プロローグ3
「何かってなんだよ?」
紅葉(あかね)の質問の真意を理解できない汰空斗(たくと)は不機嫌そうに顔を歪めた。
「前はもっとさ、楽しかったんだよ。みんなでみんなのやりたいことして回ってさ。今日だってみんなで紫草蕾(しぐれ)のやりたいことのためにここまで来たでしょ? そして、頑張って支え合って一緒に戦った。それでうまくいった時は本当に嬉しかったし楽しかった。けどね、ここじゃもう夢が生まれないんだよ。私、もっと楽しみたい。みんなからいいなーって言われるようなそんな人生にしたい。もっと特別になりたいの。もう少しだけ、協力してくれない?」
真剣な眼差しで語られる紅葉の願い。そこには紅葉をよく知っている人なら嫌でも伝わってくるものがあった。
「……はぁ。そもそも、やりたいことを決めるのはお前の、リーダーの仕事だ。参謀の俺はそれを叶えてやるだけ。俺以外全員がやりたいって言うならなんだって、いくらだって叶えてやるよ」
汰空斗の視線が紅葉から逸れることはない。きっとその何かに答えたいと思ったのだろう。
「へぇ。なんかかっこいいじゃん」
「う、うるせ」
ニヤニヤしながら茶化す彩葉(いろは)に汰空斗の顔が赤くなった。
「そういうわけだ。猫。挑戦を受ける」
「そうこにゃくては面白くにゃい」
「で、お前の話から察するに、お前が銜えてる手紙を奪い取れば別の世界とやらに連れて行ってくれる。そういうことでいいんだよな?」
「ああ。ここよりもずっと果てしにゃく広大でスリリングかつ刺激的。夢においては事欠かにゃい、そんにゃ世界に招待しよう」
「言ったな? つまりうちのリーダーの一生じゃ足りないくらいの世界ってことか」
「うん。最高! そうこなくっちゃ。全力で遊ばせて貰うよ」
ぶるんぶるんと片腕を回す紅葉はやる気満々のようだ。
「気がはやい奴らじゃ。そもそも、にゃんの能力も持たないお主らがワシを捕まえられるのかにゃ?」
「ヘッ! そりゃあこっちのセリフだな。猫やろう。俺らをそこらへんの一般人と一緒にするんじゃねぇよ」
指の骨を鳴らしながら威圧する鉄(てつ)。
「うむ。それでこそやりがいがあると言えよう。にゃらば、ワシを捕まえてみろ!」
不意に黒猫が走り出す。鉄をからかうかのように股の下を通って。
「ちょ、おい! あの猫せっこいなぁ」
遠ざかっていく黒猫を見つめながら鉄が愚痴を溢す。
「いいじゃん。すぐ終わるよりは面白いし」
口より先に体が動いた彩葉。そのあとすぐに走り出す紅葉、姫燐(きりん)、紫草蕾に汰空斗。
「まぁ、確かにそうかもな」
笑いながら納得した鉄も遅れて走り出すのだった。
持久力はないものの本気で走れば人類最速をもってしても追いつけない猫相手に、距離は伸びる一方だ。
「おーい。汰空斗、このままじゃ見失っちゃうよ?」
「んなことはわかってる。それより出番だ紅葉。あと、鉄も。鉄は道の右寄りに紅葉を投げ飛ばしてくれ。猫を通り過ぎれば飛ばし過ぎても構わない」
「おう。来い、紅葉」
「やったね。久しぶりに飛んじゃうぞ〜」
走りながら飛び上がった紅葉は鉄の右手の平に片足を乗せ着地する。そのまま体勢を倒していき、地面とほぼ平行になった瞬間、鉄がサッカーボールを投げる要領で腕を振るう。すると、紅葉はすごい勢いで空を切って飛んで行く。
紅葉は汰空斗の指示通り黒猫の真上を飛んでいき、田んぼに落ちない程度に道の右脇に着地した。
「さぁ、一対一だよ。どこからでもかかっておいで」
黒猫の前に立った紅葉は両手両足を広げ黒猫の道を塞いだ。ここで紅葉を振りきれなければ、後ろから迫る汰空斗等に捕まりゲームオーバー。
正真正銘、紅葉と黒猫との一騎打ちだ。
が、黒猫は賢い。逃げ切ることが目的の猫に、正面から紅葉と闘う理由がない。黒猫が取った選択は、紅葉を避け、左に広がる森へと進路を変えることだった。
「あ、あれ? 来てくれないの?」
紅葉は黒猫と一対一で勝負したかったのだろう。遠ざかる黒猫に肩を落としながらも追いかけ始めた。
「おい、汰空斗。森の方へ行っちまったぞ。このままだと見失っちまうだろ」
「問題ない。俺たちが見失っても紫草蕾がいる。とりあえず追いかけるぞ」
各々返事をして森へと入っていく。
地面に枝や葉っぱが散乱した森の中は、猫にとって障害物でしかない。木を駆け上がり枝に飛び乗ると、そこから近くの枝へと拙く飛び移り進んでいく。
汰空斗は道端に落ちている石ころ一つを拾い上げ、紫草蕾に投げる。
「紫草蕾。これで撃ち落としてくれ」
石が放物線を描き、紫草蕾の目の前まで来た時だった。
「それはだめ! 猫が可愛そうだよ」
石は宙に浮いたまま彩葉に叩き落とされてしまう。
「おい! そんなこと言ってる場合かよ?」
「場合じゃなくても僕も反対。動きながら的に当てるのって結構面倒なんだよね。それに相手も動いてるし。だからもう少し楽なのにしてよ。なるべく、僕が働かなくて済むようなやつ」
彩葉がはたき落とさずとも、あの石が紫草蕾に渡ることはなかったようだ。
「お前らなぁ」
今は全員で力を合わせる時なのだがチームメイトの思惑はバラバラ。それぞれ自分の個性を自重することなく発揮しているため、ただでさえ不利な勝負がより一層困難なものになってしまっている。
しかし、それが今まで通りでいつも通り。汰空斗はそれを踏まえた上で状況を打開する手立てを模索し始める。
周りに見える木、葉っぱ、石、土。それらはどんな種類でどんな特徴があるのか。この森の形状、森を進んだ先には何があってそれが戦いにもたらす影響とは。
温度湿度に天気、風向きによって構成される戦場の状態、そこから予測される相手の動きと思惑。チームメイトの性格と特徴。それらすべてを加味して緻密に作戦を編んでゆく。
汰空斗が勝利への筋書きを考えている間にも、黒猫はどんどん先に進んでいく。時間は永遠にあるわけではない。
——これ以上思考に時間を割くわけにはいかない。
「……はぁ。これでいくか。悪いが確率はそんなに高くない」
何か閃いたように顔を上げる汰空斗。
「控えめに言って成功する確率は90パーだ」
「毎回思うけど、それって普通に高いよね?」
「だが10パーセントの確率でミスが生じる。油断はできない」
「大丈夫だよ! まっかせて!」
「ならまず、姫燐。紅葉を木の上にあげてくれ。紅葉なら枝渡りであの猫より早く移動できるはずだ。そして、残りは左から鉄、紫草蕾、彩葉の順で並んで俺の合図から2秒間その場で待機。その後、鉄は一番近くの木を蹴り倒せ。後はその場で察しろ」
気の引き締まるような返事のあとに作戦が始まる。
紅葉の少し前を走っていた姫燐が振り返り、両手で踏み台を作る。紅葉はそれを使い真上の木の枝に飛び乗ると、そこから枝を渡っていく。
今までは汰空斗の指示を待つため、周りに速度を合わせていた。だが、参謀から命令が来た今、全力を出す紅葉は猫よりも遥かに早い。
間も長くなく、ついには黒猫の前に回り込んだ。
「待機!」
汰空斗が叫んだ瞬間、一瞬のズレさえなく綺麗に立ち止まった鉄、紫草蕾、彩葉。
鉄は立ち止まってすぐにカウントを開始する。
「1」
紅葉に気がつき一瞬立ち止まった黒猫は、また紅葉を避けて方向転換。後ろの木に向かって飛んだ。
「2。行くぞ! ゴラァ!」
鉄はちょうど猫が飛び移ろうとした木が真横にある位置で止まっている。そこから、思いきり木に蹴りを入れる。
電柱くらいの太さがある木だったが、中身は大して丈夫ではないようだ。鉄の蹴りで完全に折れ、バキバキと音を立てながら倒れ始めた。
黒猫が飛び移ろうとしていた枝が遠ざかっていく。空中で行き場をなくし落ちてくる黒猫に、もはや成す術は無い。
「なるほど、こういうことか。確かにこれは、僕の要求通り楽な仕事だね」
紫草蕾は自然の摂理に則り落ちてくる猫を捕まえようと手を伸ばす。ただ、そこで終わる黒猫ではなかった。
猫はその手を掻い潜ると紫草蕾の顔面を踏みつけ再度木に登ろうと飛び上がる。
——その瞬間を彩葉が逃すことはなかった。
黒猫は彩葉の手から逃れようと紫草蕾の顔面の上でジタバタともがきだすが、それで逃げられるはずもない。
結局は紫草蕾の顔に幾度となく爪を立てただけで捕まってしまった。
顔に幾つもの引っかき傷ができた紫草蕾は言葉にならないうめき声をあげながら倒れる。そんな悲惨な状況をよそに、汰空斗は黒猫から手紙を奪い取った。
「ふぅ。なんとかうまくいったなぁ」
「おい、汰空斗。話が違うじゃないか!」
紫草蕾は起き上がると、らしくない口調で抗議する。
「ん? 何がだ?」
汰空斗はどこまで分かっていたのかは定かではないが、白々しく返す様子からは悪意が感じられる。
「なんで僕だけがこんな怪我を負わないといけない」
紫草蕾の顔に出来た無数の痛々しい赤い線が、その悲惨さを物語っていた。
「何言ってやがる。捕まえられなかったお前が悪い」
「そこまでわかってないと僕の隣に彩葉を置かないと思うんだけど?」
「ま、まぁ何はともあれこれで解決だ。さ、中身を読もうぜ」
「おい、話を逸らすな!」
「えっとなになに……」
全力でシュプレヒコールを上げる紫草蕾を完全に無視して汰空斗は手紙の封を切った。
中身を取り出し手紙の内容を読み上げる。
「これを読んでいるということは誘いを受けてくれるということだな。ならば連れて行ってやろう。完全無欠の異世界、サラハイトへと。ってなんだこりゃ? やっぱり何も起きないだろ」
汰空斗は全く感情を込めないで読み終えると、つまらなそうにくしゃくしゃに丸めた。
「まぁでも、ちょっとは楽しめたかなー。それにこの猫も可愛いし。私は満足だよ?」
大きく肩を落とす汰空斗の横で彩葉が黒猫を撫でて喜んでいる。
そんな時、突然手紙が白い光を放ち出す。
「な、なんだ?」
思わず目を瞑る汰空斗。
汰空斗が次に目を開くとそこは、先ほどまでいた場所(せかい)とは全く異なる、見たことがない空間だった。
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