第37話 牢獄
「グウェイン、ソルを頼む」
『食料は豊富にある。問題なかろう』
イブロはグウェインにそう告げ、紅目の脚をポンと叩く。
紅目にはスレイプニルに装着していた鞍が取り付けてあり、サイズが違い安定はしないが鞍が無ければ体を安定させることもままならない。
そのため、イブロは新たな鞍を街で購入するまでこの鞍でだましだまし行くことにしたのだった。
イブロは先に自分が紅目の背に乗ってからチハルの手を引く。彼女はイブロの前に座り、イブロが彼女へ覆いかぶさるようにして手綱を持つ。
「よし、行くぞ。チハル」
「うん」
手綱を引くと、紅目はくあと鳴き翼をはためかせフワリと宙に浮く。
飛竜は華奢な体形に見えるが馬より力持ちで、人間二人程度余裕で運ぶことができるとグウェインは言っていた。その言葉通り、紅目は悠々と空を駆け疲れた様子を見せない。
「チハル、まずは砂漠の街イスハハンへ行く」
「うん、でもそこには魔晶石が無いよ?」
「チハルは魔晶石のある場所が分かるのか?」
「うん。魔晶石の存在を感じ取ることはできるよ」
「そうか、それは心強い」
これは嬉しい誤算だ。チハルが魔晶石の場所が分かるとなると、効率的に魔晶石を集めることができる。
しかし、イブロとチハルの二人だけで集めるより多くの人の手を借りた方がいいに決まっている。イスハハンへ向かうのはそのためなのだ。
飛竜は速い。日が暮れる頃にはイスハハンの街が見えてきたのだった。
◆◆◆
イスハハンの街に到着したイブロは以前宿泊した宿へ顔を出し、飛竜を連れて来たことに驚かれはしたものの主人は快く飛竜を厩舎に入れることを了承してくれる。
「すまんな、無理を言って」
「いえいえ、こんなにすぐイスハハンの街に戻ってきてくれたのです。湖の水温も順調ですし、街は活気を取り戻してきたのですよ」
「そうか、それはよかった」
「それに……飛竜がいるとなると当宿の宿泊客が増えますよ! むしろお礼を言いたいのはこちらの方です」
宿の主人は人好きのする笑顔でイブロへそう告げた。
これなら大丈夫そうだ。イブロは主人とガッチリ握手をして、その日はこの宿で就寝する。
――翌朝
イブロは街の有力者と交渉し、とある牢獄へ顔を出す。
そこには昔日より更に頬がこけたディディエが収監されていた。彼は牢に入り元々痩せぎすだった体が更にやせ細り病的なまでになっていたが、目だけはギラギラと粘つく輝きを放っている。
「おや、イブロさんじゃないですか」
ディディエはまるで休日に買い物へ出かけた時にイブロに会ったかのような物言いで彼に挨拶をした。
「相変わらずだな。ディディエ」
「何用でしょうか」
「魔晶石を集めたい。伝手を教えてくれないか?」
「ふむ。私はこれでも商人です。後は言わなくても?」
「金か……」
「お金? ここではお金なんて使えませんよ? ねえ?」
ディディエはニタアアと嫌らしい笑みを浮かべ、粘つくような視線をイブロに送る。
イブロもそれで彼の意図を察した。つまり……彼は自らの解放を報酬にしろと言っているのだ。
彼の要求は街の者と交渉すれば恐らく実現できるだろう。ただし、彼に鈴をつけることは求められるだろうが……。他にも――
「イブロ、出してあげようよ」
イブロの思考を遮り、チハルが彼の袖を引っ張る。
「し、しかしだな……こいつはとにかく危険だ」
「大丈夫だよ。この人がいないと魔晶石が集まらないんだよね。だったら迷うことは無いよ」
「それでもこいつのやった所業を思うとだな……」
チハルは譲らない。
期間内に魔晶石を集めるには悪魔にだって手を借りる必要がある……ってことか。
いや、違う。チハルは「信じる」。これだけを言いたかったのかもしれない。しかしな……チハル。そうするのならこうだろう?
「ディディエ。お前さんを解放するよう俺が交渉しよう」
「ほうほう。それはそれは」
「だが、解放の対価はお前さんが魔晶石を集めろ。必要な金があればこちらで手配する。いいか?」
「アハハハハハハ」
何か選択を誤ったか……イブロの額から冷や汗が流れる。
一方ディディエは大仰に腹を抑え愉快愉快と哄笑が止まらぬ様子……。
「イブロさん、あなたは本当に面白い。私が本当に魔晶石を集めると思っているので?」
「悪いか?」
「いえいえ、私のどこにあなたが信用を置いたのか分かりませんが……いいでしょう。魔晶石を集めましょう」
「助かる」
ディディエは満足そうに頷き、腕をゆらりとあげ指を二本イブロへ向けた。
「お代は頂いてます。二百個。期間は一か月。それでよろしいですか?」
「集まるのか?」
「私は商人です。後は言わなくても?」
いいだろう。集めてみろ。この男、やり方や性格はともかく……やると言ったら必ずやり遂げそうな凄みを持っている。
決して友人にはなりたくない輩であることは確かだが……。
「ディディエさん、これをつけててもらえるかな?」
チハルは自分の首から皮ひもにロケットを通したアクセサリーを外すと、ディディエへそれを掲げた。
「チハル、それは……」
「ごめんね。イブロ。でも……」
戸惑うイブロへ謝罪するチハル。そんな二人をよそにディディエはまたしても腹を抑え耳を覆いたくなるような不気味な笑い声をあげる。
「そのネックレスに何か効果があるのでしょうが、心配しなくても逃げませんよ。落ち合う場所も決めておきましょう」
「分かった」
イブロは憮然とした顔で腕を組みディディエへ応じる。
毒喰らわば皿まで……そんな言葉がイブロの脳裏に浮かぶ。
◆◆◆
この後、イスハハンの役人と交渉したイブロは、ディディエを解放する約束を取り付けたのだった。
イブロは先日、湖の温度上昇を解決した張本人であり街としても恩義に報いるため、イブロの願いを出来る限り聞き届ける姿勢だったのだ。
しかし、危険過ぎるディディエをこのまま解放するわけにはいかないと役人は告げる。交渉の結果、ディディエを二度とイスハハンの周囲二十キロへ入れないことを決める。もし彼をその範囲で発見した場合、問答無用で捉え処刑することとなった。
ディディエをイスハハンの入り口で見送ったイブロたちは、宿に戻り飛竜の紅目と共に街の外へ出る。
「イブロ、今度はどこへ行くの?」
「次はパメラのところだ」
クロエやパメラは魔晶石のことなど知らないだろうが、彼らには豊富な人脈がある。どれだけ協力してくれるか不透明だが、時間を割き彼らに頼みに行く価値は十分にあるだろう。
「パメラと会えるの?」
チハルはくるりとその場で回転し、イブロへはやくーとせがむのだった。
イブロは口元を綻ばせると、紅目にまたがり、チハルの手を引く。
空を駆ける紅目はグングン速度をあげていく。馬車での旅が嘘であったかのように景色が流れていき、この分だと休憩を挟み僅か一日でルラックの街まで到着できそうな勢いだ。
イブロは手綱を操作しながら、先ほどからご機嫌なチハルへ声をかける。
「チハル、このロケットは位置を特定する何かがあるのか?」
「うん、それにはわたしの髪の毛が入っているの」
「なるほど。しかしだな、チハル」
「うん?」
「ディディエが魔晶石を集めるのなら、奴の位置は特定できるだろう? 数が数なのだから」
「そっか! そうだよね。えへへ」
彼女がどのような思いで自分のロケットを差し出そうとしたのかイブロには分からない。しかし、首からロケットを取り外した時に彼女が一瞬だけ見せた悲哀の表情をイブロは見逃さなかった。
全く……自分のことになるとすぐに我慢をするのだから……。イブロは微笑ましい気持ちになり口元が綻ぶ。
「どうしたのー、イブロ」
いつの間にか振り向いていたチハルがぶーと頬を膨らませる。
「いや、何でもない。ロケットを渡さなくてよかったな」
「うん!」
チハルは花の咲くような笑顔で頷いたのだった。
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