第14話 全長135mのヨット

 地中海は青い。いつもそうだ。

 ロンバタックスのあたりでは、生活排水のせいでそれなりに海は汚れている。だが大都会から遠くはなれたロンバルドの海岸沿いは、いまだに美しく透明な海水が海岸に並んだ島々の間が満たしていた。


 その島々の間に巨大な白い塊が浮かんでいる。

 全長135メートル、リド家が所有するメガヨット「アテナ」だった。

 これだけの巨大なヨットを建造できる造船所は限られていて、このアテナもドイツ、ハンブルグにあるヘッセンクルップの客船用ドックで建造された。クルーズ客船の建造ラッシュの今、ドックを確保したので、それだけでこのヨットの建造費は3割がた高くなってしまった。

 もっとも、その程度の費用の増加でヨット建造をためらうリド家では無いのだが。

 この135メートルの巨大なヨットの船客定員はわずかに32人しかない。船客は2隻積んでいるテンダーか、2か所あるヘリポートから船に乗り込む。

 船客のための、すべてのキャビンがスィートルーム仕様となっていることは言うまでもない。

 そして5つあってその1つはインドアになっているプールや、3デッキをぶち抜いたサロンや、ヨットとしては初めて装備されている船上テニスコートなどを使って、リラックスした地中海バカンスを楽しむのである。


 その定員を今日は4人しか満たしていない。

 怜子と、マライカ、フェアリー、そしてベアトリーチェである。エルベルトは仕事で急な来客が出来たとのことで、まだ来ていない。

 リド家は、週末のバカンスを過ごすため、この日は巨大なアテナを係留している港から出して、この地中海の島かげに停泊させたのである。

 フェアリーははしゃいでいた。もともと海が好きなのだ。

 マライカはまるでつぶれた風船のように広大なデッキのプールサイドに横たわっている。脇には冷えたワインが置かれている。

 そして怜子は携帯タブレットを一心に見ていた。ライブニュースをやっていたのだ。もっとも耳にはイヤホンが挟まっていて、オペラを聞きながらであるが。

 3姉妹それぞれらしい週末の過ごし方だった。


「何見てるの。怜子。」


 つぶれた風船に空気が入ったように、マライカは起き上がった。怜子は耳からイヤホンを外した。


「ニュースよ。政治関係の。」


「興味ない…。」


 そのまま風船はまた潰れた。


「よくこんな天気がよくて、景色のいい海でニュースなんか見る気になるよね。何のニュース。」


「政治よ。『ロンバルト愛国者党』が支持率を伸ばしてるって。」


「そりゃ、支持されるでしょ。愛国者なんだから。」


 怜子は少し笑った。

 マライカは自分の国の政治にすら興味が無いのである。


「そうじゃなくて、ロンバルド愛国者党は政党の名前よ。極右政党。ロンバルド人のためのロンバルドを主張していて、外国人の排斥を訴えてる。 

 そしてパラッツォの会社を目の敵にしている。」


 マライカは顔をあげた。


「どうしてウチが目の敵にされるの。エルベルトも怜子もロンバルドのために尽くしてるじゃない。税金だってすごく納めてるのを知ってるよ。」


「そうよね。…どうしてかしら。」


 怜子は立ち上がって、またイヤホンを耳に挟みながらデッキの手すりにもたれかかった。

 地中海の青さは、首都で展開されている政治の激しさを全く映そうとせず、静かな安らぎをこのアテナの甲板にもたらしている。


「ベアトリーチェを見なかった。」


「ここに来た時から見てない。

 でもそれは当然よ。この船、ビルみたいに大きいんだもの。兄さんも見栄をはってこんなバカでかいヨットにしなければよかったのに。」


 怜子はテーブルの上の船内通信用端末を取り上げて、ベアトリーチェの番号を押した。数回のコールの後、ベアトリーチェの声がした。


「今、どこにいるの。」


「あなたたちの下よ。シーサイドレベルのデッキ。」


 怜子はデッキ後方の手すりに近づいた。

 そこから3層下のデッキに人影があった。

 金色の髪が明るい太陽に輝いていた。ベアトリーチェだった。

 怜子は息を飲んだ。ベアトリーチェの姿にである。彼女はビキニを着ていた。


「ベアトリーチェ、大丈夫。」


 ベアトリーチェがビキニを着ているのは記憶にない。多少肌の露出が多くても、いつもワンピースの水着だったのだ。


「大丈夫って…、私だってたまにはビキニくらい着るわよ。」


 いつの間にかフェアリーが横にいた。フェアリーは子供用のビキニを着ていた。


「お姉さま、ビキニになってる!」


 それにはかまわず怜子は続けた。


「このあたりにはパパラッチもいるはずよ。撮られてしまうわよ。」


「そう…」


 しばらくベアトリーチェは黙った。


「ならこのビキニブラを外すわ。それでパパラッチも喜ぶわよね。」


 そして手を後ろに回しているのが見えた。

 怜子は息を飲んだ。


「どうしたの。ベアトリーチェが発狂?」


 マライカも側に寄って来た。そしてビキニブラに手をかけているベアトリーチェを見て、息を飲んだ。

 何も言わず3姉妹はそのまま並んでベアトリーチェを見つめていた。

 その手は後ろに回って、今にもブラを外しそうに見える。しばらくそうしていたがベアトリーチェは手を下ろした。

 ビキニはそのままだった。


「ベアトリーチェ…」


 そんな彼女を見たのは初めてだった。

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