第2話 火の海

 男が考えを巡らせている間にも少女は彼へ息がかかるほどの距離まで近寄っていて、左肩をついと上げ背伸びをした。

 ここへつけろってことか? 男は左腕を慎重に切り口がズレぬよう彼女の肩へ合わせる。

 

「ありがとうございます」

 

 つうううと肩と腕のつなぎ目がくっついていき、まるで元から彼女にくっついていたかのように継ぎ目が消失した。


「腕は……動くのか?」

「はい。稼働しております」

「そうか……」


 男はそれ以上何も言わず、一歩後ずさると仕事は終わったとばかりに首をゴキリと鳴らす。一方の少女は腕の様子を確かめるように一度肩を回すと肘を曲げ伸ばしてから、手を握っては閉じ握っては閉じと二度繰り返したのだった。

 あの腕はこの娘の義手なのかと思ったが、違うような気がする。もしそうならば……前代未聞のことだ……男は興味を引かれるが、首を振り自身の考えを封じ込める。

 探索者にとっては涎が出るような状況ではあるが、俺は神秘や壮大な神話なんぞには興味がない。男は心の中でそう独白すると踵を返す。

 そんな彼の背に向かい、少女は抑揚をまるで感じさせない声色で彼に告げる。

 

「ありがとうございました。ワタシは目を取りに向かいます」

「向かうってどこにだ?」


 そんな恰好でどうしようというのだ? と思った男はつい彼女へ問い返してしまう。

 

「ここからおよそ……」


 少女は目的地までの距離を口にする。それはかなりの遠方だった。


「場所は分かるのか?」

「はい」

「そこまで歩いて行くとでも? 諦めた方がいい。裸足でいけるほどの距離じゃあない。旅装もなく、食料もない。旅はそれほど甘くはない……」


 そう言ったものの、男は気づいていて知らぬふりをしていた。この場所へ少女が留まることもまた不可能であると。

 安全なところまでついていってやるのもやぶさかではないが、あまり他人と関わりあいになりたくはない。故に彼女が一人で何とかできるのなら、そのままこの場を立ち去りたいというのが本音だったのだ。

 それ故、彼は聞くことをしない。

 

「行かなければならないのです」


 言葉の意味合いだけは必死さを感じさせるが、相変わらず少女の物言いは書物を朗読でもしているかのような感情のこもらぬものだった。

 

「行けるのか?」


 しまったと彼は思うが、口をついて出てしまったものは仕方ない。

 彼は次に彼女の出すだろう言葉へ頷こうと彼女から背を向けた身体を前へ向けようと……。

 

「火の海になります」

「何?」


 余りに突拍子の無い発現を聞いて男は、振り向こうとした身体がそのまま固まってしまう。

 

「だから行かねばならないのです」

「火の海とはどういうことだ?」

「火の海は火の海です。ワタシの記憶が欠損しており、それ以上は何も」


 何を言っているのか全く理解できない。男はフウとため息を吐く。

 彼女の言う「火の海」とは何を指すのだろうか。不可思議な現象が続き、自身はこの場に来た。荒唐無稽な「火の海」とやらも、ひょっとしたら本当に起こるのかもしれない……。

 男はただのほら話だと彼女の発言を切って捨てることができずにいた。


「お前さんの目を見つけることができたのなら、火の海とやらは回避できるのか?」

「はい」


 腕を組み考え込む男。世捨て人の彼だとて、辺り一帯が火の海になるような大災害で多くの人の命が失われることは放置できるものではない。

 無手の幼い少女に一人きりで長大な距離を移動するには命がいくらあっても足りるものではないだろう。ならば……。

 男の目に光がともる。

 

「俺はイブロ。お前さんは?」

「ワタシですか? ワタシは自律型防衛兵器チハ=ル一九七型です」

「チハルでいいのか?」

「それで個体識別は可能です」


 この名前……やはりというかなんというか……。イブロは腕を組み顎を引く。

 少女は人間ではない。彼は確信し拳をギュッと握りしめる。

 しかし、そんな彼へ表情一つ変えることなく、チハルが問いかけた。

 

「どうかされましたか?」

「いや、お前さんはアーティファクトなのかと思ってな」

「自律型防衛兵器です」

「……まあ、いい」


 イブロは四十数年の人生において、人間そっくりの古代の遺物アーティファクトのことなど聞いたことも無かった。

 今まさに彼の目の前で動くチハルが世界初、そして世界唯一の存在であるかもしれない……イブロは喉をゴクリと鳴らす。

 しかし、古代の遺物アーティファクトとはいえ、見た目は人間と変わりはない。彼女を人として扱うことに決めた。それは、博愛精神とかそういった理由からではなく、彼にとって一番理解しやすいのが彼女は人間と変わらないとすることだったからに過ぎない。

 更に言うのなら、彼女が未だ見たことのない古代の遺物アーティファクトと周囲に認識されるのは、目的を達成するに不都合であることも理由の一つだ。物珍しい物に飛びつく輩は後を絶たないのだから。

 

「では行くか」

「イブロさんはどこに行かれるのですか?」


 これは……人間らしく振舞うに前途多難だ……。イブロは頭を抱えるも、気を取り直し彼女へ手を差し出す。

 そんな彼の仕草にも彼女は何も反応を見せずただ彼の言葉を待っているようだった。

 

「お前さんと一緒に『目』を探しに行く」

「そうですか。分かりました」

「あと、人間は『よろしく』という意味で握手をするもんだ。握手は分かるか?」

「……記録に残っています。こうですね?」


 チハルがイブロの手を取り、ギュッと握りしめると彼も手を握り返す。


「よろしくな、チハル」

「はい。イブロさん」


 話が終わったとばかりに両手をパシッと打ち合わせ、イブロは前を向く。

 そこで、彼は自身の置かれた状況を思い出す。

 そうだった。俺は地下一階から即死するほどの高さを「落ちて」来たんだった。戻るにしてもタフだな……。道も探さねばならないし、どんな罠が潜んでいるのか分かったもんじゃない。

 彼は眉間にしわを寄せるも、考えても仕方がないとすぐに気持ちを入れ替える。

 

「チハル。この広間を探索してもいいか?」

「はい。構いません。ワタシに必要なモノはここにもうありませんから」


 チハルの了解をとったイブロは、さっそく広間の探索から始める。どこかに抜け道はないか、扉はないか、上に登る道はないか……と罠に注意を払いながら広間をゆっくりと歩いていく。

 広間は視界を遮るものは何もなく、彼が発見できたのは意匠が施された金属光沢を放つ真っ黒な扉だけだった。扉は観音開きになっており、イブロの二倍ほどの高さがある。

 こういうあからさまに豪華な扉には嫌な予感しかしないイブロであったが、ここしか外へ繋がる出口はない。

 

「チハル、ここから外へ出るぞ」

「はい」


 ◆◆◆

 

 扉の外は広大な回廊だった。通路の幅は二十メートルを優に超え、天井までの高さも三十メートル以上あるだろう。床は純白の大理石でできており、目を凝らしてようやく行き止まりが見えるほどの長さを誇っていた。

 この回廊もチハルのいた大広間と同じく天井が光っており、昼間と同じ明るさを確保しているようだ。ここも大広間と同じく、ガランとしていて何も物がない。

 背筋に嫌な汗が流れるものの、イブロはそれを振り払うかのように前へ一歩進み、チハルも彼の後ろに続く。

 

 一歩、二歩……三歩。と慎重に歩を進めて行くイブロだったが、四歩目が床についた時――

 ガラスを爪でひっかいたような不快で甲高い音が鳴り響いた。

 

『侵入者発見。侵入者発見』


 どこからともなく無機質な声が聞こえたかと思うと、床が開き中から何か巨大なものがせり出してくる。


『排除します。侵入者を排除します』


 声と共に、イブロを標的として捕捉ロックオンしたのは巨大な人型の彫像だった。

 その姿は異形。ヒョウのような顔に人間に近い体躯を持ち、頭からは長い捻じれた角が生え、背中からは半身を覆い隠すほどの鳥のような翼が見える。

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