第二十一夜 解放

 一条は緋色の数珠に霊力を込めた。数珠玉の全てが発火し、黒い外套へと姿を変える。


 骸羽織。数珠も刀も燕も、全ては借り物の形。この羽織は、過去に死んだ祭塚家の人間の遺灰を固めて造られている。周囲の死霊や怨念、形のない力を自身のものに変換しながら、変幻自在に形を変えて敵を討つ。一条が長年愛用している呪装だ。


 周囲からは無面が、前方からはチョークの欠片が迫ってくる。


「一条君、あのチョークには気をつけて。触れないように」


 和泉の忠告に頷き、外套を構える。


 正樹が使用するチョークと鋏は初めて目にする呪装だ。気をつけなければならない。


 無面が間合いに入ると、虫を払うように外套を振るう。その瞬間、骸羽織は一気に燃え広がり、まるで巨大な鬼の手のように数メートル先の無面まで焼き払った。


 一条は骸羽織を着て走り出す。さらに外套を形作る黒灰の一部から、黒刀を形成する。


 正面のチョークを警戒し、路地の塀の壁へと跳躍する。


 その壁を蹴り、一気に正樹との間合い詰め、剣を振りかぶる。


 正樹は鋏を構えると、斬り掛かられるよりも先に、その鋏の刃を閉じた。


 その瞬間、一条と骸羽織の結びつきが急激に薄くなった。霊力の供給が滞り、外套も刀もさらさらと形を崩し、元の黒灰に戻ろうとする。それを一条は強引に霊力を流し込むことで止め、崩れかけた刀を正樹に叩き付けた。

 正樹は得物である鋏で、難なく一撃を防ぐ。


 彼の鋏を見て、一条はなにをされたのかを把握した。


 正樹は、一条と骸羽織の縁を切ったのだ。縁は物とも結ばれ、呪術師はその縁を通して呪具に霊力を供給する。その縁を切られたということは、呪具への霊力供給を断たれたようなものだ。直接的な攻撃手段ではないとはいえ、武器を使い辛くされるのは厄介だ。


 だがそれも一時的なもの。一条は強引に骸羽織との縁を繫ぎ直した。外套も刀も綻ぶのを止め、一条の望む形を維持する。その刀を力づくで正樹に押し込んだ。


 鋏では抑え切れなくなり、正樹はたたらを踏む。体勢を崩した彼に刀を叩き込む。


 袈裟切り、手首への一閃、胴への一撃、だがそれを正樹は全て鋏で弾いた。


 今度こそ一条は驚愕した。自分の知る正樹は、白兵戦に関してはずぶの素人の筈だ。呪術で身体能力を強化しているとしても、技量まではどうにもならない筈だ。


 だが斬り結ぶ最中、一条は正樹の首もとや腕の皮膚の下に太い血管のようなものが張り巡らされてるのが見えた。直感であれが原因だと一条は判断した。


 周囲に三体の無面が現れ襲い掛かってくる。一体目の無面を刀で斬り、二体目を右足で蹴り飛ばし、三体目は短刀を投擲して仕留める。無面を仕留め終え、再び正樹に対峙しようとするが、右足に違和感を感じた。見ると、足にはチョークで描かれた一本の線があった。


 蹴り飛ばした無面の指先には、赤いチョークの粉がついていた。


 正樹が鋏で何もない所を斬った。


 その瞬間、一条の右足に刃物で斬られたような傷が生まれ、血飛沫を上げた。


「どうっすか? 俺の縁切り鋏も中々のもんでしょう」


 挟みの持ち手に人差し指を入れ、正樹はくるくると挟みを回した。


 少し、正樹を舐めすぎていたようだ。曼荼羅の援護と正体不明の強化があるとはいえ、ここまで手こずるとは思わなかった。


 正樹の術は、ようするに丑の刻参りを鋏とチョークで再現したものだろう。ただし、丑の刻参りが藁人形に憎い相手の一部を用いて対象を呪うのに対し、この術はチョークに正樹自身の血を素材にすることで同調率を高めている。呪いは対象との繋がりがなければ成立しない。チョークで線を引くのは、呪う相手との繋がりを造るためだ。本来相手の一部がなければ発動しない呪いを、直接相手にチョークの粉を刷り込むことで成立させている。


 元々正樹は縁の扱いに関しては一流の呪術師だ。相手との繋がりを作り、縁切り鋏の呪いで対象を傷つける手法は、ある意味彼の特性を最も活かした戦い方と言えた。


 後輩の成長が嬉しくもあり哀しくもある。彼が鋏を向ける相手が自分ではなく、共通の敵であれば良かったのにと思わずにはいられない。


 再び、周囲を無面たちが囲んだ。多勢で隙を作り、チョークで線を引くつもりだろう。


 一条は日本刀の構えを解き、刃の先端をコンクリートの地面に突き刺した。


「縁以外の呪術はからっきしのお前が良くやる。こんなときでなければ褒めてやりてぇよ」


「今からでも構いませんよ。けどその前に、死ぬかもしれませんけどねぇっ!」


 無面が一斉に襲い掛かった。刀一本では、無面を倒せてもチョークを完全に防ぐのは難しい。


 だから、形のある得物ではなく、純粋な火力で対処する。


 日本刀の先端から、蜘蛛の巣のように黒い灰が広がる。呪術の触媒として利用された灰は、一気に燃え上がり、火柱となって周囲を取り巻く敵対者を焼き払った。


 自然干渉の術は継続したまま、一条は刀から手を離す。炎の壁の向こうにいる正樹を目指して走り出す。火は術者を焼く事はなく、正樹から一条の姿を隠す。


 それを利用し、一気に間合いを詰める。火で眼が眩んだ正樹の不意を突き、一条は縁切り挟みを持つ手に手刀を放つ。衝撃に耐え切れず、正樹は鋏を手放した。さらにがら空きとなった顎に拳を叩き込み、動きが鈍った隙に、後ろから羽交い締めにした。


「くそっ! 離せ!」


「調子に乗り過ぎだ。正面から戦って俺に勝てると思ったか? とっとと眼を覚ませよ。このすっとこどっこい」


 正樹の背中には、背筋を起点にして体中に太い血管のようなものが張り巡らされている。これだけ接近しても霊気を感じない。恐らく、正樹の体内にあるためだろう。


 一条は正樹の首を鷲掴みにし、根を張る物体に、高熱と霊気を同時に流し込んだ。


 正樹は絶叫し、拘束から逃れようと暴れ狂う。だが逃がさない。大事な後輩を狂わせた原因だ。根こそぎ排除する。


 熱と攻性の霊気に耐えられなくなり、脊髄に寄生していた何かが脈を打つ。脈動は次第に大きくなり、徐々に泡立つように正樹の背中のなかで蠢き出す。


 断末魔のような正樹の叫びとともに、遂にそれは現れた。


 正樹の背中を食い破り、動物の神経をそのまま極太にしたような生き物が出てきたのだ。


 神経の怪物のようなそれは、幾本もの血に濡れた触手を伸ばし、一条の腕に絡み付いた。


「クソっ。気色の悪い。こんなもん飼わされてたのかよ」


 絡み付いた触手を掴み、そのまま正樹の体から引き抜こうとする。だが、触手を強く引いた瞬間、正樹が痛みに悶えるのを見て止めた。触手は脊髄を中心に、正樹の体に張り巡らされている。無理矢理剥ぎ取れば、どんな副作用があるかわからない。


「誘、こいつの生命力を奪え! 行動を封じるんだ!」


「待ってましたぁっ! ようやくわたしの出番ですね!」


 藤蔓の副作用から回復し、誘は右腕から花咲くように赤い蝶を生み出した。


 何羽もの蝶は鳥のような速さで飛翔し、正樹の体に止まった。その瞬間、蝶が生命力と霊気を略奪する。正樹は叫

ぶのを止め、触手も枯れた草花のようにその身を曲げて抵抗を止めた。


 というこの蝶は、誘の血から造られた簡易的な屍鬼だ。僅かな生命力で活動する紅揚羽はこうして対象の生命力と霊気を略奪することで、活動を継続する。


 単純ではあるが、相手を傷つけないよう倒すには有用な式神だ。


 やがて正樹は意識を失い、それに伴い、彼に寄生した触手も動きを止めた。

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