第15話 再会

 荻窪駅で降りる与一の後ろを由梨がつけていく。

由梨にとって幸いなことに今日の与一は徒歩だった。

買い物がある時などは原付を駐輪場に停めておくこともある。

南口から徒歩で十分もかからない内に与一は大きなマンションへと入っていった。


(ここが芹沢君の家か)


玄関はオートロックになっているので入ることはできなかったが、チェックしていた郵便受けから与一の部屋が701号室であることは分かった。

由梨の脳裏に鞄の中にある与一に宛てた手紙のことが浮かんできた。

卒業式の前日までに何度も書き直した便せん三枚分の由梨の気持ちだ。

あれから半年が過ぎているが与一に対する気持ちにはいささかの変化も起きていない。

むしろ思いは深まるばかりだ。

このまま手紙を目の前の郵便受けに投函するかどうか、それが問題だった。




 帰宅した与一は冷蔵庫から麦茶のポットを取り出すと直ぐにゲートをくぐった。


「ただいま。新しいシャベルを買ってきたよ」

「おかえり。これで作業効率が上がるね」


相変わらずの格好でルーチェが与一を出迎えた。

今日は陸軍の兵士が着るようなオリーブグリーンのTシャツ姿だ。

スマートフォンで記念撮影をしたくなる衝動を与一はぐっと堪えた。


 小屋の建築は進み、既に屋根が出来ていた。

茅葺かやぶきのように丈の長い草がびっしりと屋根板代わりに乗せられている。

ルーチェの話では雨漏りがするようなことはないそうだ。

屋根が作る日陰に入るとびっくりするくらいに涼しい。


「ルーチェ、冷たい麦茶を持ってきたから飲んだら」

「うん。この場所だけ終わらせてから……」


釘を叩く金づちの音が響きだす。

ルーチェはベッドフレームを作成中だった。

マットを引く部分の板はカジンザが提供してくれた。

道具の少ないこの場所で板づくりは大変なのだが、見返りはビールを二本貰えばいいそうだ。


「ふぅ」


釘を打つ音が止みルーチェがやってきた。

ハンマーで自分の肩を叩く姿が若干おやじ臭いのだが、ワイルドな美人がやるとそれなりに絵になる。


「終わったの」

「ううん。釘がなくなっちゃった」


釘はカジンザが提供してくれたものだ。

本当はビスと電動ドライバーがあれば作業が楽なのだろうが、インパクトドライバーはけっこう値が張るのだ。


「やっぱりインパクトドライバーは買っておこうかな」

「前も言ってたけど、そんなに便利なの?」

「うん。多分だけど作業時間が大幅に軽減されると思うんだ」

「ふーん」


ルーチェには今一つ想像がつかないしろ物だ。

インパクトドライバーというのは魔法の力でネジを回す道具だということは理解している。

だがルーチェもこれまでいくつかの魔道具を見たことはあったが、ネジを回すための魔道具は未だにお目にかかったことはない。

ネジ自体は締結道具として馬車などの組み立てに使われることは知っているが、人の手がねじ回しで締めるというのが常識だ。


「とりあえず釘だけでも買ってくるよ」

「うん。いつも迷惑ばかりかけてごめんね……」


ルーチェは済まなさそうに項垂れる。

道具や資材は与一がすべて金を出していた。


「気にしなくてもいいよ。小屋が出来てきて俺も楽しいんだからさ」


 ゲートの向こう側に消える与一を見送って、ルーチェはタオルで汗を拭った。

与一にこれ以上の負担をかけないためにも自分は早く地上に戻るべきなのかもしれないとルーチェは感じていた。


(せめてもの置き土産に、この小屋だけは作り上げていきたいな)


ルーチェはそっと柱を撫でてみる。

与一がこちら側に寝るときでも、この小屋があればずっと快適に過ごせるだろう。

今日の見回りでは初めてドングリが地上に落ちているのを見つけた。

まだまだ暑い日が続いていたがカバリア迷宮にも確実に秋が迫っていた。




 与一のマンションの前で逡巡しゅんじゅんすること三十分。

塚本由梨はまだ手紙を投函するかしないかで悩んでいた。

こんな一方的な感情を吐露とろしたような手紙を送られても芹沢君だって迷惑だろう、というのが躊躇う理由だ。

だが一方でこのまま自分の気持を伝えずに人生を先に進めていいのかという迷いもある。

せめてあの時、自分を庇ってくれたお礼だけは手紙にしてもいいのではないかという折衷案が由梨の中に浮かび上がってきた。


(とりあえずこの手紙を出すのは止めて、あの時のお礼だけを手紙に書いてみよう)


ようやくそう決めて、由梨は逃げるようにマンションから離れた。

駅に向かってしばらく歩いていると後ろからバイクのエンジン音が響き、由梨は振り返った。

一台の原付バイクが由梨を追い越していく。

だが、そのバイクは由梨の向こう側、十五メートルほどで急停車した。


 ヘルメットを脱ぐ前に、その立ち姿から由梨にはバイクを運転していたのが誰だか分かった。


「もしかして塚本さん?」

(覚えていてくれたんだ……)


半年前に卒業した高校の同級生を忘れる程、与一は健忘症ではない。

だけど由梨にとって与一に声をかけられたことは涙を流してしまいそうなほどに嬉しいことだった。

灰色がかった夕暮れ時の住宅街に色彩が溢れ出していた。

由梨に見えている世界が与一を中心に色づいていく。


「芹沢君」


枯れそうになる喉で由梨は何とか声を絞り出す。


「久しぶりだね。塚本さんの家ってこの辺だったっけ?」

「ううん。豊島区の方。 今日はちょっと用事があって……」


さすがに与一をつけてここまでやってきたとは言えない。


「そうだったんだ。俺んちはすぐそこなんだ。今から帰るの?」


由梨は駅に向かって歩いていた。


「うん」

「駅まで一緒に行っていいかな? バイクを置いてくるから、ちょっと待っててね」


 与一にとってこれが塚本由梨以外の同級生だったら無視をして釘を買いに行ったことだろう。

だが与一は由梨に負い目があった。

高校時代、与一は由梨と普通に接していたが、ただそれだけのことだった。

もっと優しくできたのではないか。

気が付けば塚本さんはいつも自分を見ていた。

あれは助けてほしいという気持ちの表れだったのではないか。

それに対して自分は彼女にもっと優しくできたはずだ。

そのような反省が与一にはあった。

別に由梨は与一に助けを求めていたわけではない。

気が付けば目が与一の姿を追っていただけだ。

だけどその思いに与一は気がついてはいなかった。


 由梨は何も考えられなくなっていた。

その場で放心し、突っ立ったまま与一を待つ。


「お待たせ。行こうか」

「うん。あそこのマンションが芹沢君の家?」

「そそ。702号室ね」


それを聞いて由梨はドキリとする。

てっきり701号室の郵便受けをチェックしていると勘違いしていたのだ。

手紙を投函しなくて良かったと由梨は心底思った。

この手紙を与一以外の他者に見られたらと思うと震えがくるほど背筋が冷えた。


「どうしたの? 顔色が悪いみたいだけど」

「そんなことないよ……」


二人はゆっくりと歩き出した。

与一が自分の歩幅に合わせて歩いてくれていることに気が付いて、由梨の胸は再び締め付けられるように痛んだ。

「二人で並んで歩く」という由梨の小さな夢の一つが叶えられた日だった。


「え? じゃあ、大学には行かなかったの」

「うん。第一志望には受からなかったから……」


近況を報告しあい、由梨が浪人していることを知って与一は驚いた。


「第一志望はどこ?」

「W大学」

「うちの学校かぁ」


自分の通う大学が由梨の第一志望と聞いて与一は驚いた。


「私も芹沢君と同じ文学部が志望なの。アメリカ文学とかが好きで……。それに私の家は目白だし、家から通うのも近くていいかなって……」


自分の第一志望を与一に告げて、由梨は顔が真っ赤になるのを感じた。

芹沢君は迷惑に思わないかな? それだけが心配だった。

アメリカ文学が好きというのは本当だが、志望の第一理由ではない。

それに家から近いというのなら現役で合格したG大学の方がよほど近かった。


「塚本さんがアメリカ文学を好きだなんてちっとも知らなかったよ。誰が好きなの?」

「メアリー・マッカーシーとか……」


普段からは考えられない程、今日の由梨は饒舌じょうぜつだった。

いや、はたから見れば由梨は無口なのかもしれない。

だが由梨自身はこんなに人と話すのは中学生の時以来だ。


「今回の模試も手応えはあったんだ。だから今年は――」


ふいに与一がさっきから何も話していないことに由梨は気が付いた。

道は既に駅前商店街に差し掛かっていて通行人は多い。

だが二人を取り巻く空間だけが切り離されたように静かだった。


「芹沢君……」

「塚本さん。……高校の時」

「……」

「力になってあげられなくてごめん」


由梨にはなぜ与一が自分に謝ってくるのかがわからなかった。

クラス中が自分を無視していた中で、唯一自分と向き合ってくれた与一が謝ることなど何もないと思っていたから。


「違う、違うよ芹沢君。芹沢君だけが、私にとって芹沢君だけが……」


手紙では便せん三枚に気持ちを纏められたのだが、いざ言葉にしようとすると支離滅裂になってしまう。

気持ちだけが増殖して、言葉がその輪郭を形作ることに追いつけなくなっていた。


 由梨は一度大きく深呼吸をする。


「私は今ね、すごく幸せだから!」


由梨はこの瞬間の説明をしたのだが、与一は卒業後の由梨の心境として受け取った。

二人の間には小さな誤解が山積していたが、どちらの気持ちも、とりあえずはスッキリしている。

与一と由梨は再び駅への道を歩き始めた。

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