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「そんなに期待するような話じゃないのよ」
「そんなこと言わずに、聞かせてくださいよ」
にっこりと微笑んでみせると、彼女は細い肩を一瞬上げた。
「そうねぇ、これは私がまだ女学生だった頃よ。もう随分昔ね。きっとマスターのご両親が生まれたか生まれていないか、それくらい昔のことよ」
そう言ってグラスの氷を一回りさせる。視線を外したウメキさんは俺よりも遠いところを見ながら言った。
「その日は朝から雨は降っていなくて、けれどもうすぐ梅雨入りだからいつ雨が降ってもおかしくない、そんな日。丁度今くらいの季節だったわ。私が通っていた学校までは歩いて二十分くらいかかるんだけど、丁度友達と別れてすぐくらいに豪雨が降ったのね。ゲリラ豪雨ってやつ? とにかく一瞬にしてバケツをひっくり返したような雨が降って私は急いで走ったの、とりあえず雨をしのげるような場所へ」
スラスラと話す声にその情景を想像する。きっとウメキさんは三つ編みでセーラー服を着ていたに違いない。そして変わらずどこか落ち着いているんだろう。
「何にもない様な田舎だったけれど、少し行ったところにタバコ屋があって、そこで雨宿りをさせてもらおうと走っていたらそこにはね、先客がいたの」
「先客ですか」
「そうなの。そこはとても小さなタバコ屋で、屋根が付いているのは本当に狭いスペースだったのよ。頑張って収まればギリギリ二人は入れたようなところよ」
「それは困りましたね」
すでに濡れているのにその先客とピッタリ収まらないといけない様なら躊躇うに決まっている。
「そうよ、とても困ったの。だからそれが顔に出てしまっていたのね」
「え?」
「そこにいたのは学生服を着た知らない男の子だったんだけれど、彼は目が合った途端、その場から弾かれる様に飛び出して行ったの」
「え、雨が降っているのに?」
「そう、雨は強いままだったのに。一度だけ私の顔を見てそれから振り返らずにどこかへ行ってしまったわ」
わぉ、なんて素敵な男の子なんだ。そんな人、本当にいるのね。
「素敵な思い出ですね。もしかしてそれが、のちのちの旦那様、とかですか?」
「そんなロマンチックなこと、あるわけないじゃないの」
あっさりと言ってのける。ちょっぴり残念。だけれど、その思い出は雨に流されなかったんだなと思うとちょっとロマンチックだったり。
「マスターって、見かけによらず意外とロマンチストなのね」
「男はみんなそうですよ」
そう返すと、ウメキさんは晴の日のようにカラッと笑った。
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