雨の中の人造人間

ハムヤク クウ

第1話 雨の日の憂鬱

「ああ、嫌だな」


 私は雨の中、歩いている。こう湿気が多いと体に異変が起きそうで憂鬱になる。


 夏の始まりの六月の半ば、この辺りはとっくに梅雨入りをしている。生温かな空気に熱された水蒸気が肌にまとわりついて気持ちが悪い。おまけに水の生臭い匂いも鼻につく。


 雨は海の水が蒸発したものが風に流れて地上に降っているという。ということは海にいい香りのものを混ぜておけば心地のいい雨が降るのではないだろうか。


 私はとっさに焼肉のいい香りを喚起する。網に置かれた牛肉の赤身。煙に巻かれじゅわっと油がしたたり落ちる。いい匂いだ。


 実は焼肉を食べたことはなかったのだが、情報だけはある。だからそれがきっと、とてもいい香りであることは簡単に想像できた。


 ということは、焼いた牛肉を海に敷き詰めるように流せばいい。そしたら雨の日は幸せな匂いで充満する。


 政府は軍事研究にお金を払うのではなくて、牛肉を焼いて世界中にばらまけば世界は幸せに満ちて平和になるか、あるいは即刻国際問題に発展するかのどちらかになるだろう。


 やってみる価値はある。私がこんなバカげたことを考えていたのはやはり雨の日の憂鬱のせいだろう。私は変わらず雨の中を歩き続けていた。


 ふと見ると、前のほうに私と同じ制服を着た学生が綺麗な青緑色の傘をさして歩いていた。


 傘に覆われ姿はほとんど隠れて見えないが、あの傘の色から考えるに同級生の田中いろはだろう。私は彼女の綺麗な青緑色の瞳を忘れられないでいた。


「おおい!」


 叩きつけるような雨の中、私は雨音に負けない声でいろはに声をかける。


 私の叫び声に近い大声に、先に近所の犬のほうが気づいたらしく低く響く声で吠え出した。ううむ、君に喧嘩を売るつもりじゃなかったんだ。ごめんよ。


 しかしそのおかげでようやく気付いてくれたのか、いろははT字路のところで立ち止まり後ろを振り返ってくれた。


 傘の陰に隠れてよく見えないが、彼女の青緑色の瞳だけはよく見える。それはエメラルドのような輝きだった。


 いろははこちらに向かって手を振ってくれている。それだけで雨の日の憂鬱が吹き飛びそうだった。その瞬間――


 ガゴン!


 周りの雨音や犬の鳴き声に比べ一段と大きな、それも金属の鈍い音がした。今はいろはの姿は私からは見えないでいる。


 私は何が起きたか分からなくなり、頭の中の映像を少しずつ巻き戻してみる。降りつける雨。青緑の傘を持った同じ色の瞳をした少女。その横をかっさらう銀色の車。


 そこでようやく理解することができた。私の目の前で銀色の車がいろはの体を横から突き刺したのだ。


 私は急いでいろはのもとへ駆けつける。丸くくぼみの付いた車には二十代と思われる金髪の男が座っている。よく見ると左肩にドクロのタトゥーが彫ってあるのが見えた。


 その男は雨を嫌ってか車から降りずに電話をしていた。


 私は視線を戻して、いろはを探し出す。いろはは車から三メートルは離れたところで横になって倒れていた。


 腕や胴体やらがかなり深くしている。これは修理が大変そうだ。


 男は私に気づいたらしく、窓から顔だけ出して私に呼び掛けてくる。


「君! 同じ制服を着てるってことは君もコレと同じものかい? だったら今連絡しておいたからソレを業者が回収しに来るまでここで待っててくれよ」


 私はそれに逆らずコクリとだけうなずくと、男はそのまま車を進めてしまった。


 私たちは人造人間アンドロイドだ。鉄の体に人工肌を被せたかなり精巧なロボット。それは右腕が飛び散り、中の電子回路が露呈されたいろはの姿からも確認できる。


 むき出しになったいろはの電子回路に雨が遠慮なく降り注ぐ。時折バチバチと電気がショートした。


 やはり雨は憂鬱だ。水蒸気がまとわりついて気持ちが悪い。


 私はふと、ころころと風に転がされている球体を発見する。青緑色の瞳をした眼球だ。しかし、今は光がともっておらず輝きが消えている。雨にさらされたそれを、私はどうしてか放ってはおけなく感じた。

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