とある文芸部員たちの風景
高瀬涼
エピソード1 山田陽子の場合。
「エピソード1 山田陽子の場合」―きっと、うまくいく
新学期になって、新しい先生の紹介をされる。
あたしは高校二年生。春のことだ。
体育館に一同に集められ、自分に関わりがあろう先生だけ目で追う。
その中にひときわ目立つ先生がいた。気になるのはあたしだけではないようだ。みんながみんな「あの美人も先生?」とざわついている。
遠目に見てもわかるほど、美人。
背が高く、いまどき珍しい漆黒の髪。そして赤い唇。派手なメイクが目をひいた。切れ長の目で一同を見回し、彼女の挨拶となる。
「初めまして、早乙女優希と申します。こちらの高校は私の母校でもあります。また、皆さまと共に青春を一緒に送りたいと思っております。よろしくお願い致します」
早乙女先生はまだ若く、今回赴任してきた先生らの中で一番年下のようだ。
受け持つ教科は国語。副担任もするようだ。
あたしのクラス担当ではなかった。
「私は本を読むのが好きなので、文芸部を作ってはどうかと考えております。部員を募集致しますので興味ある方はぜひ、私のところまで来てくださいね」
笑顔を作ると、更にざわついた。一部の女性とはぶりっ子っぽくないかと言っていたが、綺麗なことに異論はないので、声は小さい。
学校というものはカースト制がある。スクールカーストというもので、人気者、普通、底辺とざっくり言えばこんな感じ。
あたしも本が好きだけど、早乙女先生みたいに美人じゃないし堂々もしてない。
肌も荒れてて、ブス。貧乏、性格もかわいくない。
なので、友達は作らない。どうせ、嫌われていくからだ。最初から、嫌われていくのがわかっているのに作るだけ無駄だ。
なので、必然的にあたしの位は「底辺」になる。
あの早乙女先生がカースト制のどの位置になるかは、わからない。
それによっては、うちの高校にはまだない文芸部がどうなるかも、決まっていく。
早乙女先生が終わり、他の先生らがおなじみの台詞で挨拶をしていくのを聞き流しながら新学期は始まった。
あたしはまだ、高校二年でこれから続くつまらない学校生活にきっと彼女は何も関わってこないものだと、予想した。
――あたしの予想はだいたい当たるのだ。
× × ×
早乙女先生は、何やら問題を起こす天才のようだ。
学校には来るけど、授業妨害するような不真面目な柄の悪い生徒、いわゆるヤンキーである、黒澤彰(某有名映画監督と名前が同じだが本人は映画などきっと観ないと思われる)と口論になった。
激昂した黒澤は窓硝子を叩き割ったようだ。
ほら、見ろ。何でもかんでも自分の思い通りにいくと考えているからだ。この世界には触れてはいけない領域があるし、活動できる範囲だって決まっている。
だいたい、早乙女はあたしらと変わらない年齢の実績も少ない先生。生徒指導まで口出ししていいわけがない。
早乙女先生は部員が集まらないせいか、手当たり次第に勧誘していると聞いた。仲良く友達ごっこできそうな女子や、面白そうな男子生徒を集めているに違いない。
ご苦労様である。
あたしは、きっと声がかからない。声がかかるとは思っていないけど、目立つ存在である早乙女とは距離を置いておきたいため、避けている。
あたしは毎日の平和のために静かに深海魚のように息を潜めている。
そうでないと、カースト上位の人らの目に触れて「暇つぶし」にあうからだ。
「ねえねえ、山田あー、昨日、お風呂入った?」
いつも、いい香りを漂わせている女子が、あたしの机の周りにやってきて大声でそう言った。飯塚朱美はいつだって声がでかい。
カースト上位のいわば、イケてる女子。
こいつに目を付けられればやっかいだ。暇つぶしなのか、こうやって人を貶めて楽しんでいる。
あたしは関わらないでおくのが一番だと思って、何も答えない。
「ちょっと、無視すんなよ。山田のくせに」
あたしは机をみつめたたま、動かない。雑音など耳を貸さないのだ。
他の女子が遠目でクスクス、笑っているのが聞こえる。あのような女子ともあたしは、友達になってやらない。
飯塚朱美があたしの制服の肩あたりに鼻をよせた。睨む。
「くっさ! マジくさいんですけど!? あたし冗談で言っただけなのにマジでこいつ風呂入ってないかも! ボンビーガール、ボンビーガール!」
すると、男子生徒も寄ってきてあたしの肩や背中をかいでは大げさなリアクションでのけぞった。風呂は入った。たぶん、家のにおいをそのまま「臭い」と感じているだけに違いない。石鹸でちゃんと洗ったのに。
飯塚朱美はあたしが携帯持っていないことでボンビーガールと呼びだした。ほとんど無意識に。貧乏、不細工で、無愛想。
3B。自分でも笑える。飯塚朱美があたしに張り付けたレッテル。予想通り、クラスのほとんどがそれを知ってあたしと仲良くなるのを避けるようになった。
本好き同士で友達になれそうな人がいたのに、孤立を恐れて近寄ってこなくなった。
孤立が怖くて、動けないような奴などこちらか願い下げだ。
どうでもいい。
授業の時間となり、先生が教室に入ってきて、その話題は終わった。
でも、あたしの心の中でさっきのシーンが何度も繰り返されるのだった。
あたしは自身の心の弱さに辟易した。そういうのは放っておけばいいともう一人の冷静なあたしが言うのに、泣きそうだった。
× × ×
家はアパートで、母と下に弟と妹がいる。妹は小学生、弟はまだ幼稚園。手がかかる年頃だった。あたしは幼稚園まで弟を迎えに行って、帰宅してから洗濯物を取り込む。
そして、晩御飯の支度をして、ご飯を食べさせる。
妹と弟にお風呂に入らせて、自分もさっと浴びて、寝る支度。宿題はいつも学校へ行ってやるのが日課だ。
母が帰宅するのは夜中だった。母は看護婦で、夜勤もある。本当は家計を助けるためにバイトをしたいが、妹と弟の面倒を見なくてはならない。
父は帰宅するときとしないときがある。日雇いで色々な仕事をしているが長続きしないのだ。母の給料でほとんど家計はまわっていた。
たまたま、父が帰ってきた。あたしは汚れたものを見るような目で見る。汗臭いし、タバコを吸う。
母がタバコは子供がいるからやめてというのに、一向にやめようとしない。やめるのも病院にいってお金がかかると言い張るのだ。
タバコにもお金がかかっているので同じだと思うが聞く耳は持たない。
「お前、どうしたんだ、顔ニキビ多いぞ」
無神経な父が例によって、あたしを詰った。父も「暇つぶし」をする飯塚朱美と同じだ。
あたしが黙々と晩御飯の食器を片づけていると、父がひとりで仕事の話をしだした。母がいないから、話し相手にしたいのはわかる。
でも、今は忙しいのだ。
「お父さん、臭いから早く風呂入れば。それと晩御飯もうないから」
それだけ言うと、乱暴に洗い場に食器を置く。父は、無言で缶ビールを開けて、テレビをつけた。野球中継をやっており、いきなり。
「なにやってんだ、あいつはくそう!」
とがんばっている選手を罵倒しはじめた。早く帰ってきてもやることがないのだから、いっそのことお金だけ振り込んでもらって家には帰ってこなくていい。
母もたまにそう言っている。母は病院の仕事がきついとよく愚痴をこぼしていた。専業主婦になりたいと常々言っている。
母は料理が苦手なので、専業主婦には向いてないとあたしは思う。
弟が妹と喧嘩して泣いている。
ひどい環境だ。泣きたいのはあたしなのに。
いつまで。
いつまでこの状況なのだろう。
――考えを振り払い、あたしは布団を敷く。そして、読みかけの本を開いた。
あたしのささやかな幸せは寝る前に図書館で借りた本を読むことだけだった。本の中での主人公に意識をシンクロさせることで、穏やかな気持ちとなる。
物語は最初の方で不幸でも、いつだって最後ハッピーエンドだ。
現実と違うけど、そんなのは当たり前。
だから、安心して読むことができるのだった。
× × ×
「今日は何を読んでいるの?」
いきなり、後ろから声をかけられて驚く。全く気配を感じさせなかった。
さらりと、背中から髪が流れる。
早乙女優希。
先生らしからぬ、派手なメイク。でも綺麗だ。彼女に合っている。
近くで見ると本当に美人で、そういう意味でも驚いた。
あたしは図書室には他にも早乙女先生に構ってほしそうな女子生徒がいるだろうに、どうして自分に話しかけてきたのかわからなかった。
先生は、あたしの混乱を読み取ったのか、にっこり笑う。
「いきなり話しかけてごめんね。あなた、いつも図書館にいるでしょう? 山田陽子さんだったわね、気になっていたのよ」
なるほど、と納得して早口に答える。
「幸福な王子です」
「あら、いい話よね。それ」
「あたしは嫌いな話です。改めて読んでいて思いました。最後はハッピーエンドだけど、現実だと確実に負け組ですよね。王子は天使が来ることを知らない。バッドエンドだってあり得たのに」
幸福な王子のあらすじは、宝石をちりばめた銅像の王子が燕に不幸な人々に宝石を届けてもらうのだが、最後何もなくなって銅像の王子も燕も命を亡くしてしまう。
しかし、天界だけは見ていて王子と燕は天国で暮らせる、というオチ。
慈善事業は報われるってことが言いたいのだろうが、だとしたら生きている内に報われたい。
銅像の王子は宝石がなくなって街の人に溶かされ、燕は冬が来て、死ぬ。
その前に宝石が貧しい人々に届けられていることを誰か気付いても良かったのではないだろうか。燕も労わってくれたら。
――その辺りは現実的か。気付かぬものなのだ、誰かの不幸など。
「誰だって、ハッピーエンドになれるわよ。自分が仕向けていけばね」
「先生はそうでしょう」
嫌味を言ってしまった。
早乙女先生は気を悪くした風でもなく、ふふと笑う。
「はっきり答える子は好きよ。ねえ、あなた文芸部に入らない?」
いきなりの、勧誘にあたしは心臓がはねた。
あたしを勧誘するの。あたしなんかを?
一瞬だけ、高揚感が生まれたがすぐに内なる冷静な自分がとめた。やめておけ、そんな時間はないし、幽霊部員になるのが知れている。
それに小説など書いたことがない。
内なるあたしはダメな理由を一気に列挙していった。
すぐに断ろうとしたら、図書館の入り口から黒くて大きな影がやってきた。
「おい、早乙女! 返事はどうなったんだ――次の勧誘か」
うそでしょ、黒澤彰じゃん。近くで見ると背が高くて高校生にしてはガタイがいい。
怖い。
「お前」
「はい……」
黒澤がじい、と睨んでくる。目つきが鋭すぎる。俯くしかできない。
「本が好きか」
頷く。すると、黒澤は「よし!」と大声をあげた。早乙女先生が図書室では静かにしようね、と言うが聞いてない。
「だったら、クジをひけ!」
早乙女先生が「そう、そう」と言いながら折りたたんだ紙を取り出した。
「文芸部を開設にあたって、最初の部誌を発行するの。お題があみだくじの先に書いているから、それに沿った内容の物語を書いて来てね。枚数に上限はないわ」
早乙女がニコニコしながら、その横で黒澤が怖い顔で見ている。
あたしは、入るとも言ってないけど、あみだくじを選んでしまう。
左から二番目。
すると二人は折り曲げた端を広げて、楽しそうにあみだを下していく。早乙女先生がちゃかちゃかーと楽しそうに効果音を付けた。
「お前、やっぱ、かわいいな」
「ありがとう。でも、返事はもうしたけど、むりだからね」
「俺はその返事は聞いてないことにする」
二人しか、わからないやりとりをしながら、お題に行きついたようだ。
「じゃーん! 山田さんのお題は、『きっと、うまくいく』よ!」
嬉しそうに早乙女先生が言うけど、あたしは困惑した。
「……きっと、うまくいく? そんな楽観的なお題の話を書くのですか」
うまくいくことなんてないのに。
何もかもうまくいってない、あたしが書けるだろうか。
「ほかのお題にしてはもらえませんか?」
早乙女先生に言ったのに、黒澤が代わりに低い声で言った。
「それは却下だ。お前なりの話を書いてこい。できたら俺のところに持ってこいよ」
「え、黒澤君にどうして」
「知らなかった? 文学部の部長は黒澤君よ」
目が点になるとは、このことだ。やけに先生とべったりと思っていた。なにそれ、戦闘要員で彼をまず手にいれたのでしょうか。
小説など、全く無縁そうな頭の悪そうな彼が部長?
「お前、今失礼なことを頭んなかで思ったろ。顔に出てるぞ」
「め、めっそうもない!」
「だったらいい。遅かったら原稿徴収に行くから覚悟しとけよ」
黒澤はポケットからくしゃくしゃになった部員届けを乱暴に机に広げた。
「名前書け。悪いようにはしねえ」
あたしは、こうして闇金からお金を借りたり、不当な契約を交わしたりするのだろうなと社会の不条理を目の当たりにした。
「また、失礼なことを考えているだろ」
「全然! 書くから、書くから」
慌ててシャーペンで書く。彼はエスパーか。
「山田さんって内心で絶対、面白いことを考えているタイプよね」
早乙女先生も全く黒澤を止めようとしない。どうなっているのだ。こうでもしないと部員が集まらないのだろうか。
ああ、黒澤がいるからかもしれない。
少し前に仲悪かった二人が、もう仲直りして一緒に部活動をしているとは何があったのだろう。
あたしは、少しだけ気になったがそれよりも小説だ。
今からすぐに構想を練らなければならない。
そうでないと、あたしの学園生活がさらに悪化したものになるかもしれないからだ。
× × ×
授業中も、家で洗濯ものをたたんでいるときも、頭の中で「きっと、うまくいく」という言葉を反芻させる。
うまくいく、何が? どうやって?
「きっと、うまくいかない」だったら書けるかもしれない。うまくいく、と思っている主人公がどん底に落とされる物語。
あれよ、あれよと物事がうまく回らなくなり、どうしてこうなったと思ったときには時既に遅し。あたしの現実をネタに、そして想定される未来をネタにしたらいいだけの話だ。
自分の皮肉に、手をとめる。
頭を振って、今のネタは没にする。今回はポジティブなお題。
幸福な物語。
あたしは、自分に嘘をついてまで物語は書きたくない。ご都合主義の話なら、たぶん書ける。
主人公は美人で、お金持ち。親も優しくてしっかりしている。本当はお嬢様だけど、普通の県立高校に通いたいと希望して(社会勉強とか何とか)身分を偽って登校。とても素直な性格で、みんなを励ます。
『きっと、うまくいくよ!』
文化祭か何かでトラブルあったけど、主人公の機転で乗り越える。
で、幼馴染の友人に最後、告白される。
お前の笑顔で乗り切れた。これからも、ずっと傍でいてくれ、みたいな。
最後のはキザすぎる。
適当に提出しろと言われればこの文化祭の一日を描いた絵空事を書けばいいのではないかと思った。
何の面白みもない話。非現実的、まさにファンタジー。
だいたい、金持ちは金持ちとしか付き合わないのだ。
きっと、あたしは生涯、貧乏人にしか付き合わないだろうな。
――お父さんみたいな。
「……はあ」
自然と重い溜息をつく。弟がまた、妹に泣かされている。いつも、すぐ泣く。
泣くことで庇ってもらおうとしているのだろう。要領いいやつめ。
最近、それを見た妹も真似して泣き出すことが多くなった。
「おねえちゃあああん」
弟があたしにタックルをかましてくる。そして、涙をあたしの服でぬぐっている。
「保が先に噛んだ!」
また、玩具とお菓子の取り合いから始まったのだろう。
妹が経緯を説明している。
あたしは思考を中断して、二人を宥めるという家事に移った。
× × ×
図書室で小説の展開を考えていると、早乙女先生がやってきた。
勝手にあたしの隣りに腰掛けてくる。
「できた?」
「いいえ。先生、あたしにはこのお題無理かもしれません。どちからといえば、嫌いなお題です」
「どうして、嫌いなの」
「……きっと、うまくいくなんてリア充が書く話ですよ。あたしは、毎日楽しくない。これから先だって、うまくいきっこない」
現に、社会の縮図と言われる学校で友達がいないし、勉強もできないし、家は貧乏だなんて、うまくいかなさすぎて笑えてくる。
美人であれば、頭がスカスカでも大丈夫だろうが、ニキビの多い、目が小さな顔ではどうにもできまい。
せめて、先生のような顔に生まれていれば人生は大きく変わっていただろう。嫉妬して先生の横顔を覗く。横顔もモデルのように小顔で整っていた。
「山田さんにこそ、ふさわしいお題だと思うけどなあ。ねえ、あなたにとって、底辺の主人公ってどういった設定かしら」
「底辺……」
いろいろ、すぐに浮かんだ。あたしみたいな、あたしの未来みたいな。
「それを今、書き出してみてよ」
先生に言われるまま、目の前のノートに箇条書きで列挙していく。
すらすらと書けた。
・貧乏
・ブス
・運動神経が悪い
・コミュ障
・頭悪い
・本しか楽しみがない
・父親は定職についてない。
・父がダサい
・いじめられている
・お金ないのに、よく物資がなくなる
・底辺の友達しかいない
先生はそれを見て、しばらく無言でいた。口を開く。
「両親がいて、友達がいて、本を読む楽しみがある、というのがひっかかるけど、まあいいわ。で、この設定の主人公が底辺でなくなる過程を無理やり描けばいいのよ」
「え、ここから?」
「簡単よ。物語は何をしてもいいの。きっと、うまくいく――ように、あなたがするの」
先生の瞳の中には蛍光灯の光だけじゃない、力強いものが宿っていた。
綺麗な目を見ていられなくて、あたしは視線をそらした。
教室に戻って、再度、小説の構想を考えようと思った。
入ると、みんな、遠巻きに見ているのがわかった。くすくす笑っている気配もある。この感じは知っている。
机を見たとき、やっぱりなと思った。心にすっと重く冷たい石が投げ込まれた気になった。
『山田クサイ』や『死ね』とか『ウザい』とか何のひねりもない落書きがシャーペンでされていた。
本当はこのまま、無視をして奴らのことなど相手にしてない風を装いたかった。けれど、視界に入ると平常心ではいられなくなった。
あまり、使いたくないのに消しゴムで黙々と消す。これで昼休みはほとんど終わってしまったと思った矢先。
「おいっ! 山田はいるかっ」
と大きな声が教室中響いた。
黒澤彰だ。クラスが凍りついた。ざわめきが静かになった教室で、あたしは小さくなっていた。黒澤は孤立しているあたしをすぐ見つけて机に(文字通り、机の上に)腰掛けた。
落書きは見えていないらしい。
「お前、進捗状況はどうなんだよ」
「黒澤君、進捗状況なんて言葉知っているんだね」
「お前、舐めてんのか!?」
つい、思ったことを言ってしまった。でも、黒澤君の怒声は別にあたし自身を否定したわけじゃないのを知っているから、悲しい気持ちにならない。
「あたし、きっと、うまくいくなんて、これまでの人生一度だって思ったことがないの。今だって、机に落書きされてて、やっぱりなこれが現実かって思っていたところ」
「どこに」
「黒澤君の尻の下」
黒澤君は少し腰を浮かして眺めた。
「どうでも、よくね? このままにしとけ。これを消している暇があったら少しでも文章書けよ」
黒澤君とあたしが話しているのを見て、クラスの女子たちが「黒澤にもいじめられてるの、やばくない?」と話しているのが聞こえた。
飯塚朱美も笑っている。
たぶん、今回落書きしていたのは彼女たちだろう。
「あいつら、友達?」
黒澤君の質問にあたしは、首を振る。
「ふうん」
黒澤彰は一匹狼タイプの不良。カースト上位の女子たちでも目をつけられたくないのだ。
と、声がした方に黒澤君が獣のように飛んでいった。
「聞こえてんぞ、ブス。言いたいことあるなら正面きって言え」
教室の隅で笑い合っていた女子たちが悲鳴をあげる。
「本当にごめんなさい、何もないの!」
真っ先に飯塚朱美が笑顔でほほ笑んだ。
黒澤彰も口の端を歪める。
「飯塚朱美だっけ。おまえの彼氏、タバコ臭いよな。おまえも吸ってんだろ」
黒澤君が怯える彼女の髪を一掴み取って鼻に近づける。
「お前、甘いにおいしすぎ。くさっ。タバコの匂い隠すのも大変だな」
「…………」
黒澤君にそう言われて、涙目になっている。かわいそうになるくらい彼女は固まっていた。突然の黒澤君の暴露により、暗黙の了解でだいたい、みんなが知っていたタバコを吸う事実が広まっていく。
飯塚朱美は焦ったように声を張り上げた。
「す、吸ってないから! 黒澤、お前ふざけんな!」
かわいこるのをやめたようだ。
黒澤君は豹変しても態度を崩すことはない。
「だったら、そこまで慌てなくてよくね。サスペンスの追い込まれた犯人っぽい」
あたしは、笑いそうになるのを堪えた。クラスも笑いそうになるのを必死にこらえているのが空気で伝わってくる。飯塚朱美は教室から出て行った。取り巻き女子たちも「朱美!」と言いながら後を追う。
「なんだ、この茶番。飯塚朱美ってもっと根性あんのかと思った。浮くのが嫌だったら、中途半端ないじめすんなって話。頭悪そうだから絶対本読んでないな」
ぶつくさ言いながら、黒澤君がまたあたしの机の上に腰掛けた。
「……黒澤君は読書をするの」
ふと思った疑問を口にする。
すると、彼はきょとんとした顔で「俺?」と疑問形で返してきた。視線をしばらく泳がせたあと、
「漫画って読書だよな」
と真面目な顔で言ったので思わずあたしは噴き出してしまった。
あたしが笑ったことで、クラスはまた自分たちの話に戻っていった。朱美がいなくなっても教室はさして変わらないということだ。
何もかもがどうでもよくなって、あたしは腹の底から笑えてきた。
「そこまで笑わなくてもいいだろう」
「ごめん、ごめん。でも、おかしくて……ねえ、黒澤君は漫画しか読まないのに、なぜ、文学部の部長なんてしているの。漫研ならわかるけど」
「決まっているだろ、早乙女が好きだから」
「え?」
一瞬、どの早乙女かわからなかった。笑いをとめて考える。一人しかいない。
「先生として尊敬しているという意味だよね」
「俺の好きは、そっちじゃねえ。性的に興奮する対象として、女としての好きだ」
「えええ!?」
思わず、のけぞってしまう。
「この前、あいつとタイマンして負けた。あいつの正体を知っても驚くなよ。とにかく、俺は早乙女のことを尊敬もしているし、俺のものにしたいとも思っている」
「正体? タイマンして負けた?」
いろいろ気になる単語が出てきたけど、黒澤君はそれについて説明する気はないらしい。突っ込んで機嫌悪くなったら、たまったもんじゃない。
あたしは深入りしないでおこうと決めた。
「くだらないことで小説の提出遅らせるんじゃないぞ。締切厳守な」
黒澤君はチャイムが鳴る前に自分の教室へと戻っていった。他のクラスで良かったと胸をなでおろす。じゃないと、ずっと見張られているようで嫌だ。
彼が去ったあと、落書きがある机を見ても平気だった。
でも、あとで消しゴムで消しておく。
なぜか、この落書きが最後のような気がしたからだ。黒澤君が守ってくれるとか、彼にビビッて、あたしがからかわれるのが無くなるとまでは思ってない。
でも、不思議と、きっとうまくいくように感じた。
少なくとも、飯塚朱美を一度でも、あんなに焦らせた記憶があるだけで、あたしは救われる。
ざまあみろ、と思うことができる。
だから、きっとこれからはうまくいく。
× × ×
帰宅してから、家事をしながら小説の展開を考える。
妹が「お姉ちゃん、楽しそう」と言っていた。そうかもしれない。あたしは今、家事をしながら、とても楽しい。
いらないプリントの裏にシャーペンでメモを書く。
貧乏なヤンキーが図書館の女性司書に恋をして、どんどん変わっていく話。
ヤンキーは万引きじゃなくて、自分で働いたお金でプレゼントしたくてバイトをする。
図書館で勉強するようになって頭よくなってくる。
恋愛相談をバイト先の先輩にする。
人づきあいが広がっていく。
雰囲気が柔らかくなっていく。
誰かに優しくなる。
最後は、司書にフラれてしまう。
でも、司書の人の「きっと、うまくいく」という言葉を胸に彼はまっすぐ生きていくようになる――という話。
捻りは少ないけど、あたしは初めてにしては上等だと思った。
小説は読むけれど、実際にオリジナルを書いたことがないのだ。でも、この話はきっとあたしの中でずっと残るに違いないと予感した。
あたしの予感はよく当たるのだ。
早乙女先生に書いたプロットを見せると、彼女は優しく微笑んだ。これが誰をモデルにしているか、きっとお見通しだろうけど、先生は何も言わなかった。
「いいわね。司書さんがどうして、『きっと、うまくいく』とヤンキー君に言っていたかが気になるから、そこは突き詰めていきましょうね」
あたしはしっかりと頷いた。間近で見ると、先生は、とても肌がきれいだ。
じっと、見つめてしまったので、先生が「どうしたの」と聞いてきた。
「いや、あの、肌が美しいなと思って」
「ありがとう。秘訣は便秘しないことと、しつこい保湿ね」
あたしはみんなが女子友達としている美容トークを先生と繰り広げた。どんな洗顔石鹸を使っているのか、美容液はどのメーカーを使っているのか。
「あとは寝ること。高校生はすぐニキビできちゃうんだから、十分な睡眠は必要よ」
「なるほど」
こんなことで、肌が綺麗になるのだろうか。
すると、自分の内側で「きっと、うまくいくよ」と誰かが呟いた。ここ数日、ずっとタイトルばかり追っていたから、思考に癖づいてしまっている。
早乙女先生までが、
「あなたは若くてかわいい女子なんだから、何もかもきっとうまくいく。心配しないでいいのよ」
と言って、あたしの長い前髪をさらった。
前髪も切りましょうと先生はアドバイスをした。
あたしは早朝の新聞配達のバイトをいれた。早く寝て、早く起きる。
これができたら、問題ない。
先生が言っていた美容液を買って、しつこいほど肌に染み込ませる。そして、バイトのために早く寝た。
妹もバイトをするようになってから、家事を結構やってくれるようになった。
コンビニのシュークリームを買ってかえることにしたら、喜んでやるようになってくれた。
お父さんはあたしがバイトをするようになって、仕事が決まった。
ずっと、日雇いをしていたが、あたしがバイトをしだしたことで色々思うところがあったようだ。
ゴルフ場のコース管理だ。バイトみたいなものだが毎日仕事はもらえた。
「お前、肌、マシになったな」
父が帰宅してから、言ってきた。
「綺麗な先生にコツを教えてもらったらかね」
「……そうか。良かったな」
父はすぐに風呂に向かった。最近は、父も仕事が朝早くからあるので早く寝る。
なんだろう。
きっと、うまくいくという小説を書きだしてから、少しずつ良くなっている気がしてきた。相変わらず、飯塚朱美はいちゃもんをつけてきたが、生徒指導にあったり、彼氏と別れたり、それどころじゃないみたい。
他の女子たちも他の楽しいことで、めいいっぱいのようだ。
あたしも楽しいことばかり考えている。
文芸部の冊子が楽しみだし、綺麗になったと自分でも自画自賛。
クラスでたまに本を貸し借りする友達もできた。
なんだか、騙されたようで悔しい。
きっと、うまくいくというタイトルが現実にまで影響及ぼしてくるなんて。非現実的だし、うまくいきすぎ。
これが、狙いだったの。
早乙女先生が全てを見抜いていて、あのクジを引かせたとか。
――まさか、ね。
おわり。
とある文芸部員たちの風景 高瀬涼 @takase
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