第17話『レッスン開始』

 アイラ・ヴァンキーラの朝は早い。

 日の出前の早朝6時まえ。

 四月とはいえ、朝は冷える。ベッドからシーツを剥ぎ、顔を洗って身だしを整えるとトレーニングウェアに袖を通してそのまま傍らの窓を開けて――


「はあっ!」


 真上から木剣をたたき込むのだ。

 しかし、ばしんっ、と静止した木剣は優雅に読書をする青年のあたまひとつ上のところで静止している。

 こちらには見向きもしない彼にいつものように舌打ちしながら、すぐに顔面へ蹴り込む。だがこれもすげなく弾かれ、逆に腕を絡められてぐんっと身体が引っ張られる。

 木剣と右足、二方向から引き寄せられた体はベチンっ! と鈍い音を鳴らしてはね飛ばされた。


「痛ったぁ~っ!!?」


 頭から落下したアイラはそのまま蹲るように身もだえする。


「惜しかったですね。オレが本の虫になる時間を狙うなんて。お嬢様も目をつけるところがえげつい。でもそんな真正直な打ち込みではオレは倒せませんよ」


 おはようございます、パタンと本を閉じたアルヴァが爽やかに微笑む。

 そんな彼にアイラは涙ぐみながら鳴いた。


「鬼畜! デタラメ! ドSの変態っ! こんなの体罰よ、体罰っ!」


 誰がドSだ。誰が。胸中で抗議しながら、にこやかさは崩さない。

 ふぐぅと額をおさえるアイラはよくよくみるとその額が薄赤く滲んでいる。青年のデコピンがクリティカルヒットしたのだ。

 アイラ嬢の屋敷に就いて幾日、彼女の偽りの許嫁兼、教育係としてお嬢様のレッスンを観ている今日このごろ。

 色々あった初日の夜、少女の秘密へ踏み込んで以来、アイラの態度はだいぶ穏やかになった。

 昨日のことは忘れなさい! と念を押したアイラににへらと口を緩めたのは記憶に新しい。

 たまに小言を言われることもあるが、以前の棘のあるものとは違う。

 あれも彼女なりの愛嬌というやつなのだろう。曰く、ツンデレというやつだ。

 関係も良好になったことで

 翌日からこうしてレッスンも始めている。


「敵が攻撃が当たるまで待ってくれますか? いまから斬るからそこ動かないでねとでも?」


 アイラは確かに優秀だが、それは学生の範囲内での話。いざ実践に出れば、状況確認の落ち度や危機管理能力の欠如などが目に見える。

 貴族の王道的オーソドックスな剣技でなく、より実践的な技術を身に付けて貰う必要がある。


「刃を向けた瞬間、相手は全力であなたを殺しにかかります。そんな状況で必ずしも定石が通用とは限りません」


 もとのポテンシャルが良いぶんそれに頼り過ぎている憂いがある。飲み込みが早いとアルヴァとしても教えやすい。

 芝生の上で額を抑えるアイラに近寄り、紙についた草を払ってやる。


「もっと周りを見なさい。周囲のあらゆるものを使って勝利を掴むのです。それは仲間内での健闘試合でも同じ。貴族の誇りなんてものがあったら、そんなものはいまずぐに犬に喰わせなさい」


「犬って……」


「安いプライドほど邪魔なものはありませんからね。ですのでペナルティーを」


 説教を一息して、アイラにシャワーを浴びてくるよう促した。清々しい笑顔とともに、課題を出される。


「お風呂洗いはご自分で」


 うげぇと顔を歪めるアイラを尻目に悪魔的に笑う紳士であった。



  ☨ ☨ ☨



「それにしても……」


 シャワーから帰還して朝食を済ませた後、食後の紅茶を嗜みながらアイラが周りを見まわした

 均等に長さの整えられた芝生、壁面まで新築同様に磨かれた屋敷。奥林なんて、日の差し加減が増したように感じる。

 いつ侵入を許したのか、アイラの自室でさえも見違えたように綺麗にされている始末だ。

 埃一切見逃さない家事スキル。ひび割れていた花壇も、土ごと埋め替えられて新たな花が植えられ、鮮やかなコバルトの花びらに水が滴っている。

 以前は十数人のメイドが一日中動き廻ってやっとやりくりしていた仕事量を、珈琲片手にやってのける彼にアイラは驚きを隠せずにいた。


「これくらい紳士の嗜みですよ」


 まったく身を苦にしない笑いに若干退く。


「いやどう考えても家政婦の領域でしょこれ」


「それよりお嬢様、そろそろ学校、、の準備をしたほうがいいのでは?」 


 そんな後だからか、思ってもみないことを言われて首を傾けた。

 きょとんとした表情に過去の記憶が蘇る。


「あ、今日からか――」


 片付けを始める青年に別れを告げ、支度を調えるべく自室へと引き上げる。

 クローゼットを開けて新しく掛けた右端のそれを取り出し、見つめる。

 手に持ったのは、1着の制服だ。飛び級である彼女が修剣道院を主席卒業をしたのはもう一年前のことである。

 だがかつての制服はここにない。騎士団の入団が決まると同時に処分してしまったからだ。

 いま彼女が持っているのは、修剣道院のものとはまったくことなるデザインのもの。試し着に一度袖を通したくらいの新品だ。

 なぜ彼女が再びそんなものに袖を通す羽目になったかといえば、先日のグール事件での折、

 叔母であるヴァンキーラ家当主の命により、突如部隊の解体を命令された翌日のこと。

 一通の赤い封筒が朝早くポストに送られてきた。

 なかにあった手紙には、一文だけこう書かれている。

『アイラ・ヴァンキーラとその婚約者、鬼灯アルヴァを学園スクラムの所属とする』

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