転生のすすめ

マオ

第1話 目覚めの時


ぼんやりと窓の外を眺めると、もう夕暮れ時だった。

赤く滲んだ空が美しい。

この場所から外を見ると地面より空のほうが近いような気さえする。


ここは俺のマンションだ。

どうしてもこのマンションが欲しくてたまらず、ちょっと無理して購入した。

なぜここのマンションに拘ったのか、特に理由はない。

ただなんとなく、ここが欲しかった。


「…あー、うまい。」


先日買ったオレンジワインを口に含む。

果物のほろ苦さが抜け、最後にふわりと甘みが広がる。

これはクセになりそうだ。


なにかこれに合うつまみはないだろうか。

まぁ、無難にチーズでもいいか。

そう思い一度は窓から目を離した。

しかしすぐに目をそちらへ向けることとなった。

なぜなら、先ほどまで赤く染まっていた窓の外が、白く輝いていたからだ。

目を向けるとその光はより一層強まった。

何が起きているのか、それを考えると同時に、あまりの光量に思わず目を閉じた。

そして次に目を開けると、そこは草原だった。


「ここは…。」


地平線までただ草原が広がっている。

ビルも駅も車も、お気に入りのソファも、さっきまで飲んでいたワインもない。

そしてもうひとつ、見上げても青空はなかった。

真っ白な何かが広がっている。

曇っているというわけでもない。

ただ、白いなにかが広がっている。

太陽も見えないが、それでもじゅうぶんの明るさがある。


「ようこそ。天国へ。」


不意に声がし、振り向くとそこには人間が立っていた。

穏やかな表情の男ではあるが、頬がやつれている。

白い装束から覗く手首も細い。


「天国?もしかして俺は死んだの?」


今の状況からして夢かもしれない、と考えたがその考えはやめた。

夢なら夢で構わないが、もし現実だったとしたら。

こんな意味不明な状況でも、なぜかわくわくしてしまう。

俺の問いかけが予想外だったのか、男は大きく目を見開いてから笑った。


「もっと疑ってかかるものじゃないのかな、こういう時には。でも話が早くて助かるなぁ。さすがは僕が認めた人間、夏目なつめ けいさんだ。」


夏目圭、とは俺の名前だ。間違いない。

どうやら何かの間違いで俺がここにいるのではなく、敢えて俺がここに呼ばれたようだ。


「俺を認めた…?なぁ、よくわからないんだ。いろいろ説明してくれないか?」


そう返したとき、ふわりと風が吹いた。

優しい風だ。

草原が小さくざわめき、草の匂いが運ばれてくる。


「僕はこの天国を治めている、所謂神様という存在だ。気軽にシン、とでも呼んでくれていい。そんな神様である僕が君を呼んだのは他でもない、ここで頼みたいことがあるからだ。」


シン、と名乗った男は穏やかに笑う。

しかしその笑顔にはやはり疲れが見て取れた。

天国を治めているんだ、当たり前かもしれない。

俺は口を挟まず、小さく頷いた。


「頼みたい内容の前に、天国について説明しよう。天国には僕と僕の部下、天使がいる。さらに、君たちの住む世界で死んだ魂がいる。ここまではいいね?」


「うん、なんとなくわかる。」


神様や天使、死者の魂なんかは事実かどうかは別としてよく聞く話だ。

相槌を打つと、シンは満足そうに笑う。


「さらに、ここにはもうひとつの魂がある。それは物語の登場人物の魂だ。例えば白雪姫や赤ずきん…ああいう、たくさんの人に語られ、愛された作品の登場人物は魂を持つ。そしてこの天国で生活しているんだ。」


物語の登場人物、と聞いてもあまりピンとは来なかった。

しかし、詳しい作品を聞いて理解する。

童話や小説、アニメの世界のキャラクターが存在するということか?

それを知ったら一部の人たちがこぞって天国に来たがりそうだな。


「つまりこの天国には、莫大な魂がいる。その結果、ここの人口は大変な数になってしまったんだ。」


今も毎秒ごとに何人もが死んでいるだろう。

その人たちの魂だけでもきっとすごい数なのに、更に作品のキャラクターまで天国にいるとなると。

確かに、具体的な数はわからないがすごいことになりそうだ。


「だから僕は、転生というシステムを導入した。転生は人々の魂から記憶を消して君たちの住む世界へ戻すことをいう。こうすることで天国の人口は減ってきている。」


なるほど、転生か。

ゲームでも転生というシステムがあるし、なんとなくわかる。

それでも、天国に来る魂を転生する魂が上回るというのはきっと大変なことなのだろう。


「大半の魂は生きていた頃に未練や楽しかった思い出があるから、拒否なく転生してくくれるんだけどね。なかには強く転生を拒否する魂もいる。転生は魂の賛同が必要だから、それだと困ってしまうんだ。そこで、君に魂の説得をお願いしたい。」


「俺が、説得?」


俺は適応力には自信があるが、語彙力もなければ心理学を勉強しているわけでもない。

いま、天国が大変なことも、説得が確かに必要なことも分かるけど、自分が選ばれた理由が分からない。


「君は世界を楽しんでいた。その楽しかった世界を、みんなに見せてあげて欲しい。それだけでいいんだ。」


確かに、俺は生きることが楽しかった。

知らないことを知ることも、おいしいものを食べることも、何かを作ることも、誰かと話をすることも。

そんなことを伝えることが、誰かのためになるのならば。

それはそれで充分すぎるほどに楽しそうだ。


「…俺に完全な仕事ができるかは分からないよ。でも、頑張りたいって、俺は思ってる。」


そう答えると、シンは安心したように笑う。

肩から力が抜けたのが目に見えてわかった。


「ありがとう。君には小さなサポート役を預けよう。それから、お礼を必ず。僕のできるものならなんでも準備するよ。よく考えておいて欲しい。」


サポート役ってなんなのか、具体的にはどうしたらいいのか、それを聞こうとしたとき、また視界が真っ白な光で包まれる。

不思議と不安はない。

俺はおとなしく、ゆっくりと目を閉じた。


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