第3話 ガーゴイル
「ガーゴイルか……」
イブロは呟き顔をしかめた。
姿形は確かにガーゴイルのものなのだが……あれほどの体躯を誇るものを彼は今まで見たことがない。
そのガーゴイルは全長が四メートルを超えるほどの巨体だったのだ。しかも……素材が厄介過ぎる。
「こいつ……全身がミスリルでできていやがるのか……」
イブロは金色と銀色が混じる金属光沢を放つガーゴイルの体表を睨みつけ、額から緊張で嫌な汗が流れるのを感じた。
ミスリル――鋼のような硬さを持ちながら、粘り強くかつ重量が鉄の半分程度という最高級の金属だ。全身がミスリルでできているとすれば……耐久性、破壊力など全てにおいて石でできた通常のガーゴイルの比ではないだろう。
しかし、彼とて熟練の技量を持つ元一流の戦士。これで怯むような男ではない。
「チハル、下がっていてくれ」
「そうですか。分かりました」
チハルはイブロの言葉へ素直に従い、一歩だけ後ろに下がった。対するイブロは逆に大きく一歩前に踏み出し、腰からさげた曇った銅のような色を持つ
これはただの棒ではない。複雑な文様が浮き出たダマスク鋼製の
およそ鉄の二倍の重量を持つダマスク鋼は、余程
そして、
――伸びろ!
イブロは心の中で念じる。
すると、棒は見る見るうちにサイズを変え、彼の身の丈ほどの長さに変化した。
ズシリと彼の腕に心地よい加重がかかり、イブロはニヤリと口元を綻ばせる。
イブロが武器を構えるまでノンビリと待っているガーゴイルではなかった。それは最初の言葉通り「排除すべく」本当に金属でできているのかと疑うほどのしなやかな動きでイブロへ拳を向ける。
この速度ならば、躱すことは容易い。イブロは悠々と上半身を捻り拳を回避しようとした時、背筋に悪寒を感じた。
彼は直感に従い、咄嗟に大きく右へステップを踏むと同時に腰の辺りに何かが横切る風を感じる。
間一髪ガーゴイルの攻勢をやり過ごしたイブロが拳に目を向けると、ガーゴイルの拳からは長いかぎ爪が三本生えていることが確認できた。
危なかった……彼は心の中で独白し冷や汗を流す。しかし、まだまだ俺の直感も捨てたものじゃないな。と彼はすぐに気持ちを前に向けキッとガーゴイルを睨みつけた。
イブロはクルリと長柄の棒を回転させると上段に構える。対するガーゴイルは一旦距離を取り腰を落とし腕をダラリと伸ばし異形の顔をイブロへ向けた。
『排除します。侵入者を排除します』
ガーゴイルは無機質な声を発すると共に前脚をググっと踏み込むと爆発的に加速し、一息にイブロへと迫る。
これだけの体格差があるといかなイブロとてそのまま真正面から受けきることは不可能。彼は焦らず正確に二歩右へ踏み出し身体を捻り長柄の棒を背中の後ろまで振りかぶる。
狙うは一点。ここだ! イブロは狙いすましたようにつま先から全ての力を長柄の棒へ伝え振り下ろした!
キイイイインと澄んだ金属音が鳴り響き、イブロの棒とガーゴイルの左のかぎ爪がせめぎ合う。
イブロはガーゴイルの圧力で身体ごと持っていかれそうになるものの、膝を落とし踏ん張って何とか凌ぐと逆に前へ長柄の棒を押し出す。
ガーゴイルは巨体を誇るとはいえ、左腕一本。対するイブロは全身全霊全ての力を込めることができた。
その結果、イブロがガーゴイルを押し切り、かぎ爪が根元から跳ね飛ぶ。
これは……なかなかキツイな……。イブロはガーゴイルを押し切ったものの、じんじんと痺れる腕へ目をやる。
相手がただのモンスターならば、こちらが力を見せ劣勢だと分からせることで引いていく。しかし……こいつはガーゴイル。意思を持たぬ人形のような存在なのだ。
つまり、奴が動きを完全に止めるまで殴り続けねばならない。
「体力勝負か……年寄には酷だぜこれは!」
愚痴をこぼしながらもイブロは次の攻撃に備え、迫りくるガーゴイルの圧力を巧みに逸らし肩の辺りを殴り飛ばす。
これには逆に跳ね返されてしまったが、イブロにかかる負荷はまるでなかった。
これでいくか……イブロは平時ならやれやれと肩を竦めているような表情で戦いの方針を変えることを決める。
彼は自ら踏み出すことは無く、愚直に襲い掛かってくるガーゴイルの攻勢をいなしつつ確実にダメージを与えていく。
一見すると猛牛に対する闘牛士のように軽やかで涼やかに見えるが、イブロの内心はそれとは真逆の心境だった。
何故なら、細かい傷が多数ついているガーゴイルの動きがまるで衰えることを知らないからだ。こちらの体力は確実に削られて行き、一撃でも喰らおうものなら次は無い。
いつ割れるか分からぬ薄氷を全力で踏みしめていかねばならぬと言えばよいのだろうか。自身に流れる汗が身体を動かしたことによる熱なのか、冷や汗なのか分からなくなってくる。
更に続く攻防。時折足を取られそうになりヒヤリとするが、イブロは逆にそれを力に変えて下段から全身のバネを使い伸び上がるように長柄の棒を振り上げる。
長柄の棒はイブロの狙いと寸分たがわぬ位置へ唸りをあげて到達した。
その場所とはガーゴイルの右肩の付け根だ。
既に付近を何度も叩かれたそこは、ギシギシと軋む音をたてついに根本から地に落ち、ズウンと鈍い音を立てて転がった。
――イブロが右へ。彼の脇腹を
――イブロが左へ。彼の肩の上を通り抜けるガーゴイルの足先。
躱すたびに、殴る。殴られても怯まないガーゴイル。
ついにガーゴイルのもう一方の腕も落ちる。しかし、戦いはもう半刻続こうとしていた。
いかに体力を温存して戦っていたとはいえ、さすがのイブロも息が上がってくる。
「ハアハア……」
腕が両方落ちても衰えを知らぬガーゴイルに辟易するイブロであったが、奴は止まってくれない。
だが、ここにきてようやくイブロに多少の余裕が生まれてくる。両腕を失ったガーゴイルの体幹は以前のようにしっかりとしたものではなくなり、攻撃も単調になったからだ。
息を入れ、今度は翼を削っていく。
唸りをあげ振り上げられた長柄の棒はその重量を持って押しつぶすように翼をへし折る。ダマスク鋼は重い。しかし、その重さこそ最大の攻撃力となるのである。
その分、
そしてついに、ガーゴイルの脚が落ちガーゴイルは動きを止めたのだった。
「ふう……」
長柄の棒を地面に突き刺し両手に体重を預け杖のように休む体勢になったイブロは、肩を大きく揺らして息をする。
「チハル。すまん、お前さんを見ている余裕がなかった。怪我はないか?」
イブロは振り向くこともできず息絶え絶えな様子でチハルへ問いかけた。
「はい。損傷個所はありません」
「そうか……よかった」
イブロはそのまま腰を落とすと、元に戻れと心の中で念じた。彼の念に応じた長柄の棒は元の大きさへ戻る。
「少し……休ませてくれ」
「はい。分かりました」
少しくらい労ってくれてもいいんじゃねえのかとイブロは考えるが、チハルは相変わらず抑揚の全く無い声で応えるのみだった。
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