第2話
俺は今、森の上をてくてく歩いている。空中を歩いているのだ。
勇んで旅に出たはいいのだが、如何せん動きが遅い。生まれた場所がまだ見える。というかそこから離れられていない。俺の後ろで新たな光の玉がポコポコと現れ続けている。このままでは世界を回るだけでも百年掛かってしまう。俺の背後には、俺と同じように新しく生まれた光の玉がフヨフヨと浮いているのが見える。
何をするにしても下級のままでは何もできない。すぐにでも契約して位階を上げるべきだろう。だが、そう簡単に契約できるわけではない。そもそも、契約する相手がいない。相手を見つけられなけえれば契約のために召喚されるのを待たなければならなくなる。
この召喚には精霊側に不利な契約が付随していることが多い。まあ、俺には関係ないが。
うーんうーん、と頭をひねりながら考える。姿は子ぎつねなので傍から見ればとてもかわいい状態だ。右前脚を頭に着けて首をひねる。黄色い毛に首元と足元だけ毛の色が黒いという変わった毛並みの狐がたまたま下にあった泉に映った。
かわいすぎる。このかわいい生物は何だろう……俺だ。
思考が脱線し、くだらないことを考えていると、いきなり景色に変化があった。
自身を映していた泉が水面が不自然に動き始めたのだ。
「あら、新しく生まれた精霊が自我を持ってるなんて珍しいわね」
そう言ったのは、全身が水でできた精霊だ。泉の水が浮き上がったかと思ったら人の形になったのだ。
「ここはどこ?」
俺はダメもとで聞いてみる。とりあえず現在地を聞こう。旅の基本だ、と思う。
「ここは幻惑の森で、私たちの住処で、精霊の森への入り口よ」
精霊の森とは契約をしていない精霊たちが暮らしている空間のことらしい。与えられた知識にあった。人が住む次元とは別の次元になるらしく人が立ち入ることのできない場所だ。
「俺も精霊の森に行けるのか?」
「無理よ。いくら自我があっても下級以下の精霊は入れないようになってるわ」
なんとここでも、位階の低さによる弊害があったようだ。
「頑張って位階を上げなさい」
そう言って水の精霊はまた泉に戻っていった。それを見届けた俺はまた思考を始める。
そもそも移動速度が遅いことが問題なわけで、位階が低くても移動できればいいのだ。俺は自分の体の、力の、使い方を練習することにした。
神様にもらった雷の力の使い方はわかる。出力は低いが、やろうと思えば人一人を殺す程度の出力は出せるかもしれない。
今の俺は肉体のない精神生命体。自身の体もさっきの精霊のように自身の属性のもので構成することができるはずだ。俺はさっきの水の精霊を手本に自身の体を雷に変えていく。俺の体からはスパークが走り、毛は逆立ち、最後には不安定に揺らぐ狐の形をした雷になった。
ここまで来れば簡単だ。神様にもらった知識と力の使い方で雷で構成された体を操ればいいのだ。
俺はこの力を『雷化いかづちか』と呼ぶことにした。
俺は上空に飛び上がり周囲を移動する。さっきまでの亀のような遅さとは比べ物にならない速さで移動することができた。雷の操作をしていくうちに自分の周りに雷を作ることができるようになり打ち出すこともできるようになった。威力は静電気レベルだが。
知識にある精霊の力としては弱いが、下級精霊とすれば十分だろう。
俺はその後も雷で遊ぶのが楽しくなり、旅のことをすっかり忘れていた。陽が落ちてきて空に赤みが差し始めてやっと自分の予定を思い出した。
「そうだ。旅に出るんだった」
つい独り言が出た。
俺は今度こそ旅に出ようと決意した。
その瞬間、
足元に魔法陣が現れた。
一目見てわかった。これは召喚魔法陣だ。都合がよすぎる気もするが、俺は召喚に応じる。理由は簡単。声が聞こえたからだ。あの神の声。
視界が暗転し、自身の周り見知らぬ文字が下から上へと流れている。俺は一瞬の間にどのような契約が結ばれようとしていたかがわかった。これも与えられた能力のおかげだ。
この契約は、俺の知識にある中でもベーシックなものに少し手が加えられている程度のものだった。ただ、『契約主に服従』と『契約精霊側からの契約破棄の禁止』という項目があった。
俺が、契約内容を把握すると同時に契約内容が書き換わる。
『契約主に服従』という項目が消え、『契約精霊側からの契約破棄の禁止』という項目が『契約破棄の自由』に変わった。
どうやらこの契約は中級以下の精霊を呼び出すためのもののようだ。出なければこんな不平等な契約を結ぼうとはしないだろう。
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再び視界が暗転し、気付けば俺は部屋中が石でできた部屋にいた。
この部屋にいるのは俺を除けば、一人のおっさんに、おっさんと手をつないでいる少女、あとは如何にもな恰好をした魔法使い、のような杖を持った老人だ。
俺は状況の把握に努める。精霊契約は契約内容の確認をした後、契約中に使う仮の名を精霊に与えることで完了する。未だに俺の足元には光る魔法陣が存在している。
俺にも一応神がつけた真名があるけど、それをこの世界で使うことはまずないだろう。
おっさんはとても高そうな服を着ている。中世の貴族が着るような首の苦しそうな服だ。そのおっさんと手をつないでいる少女も高そうなドレスを着ている。コスプレにしか見えないが彼らはそれらに着慣れているような見える。
俺は誰が契約主か考える。まあ、予想はついている。あの少女だろう。
「おお! これは雷の精霊か? 珍しい。さあ、リーゼ、この精霊に名前を付けるのだ」
案の定である。
「うーんと、うーんと、」
少女はかわいらしく声を出しながら、一生懸命考えている。
透き通った肌に金髪碧眼、まるでお姫様だ。
「きめた! あなたのなまえはコンコン!」
えっ、嘘でしょ。
俺の一瞬の戸惑いの間に契約が完了してしまった。
足元の魔法陣が一層輝きを増し、次の瞬間、散乱し、俺の体を覆う。
「さあ、コンコン。わたくしといっしょにあそびましょう!」
俺は、仮の名前とはいえもう少しちゃんとした名前が良かった。だが決まってしまったものは仕方ない。「今日から俺はコンコンだ!」俺は心の中で少しだけ泣いた。
本来の契約では俺は契約者に服従することになっている。とりあえず、リーゼと呼ばれた少女に付いていこう。幸いにも彼女の善人に見える。
こうして俺の最初の契約精霊としての生活は始まった。
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石造りの部屋の端にあった階段をリーゼと他二人が昇る。俺はその後ろをふわふわと浮遊しながら進む。雷化はしない。当面は普通の下級精霊としての力以外は使わないようにする。今はまだ一般的な下級精霊を装うのだ。その結果、彼らと俺との距離が徐々に広がっているのだが。
階段を上った先には大きな執務机らしきものと壁際に並べられた大きな本棚が複数ある部屋だった。俺たちが現れたのはその書斎らしき部屋にある大きな暖炉の奥。隠し通路みたいだ。その書斎のような部屋を三人は抜け、大きな廊下に出るとリーゼと手を握るおっさんの斜め後ろにいた魔法使い(仮)がおっさんに言う。
「では、私はこれで」
「うむ。ご苦労」
おっさんと言葉を交わして去っていく魔法使い(仮)。それと逆の方向におっさんとリーゼが歩いていく。
俺はそれに付いて行こうとするのだが、歩くのが早すぎて付いて行けない。というか、俺が遅い。俺は前後の必死に動かして進もうとするが移動速度は上がらない。
既に五メートル程離れた場所を歩いているおっさんが大きな両開きの扉のつけられた部屋に入っていった。俺もなんとか早く進もうとするが速く進むことはない。無情にも扉は閉まる。重そうな扉だ。俺は扉の前で立ち尽くした。いや、浮き尽くした?
中からは賑やかな声が聞こえてくる。微かに聞きとれる音からするとリーゼが精霊と契約できたことを喜んでいるみたいだ。
うん。気づいて下さい。肝心の契約した精霊がその場にいませんよ。俺が念話を使えればいいんだが、あいにく使えない。
しかし、俺の心の叫びが聞こえたのか、目の前にある扉が開いた。扉を開けたのは少女だった。
「ッキャ!!」
開いた扉の前に浮かぶ俺を見て少女が驚く。
さっき見た俺の契約者のリーゼよりも少し背の高い少女だ。お姉さんかな?
俺は右前脚を上げて挨拶しておいた。もふ。
「な、なんか浮いてる!!!」
俺の目の前でリーゼ姉(推定)が部屋の中に走っていった。
「なにっ!」
部屋の中にいた少年が椅子を後ろに倒しながら直立した。それと同時にリーゼが俺の方を見る。
「コンコン!」
リーゼは浅くしか座れていなかった椅子から降り、俺の方にとてとてと走ってくる。というか、そのまま突撃してくる。それを見て、俺もリーゼを受け止めようと前足を伸ばすがリーゼは俺をすり抜けそのまま廊下に出てしまい勢いあまって前のめりになってしまう。
「あれ?」
リーゼは何が起こったのかわからないと首をひねり、再び俺に向かって突進を試みるが、またもすり抜ける。
「あれれ? さわれない」
俺に触れないことが分かったのかリーゼはしょんぼりと俯いてしまった。忘れていたが俺は今精霊だ。実体化のできない下級精霊には触れることができないのだ。今の俺は雷としての実体化しかできない。それも普通の下級ではできないはずだ。
「リーゼ。私にも紹介してくれるかしら? そのキツネさんが貴方の精霊なの?」
リーゼに声を掛けたのはリーゼ父の右隣りに座る女性。年齢は三十前後だろうか。いやもっとか? おそらくリーゼ母だろう。この部屋にいる人がリーゼの家族だけだとすればだが。
「はい。おかあさま」
そう言ってリーゼは俺を抱えて母の下に行こうとするが相変わらずリーゼの腕は俺を素通りする。そして、しょんぼりするリーゼ。俺は精一杯早く動きリーゼの頭に乗った。リーゼや人間の方からは触れないが精霊側からは触れるのだ。といっても、リーゼが俺の重さを感じることもなければ、俺が頭に乗っている感触があるわけではないのだが。
「あっ!」
リーゼは俺が頭に乗ったのを見て驚き、笑って母のへと駆けだした。それを見ながらリーゼ母が微笑む。
「ええっとね。コンコン! わたくしのせいれいのコンコン!」
「コンコン? それが名前なの?」
「うん!」
「そう。それはずいぶんとかわいい名前ね」
リーゼ母は自らの娘の話を楽しそうに聞いている。うん。俺の名前は確かにかわいいがもうちょっと他のはなかったのだろうか。未だに俺は嘆いていた。そんな俺に声を掛ける存在がいた。
『そこの弱小精霊!』
俺に掛けられた声だとは気づかなかった俺はそれを聞き逃していた。それほどに俺の嘆きは深いのだ。
『聞こえているの? そこの精霊!』
『ちょっと!』
『え? 本当に聞こえてないの?』
何度か続く高い声色にようやく気付いた俺が顔を上げるのと同時に声の主が行動を起こした。
『いい加減っ! 気づきなさーい!』
もふ。
頭を上げた俺の額に見事なドロップキックが炸裂した。
『きゅ』
俺の声からよくわからない声が聞こえて俺はリーゼの頭から落ちる。そして、床に頭から落ちた俺は目を回すことになったのだった。
これが俺の異世界精霊生活の一日目であった。
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