丘の上の街 ダ・ムーブル


 馬車の振動が絶え間なく続く。

 小さな振動でも、ずっと続くと鬱陶しい。

 できることなら降りて自分の足で並走したいところだが、そういう悪目立ちはもちろんナシだ。


 それでも咄嗟に人間離れしたマネをしてしまうかもしれない。だから、今のオレは片耳にいかにも曰くありげなイヤリングと、“実は以前からつけていた”ということにしている不可視の指輪を装備している。

 もちろん、ルミィナからの借り物だ。込められた魔力量こそ大層なものだが、その魔力は無色であり指向性を与えられていない純粋な“可能性”だ。

 つまりこれらは特になんの効果も持たない。


 これはいざという時に「この魔道具のおかげなんです」と言い逃れるための、いわば逃げ道だった。


「聞いていますか?」

「え? ……ああ、大体の流れは」

「なら良いんですけどね。我々は人の命を預かる立場なのを、くれぐれも忘れないで下さいよ」


 オレと同じチームになった男は不機嫌を隠さない。たしか、守門の若い男だ。

 なぜかカラキリを目の敵にしている感があり、とばっちりでオレへの当たりもキツい。


 今話していたのは、さまざまな想定外事象へ対する具体的な対応の流れについてだ。

 まあ基本的には、渡された腕輪を使うことになる。


 右腕に装着した、銀の細い腕輪を撫でる。ひんやりとした硬い感触があった。

 手に負えない魔物の出現などの事態に遭遇した場合、この腕輪に規定の聖言を唱えると、その非常事態を同じ腕輪を装着している他の人間へと伝えることができる。

 さらに、使用時に自身の位置も伝えてくれるらしい。


 使い捨ての物だが、他国へ売ればかなりの財産になるんじゃないか?

 それを全ての護衛へ支給できる辺り、やはり【教国】の国力はずば抜けている。


 因みに、流石に参加者全員分はないのか、この腕輪を支給されたのはオレたち護衛と、強力な魔物が出た場合に対応する討伐部隊だけだ。

 つまり、他のチームで非常事態が起きても、参加者たちは把握できないということになる。


 そういう場合は、オレたちは参加者へ事態の説明はせず、それとなく安全な場所へと誘導するように指示を受けている。余計な混乱は犠牲者を増やすということなんだろう、たぶん。


「…………にぎやかだな」


 さっきから絶え間なく聞こえて来る談笑。

 馬車は9台。大型だ。

 先頭の3台が、オレを含めた教会関係の馬車だ。

 オレは3台目の、荷台も兼ねた狭い馬車。カラキリも同じくだが、目の前の男の視線も気にせずに、今もぴーすか寝息を立てていた。


 国宝を抱き枕にしているんだ。なかなか贅沢なことじゃなかろうか。


 ともかくそんな訳で、教会組最後尾のこの馬車からは後続の町民用馬車からのにぎわいがよく聞こえた。

 話の内容も、誰が最も恐妻家なのかも丸聞こえだ。

 「アイツは変わっちまった」なんて声が聞こえてくるが、おそらくそう項垂れる男性陣が変わらない所為で怒られるのだろう。

 いい歳してノリが悪ガキじみている。

 屁をこいて大笑いしているところに、奥さんの気苦労が察せられるのだった。

 「いい音したなぁ!」なんてはしゃいでいる成人男性らはしかし、何はともあれ楽しそうだった。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



 馬車を停めて、塀も壁もない丘の街を見上げる。

 視界の中央に座するは、なんとも立派な大修道院だ。

 黒い石材を使った厳かで重厚な外観は、カラフルな街並みには際立って目立つ。


 丘の街“ダ・ムーブル”。それが聖絶祭における、オレたちの拠点だった。

 

 丘と言っても、なんとも面白い地形をしている。

 緩やかな丘の上に、唐突に切り立った巨大な岩が生えているのだ。

 

 黒石の修道院はその上に建っており、長い階段が降りてきていた。あれで毎日階段昇降すれば、それだけで立派な修行だろう。


「どうかされましたか?」


 地形のせいか、距離の割に近くに感じる修道院を眺めていると、いつぞやの修道女がにこやかな笑みで立っていた。

 たしか……レティシカだったっけ?


「あの修道院が気になりますか? 初めて目にした方は、みなさん見入ってしまいますよね」

「ええ、まあ」

「あそこは『聖エノク・ヴァンセント騎士修道会』の本拠地なんですよ? あなたが聖騎士になりたいときは、門を叩いてみて下さい。入会するだけなら簡単ですから」

「いや。聖騎士になるつもりはない、…………?」


 レティシカの手が、そっと頬に触れる。

 微かに震えた手。レティシカは明らかに辛そうな、堪えるような……そんな不思議な表情を浮かべていた。


 オレにはその顔をされる覚えがない。


「っ、なんの——」

「『聖騎士になるつもりはない』と言いましたね。それは嘘です。そんなにお辛そうな顔をして……苦しいのですか?」


 バッと身を引いて、顔に触れて確かめる。

 おかしな点はない。

 視界も通常のものだ。

 紅くない。


 ならレティシカの言う辛そうとはなんなのか。

 ……まるで覚えがない。


「おーい! 盗っ人~!」


 不名誉な呼び名が聞こえた。こんな呼び方をするのはただ1人だ。


「じゃあ、オレ呼ばれてるんで」


 が、この訳の分からない空気から逃れるには好都合だった。オレは足早にその場を離れた。


「明日から7日間の付き合いだな、盗っ人! ちゃあんと働けよ? ケガしそうなときゃあ、他の兵士に任せて退がんだ。俺ぁ別に返済を急かしたりはしてねーからな」


 厳ついおっさんのでかい手が、オレの肩をバシバシと叩く。強制的に撫肩にされてる気分だ。


 7日間というのは、この聖絶祭の期間のことだ。

 つまりは一週間であり、『虚神日』、『父神日』、『母神日』、『導神日』、『慈神日』、『栽神日』、『理神日』で一周する。

 これは現在の解釈で、神々の消えた順に並んでいる。故に理神が最後だ。

 これが実は栽神が最後に残った神だとなれば、もちろんこの並びは変わる。


 『虚神日』に関しては『逢魔日』とも呼ばれ、新しく何かを始めるには適さない、縁起の悪い日とされる。結婚なら『父神日』だし、出産なら『母神日』が縁起が良いとされていたりと、色々と意味を持たせているようだった。


 ちなみに今日が縁起の悪い『虚神日』である。当然、教国の祭り、その始まりをこの日にする訳がない。今日はしっかりと体を休めて、明日の『父神日』から祭りは始まることになっている。


「あんまり活躍しないとそれはそれで不味いだろ。それよかおっさんこそ無茶すんなよな。あんたには家庭があるんだろ? そもそもなんだってこんな危ない祭りに出てんだよ」

「危ないだあ? なぁに言ってんだ、例年魔物とカチ合うのは殆ど兵士がやるんだよ。でもって弱って動けなくなったり、死んだ魔物から魔石を抜き取るのが参加者って訳だ。

 見てみろ、大抵のヤツぁ解体用のナイフを持参してる。危険なのはな、盗っ人。お前さんの方だぜ。気ぃつけろよ!」

「…………本当みたいだな。全員戦うよりは解体が目的なのか。どおりでどでかい袋や背負い袋を持ってる訳だ。

 ていうかさ、おっさん。あんた本当に人が良いな。盗っ人のオレを心配してくれるのか」

「ばっかおめぇ! 死なれたら誰が返済すんだ! ともかくな、危なくなったら退がれ! 金のために死ぬようなことはすんなってこった!」


 バシンッ!と、背中に衝撃が炸裂する。

 このおっさんとは奇しくも同じチームだ。あと何回叩かれるやら。テレ隠しでこの威力なら、いつかこの店主は自分の子供をペシャンコにしてしまうんじゃないだろうか。


 頭に浮かんだ、平たくなった子供を前にオイオイと涙する姿は、不謹慎ながらけっこうおもしろおかしなもので笑ってしまった。


 その後、おっさん以外のメンバーとも軽く挨拶を交わした。みんなおっさんの知り合いらしく、随分気さくに接してくれた。これは、人員では当たりを引いたのかも知れない。


 夕方はチームごとに集まってバカ騒ぎしていたが、夜になれば町民の全員がすぐに眠りについた。明日は本番だ。寝不足なんてする訳にはいかないだろう。

 ちなみに寝床は街の外れに造られた、急ごしらえの木造小屋だ。屋根は撥水性の革で作られ、出入り口も垂れ幕のような形で簡単に内外を仕切ってある。

 

 隙間からは月明かりの青白い光が入り込み、イビキを歌うおっさんたちの顔へ線を引いていた。


「……………………」


 音を立てないように、ゆっくりと起き上がり、オレは外へ出た。

 理由は単純。退屈しただけだ。

 眠ることのないオレにとって、おっさんらの寝息だのイビキだのを朝までの楽しみにするのは苦痛に過ぎる。


 少し歩こう。


「ふぅ……」


 夜風が心地いい。ゆったりと風紋を走らせる草原は、眺めているだけでも退屈しのぎになった。


 ふと振り向けば、丘の街だ。黒い修道院だけは灯りがついている。その他の建物は殆どが沈黙し、今だけは誰もいなくなってしまったような錯覚すらあった。


 視線を月へ移す。

 今夜は涙月という、おもしろい月の日だ。

 月から涙のような青い輝きが地平線の彼方へと落ちる、なんとも幻想的な光景が目の前にはあった。


「あのずっと向こうにいけば回収できるのか? きっと綺麗だろうな……」

「ええ。『月の雫』と呼ばれる宝石になるそうですよ」


 すこし前から、その接近は察知していた。だから、特段驚くことはしない。


「アンタも随分とヒマなんだな」

「いえ、そうでもないんです。この時間まで明日の打ち合わせをしていたんですよ?

 今から眠ろうと思ったら、月に黄昏れる少年の姿が見えたので、気になってついて来ちゃいました」


 柔らかな微笑み。だが、オレはこの修道女に会いたくはなかった。なんとなく胸の内を探られるような、妙な違和感が付きまとうからだ。

 そうでなくとも昼間の意味深な言動があったんだ。あの時の胸のざわつきは、不快でもなければ心地良くもないが、なんとなく怖いものがあった。

 できれば関わりたくない部類だ。


「そっか。じゃあ邪魔しちゃ悪いし、オレは戻るんで」

「……折角ですし、少しお話しませんか?」

「いや結構です。そろそろ眠くなってきたんで。アンタも明日は忙しいみたいだし、早く寝た方がいいですよ。じゃ」


 まくし立てるようにして、一度も振り返らずに小屋まで戻る。そして一度だけ気配を探って、ついてきてないのを確認してから横になった。

 あの女の声や言葉は、何か見つめたくない自分をさらけ出される予感がして、どうしたって慣れそうにない。


 結局オレはおっさんたちのイビキを聞いて朝を迎えた。幸いだったのは、祭りが早朝から始まる分、おっさんたちも早起きしてくれたことくらいだった。



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 早朝に特有の透き通る朝日を浴びながらも、あちこちから聞こえてくる男たちのはしゃぎ声に晒される。


 男たちのキャッキャウホホの中心には、身の丈を超える水柱。激しく地面から噴き出るというよりは、滾々と空間から湧き出ている風に見えるソレに、いつか読んだ本の記憶が刺激される。


 清種第2類魔法〈慈雨の芽〉だ。

 簡単に言えば、あの水は触れた汚れや軽いケガ、軽い不調を取り除いてくれるらしい。浴びるとなんとも気持ちいいそうで、爽快感に大はしゃぎしている結果のあのむさい光景である。


 ちなみに、〈治癒〉は大きく2種類ある。

 1つは治癒対象の回復力を利用することで、“治った”という結果を導くもの。あくまでも治しているのは本人の力であり、体力の衰えている者への過度な使用は、逆に衰弱させたりトドメを刺す結果になり得る方法だ。

 そして2つ目が、対象の体力によらずに“治った”という結果を引き起こすものだ。“導く”んじゃない。“起こす”のだ。これであれば、対象が弱っている状態でも効果を発揮できる。ただし、魔法理論に詳しい訳じゃないけど、こっちはかなり高度なものだったはずだ。

 〈慈雨の芽〉の神威等級が高いのは、この魔法による治癒は2つ目の方だからだろう。

 他にも、対象が拒んでいても強制的に結果を発現させるものであるか否かとか、なんだか色々と種類があったことを、ぼんやりした頭で思い出す。


 ようするに、今はヒマってことだ。


 実はさっきまでカラキリと剣を振っていたオレは、現在絶賛順番待ちの最中だった。

 今の剣に慣れたいというカラキリの言葉を聞き入れたオレは、少し時間をかけての“慣らし”に付き合ってやった。オレにも得るものがある分、基本的にこの手の頼み事は断らない。

 が、その朝の爽やかな時間を共有したカラキリは隣にいない。小屋の裏手に作られた簡易な天幕。その中で、今も孤独にお一人様用〈慈雨の芽〉を堪能しているはずだ。贅沢といえば贅沢なんだと言えるものの、そうなった経緯を思えばどうだろう。……なんとも言えないな。


 元から女性と勘違いされていたカラキリだが、本人はむくつけき屈強な男性のつもりであり、そんなカラキリはとっとと上裸になって順番を待っていた。ソワソワしていたところを見ると、もしかするとあのバカ騒ぎに混ざるつもりだったのかもしれない。いや、多分そうだったんだろう。だったんだろうが、カラキリの姿を見咎めた教会の連中に連行され、結果ああなっている。


 なにか助けを求めるような視線を感じたが、悪目立ちはごめんなわけで。

 すまない、カラキリ。まあお前は国太刀なんだ。これくらい耐えられるよな?


 ……ところで国太刀ってなんなんだ? 

 まあいっか。よく分からないけど、便利だから納得する理由にしてしまおう。


 上裸になったことで一応は男だと理解はされただろう。

 男たちもカラキリへと同情の視線を投げる——ことなんてなかった。どうにも、連行されるカラキリへ向けられている視線が……おかしい…………。

 何人かは「エロすぎる」なんて世迷言を吐き、みんなから顰蹙を買うかと思いきや、さらに何人もが同意の頷きを返すのを見てしまった。


 ああ、神よ。あんたが去って幾千年。

 人類はもうダメかもしれません……終わってます……。


 神々の信仰心より先に同情心を抱くなんてオレだけだろう。虚ろなる神との死闘の末がこれだもんな……帰って来たら落胆するんじゃないか?


「盗っ人くん。そろそろ順番だよ」


 すっかり浸透した呼び名に、無抵抗に返答する。こっちもこっちで、もう何をしても手遅れだ。

 おっさんの人望は謎に厚い。オレが否定したところで、この呼び名でおっさんが呼ぶ限りはオレは「盗っ人」であり続けるんだろう。


 オレは1人寂しげに天幕から出てきたカラキリを一瞥して、バカ騒ぎへと足を向けた。


 背中から物哀しい視線を感じないでもないが、それは努めて無視した。



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 早朝も過ぎ去り、時刻は日も高い昼時。アトラの所属する班は各班の担当する狩場へと到着していた。


 ここはまたもや森である。

 だが、アトラの経験した今までのものとは大きく異質な点があった。

 この森は、森全体がひとつの生命なのだ。

 木々は地中深くに存在する森の本体たる精霊から伸びた体毛のようなものであり、その長さ(高さ)は100mを下回るものがない。深さも考えると、その長さはいかほどになるのか。


 その大精霊の名は『レブニ・グニフ』。

 【大地の栄え】の意味を持つ名の、地中を航る巨大な存在だ。

 しかしその全容を知る者はいない。

 故にその姿は、球根の様なものから根の集合体で鯨のような見た目だとする物まで様々な伝承が存在した。


 今アトラたちはその背にいるワケである。

 神聖な精霊の背に巣くう魔物という雑草を、クリシエ信徒ら庭師が刈り取る。今回のアトラたちはその庭師だ。


 アトラの班は総員12名。内5名がアトラを含む戦闘を担当する教会関係者であり、この5名で参加者7名を護ることになっていた。


 当然ながら、アトラに護衛や警護の経験はない。したこともされたこともない以上は参考にできるものもなく、一から考える必要があった。


 彼は素人ながらに考えを巡らせ、ついにはある方法を思いついた。

 我ながら完璧な方法だと、思いついたときは顔を晴れやかにしたものだ。


「モンドさん。そうイライラしないで落ち着きましょうよぉ」

「うるせ! あのやろう、言ったそばから消えやがって……」


 野太い怒声に、細身の男は肩を震わせた。こうなることは分かっていても、目の前の鬼の顔から発せられる威圧感には芯からの震えを堪えられない。


 モンドと呼ばれた巨漢は、そんな小男から視線を外すと、もう興味もないとばかりに森の奥を睨みつけた。

 

「ノック。今モンドの旦那は気が立ってんだ。盗っ人の坊主が戻るまで大人しく待とうぜ」


 他の班員も同感だと首を動かした。

 そう、ここにアトラはいない。教会の兵員の4名を含めた、アトラを除く11人が残されていた。

 モンド————アトラから「おっさん」と呼ばれる体格の良い彼がこの事態を歓迎していないのは、既にその態度が如実に語っている。


 このような状態で班が待機しているのは、ひとえにアトラの作戦によるところだった。


 アトラの考えた最も安全な護衛法とはつまり、魔物に出会う前に班の先回りをして危険な魔物を排除するという、攻撃こそ最大の防衛という内容だった。

 素人の思いつきを絵に描いたような、現実的でない手段そのものといえる。


 通常、このような作戦は採用できない。警護の対象から離れざるを得ないという致命的問題があるのも勿論のこと、そもそも事前に魔物の居場所を知る術がないからだ。

 相手より早く、気付かれる前にこちらが気付く。


 そのような条件を、魔法を使う野生生物相手に満たすことは難しい。

 が、アトラはその条件を満たしていた。


 彼は真祖の血をふんだんに分け与えられた異例の吸血鬼である。

 気配を探ることに関しては、血の通っているもの限定ではあれど野生の獣を大きく凌駕していた。

 警護も彼を除く4人がいる。その分手薄にはなるが、何かあれば自分なら察せられる自信もあった。


 故に可能と判断した彼は、班から定期的に離れ、戻ってくるたびに魔物の死体まで皆を先導するのだった。

 そしてその回数が6を数えたのは今さっきのことだ。


「む——」


 遥か頭上の葉を通り緑に着色された日光が、こちらへと近づく人間の姿を映し出す。色ガラスの様に透き通った葉を持つ木々が織りなす幻想的光景は、さながら一枚の絵画のようだ。


 燻んだ色の髪に、暗い色合いの上衣。

 白いキャンパスのように緑に照らされた肌と、空と同じ青を持った片刃の刃物を携えた少年。


 その姿を認めた途端、兵士は肩に込めた力を抜き、モンドは額の血管を太くした。


「テメエ盗っ人ォ! 言ったそばから独りで消えやがって、何考えてやがんだバカタレがァッ‼︎」


 森に雷が落ちた。



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「それじゃあ魔石の回収は頼んだ」


 雷鳴を一身に受けたはずの少年は、けろりとした風で班を自身が仕留めた魔物の元へと案内した。

 少年の足元には、橙色の鱗を持つ大蛇の蛙を思わせる頭部が転がっている。

 一刀の元断ち切られたことを物語る緑の断面からは、鮮やかなエメラルドグリーンの血が滴っていた。ろくな抵抗もできなかったのだろう。傷の少ない死骸は、少年の確かな実力を裏付けていた。


 初めの1回でそれを見てとった教会の兵士や、特に何も言わない兵士らの態度からそれを察した班員らは、すでに文句も驚愕もなく素早く仕事にかかる。

 が、それでも1人は憮然としたままに、少年の単独行動に異を唱えていた。


「あのよぉ、盗っ人。昨日俺が言ったこと、覚えてっか」

「分かったって覚えてるし悪かった! もうこういうのはしない。今回はちょっと危なそうなのがいたから仕方なくやったんだ。

 おっさんの言いつけは守るからそろそろ勘弁してくれよな……!」


 そう言って解体の手伝いに逃げる少年の姿を、モンドは複雑な感情の入り混じった視線が追う。


 モンド自身、アトラという少年の実力への評価は、ここ数時間で劇的に変化していた。

 初めこそ訓練した兵士を手伝える程度のものと想定していた少年はしかし、疲れを微塵も感じさせない様子で森を歩き、傷ひとつなく魔物を狩っている。

 少年に初めて会った時に、護衛もなしに如何にも良家の令嬢といった風体の少女といたのを訝しんだが、少年こそが護衛だったのだと今は納得している。


「だがな……おまえはまだ子供じゃねえかよ……」


 どんなに実力があろうと、どんなに知識を持とうと、モンドからみて少年は子供であり、まだ経験の少なさを感じさせる護るべき者なのだ。

 危なくなったら逃げろと忠告までした相手に、単独行動までされては気が気でない。


 子供が産まれて以降強くなる、若さ幼さへのこの感情が父性と呼ばれるものであるのを、モンドは気づいていなかった。

 そんなモンドのお節介に微かな嬉しさを感じている自分に気づかぬアトラといい、気質という意味では相性の良い2人である。


 何はともあれ、アトラたちの父神日は初日にして大漁と言える戦果を挙げた。素材として重宝される魔物の部位や魔石によってパンパンに膨れた袋を前に不機嫌を貫くほどモンドは貴族ではなかった。

 凱旋よろしく、ほくほく顔で街へと帰還する。他の参加者がそんなモンドやその戦果を目にして、果たしてどんな反応をしたのか。それはもはや語るまでもないだろう。


 この日、アトラの班は次点のカラキリの班と差をつけて1番の成果を挙げていた。すぐさま成果は現金化され、明確な数字としてその姿を露わにした。

 半分以上が教会の取り分ではあったが、それでも一般家庭の収入の半年分は超えるであろう大金である。この夜、モンドらを中心にちょっとしたお祭り騒ぎがあったのは当然の流れだろう。


 そんな歓声をあげる参加者たちの様子を、アトラは少し離れた位置から眺めるのだった。その視線は柔らかな人間のものだった。

 具体的に考えていることは分からずとも、眺めているものが不快に思っていないことだけは事実だろう。

 思えばアトラにとって、今回は初めて人へ貢献した出来事であり、また初めての成功体験とも言えた。


 1人噛み締めたいものがあるのだろうと、カラキリはあえてアトラの隣ではなく、そのお祭り騒ぎに加わっている。

 そんなカラキリの優しい気づかいが、アトラには嬉しいかった。



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 そんな調子で初日を終わらせはしたが、アトラの単独行動はその日だけのものとなった。当然、モンドが自らの姿勢を固持した結果である。

 他の班員の、初日同様アトラに遊撃兼斥候の役を担わせようという提案も何のその。モンドは良くも悪くも決めたことをやり切る漢なのだ。本当に一長一短ではあるが。


「でえ、ノック? おめえは例のホップスのとこの娘さんとはどうなんだよ。少しは進展したのか?」

「ブっ! な、なにをいいますか! あんなに囃し立てられて進展も何もないですよ、もう!」

「なんだなんだ、モンドのダンナや俺たちがからかったのと、オマエが意気地なしなのとは関係なしだぜ? あそこでビシィッとオマエがキメれば、ノルンちゃんもコロッといってたろうさ」

「そーだそーだ。間違いない」

「モンドやカドルが正しい。男が言い訳するもんじゃない。せっかく見せ場を作ろうと気を使ったというのに」

「みんなして楽しんでただけでしょう⁉︎」


 やいのやいのと実に賑やかな班は、それを聞いている兵士の頬すら緩ませる。未だに魔物を狩れていないが、それでも焦るような空気はない。昨日の大きな戦果のおかげで、今の彼らの心には十分な余裕がある。

 やはり人は時間と先立つモノが足りていればおおらかなものである。

 結果として単独行動を禁じられたアトラと班員との会話も自然に増えていた。


「盗っ人。おまえからも一言助言してやれ。あんな御令嬢の側に仕えてんだ。なんかあんだろ?」

「なんかとか言われても、特にこれといったものもなぁ…………」


 頼れる狩人であり、また何やらどこかのお屋敷に仕えているらしい少年に、迷える子羊は縋るような視線を向ける。

 知識も豊富で実力も十分。おまけに背景も謎めいている少年は、何となくどんな相談事もそつなく解決してくれそうに見えたのだ。


 が、そんな少年の正体は、ルミィナ邸ヒエラルキーの最下層の最底辺であり、浮ついた話など全くの無縁。

 人間の頃なら分からないが、彼の主たる少女が語る『人間のアトラ』の人格を考慮するに、女と縁があったとはやはり思えないアトラなのであった。


 なので返答は簡潔なものになる。


「————特にないな、うん」

「そう言わずに教えてくださいよぉ、盗っ人さん! ボク、彼女の心を盗みたいんです!」

「おい。ノックのやつ、今うまいこと言わなかったか?」

「おっさん。今度こいつと片想い相手の女の人を店に呼ぶなら言ってくれ。

 メチャクチャにするからさ」

「ちょっ⁈ じょうだん! じょうだんじゃないですか⁉︎」


 一瞬で頼れる相談相手と敵対したノックだが、弁明の機会は与えられなかった。

 アトラが手をあげ、静止したからだ。


「まさか……」


 予感の声に同意する様に、少年の見た目にそぐわない鋭い声が発せられる。


「全員早く構えろ! 魔物が来る!」


 魔物の出現を告げる声に、兵士たちが素早く反応する。遅れてモンドらも臨戦態勢に入り、準備を終えたタイミングで大きな角を持った熊型の魔物が現われた。


 兵士らは班員を守るように展開し、反対にアトラは敵の排除に動く。

 

 この魔物の魔法は、自己の大きさを大きくも小さくも見せられるというものだ。今、モンドたちには、目の前に背丈の3倍をゆうに超えるであろう怪物が、今にも飛び掛からんと前足を広げ、包丁より長く、腕より太い爪がギラギラと凶悪な光を照り返し、槍の様な牙が並ぶ顎を開いた姿が見えている。


 だがその巨体へ攻撃を仕掛けても意味はない。現に町で守門を勤めている若い兵士の投げたナイフは、塗られた薬も虚しく幻影をすり抜け、背後の木を傷つけただけだった。


 他の兵士たちも、それが幻影であることは見抜いている。しかし本体の大きさが分からず、距離感も大いに狂わされているこの状況では、なかなか手が出ない状況だった。


 が、先に動いていたアトラに迷いはない。怪物に対しどう見ても勝ち目のない少年は、素早く敵の後ろ足へと踏み込むと、残像を残して得物を振り抜いていた。


「キャグッ!」


 小さく短い悲鳴。それが断末魔だった。

 幻影が霧のようにかき消えると、そこには角を持った熊の魔物が、その小さな身体を横たえていた。

 肩から胴体を渡る刀傷が痛々しい。いや、まるで破裂を思わせるそれは、刀傷というのもバカバカしくなるほどの破壊の痕跡だった。


 ともすれば、倒れ伏した小さな熊の姿は罪悪感すら抱かせる。その小さな命に対し、振り下ろされた暴力はあまりに過剰であったことは、誰が見ても明らかであったからだ。


 小鳥を仕留めるのに大砲を撃ち込む場面を想像して見てほしい。それを見て抱く感情が、今のアトラに近いものだ。ましてやその射手が自分なのだから、憂いは一層深い。結果として殺さざるを得ない命であったにせよ、哀れと感じるのがアトラの思う人情である。


 少なくともアトラにとっては、もっと加減ができたという悔いの苦さが残った。

 動くのをやめたモノを前に、彼は眉間に力を入れて見下ろしている。


 しかし—————


「やったな盗っ人! おまえ、本当に強いじゃねえか……!」

「ち、ちびるかと思いましたよ……あの巨体を前によくすぐに動けましたね……」


 兵士はおろか、モンドらにも罪悪感や気まずさといった空気はなかった。目の前で見た、少年の大立ち回りを嬉々として語り、手を打ち鳴らしている。

 それをアトラは複雑な感情で受け止めて、すぐに表情を消した。自身と彼らとの乖離に気づいたのだ。


 魔物とは忌むべきものであり、それが如何なる外見を持とうと存在そのものが悪である。故に同情心も罪悪感もあり得ない。“尊い命”など、魔物にありはしないのだから。


 アトラ自身がそのような感覚を共有できてる訳ではないが、罪悪感を感じていない班員へ対してある種の感情を向けたなら、それこそが不審な行動となることを彼は危惧した。


 そんな彼へ、兵士の1人が声をかける。アトラの肩が一瞬揺れたが、それは本当に微かなもの。

 気づいた者はいなかった。


「アトラさん。今のもやはり、その魔道具の恩恵ですか」

「ん? ……ああ、まあコイツのおかげですけど。色々と感覚を鋭敏化してくれるヤツで、索敵にはもってこいなんで」


 ツラツラと淀みなく口は動く。

 まるで台詞でも読んでいるような口調だ。


「ああ、因みに今のオレの動きはこの見えない指輪のおかげで————」


 さらにセリフは続き、訊かれてもいない“身体能力強化の指輪”の説明も飛び出す。

 まるで訊かれるのを避けているような口調だ。


 しかし、幸いにも兵士は感心した様子で見えない指輪に目を細めたり、青の美しいイヤリングをまじまじとしばらく眺めて満足した。


 結局、母神日の釣果はこの後2度魔物を狩った分も合わせて3頭分。それも、さして素材として価値が高い訳でもない。

 昨日とは比べるべくもない結果となったが、まあ例年もこんなものである。むしろ昨日の成果が良すぎたのだ。


 やや気落ちした空気を発するアトラを、モンドたちはそんな意味合いの言葉で励ました。実際、この言葉は事実でもある。

 例の精霊の森は、定期的に教会による討伐も行われている。大規模な討伐隊が送られる訳でもないが、魔物の数が減らされているのも事実だ。

 逆を言えば、釣果なしの班もいる中でよくやっているとも言えた。

 

 しかし、翌日も魔物は現れず、どの班も首を傾げていた。初日を境にこの減り方は、例年と比較しても異常ではないか、と。

 だが異常とは思っても、その理由など誰にも分からない。この異常を意図して起こしている者を除いて、誰にも。


 そして得てしてこの手の異常は、一般人すら気付くようになる頃には、事態を致命的に進行させているものである。

 今回の異常も例に漏れず、やはりその手のものであった。

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