血のつながり


「魔法への耐性も十分ね。これなら盾として合格よ」


 うつ伏せで倒れているオレに、ルミィナは感情のこもっていない声で、吐き捨てるように採点を下した。オレは努めてルミィナの姿を見ないようにしている。


 また紅い視界だ。この視界を日に何度も見るのは、よくない。吐き気すら催す興奮が、見るたびに強まっているのが冷や汗を誘う。


「はい、これ使って」

「……ありがとう」


 ルカが肌触りのいい大きな布を持ってきてくれた。というのも、オレは今ほとんど真っ裸といっていい状態だった。

 ルミィナの執拗な攻撃によって、服はすでに炭と化している。そして、オレが動くたびにパキパキと別れを告げるのだ。結果として、今のオレはススまみれの裸の男という変質的なことになっていたのだった。


「ああ、そう。坊やの『眼』について教えておくわね」

「なにか、わかったんですか……?」

「ええ。恐らく坊やが見ているのは血液で間違いないわ。相手の血流を操るのが、その『眼』の能力でしょうね」

「…………それ、けっこうムテキですね」


 少しずつ落ち着いてきた興奮の中で、自分の魔眼の能力に思わず感嘆してしまう。これだけの強力な力があれば、万が一聖騎士と戦うハメになっても大丈夫なんじゃないかと。そんな大きなことも、ついつい考えてしまう程度に。


「そうでもないのよ」


 オレのそんな慢心に、ルミィナは淡々と冷水をかける。


「例えば、坊や。顔を上げてみなさい。今の私はどう視えるかしら?」


 いきなりとんでもないことを言われて、躊躇する。知っている人間の、あの赤い紐だらけの姿なんて見たくないからだ。

 ただ、従わないとそれはそれでまた燃やされかねない。今のオレならそれはもうこんがりだろう。


 オレは恐る恐ると視線を上げ、ルミィナを紅の視界に招く。

 

 と————


「…………みえ、ない……」


 ルミィナのいるべき場所には、まるで空間に穴が空いてしまったような黒があった。状況からそれをルミィナであると推定はできる。ただ、脳はそれがルミィナだと認められず、思考は真っ白に混乱する。

 

「そう。視えないのよ。相手の魔眼が何を視るかが分かれば、その対策はそう難しいことではないの。

 簡単なのは結界で対策してしまうことね。これをされると、魔眼の視界は肉眼以上に悪くなる。魔眼としても、視覚としても使い物にならなくなるわ」

「……………………つまり、魔眼の情報は秘匿するのが一般的なんですね」

「そうね。間違っても相手の魔眼について、その能力を訊くようなマネはしないことよ。警戒されるだけなら良い方で、場合によっては敵対することになるわ」

「な……るほど」


 まだ頭がうまく回っていない。必然、返答はどこかうわの空だった。


「……このままだと会話にならないわね。なら————コレならどうかしら?」

「っ、ぉ」


 視界の黒い塗り潰しが掻き消え、ルミィナの姿が現れる。これは結界を解除したということか。


 だが——


「見える……けど、視れないです」


 紅い視界の中で、ルミィナの姿は周りの風景と同じく赤く染まっている。だが、血流やら血管やらは視えない。これでは単に、紅いガラス越しに見たのと変わらない。


「そう。それが『内界』が発達した人間や聖騎士を視た場合の視界よ。つまり、坊やの眼は『聖痕』を持つ聖騎士や、魔法に深く適応している私のような『内界』が表出している人間には使えないのよ。これが弱点ね」

「…………」


 そうなると、魔眼の有効性が一気に目減りする。

 そうだ。たしかに、魔法への耐久試験が始まる前に、オレは一度この視界にルミィナを捉えていたはずだ。

 そのときはルカのおかげで視線を切ることができたが、思い返せば視界内のルミィナにはなにも視えていなかった気がする。


「まあ、『外界』を持つ人間はそう多くないから、そんなに落胆することでもないんじゃないかしら」

「『外界』?」

「『内界』が発達して、体外までその範囲を広げたもののことよ。表出に際して『内界』との性質の違いが生まれるけれど……その話はよしましょう。坊やは回復に専念してちょうだい——ああ、言うまでもなく人前でその眼を使うのはご法度よ。

 “操血”もその眼も、使うと目が変色するようね。使うときは目撃者を出さないときか、そうでなければ皆殺しできる場合に留めなさい」

「……はい」

「いい? 見られたなら、刺し違えてでも殺しなさい。そうすれば、坊やが死んでもルカちゃんに迷惑はかからないわ。

 取り逃せば、間違いなく教国が動く。それはルカちゃんすら危険に晒すことになると理解することよ。そのとき、私は坊やを見捨てることでルカちゃんを救う手を取るわ」

 

 それは、オレを今代の真祖として討伐することで、ルカを庇うという手を意味するのだろう。

 そしてルミィナが本気で言っていることを、その目はこれ以上ないほどに伝えていた。


 物騒かつ的確な指示を残して、魔女は平原を後にした。後にはオレとルカ、そして時間と共に平原から草原へと元の姿を取り戻しつつある原っぱが残された。ここもじきに何もかもが元通りになり、オレの歯を食いしばって耐えた努力の形跡も消え去るだろう。

 

 こうして自分の形跡が消えるのを見ると、なんとなく考えてしまう。

 今オレが討伐されたら、一体誰が悲しんでくれるのかと。


「——ルカくらいだよな」


 自分の名前を聞いて首を傾げる少女を前に、苦笑する。そういえば、オレはルカの眷属というヤツだったか。

 ルカにとって眷属とはなんだろうか。


 なんとなく気になった。


「ルカ」

「んー?」

「オレはルカの眷属だろ?」

「うん」

「そのさ。ルカにとっての眷属ってなんなんだ? なんかやたらと強調することがあるじゃんか」


 ルミィナがいたら聞かなかっただろう質問。こんなの、「ルカはオレのことをどう思ってる?」なんて恥ずかしい質問を、訊き方を変えてみただけのものだ。


 そう思うと、なんだか途端に小っ恥ずかしい気がしてくる。

 ルカからの答えはすぐだった。


「ルミィナが言ってたけど、真祖は精霊みたいなものなんだって。だからね、私には親がいないの。

 それでもルミィナが家族になってくれたから、寂しくはなかったよ? だけどね、血のつながった家族にも憧れてはいたんだよ?」

「…………つまり、オレがその“血のつながった家族”なんだ」

「うん!」


 オレとルカの関係を“血縁”と言うなら、たしかにこれ以上なくオレたちは“家族”だった。

 何せ、純度の違いはあれ全く同じ血が流れているんだから。


「アトラ?」

「————」


 ルカの言葉に、知らず嬉しくなっていたらしい。視線から逃げるように、口角を元の位置に下げる。それでも心は温かなままだった。


「オレたちが家族なら、親子ってよりは兄妹だな」

「そうだね。お母さんは、ちょっと違うかな」

「じゃあルカが妹——「お姉ちゃん」……ん?」


 沈黙して、お互い顔を見合わせる。


「…………ルカ。そういえば、いくつなんだよ。普通兄弟姉妹は年齢基準だぞ?」

「分かんないけど、そういうアトラはどう?」

「……いや、知らないけど。それでもたぶんオレが年上じゃないか? ほら、精神年齢というか、振る舞い方というかさ」

「えー⁈ でも私、アトラが知らないこといっぱい知ってるよ? きっと私がお姉ちゃんなんだよ!」

「いやいやいや、それはルカが先に生まれたから物知りなんじゃなくて、オレが記憶を無くしてるからそっちが色々知ってるだけだろ?」


 また顔を見合わせて、なんだか気まずい沈黙が流れる。ただ、ルカに譲る気がないように、オレにもその気はなかった。


 だって、ルカだ。

 オレより少しとはいえ背が低く、目の前で頬を膨らませる少女を「お姉ちゃん」はないだろう。

 賭けてもいい。オレの方が年上だ。


「…………アトラ、とりあえず血は飲まなきゃ」

「…………それ、飲まなきゃダメか?」

「そのままじゃアトラ、飢えてルミィナを襲っちゃうかもよ?」

「そして炭になる、と…………飲む」


 こうしてオレたちは互いに“家族”であること。そして、どちらが兄、または姉であるかは議論の余地があることを確認し合うのであった。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



 激しい雨音と雷鳴を聞きながら、読み終えた本を本棚に戻す。ゴトという重厚な音とともに、本は窮屈そうに元の場所へと収まる。


「ふぅ……」


 気持ち疲れた目を休めるように、オレは窓へと視線を向けた。

 窓は相変わらず風に押されては雨に叩かれて、ガタガタと不満を音にして訴えている。

 暗い外の光景は、室内の方が明るいせいでよく見えない。代わりに部屋の中はくっきりとよく見えた。


「……………………」


 そんな暗い外、もとい反射した室内をぼんやりと眺めていると、もうすっかり慣れた気配が近づいてくるのを感じた。


「アトラー! お茶淹れたよー!」


 扉の開く音と共に、予想通りの声とお馴染みとなった香りが部屋に広がった。視線を動かさず、窓の反射越しに視線が合う。にこりと、外の暗闇を照らすような笑顔を返されて、根負けしたオレは大人しくイスから立ち上がることにした。


「今日は天気が良くないね。さっきのカミナリなんてすごかったんだよ? バッカーンて! たぶん落ちたよね?」

「そうだな。でさ、ルカ。そのカミナリの直前までオレたちこうして話してたよな? このクッキーを食べながらさ」


 オレは30分前を思い出しながら、これまた30分前と同じ仕草で焼き菓子をつまむ。


「で、オレは集中して読みたいからっておひらきになったんじゃなかったっけ?」


 そう、オレはこの光景とやり取りにとても見覚えがあった。今日一緒にお茶にするのはこれで2度目であり、本を一冊読んだぶりの再会である。


「うん。でも退屈だからまた来ちゃった」


 悪びれる様子もなく、ルカはさっと2人分のティーカップに透き通った輝きを放つ液体を注ぐ。それがあんまりにも堂々としているから、まるでおかしいのはこっちのような感覚に陥ってしまいそうになる。

 無邪気というのがこれほど強いのか、と感心すら覚えたくらいだ。


「まあいいや。思ったより早く読み終えたし、次の本のまでの休憩にはちょうどいいし。……お? さっきと味違うのか……結構おいしい」

「よかった、味見してなくて不安だったんだぁ」

「すればいいじゃないか、味見くらい」

「ダメだよ。そんなことしたら絶対に全部食べたくなっちゃうから」


 はやくも2枚目を食べ終えた手をさらに伸ばしながら、食いしん坊な吸血鬼は「エへへぇ」と上機嫌に笑う。


「……ルカって食事の必要あったっけか?」

「別にいらないよ? でも美味しいし楽しいから、たくさんやったほうがいいよ」

「なるほど」


 その意見はもっともだと、オレもクッキーへと手を伸ばして同意する。その姿勢は今後の長い人生で重要な姿勢だろうから。


「ね、ね、アトラはどんな本を読んでたの?」

「ん? ああ……魔法について少しさ。ほとんどはもう知ってる内容だったかな」

「どんな内容だったの?」


 ルカはいつものように尋ねてきた。オレが本を読んでいると、たまにこうしてヒマな吸血鬼が部屋を訪ねてきて、満足するまで居座ってはオレの読んだ本の内容を語らせたがるのだ。


 正直オレの得た知識なんてルカはとっくに知っているだろう。が、それでも本人が楽しそうだし、オレとしてもいい復習になるので歓迎すべきことではあるのかもしれない。


「魔法の等級と……その具体例がほとんどだったな。内容はよくある感じだった。


 1番上から神域魔法・聖域魔法・浄域魔法・清種魔法・公種魔法・汎種魔法。

 清種魔法から汎種魔法まではそれぞれに第一類~第三類の区分がある。

 要は

 『神域魔法

  聖域魔法 

  浄域魔法 

  清種魔法 第一類~第三類

  公種魔法 第一類~第三類

  汎種魔法 第一類~第三類』

 こんな感じか。

 

 で……浄域以上の魔法を使える魔法師は『領域魔法師』とか呼ばれて、かなり特別視されてるみたいだな。この『領域魔法師』や魔法の等級である『神威等級』を認定するのが“列聖会”って組織らしいけど、あんまり知らなくても困らなそうだな、この辺りは」

「ううん。詳しく知ってた方がルミィナは喜ぶよきっと」

「……じゃあ1番大事だ」


 あの魔女の好感度を上げることができるなら、何であれやる価値がある。もっとも、最優先すべきは好感度を上げることではなく下げないことだが、これは予想が難しい。

 ルミィナという女魔法師は、その存在も気質も理不尽そのものだ。試験以来、何着の服をダメにしたやら、もう数えてもいない。


「ほかには何もなかったの?」

「ほか? ああ、いや。後は……」


 日々被る被害へ向きそうになる意識を切り替える。これは復習なんだ。集中しなければ。


「霊薬とか魔法薬とかについてざっくりとあったな。魔法薬は、魔法への魔力の誘導がその効能だよな。だから魔法自体は本人が使うことになる。

 対して霊薬の効能は魔法そのものを発現させるもので、これを製造できるのは森貴族エルフ山富族ドワーフみたいな一部の妖精種や精霊だけだって書いてた。

 『魔法という“結果”を宿すのが霊薬、魔法を発現する“過程”を宿すのが魔法薬』ってさ」

「あ、それねえ、領域魔法師で造れる人がいるんだって」

「え? そんなの書いてなかったけどな」

「ルミィナが言ってた」

「じゃあ本当か……そういえば、そのルミィナさんは今どうしてるんだ?」

「ルミィナ? たぶんお風呂……はもう出てると思うから、実験室にいるよ、きっと」

「お ふ ろ……?」


 この家のことを未だに把握し切っていないオレではあったが、実験室はおろかまさか浴場があるとは知らなかった。考えてみれば当然ではある。

 人間生きている限りは汚れるものだ。それは吸血鬼も変わらない。


 では、そんなオレは今までどうしていたのかというと、窓の外に答えはある。今は見えないが、晴れた日にはこの部屋の窓からは小川を見ることができた。

 それに気づいてからはそこがオレの浴場であり、時には1日の汚れを、時には1日の疲れを落とす神聖な場所でもあったのだ。

 …………あったのだが、それはここに浴場があるなんて知らなかったからであって、誰が好き好んであんな場所で————


「アトラ? 変な顔してるよ?」

「…………いや、オレ浴場があるなんて知らなかったんだけどさ……何で教えてくれなかったんだ?」


 努めて不満を出さないように尋ねる。

 が、それができるほどオレは大人になれないようだった。声に不満が漏れているのを自覚する。


「だって、アトラは外が好きみたいだったから」

「……………………」


 のほほんとした雰囲気での答えだった。

 それはお前が言わなかったからだと言いたい衝動はあったが、このポヤポヤとした空気を変えることも出来そうにないし諦める。


 とにかく今は————


「その浴場の場所を教えてくれないか? オレも使いたいんだけど」


 これが最重要だった。

 オレはまだまだ知らないことが多い。こんな身近にすら未知に溢れているのは落ち着かない。

 

 ルカはオレの頼みを快諾すると、ついでにと館の案内も提案してくれた。それはオレとしても願ったり叶ったりの提案だ。


「じゃあ行こ? はやくしないと部屋が変わっちゃうから」


 言って扉を開けて廊下へ出るルカ。その背中を追いかけて、部屋より幾分か冷える廊下へ続く。


 こうしてオレは、この館について少しだけ理解を深めて、その不可解さにさらに頭を悩ませることになった。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -




「——で、こっちが謎の広間っと……屋根に穴があって陽の光が差し込んでいるのが特徴……」


 目の前の光景を目に焼き付けながら、手元のメモに筆を走らせる。

 メモには迷路みたいなものと、所々に矢印付きで注釈と目印。そんな他人が見たらあまりの可読性の低さに眉を顰めること請け合いなラクガキは、オレがここ5日間で書き記してきたこの館の間取り図だった。


 この館は、ルカ曰くルミィナによる長年の結界魔法の重ね掛けによって、さまざまな魔法現象が起こる魔界と化しているらしい。


 さっき出た部屋が、翌日には違う場所へ繋がっているなんて優しい方で、この間は石造りの謎の空間に閉じ込められたかと思えば、どこからともなく暴風雨が発生して小規模な雷に何度も打たれた。


 そう、だ。

 そんな館で毎日浴場へ向かい何時間も彷徨うなかで、何となくこの部屋の移動や廊下の移動には規則性があるような気がして、こうしてメモ用紙というには大きすぎる紙を握りしめて館内を散策している。


「やっぱりそうだ。位置関係が変わらない場所はある」


 間取り図の目印を見つめながら、オレは確かな手応えに震える。

 この5日間の集大成。これさえあれば、いちいちルカに迎えに来てもらう必要は無くなる——!


「アトラ?」

 

 窓のない長い廊下に、ずらりと無数に並んだ扉、扉、扉……。その一つが音もなく開き、目を丸くしたルカが姿を見せた。

 その視線は、おそらくは達成感に鼻を膨らませているオレの顔と、手にある大きな紙を行き来する。


「おっ、おはようルカ。ああ、これか? いやあ、ここいちいち場所が変わるだろ? だから間取り図でも作ろうかと思ってさ。結構良い出来なんだ。ああ、欲しいなら後で書き直して渡すけど」

「? 間取り図……ううん、必要ない……かな?」

「そうか? まあたしかに、ルカもルミィナさんも普通に暮らせてるもんな。慣れってヤツか? オレだと何年かかるやら……」


 そんなオレの感心を、ルカはなぜか不思議そうに眺めている。そして「あっ」と、不吉な声をあげた。


「あ、あのね、アトラ……」

「…………なに?」


 聞きたくない。

 聞きたくはないが、聞かないともっと後悔するという確信があった。


「間取り図はね……いらないんだ」

「いや。オレはまだ覚えてないから」

「ううん。えと……『ルミィナのところ』!」


 ルカは唐突に、オレではない誰かにでも告げるように声を張る。

 何事かと身構えると、ルカは適当な扉に手をかける。

 あそこは確か、開く度に厨房らしき場所か書斎らしき場所か、さもなくば雨漏りの激しい苔むした部屋かへ繋がる扉のはずだ——はずだった。


「あらルカちゃん、おはよう。坊やは今日は一段と締まらない顔ね。それで視界に入られると、少し鬱陶しいわよ?」

「へ……………………?」


 あり、えない……。

 目の前の光景を、脳が必死に否定しようとする。

 だって、今見た光景は、オレの5日に渡る努力を完全に無にするものだった気がする。


「ルカ……これは……?」


 ルカは視線を合わせず、作り笑いを浮かべて口を開いた。


「あの、そうなの……。だから……それ、いらない……かも」


 ルカの言う“それ”を見る。見るも汚く読み難い間取り図が、オレの手に握りしめられていた。

 さっきまで宝物のように思われたものは、今やただのラクガキへとその価値を暴落された。


「……それ……言ってくれよ…………」


 こうしてオレの数日間は泡と化し、ぱちんっと弾けて別れを告げるのだった。



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 暖炉の中で紙屑の燃えるのを見ながら、虚無感のままにルカの話を聞く。


「だからね、行きたい場所が分かってるなら頼めば行けるの」

「へー…………便利だな」


 どんな魔法なのか全く分からないが、とりあえず今後少しは過ごしやすくなると言うことだし、歓迎すべきことではあるはずだ。が、どうしてもルカへ送る視線は恨めしいものになる。


「あれ? でもこの前浴場に案内してくれたときは……あんな宣言してなかったよな?」


 あの日にルカがそんなことをしていれば、今日を待つまでもなくこの便利機能は発覚していたはずだ。


「ああ、あのときは私たちの会話から判断してくれたみたい」

「判断? そんな人間みたいなことを、魔法がやるのか?」


 そんなのどんな本にも記載のないものだ。いや、可能性としては、あまりに一般的な魔法だから一々書いてないということだろうか。

 つまり、『汎種』に区分される魔法だ。あれは数が多すぎて細かな具体例を書く本はない。

 

 ただそうなると、こんな高性能の魔法が日常に溢れている訳で、この国の都市での暮らしは想像もつかないくらい便利なものだと予想される。


「ああ、それはこの子が判断するんだよ。かわいいでしょ」


 言ってルカは手を掲げる。すると、木の床から枝やら蔦やらが伸びて、甘えるみたいに手に絡みつく。あんまりに突然のことに、ついギョッとする。


「うわっ、なんだ気持ち悪い⁉︎」

「だ、ダメだよそんなこと言っちゃ——」

「べぶあッ⁈」


 いきなり右の頬に衝撃を受けて、壁に頭を打ち付ける。訳もわからずさっきまで立っていた場所へと視線を向けると、床に木製のハンマーが消えるところだった。

 殴られた場所がジンジンと痛む。


「な、なん……⁈」


 混乱するオレを観ながら、ルミィナは優雅にカップを傾ける。目が笑っているところを見ると、今のオレは完全に見世物になっているらしい。


「この子はルミィナが作った人工精霊なの。傷付きやすい性格だから、意地悪しちゃダメだよ」

「意地悪されたのはオレだろ……いってて……」


 頬をさすって起き上がったところで、オレはその違和感に気づいた。


「い……たい? 痛いって言ったのか、オレは?」

「ようやく気付いた? それがその子の特性よ」


 オレの様子を愉しんでいたルミィナが口を開く。その口調は研究者然とした、やや早口のものだった。


「その子のモデルになったのは『森畏』という精霊。住処の森を破壊する者の前へと、鹿の姿を模って現れる。

 そして不届き者の両目を抉って取り込み、永遠に癒えない痛みを刻み付ける。

 この国では悪魔に指定されたこともあるけれど、今は指定を解除されている珍しい精霊ね。


 私は精霊を人の手で創ってみたかったのよ。けれどできたのは劣化品だった。

 その子は『痛みという情報を与える』という特性だけを獲得したわ。どうやら坊やには有効みたいね。ルカちゃんには効かないから、恐らくは“痛み”を知っているか否かで分かれるのかしら。


 これが『森畏』なら話が違ったでしょうけど」


 劣化品との評価を下された枝と蔦の集合体は、ルカの手からシナシナと離れ、項垂れるように床へと消える。

 その姿に、オレはなんだかコイツと仲良くなれる気がしてきた。こう、被害者の会みたいな意味で。


「いってえ⁈」


 スネに衝撃。傷の舐め合いは御免らしい。


「コイツ……! ……ルカ、そういえばこの劣化品の名前は? 『森畏の劣化ちゃん』か?」


 床が再び隆起するのを、今度は見逃さない。


「——ホイ、捕まえた」


 大きな木の根みたいなものを、床からバキバキと音を立てて引っこ抜く。虫みたいに手の中で蠢く根は、あまり気分の良いものじゃない。


「いい加減にしろって。これから長い付き合いなんだぞ、オレたちは」


 どこが目なのかも分からないから、とりあえず全体を視界に収めて語りかける。と、ルミィナさんから愉悦を含んだ声があがった。


「無駄よ、坊や。ソレは分体であって本体じゃない。この子はこの館の木造部分全てと完全に融合しているのよ」

「……はい?」


 メキメキと音が聞こえて、不吉な予感に振り返る。

 すると、壁から生えた太い枝が、まさに腕?を振り上げているところだった。

 そしてそれは、何の躊躇もなく振り下ろされる。


「ガブぇッ⁈⁈」


 避ける間も無い。

 オレは眉間を突き刺されたような激痛に、しばし悶えることになった。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



「家を空ける……ですか?」

「ええ。4日後にね」


 ジリジリとする痛みの残滓を額をさすることで紛らわすオレへ、ルミィナは何でもないように告げた。


 因みに、動く枝はルミィナの一声で引っ込んでいる。名前らしい名前もない。


 驚くオレと対照的に、ルカはなにか納得した顔をする。


「ルミィナ。それって、教会の用事?」

「ええそうなの。まあ呼び出す用件は察しがつくわ。十中八九に関することでしょうね。

 留守にするのは長くても2日程度でしょうから、その間留守番をお願いね」

「うん、分かった! あっ、もしこの前のケーキがあったら買って! すっごくおいしかったから!」

「分かったわ。探しておくわね」


 2人は和気あいあいとお土産をどうするとかいう話をしているが、当然ルミィナがオレへ土産の要望を訊くことはない。

 

 ルミィナがいない間、特に何が変わることもないだろう。オレもルカも食事の必要がない身だし、2日程度なら自室にこもっているだけですぐに過ぎる。


 と、予想外なことに、ルミィナの目がこちらを向いた。


「そう、坊やにも言っておくわね。私が不在の場合、館の結界は防衛用のものに切り替わる。

 外から館に戻るときは、扉を開ける前に『ただいま』と言うこと。

 これを忘れたら、いくら坊やが吸血鬼でも命の保証ができないから、記憶力に自信が無いなら部屋でジッとしていなさい」

「了解です。外には出ないことにします」


 記憶力云々はともかく、そんな物騒な状態になるなら大人しくしているべきだろう。そもそも外に用事もないし、“操血術”の練習なら部屋で出来ないこともない。


「あ……」


 ふと、4日後は満月だったことが思い出された。満月の夜、吸血鬼は最も力が充実するらしい。だが、このときのオレは特にそれを気にもせずに、次の瞬間には月のことなどすっかり忘却していた。


 オレは忘れるべきではなかったのだ。もっと思い出せば、真祖が満月の夜に凶暴化したなんて記述があったことを思い出せたのに……。


 オレはルミィナの不在の最中、夜の闇に包まれた森でそんなことを後悔することになった。

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