プロローグ2


 時間が戻るは、たった1時間前。


 「ねぇ。汰空斗(たくと)〜。ひまだよー。なんかおもしろいこと考えてよー」


 周りを見れば田んぼと畑と森しかない北海道のど田舎を、夕日を背に歩いていた六人。

 六人の先頭を後ろ向きで歩いている紅葉(あかね)はとても退屈そうだ。


 「知るかよ。だいたい、それは俺の仕事じゃない。いつも通りお前が提案しろよ。なんかやりたいことないのか?」

 「えー。だって。もうやりたいことはやり尽くしちゃったよ。諸々の武道は極めたし、たいていの競技でオリンピックも優勝したでしょ? 新しく見つけた臓器に名前もつけたしー、ノーベル賞も全部貰ったしー、飲食店も作り上げたちゃったし。あと武道館ライブも映画出演も声優デビューもボランティアも戦争見学もゲーム作りも全部全部本当にぜーんぶやっちゃったし」


 これまでの功績を指折り数えた紅葉は、言い終えると少しだけ切ない顔つきになった。


 「あ、でも、他にやりたいことって言ったらやっぱり、恋愛かなー」


 数秒後には先ほどまでの湿っぽさなど、どこ吹く風。明るいいつもの紅葉に戻っていた。


 「あるんだったら、すればいいだろ」

 「無理だよ。だって身近にそんな人いないじゃん。私、汰空斗みたいな頭のいい人苦手だし」

 「よく言うぜ。いっつも並んで歩いてるくせによ」

 「なに鉄(てつ)、もしかして焼いてんの?」

 「勝手にぬかしてろ」


 彩葉(いろは)がにやけながら茶化すが鉄は至って冷静なまま手を振って返した。


 「なーんだ。つまんない。なんか面白いことないかなー」


 それもそれで面白いと思っていた紅葉は期待外れの結果に気を落としたようだ。振り返りわざと両手両足を大げさに振って、つまらなそうに歩く姿は子供っぽい。

 そんな紅葉の前、と言うよりは六人の前に一匹の黒猫が通りががる。何の変哲も無い黒猫だ。ただ、手紙を口に咥えて、こちらの道を塞ぐように座り込んだことを除けば。


 「ん? なんだこの猫? 喧嘩売ってんのか?」

 「ちょっと黙って、鉄。てか邪魔」


 猫を見た途端、目の輝きを変えた彩葉は鉄を突き飛ばし、黒猫に近づいて行く。

 傍で田んぼに落ちそうになる鉄の手を汰空斗が取り、九死に一生を得るのだった。


 「なにこの猫。手紙銜えて超可愛いんですけど!」


 鉄を突き飛ばしたことなどお構いなく、彩葉は手紙銜えたまま耳を搔く黒猫にぞっこんの様子。


 「可愛いんですけどじゃねえよ! 危うく田んぼに落ちるところだっただろうが!」

 「鉄、うるさい。次口挟むと本気で突き落とすよ」


 彩葉が鋭い目つきで睨むと、鉄はしぶしぶ黙り込むしか出来ない。


 「ねぇ、汰空斗。この猫、手紙を銜えて私達の前で止まってるってことは、この手紙は私たち宛ってことで良いのかな?」


 彩葉の隣にしゃがんで猫を愛でていた紅葉は、その姿勢のまま首だけ振り返る。


 「さぁな。そもそも、俺はどう教育したら猫が手紙を配達するようになるのかが気になる」

 「汰空斗、なんかつまんない。夢がないよ」

 「悪かったな」


 汰空斗は顎に手を当てまじめに考えだすものだから、そんなことどうでもいい紅葉は退屈そうだ。


 「ねぇ、姫燐(きりん)。姫燐は猫、好きじゃないのかい?」


 紫草蕾には、猫に熱い視線を送る姫燐が普段の凛々しい佇まいとは違って、少女チックに見えていた。ところが、歩み寄ろうとせず眺めるだけの彼女に疑問が湧いたのだ。


 「べ、別に特別好きというわけではない」

 「え? そうなの? でもこの前の大雨の日、捨て猫に傘をあげて帰ってなかった?」

 「い、彩葉! お、お前……見ていたのか!?」


 姫燐は羞恥心で耳の先まで赤く染まっていた。


 「姫燐、お前意外と優しいんだな」


 鉄は普段見せない姫燐の一面を知り素直に関心していたのだが、褒められたことで余計恥じらいを感じた姫燐は、無言で鉄の顔面に拳を叩き込む。

 手加減を知らない拳は、体を鍛えている鉄でさえうめき声をあげながら倒れるほど強力なものだった。


 「お前ら、はよ手紙を取らんか」


 突然、どこからものなく関西弁が飛んで来たのは、それとほぼ同時。


 「だ、誰だ? 今の声」

 「ワシじゃ」


 汰空斗の問いに答えたその声は、どこか年老いた男性の声に似ている。

 出どころ知れずの声に驚きながらも辺りを見渡す一同。色々と辺りを見回したが、最終的に全員の視線が一点に集まる。

 ———手紙を咥えた黒猫に。


 「い、今、喋った? よ、ね?」

 「いや。いやいやいやいや、そんなことありえない。どうせ、どっかにマイクでもついてるんだろ。手紙の差出人の仕業に決まってる」


 驚きの声を上げる彩葉の傍、焦りつつも冷静な判断で語る汰空斗に紅葉の表情がまた、渋く歪む。


 「マイク? そんにゃもんは知らんがワシからお前らに伝えることは一つ。ワシから手紙を奪って見せよ」

 「あ、くれるわけじゃないんだね」

 「今はよ取らんかとか言ってたのにな」


 紫草蕾と鉄は黒猫を見下しながら冷静に上げ足をとる。


 「っんもう。紫草蕾も鉄も夢がないよ。と言うより男子3人全員。それじゃあつまんない! この猫は私たちに挑戦しに来てくれたんだよ?! 嬉しくないの?」


 それに異議を申し立てしたのは黒猫ではなく紅葉だった。男性からすれば小柄な彼女だが、それなりに身振り手振りを交えながら熱く説いた。

 だが、


 「別に」

 「だね」

 「だよな。だって猫だし」


 順に汰空斗、紫草蕾、鉄。彼ら3人に紅葉の熱意が伝わることはなかった。


 「お主ら、二度もワシを馬鹿にするか。手加減してやるつもりだったがもう許さん。ぎゃふんと言わせてやる!」

 「お、猫のくせに俺とやり合おうってのか?」

 「待て、鉄。やるメリットがない。構うだけ無駄だ。帰るぞ」


 汰空斗は道の脇に逸れて猫を迂回するつもりだった。しかし、その前に紅葉と姫燐、彩葉が立ち塞がった。


 「邪魔だ。避けろ」

 「やだ! たとえ、相手が誰であろうと、損しかしなくても、売られた喧嘩は無視できない!」

 「紅葉の言う通りだ」

 「それに、汰空斗さ。よーく考えてごらん? もし、本当にしゃべる猫だったら、ここで逃すのはすっごく惜しいよ?」

 「あのなぁ……」


 呆れて溜息を零した汰空斗は面倒くさ気に口を開く。


 「まず、俺が考える誰、に猫は含まれない。それと、彩葉。本当にしゃべる猫は実在しない。故に喧嘩を買う必要はない。暇している方が断然マシだ」


 そう結論を下しその場を後にしようとする汰空斗だが、3人は相変わらず避けるつもりはないようだ。

 睨み合ったまま一歩として譲ろうとしない両者。


 「やはり、お主ら暇しておるにゃ?」


 張り詰めた空気の中に堂々とやってきた黒猫は、両者のちょうど中間に座り込んで汰空斗を見上げた。


 「ああ。暇も暇。超暇だ。なんせこの世界じゃ大抵の事はやったからな」

 「にゃら、汰空斗よ。別の世界に興味はあるか?」

 「は? 別の世界? そんなのあるわ——」

 「——別の世界! 何それ!? ここじゃない世界があるの!?」


 くだらない。そう言いかけた汰空斗は手を振りながら否定しようとするも、先に紅葉が食いついた。

 別の世界と言う単語は、紅葉の興味を引くには十分すぎる言葉だったようだ。


 「何馬鹿なこと言ってんだよ。んなところに行けるわけないだろ」


 この世のどこかに生命で満ちたほかの惑星があったとしても、今、現在発見されていないわけで、もし仮に発見したところですぐに行けるわけもない。どう考えてもこの場合正しいのは汰空斗で間違いないだろう。

 そうであるはずだった。


 「異世界か……いいな。なぁ、汰空斗。なんか面白そうじゃねぇか? こんな気分久々だぜ」

 「お前ら、本気であると思ってるのか? そんな根拠どこにあるんだよ?」

 「僕は根拠なんてなくても、期待するくらいはいいと思うな」


 割とあっさり紅葉に賛成してしまった鉄と紫草蕾。

 彼らは異世界があるのか、否か全く考えていない。ただ、行きたい。それだけで十分だと。そう言っているのだろう。


 「うん。私も紫草蕾に賛成」

 「紅葉が言うんだ。私ももとより異論はない」


 彼らだけではない。彩葉と姫燐も同じ発想に至り、賛同の声を上げる。

 いつしか汰空斗以外全員が汰空斗の前に立ち立ち塞がっていた。


 「は? お前らなぁ」


 そんな不合理な面々に心底呆れ、ため息を零す。


 「ねぇ、汰空斗。何か、忘れてない?」


 静まり返る場の中で、紅葉は一人切なさに駆られていた。

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