第30話『ボス攻略』

 6月11日午前8時——ボス討伐当日。

 広場には多くの生徒が集まっていた。光湛ひかりたたえる甲冑明色かっちゅうめいしょく。 

 忙しない喧騒が石畳を鎧色に染めていく。俯瞰ふかんすれば、さながら獲物に巻きついた大蛇のごとき艶が波打っていることだろう。

 その中央、流麗にしぶく噴水には、見事な彫刻が設われていた。神話をもとにしたそれは、その昔海に蔓延はびこった怪物とそれを打ち倒した英雄を描いている。



 三叉みつまたやりに貫かれた怪物の口から、断末魔のごとく鮮やかに吹きだしたコバルトブルー。

 そのヴェールから、アイラの顔がうかがえた。

 しかしその表情はどこか暗い。脱皮したばかりのまつ毛が小刻みにふるえる。


「お嬢様、大丈夫ですか?」


「……っ、問題ないわ」


 青年に明らかな動揺を返して、アイラはそっぽを向く。

 宥めるつもりだったが、これ以上は逆効果だろう。演技を忘れて「お嬢様」呼ばわりした彼を、今はいさめる余裕もない。

 刺激しないよう距離を開けて、しばらくひとりにしておこう。


 なにも強がりはアイラだけではない。皆、顔は笑っているが不安や緊張を抱えている。それ臆目にも出さないだけでも優秀というものだ。


「ちょっとどういうことよ!」


 だが、その中にも例外がいたようだ。甲高い声が視界の端で軋む。静かな緊張が一変、周囲の目が向く。

 紺碧の少女ナイトがズカズカとメタルブーツを踏み鳴らす。ベルベットドレスを鎧で纏わせた姿は、一見すれば可憐である。

 家立ちの良さそうな乙女の顔は、いったい何が気にくわないのか歪んでいる。あれではせっかくの美貌が台無しだ。

 ズンズンと近づいてくると、呆気にとられる周囲を軒並み差し置いて、刺すような視線をこちらに向けた。


「……なにか御用でしょうか?」


「大アリよ!! なんでサボり魔のアンタたちがここにいるのよ!!」


 背後のアイラの気配がわずかに強張った。

 青年の態度が予想だにしない反感を買ったのかそれとも元々の性格なのか、少女騎士は叩きつけるように指を突き出すと、先ほどにも増した怒号が返ってくる。

 人目も憚らず、よく響く声だ。その実カナリアの喉が潰れたかのように品がない。

 ちんけな少女騎士もいたものだ。

 背後の主人に目をやると、俯きがちだった顔が完全に下がりきっていた。裾をきゅっと握りしめて、健気に耐えている。

 ああ、こいつ——

 もう一度騎士少女を見つめ返して、思い出した。最条との一件の前、まだ座学を推奨していたころ、廊下でぶつくさアイラに不満を漏らして奴だ。

 サボり魔……そう捉えられても致し方ない。オレの所為とはいえ、一度定着したイメージはなかなか消えるものではない。


「おい、やめろって——」


「なによ! じゃああんたはいいの!? 今まで見てるだけで何もしてこなかった奴らが、のこのこと出てきて掠め取っても!」


「そ、それは——」


「どうせいいとこ採りして、武勲をあげたいだけなのよ——コイツらは!」


 ここにきて、溜め込んでいた鬱憤が爆発したのか言いたい放題である。黙っていれば可愛いであろう顔を険悪に歪めてよく舌を噛まない者だ。止めに入った生徒までも勢い調に捲し立てる様子はもう手に負えない。生徒はそれきり黙ってしまった。騎士の言葉は少なからず同意できるものがあったらしい。周りも同じだ。周囲の眼が明らかに鋭さを覚えた。意識的にこちらを見ないようにしているのがまるわかりだ。

 腫れ物に触るように徐々にその隙間が大きくなっていく。

 厭な雰囲気だ。周囲が口零す言葉の片辺が主人の揶揄に聞こえる。当人も同様に感じてるのか、スカートをねじ曲げて、唇を噛み耐えていた。けれども。


「————消えたい」


 しゅんとアイラが俺にしかわからないほどわずかに声を絞った。その瞬間弾かれたように仮面が剥がれる。まだ14も弱の少女を周知に辱めることが制裁のつもりか。学園に選ばれたといっても、その程度の器しかいないのか。引き剥がした憤怒が目尻を疾った。


「いい加減に——」


 しろ、と口に仕掛けたところで、


「ダサいよ、そういうの」


 思わぬテノールが遅まき気味に食い込んだ。言って現れたのは、小柄な少年だった。隠密用装の黒ローブの裾を引きずりながら、アンニュイな目で騎士乙女を眇める。


「なによ」


 予想外の闖入者に見舞われ、勝気な態度はそのままにのけぞるように距離をおく騎士乙女は少年の姿に表情を強張らせた。

 薄汚れた包帯を身体中に巻いた容貌は、腐敗した屍のようである。温室育ちからすればさぞ不気味に思えよう。腰に提げてあるククリナイフが印象的だ。


「俺たち実力を買われてここにいるんだからさ。気に食わないなら実力で勝てばいいじゃん。ほら、そっちの男みたいにさ」


 視線をアルヴァに促して、流し目で少女騎士を睨む。どうやら青年が最条と一騎討ちで引き分けたように、女騎士にも同じことをとらせようとしているのだ。


「は? なんで君に命令されなくちゃいけないわけ?」


「べつに厭なら厭でいいけど。やっぱり口だけってことになるよ」


 一言一言を叩くように放つ少女に対して、少年は淡々と返す。さりげなく少女の神経を逆撫でするあたりがあざとい。


「関係ないやつは黙ってなさいよ!」


「それで解決するとは思えない。だって——」


 魔を置いて、一瞬の出来事のように、いとも退屈そうな目が騎士乙女の間近に迫る。少女が息を呑むのも許さずに、淡々とした口調で面白みのない表情で、ただ事実だけを突きつける。


「結局、爵位や家督を一番気にしてんのは君だろ?」


「な——」


 言葉を失うというのはまさにこのこと。それが答えだというように、少年は顔色変えず翻る。ぷしゅうと沸騰したかのように少女の顔がみるみるうちに赤く染まる。側から見れば面白いものだな。

 それが耳まで到達したところで、ぷるぷると肩を震わせながらギンと目をおっぴらげる。完全怒り浸透だ。

 このまま要らぬ諍いが起きるのはさすがにマズいと間一髪のところで、タイミングよく鐘楼が鳴った。と同時、武装した生徒会の面々が最条を先頭に現れる。


「時間だ」


 さきほどまでの喧騒が嘘だったかのように、ピリついた空気が一掃した。


「……っ、フン」


 最条に睨まれて、少女もそれ以上言わなかった。そっぽを向くように視界から消える。石敷きに反発したメタルブーツが音苦しく音立てていった。

 生徒会の登場に、他生徒も表情を改める。

 黒ローブの少年も元いた位置へと帰っていく。


「あの……っ、ありがとう」


 その最中、自身の横を通りすぎるあたりで、アイラはその背中に投げかけた。


「……べつに。うるさいやつは嫌いだから」


 顔を向けないままこともなげに言って人混みに消えていく。

 それを見届けるように最条が脇に侍る非武装の役員たちに合図を送った。配られたのは、一枚の羊皮紙。状態は比較的新しいものようだが、そこにはボスの名称から行動パターンまで情報があらいざらい記されていた。


「フロアにつくまでに目を通しておけ」


「すごい、こんなものどこで………」


「うちの調査班の子らが頑張ってくれたんや」


 その疑問に答えるように、耳慣れない声が届いた。首を傾げて顔を上げてみれば、見慣れない少年がふふんと鼻を高めている。先程の騎士乙女のものとは違う、染め上げた金髪。束感のある髪は器用に編み込んでいる。

 ついさっきまで最条の傍らにいた生徒会員だった。


「副会長率いる先行隊がボスと戦って行動パターンからなにからぶん取ってきてくれたねん。偵察班の子はさぞ大変やったろうなぁ。副会長はんも姫もへとへとやったし」


 言われてみれば、今日は副会長もあの少女侍——百川の姿もない。なるほど情報を得るための先行隊としていち早くボスと戦っていたのか。守護者ボスの情報は各層ごとに遺跡や戦利品に残っていると聞く。そして、その全てを調べたとなると相当の労力を強いられたことだろう。

 げんなりとした表情が目に浮かぶ。


「オレ、黄原。よろしゅう」


 握手を求めてくるのに頷いて、手を握った。三白眼というのだろう。白目に対して、やや小さめの琥珀が蛇に似ている。

 稲穂のような束感のある金髪を揺らして白い歯を見せる黄原は武装している。が、だいぶ軽装備だ。脳天からはみ出した槍の刃先が目に見える程度で、防具の類は一切ない。最条は親譲りの桁違いの魔力があるため非防備でも問題ないが、果たしてこの少年はどうなのだろうか。

 そんなアルヴァの脳裏を摘んだように、ニヤりと笑って自身の胸ぐらを引っ張った。


「大丈夫やで。オレの制服これはちょっと改造してそこらの防具より優秀やねんで」


 言われてみれば、すごい伸縮だ。


「へえ、面白い素材ですね。お嬢様のバトルドレスにも使えるな……」


「なんなら仕入れ先教えたるわ」


「——マジで?」


「マジマジ」


 なにやら肩を寄せて耳打ちし合う青年たちを尻目にアイラは悪寒を感じたが、それはそれとして。

 壇上では部隊編成を行うらしく、最条が生徒たちを六つほどのグループに分け始めた。


「では、各部隊のメンバーを発表する。臨機応変な連携を図るため、今日まで発表は伏せていた。いいか、馬が合う奴と組むだけじゃ一流とはいえない、それをよく覚えておけ。————ゾバル!」


 呼ばれてのっそりと前に立ったのは、分厚い鎧に身をくるめた昨日のタンク職の男だ。戦術担当だったのか。最条が隠れそうなほどの大楯を背に載せて野太い声を叩く。


「舞台はA班からG班までの八つだ。AからCが攻撃、D、Eが防御。それ以外は支援に回ってもらう」


 そう言って次々に名前を読んでいく。こんなに細かい配置は個々人の能力を把握してなければ、不可能だ。ゾバルではない。生徒会だろう。その情報収集力は目を見張るものがある。

 だがあまり配列に拘っていると戦闘時での緊急事態に手が回らなくなる。軍隊がゲリラ戦で惨敗するなんてことはよくある。ゾバルはそのあたりをわかっているのだろうか。

 自分の配置に戸惑うものもなかにはいるがそれも些事。大半はすんなりと自分の部隊の位置に分かれていく。

 他人事のように自身も呼ばれるのを待つアルヴァだが、なかなか名前が上がらない。アイラも同じようで、徐々に周りの生徒が消えていく。


「最後にG班……これは後方部隊の護衛や取り巻きの排除を行ってもらう——」


 言葉を切って一瞬、ゾバルの細い目がこちらを見据えた。

 それが睨みなのかはわからないが、次いで聞こえた言葉で理解する。


「鬼灯アルヴァ! アイラ=ヴァンキーラ。以上だ」


 ほう、と咀嚼するように瞬いたのはアルヴァと最条どちらだっただろう。


「すまん会長。やはりオレは信用に足らぬものに背中を預けることはできない」


 謝罪を口にしてはいるがも、その表情は厳しい。無理もない。今まで上官の命令を無視していたアルヴァに対して思うところはあるだろう。


「任せたのはオレだ。べつに異論はない」


 最条もそれをわかってるので、無理に言葉は返さなかった。ゾバルは頷いて壇上を去る。


「————だからお前はダメなんだよ」


 別れ際、背中越しに毒づいた声は果たしてゾバルに届いただろうか。最条はもとの涼しい眼差しに戻っている。


「あーあ、あらアカンわ」


 その様子を遠目から見ていた黄原が諦めたように肩を竦ませた。


「あのデカブツ、チャンスを無駄にしよってからに——」


「チャンス?」


「さっき疾羽がいったまんまや。馬が合う奴と組むだけじゃ一流とはいえない——わざわざ忠告までしといてくれてんのに蔑ろにしよって……。うちの会長、人事にはうるそうてな。無能を振る舞う人間をバッサバッサと切り捨てるのよ。なんでも『温室でぬくぬく過ごしてる奴らが選んだ人材なんてアテにならん』って自分アップデートする気がない奴には即引導渡してんねん」


「どこぞの企業家のような思考ですね」


「せやろ? でもそうでもせえへんかったら、この貴族制は廃れていく……。成果もあげんのに踏ん反り返る上司なんて飾りにもならへん。それをペンタグラムもわかってはるからわざわざスクラムなんて結滞けったいなもの作りはったんやし」


 スクラムの創設理由は未来の人材の育成。それは一部の有力者の血を守るという意味ではない。スクラムの単位は一国。その生徒は生まれも育ちもまばらの完全な実力至上主義である。選抜された百人とはあくまで迷宮攻略を行う戦闘員の人数に過ぎない。非戦闘員——流通や研究、事務型はむしろ貴族の出でないものの方が多い。

 そして、その全てを総括する生徒会はいわば極小サイズの政府。外界の侵攻を危惧するなかで、成長を求められた彼らに生半可なことは許されない。

 柔軟性のない旧式の考え方は指揮の重荷にしかならないのだ。


「あのままやと、ゾバルのやつはクビやな。いや、下手したらこの戦いで死ぬかも……」


「コホンッ」


 不吉な予測を制して、壇上に目線を戻す。再び前にでた最条が念を押すような目をした。


「ここからボス部屋まではノンストップで行く。途中で着いてこれなくなっても待つことはできない」


 それで話は終わったようでくるりと背を向けると、転移門へと足を進める。


「ほな」


 黄原も軽い挨拶を残して足早に最条のもとへかえっていった。生徒会に続き各隊が続々と転移門に消える。

 それを尻目にアルヴァは傍に棒立ちになっているアイラにそっと手を差し伸べた。今一度、試すように少女に問う。


「お嬢様大丈夫ですか?」


「……平気——っ」


 表情は暗い。伸ばした手を拒むように、足早に転移門へと駆ける。やれやれと手持ち無沙汰の右手を振って呆然と愛らしい背を眺める。

 革靴を石畳に鳴らしながら上を仰ぐ。空は滅多にない快晴でキラキラと照り陽が暑いくらいだ。

 この戦いで彼女がチームの輪に加わっていけることを願うのみだ。アイラが存分に実力を発揮したところで、成果を彼らが素直に受け取ってくれるとは限らない。


「……まったく面倒な役回りだ」


 ぞろぞろと消えていく後続者に紛れて、やがて靴音も聞こえなくなった。

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