を湛えたミナが、こちらに走り寄ってくるという光景があった。
「あたしの顔、憶えてるよね? 昨日の今日だし、忘れたなんて言ったら怒るよ?」
アルドが呆然としてるからなのか、ミナはそんなことを言う。
「あ、うん。昨日……来てた、ミナ……ちゃん」
アルドは赤面しながら呼び捨てでいいのか、敬称をつければいいのか迷ってそう口にした。しかし、『ちゃん』の方が呼び捨てよりも、より馴れ馴れしいのではないかと、言った瞬間後悔する。
「そう。正解。名前、憶えててくれたんだ」
しかしミナの笑顔は崩れなかった。彼女の笑顔にアルドは安堵するとともに、胸が締め付けられているのを感じた。
「君がここの学校ってことは知ってたけど、会えるとは思ってなかったよ」
「え……?」
――それって俺に会いに来てくれたってこと?
「いやぁ、あたし隣町の学校だけど、今日は友達に呼び出されてさ。んで来てやったのに『ごめん。今日は早く帰れない』なんてケイタイに電話があってさぁ。そしたら君にバッタリ!」
「あ、そっか。そういうこと」
自分に会いに来たのではないのか、と落胆してつい声に出してしまった。するとミナはにんまりと、ピンク色の唇を笑顔に曲げて言った。
「んん? もしかして、君に会いに来るためにここに来たと思った?」
顔を赤くしたアルドは答えられず、視線を逸らす。
「やだ! 冗談だよぉ。なにそんな本当っぽい反応してるのっ」
軽く肩を叩かれる。気軽に触れてくれることにドキリとする。
「時間空いちゃったしさ、どっかお勧めの喫茶店とか知らない? あったかいコーヒーとか飲みたい」
アルドは、うんうんうん、と無言で何度も頷く。
まさか、今朝から思い描いていたことがこんなにも早く叶うとは。
「し、知ってる」
頷くだけだと意味不明だと思い、緊張して出ない声を何とか絞り出す。
脳内で素早く知っている喫茶店を探す。
いつもの集まりで行く店は、誰かとバッタリ会う可能性があるので行けない。思いついたのは、時々一人になりたいときに行く、誰にも秘密の喫茶店だった。
「ちょっと歩くけど、リココキ通りにある、静かな店。そこでよかったら……」
そこまで言って、アルドはもしかして彼女は昨夜の約束を忘れていて、別に俺といっしょに行こうと言っているのではないのではないか? という可能性に思い当たる。
「じゃあ、そこにしよう」
彼女が笑顔で言う。しかし、彼女が自分を誘ったわけではない、という可能性に思い当たってしまったアルドは、歩き出した彼女について行く勇気がなかった。
「あれ? どうしたの? 行こうよ」
ミナが振り返ってキョトンとした顔をしている。
アルドは恥ずかしさも何もかも忘れて、満面の笑顔で彼女の隣を歩いた。
* * * *
「いやぁ、体が冷えてるときの、あったかいコーヒーは本当に至福だねぇ」
静かな音楽が流れる店内。ミナはリラックスした表情で白いカップに口をつける。
アルドも、暖かいコーヒーに口をつける。コーヒーの暖かさで体が弛緩していく。彼女が自分にリラックスした表情を見せてくれることに、心まで温かくなる。
アルドが一度カップを置いて、ホッとため息をついたと同時に、彼女もホッと息を吐いた。それがなんだかおかしくて、ふたりでくすくす笑う。
そうして、アルドは彼女と他愛ない話をした。
彼女は、アルドが思ったよりもおとなしい性格なのだと理解してくれ、彼女は小説が好きだか小説が好きな友達が一人もいないから寂しい、と話してくれた。
さらに彼女は照れたように、自分で小説を書くのだ、と話した。
「今書いてるのは心霊物でね、幽霊を信じてる人や信じてない人、色々出したいの。だからいろいろな人に聞いてるんだけど、君は幽霊とか魔術とか信じる方?」
声を弾ませて話す彼女の瞳を、アルドはあまり見れずに俯いてばかりいた。だが受け答えはしっかりしたものだったと思える。
信じていない。ということをハッキリと答え、科学的根拠のない呪いとかは心理的なことが原因か、偶然の産物。本物に見える霊現象も、今は科学が追いついていないだけでいつかは解明されること、と持論を披露できた。
俯いていたから彼女の表情はわからない。しかし終始、彼女の声は弾んでいた。
そうして彼女は、小説の話がまたしたいから、また会ってもいいかな、と言った。アルドは驚いて彼女の顔を凝視したが、やはり彼女は笑顔だった。
アルドは、喜んで彼女と次に会う日を約束をした。
そして、水曜日。
朝のホームルームで三人組のたれ目の男――マッドが、首を吊って死んでいたことが皆に告げられた。
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