第12話 死臭放つ獣

「いねえ……こいつは計画的な犯行だな……」


 イブロは周囲を駆けずり回ってチハルとパメラの痕跡を辿ってみたが、とっかかりさえ掴めないでいた。

 彼は息を切らせ、服屋の前に戻るとイブロと反対側を捜索していたクロエもちょうど服屋の前へ駆けてくる。

 

「こちらにはいません。イブロさんのほうは?」


 イブロは無言で首を左右に振った。

 どうする? 子供二人を抱えてとなるとそこまで遠くには行けないはずだ。ましてや、俺たちの追跡を完全に巻くことができるとなると……逃げる速度は遅く……どこかに隠れていやがるのかもしれねえ。

 しかし、動かねえわけにはいかねえだろう。

 

「ゼエハア……」

「イブロさん、少しだけ息を入れたらどうですか?」

「いや、そんなわけにはいかねえだろう」

「いま、お嬢様たちを発見したとして全速力で追えますか?」


 クロエはあくまで冷静だ。しかし、イブロは彼ほど割り切ることができない。例え無駄な動きとなって、それが足かせになったとしてもイブロは動くことをやめるつもりはなかった。

 イブロは気合を入れるため両頬を手のひらでパシーンと叩く。それでも体が嫌がっていることを感じ、今度は両膝へ活を入れる。

 

「よし! 行くぞ!」


 言葉で自分を叱咤し、踵を返すイブロ。

 走り出そうとした時、彼は街の様相がいつもと異なることに気が付いた。何かあったのだろうか? 街の入り口の方から騒然とした雰囲気を感じる。

 チハルとパメラのことで騒いでいるのだろうか? まさか、これまで痕跡一つ発見できなかった彼女らのことがあっさり露呈しているとは思えないが……そう思いつつも彼は一縷の望みをかけて街の入り口へと急ぐ。

 彼の背を追いかけるように、クロエも駆け始めたのだった。

 

 ◆◆◆

 

 街の入り口付近には人だかりができていた。しかし誰も門へは近寄ろうとせず遠巻きに見守っているばかり。

 イブロは人をかき分けて門の前へ来ると思わず叫ぶ。

 

「ソル! どうした?」


 ソルはイブロの様子を見とめると、ガルルと吠えると膝を落とし高く跳躍した。彼の道を塞いでいた門番の背を悠々と飛び越えたソルは音も立てずにイブロの目の前に着地する。

 イブロはソルの顎を撫でると、ソルは長い尻尾を振って彼に応じた。

 そして、ソルはイブロの服の袖を咥えて引っ張るのだ。

 

「ソル……そうか! でかしたぞ。ソル!」


 犬笛だ。きっとチハルが犬笛を鳴らしたに違いない。笛の音を聞きつけたソルは街へとやって来たというわけか。ソルに案内してもらえば、チハルの元まで辿りつくことができる。

 

「クロエ、詳しい話は後だ。ソル……この雷獣に続け。ソル、頼んだぞ」


 ソルは一声吠えると、人込みをかきわけ走り始めた。

 

――五分後

「納得がいかねえ……」

「しかし、これが一番早いようです」


 ソルは当初の倍以上の速度で駆けている。また、ソルに寄り添うように走るクロエは息を切らすこともなく体力はまだまだ平気な様子。

 一方憮然とした顔のイブロはというと……ソルの背に乗っていた。

 

「イブロさん、私は走ることだけは自信があるのです。お気になさらず」


 クロエのフォローが入るが、イブロはそういうことじゃねえと心の中で毒つく。

 しかし、事実として速度はあがったのだ。文句はいいつつも、イブロはソルから降りるつもりはない。

 

 街の風景がみるみるうちに流れていき、湖に出る。湖から街の郊外へと入っていくと集合墓地の中を突っ切った。すぐに塀で囲まれた洋館が見えてくる。

 洋館はまるで廃墟のようだった。

 手入れがまるでなされていない庭は木がいびつに伸び、草は伸びっぱなしになっている。館は木々に邪魔されて全貌を見渡すことはできないが、蔦が絡み窓もところどころ開きっぱなしになっていた。

 

「ここか」

「そのようですね」


 イブロはソルから降り、彼を労うように頭を撫でた。

 黒い鉄格子のような門は閉じられたままになっており、人の気配がしない。

 どうしたものか……呼び鈴を鳴らしてみる? いや、そんな悠長なことはやってられない。

 

 イブロは勢いよく門を蹴飛ばすと、門はギギギギと嫌な音を立てて開く。

 

 ◆◆◆

 

 これほど広い館であるのに、守衛の一人もいないことからイブロはすんなり館まで到達できるのではないかと思った。

 しかし、それは悪い意味で裏切られることになる。

 

「クロエ、ここに誰が住んでいるのか知っているか?」

「いえ、街はずれの廃墟と聞いております……」


 なるほど。クロエも知るところではないのか。

 だが、この館に入ってからというもののイブロはあることを感じていた。

 それは、

――死臭だ。

 背筋がゾクリとする。

 肌が泡立つ。

 何だ。何がいる? イブロの鋭敏な感覚がけがらわしい何かの存在を感じ取っているのだ。

 墓地の傍ということもあり、ひょっとしたら動く死者たちアンデッドがいるのかもしれねえ。イブロはゴクリと生唾を飲み込む。

 

 グルルルとソルが地の底から響いてきたかのような低い唸り声をあげた。

 雷獣の感覚は人間になど比べ物にならないほど鋭い。彼も敵の存在を感じ取っているようだな。

 

「クロエ、来るぞ。ここで待ち構える」


 イブロの言葉にクロエは神妙に頷くも、彼はまだ何も感じていないようだった。

 しかし、ただならぬソルの様子へ彼もふううと長い息を吐き、懐から何かを取り出す。

 黒服の姿からして大型の武器を持っていないことは分かっていたが、なるほどクロエは格闘をやるのか。イブロは納得したようにニヤリと口元をあげる。

 クロエは目をつぶり、両手に格闘用の武器を構える。その武器はサイと言われるもので、レイピアのように細い刀身をしているのだが切ることも可能なナイフほどの長さをしたものだ。

 これだけ短い武器となると、至近距離で戦うことが必須となる。故に高い格闘技術が要求される武器なのだ。

 

――来やがったな!

 イブロは心の中で叫び、腰からダマスク鋼の棒を引き抜く。

 

 ゆらりと幽鬼のように奇妙な動きで現れた獣の姿は六匹。形こそ犬に似ているが、血のような赤い体毛は毛束ごとにまとまり長く伸び、先端が尖っている。ただ背中の部分には体毛がない箇所があり、そこには目から血を流したかのような人の顔とも見える模様が浮き出ていた。

 口からは涎をダラダラと垂らし、地面に落ちた涎は煙をあげ地を溶かしている。目は赤く濁った輝きを放ち、鋭いかぎ爪は深紅に染まっていた。


 この化け物は……イブロは苦々しい顔で吐き捨てると共に、漂う強烈な死臭に顔をしかめる。

 そう……化け物の体中から生理的に受け付けない臭いが漂っているのだ。

 

「ディンダロス……。イブロさん、私が抑えている間にその雷獣に乗ってお嬢様たちを」


 クロエが秀麗な眉を寄せ呟く。

 彼は決死の覚悟で化け物どもを抑えると言っている。しかし、イブロは首を振りクロエに言葉を返した。


「この館の主は碌な奴じゃねえな。クロエ、下がっていろ、ディンダロスとあれば荷が重い」

「いえ、一匹程度なら何とかなります」

「そいつは頼もしい」


 イブロは声をあげて笑う。そこにあったのはいつもの息切れして休ませてくれと弱音を吐くどこかしら哀愁が漂う男の顔ではなく、獰猛な一匹の鬼を彷彿とさせる猛々しい顔だった。

 ディンダロスの獣……別名「処刑人の獣」。その正体はとある狼の一種である。妊娠したある種の狼の腹の子を特殊な生育法で育て、産ませる。生まれた狼が食すのは「人肉」。それだけである。

 その狼が成長し成熟するとディンダロスの獣となるのだ。ディンダロスの獣は人が扱える魔物のうち最も強い魔物の一つに数えられる。熟練した剣士といえどもこの獣の相手をするに苦戦は免れない。

 処刑人はその職責から多くの人に恨まれることが多い。しかし、彼らはこのディンダロスの獣を育てることを許されている。彼らは自らが処刑した人肉を与え、ディンダロスの獣を育てるのだ。

 それ故、「処刑人の獣」と呼ばれ、多くの人に恐れられている。

 

 この獣、飼い主には非常に従順なのだ。飼い主が人を襲えといえば躊躇なく襲い掛かるし、襲うなと命じられていたら主人が命の危機に瀕しても命令を忠実に守る。

 

「ディンダロスか……急がねえとやばそうだな……」


 イブロは化け物たちを睨み、「伸びろ」と心で念じるのだった。


※ティンダロスではなくディンダロスはワザとです……。い、一応。補足です。

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