第十九夜 明乃 -後編-

 喫茶店を出たあと、一条たちは二手に別れて立花明乃を捜すことになった。


 一条と綾人は御徒町方面、誘、和泉、正樹は浅草方面へと向かうことになった。


 灯籠堂と正樹の集めた情報を纏めると、やはり上野から浅草、御徒町の近辺に明乃はいるという可能性が高くなったからだ。上野周辺は綾人や正樹が以前散々捜し歩いたので、まずは御徒町と浅草で明乃を捜すことになった。


 御徒町の路地を歩きながら綾人が言った。


「一条さん、さっき誘ちゃんにこそこそ話しかけてたけど、なんの話してたの?」


 自分たちが二手に別れる直前のことだ。一条はひと言、誘に注意を促していた。


「正樹に気をつけるよう言ったんだ。あいつの前ではああ言ったが、正直怪しいからな。後輩を疑いたくはないが、こればかりは仕方ない」


 なにせ自分たちと合流したタイミングがあまりにも良すぎる。こちらが八方塞がりなのを見計らうかのように連絡してきたうえ、曼荼羅の干渉段階まで奇跡的に自分たちと同じときている。都合が良すぎて、電話を受けた直後から疑っていたほどだ。それに正樹は縁の扱いにかけては一流だ。犯人がやったのと同じことを彼も出来る筈だ。


「確かに怪しいけど……正樹さんだよ? 人を傷つけるような真似はしないと思うけどなぁ」


 一条も同意見だ。正樹は呪術師として三流だし、チャラい、お調子者、そのくせ根っこは小心というわりと駄目な部類の人間だ。だが決して犯罪を犯すような奴ではない。人としての倫理はきちんと守れる人間だ。それを正樹が自分から破るとは思えなかった。


「どっちにしても、いまは立花を捜す以外の手がない。早く見つけよう」


 一条は正樹に借りた霊符を取り出した。明乃の髪を編み込んだもので、彼女と縁があるものが近くにあれば反応して知らせてくれる。予め明乃と繋がっていた縁は断たれても、あとから繋がった縁というものもある。それをなんとか探し出して見つけるつもりだった。


 それに縁を本当の意味で完全に断つのは難しい。出来てもそれは一時的なもので、たいていの場合、時間が経てば細きにしろ太きにしろ復元されるものだからだ。とはいえ、まだ自分たちと明乃の縁は復元されていない。いまは地道な聞き込みをして捜すしかなかった。


 過去視の情報をもとに、明乃が訪れただろう場所に聞き込みをする。近隣の住民や労働者に彼女の写真を見せたが、たいした情報を得ることは出来なかった。カラオケボックスや漫画喫茶などにも寄り、彼女が滞在したことはないか尋ねたが、情報を得ることは叶わなかった。


 曇り空の下を歩き続け、やがて御徒町から神田にまでやってきた。ここまでたいした成果も出せず、一度、誘たちと連絡を取り合おうかと考えたところで、転機は訪れた。


「この娘なら見かけたよ。ほら、すぐそこのカラオケ。昨日あそこに入るのを見たんだ」


 飲食店の店員が指差した場所には、小さなカラオケボックスがあった。一条は礼を言い、急いでその店へと向かっ

た。目的地に近づくにつれ、霊符の反応が大きくなった。


 カラオケボックスに入ると、店員に事情を話し、明乃が使用している部屋に案内される。


 外から扉のなかを覗くと、真っ暗な部屋をモニターの光だけが照らしており、ソファに荷物が置かれてこそいたが、明乃の姿を見つけられない。位置の問題だろう。


 ノックのあと、一条は扉を開いた。すぐにソファの端っこから音がする。部屋の外からでは見えにくい位置だ。そこでは明乃が怯えた顔を一条へと向け、それ以上逃げ場などないのに、より背後に引こうとソファの背もたれに体を埋めていた。


 ポニーテールにしていた茶色の髪は解かれ、手入れをする余裕がなかったのか所々に枝毛がある。明るく溌剌とした表情を宿していたその顔には、やや黒ずんだクマが出来ていた。


 最初はやつれた彼女に心を痛めたが、同時に無事であることに一条は安堵した。


「ようやく見つけた。捜したぞ、立花」


 一条は部屋のなかへと踏み込み、明乃に近づこうとした。


「いやッ来ないで!」


 だが明乃は身を守るように、両腕を顔の前で交差し、強く眼を瞑った。


 なるべく怯えさせないよう、一条はその場で膝をつき、彼女と目線を合わせた。


「落ち着け。俺だ。会ったことあるだろう? 灯籠堂の一条だ。正樹の先輩のな」


「……祭塚、さん?」少しだけ安心したのか、明乃は顔の前で交差していた腕を降ろした。


「ぼくもいるよ、立花さん」綾人が部屋の外から、ひょいっと顔を出した。「なにがあったのか、話してくれるかな」


 部屋の電気をつけたあと、テーブルを挟んで明乃と向かいあって席についた。


 テーブルの上には空になった料理皿とコップが置かれている。マイクは袋を被せられたまま、曲を指定する機械は充電されたままとなっていた。


 店員に聞いたところ、明乃は昨日の夜からいまの時間まで、ずっと延長を繰り返してこのカラオケボックスに居座っていたらしい。歌も歌わず、食べ物を食べるだけで、この場所を完全に寝床代わりにしていたため、さすがに何か事情があるのではないかと思い、そろそろ警察に連絡しようかと考えていたそうだ。


 明乃を落ち着かせるため、一条はココアを注文し、彼女に呑ませた。


 少しすると暖かいものを呑んで落ち着いたのか、明乃はカラオケボックスに閉じこもるまでの事情を話してくれた。その話を聞いて一条は驚いた。


 彼女の話は、発端こそ正樹と同じだったが、話が続くにつれ、彼とは食い違う内容になっていったからだ。一条は確認のため、彼女に質問した。


「なら、立花がこれまで無事だったのは、正樹に縁を断たれていたからなのか」


「はい。正樹さんが、ああしてくれなかったら、私、今頃どうなってたか」


 ここが最大の食い違いだった。


 正樹は、敵に縁を断たれた事によって、明乃を捜すのが難しくなったと言っていた。だが実際は、彼女の縁を断ったのは正樹自身で、敵に追われた際、彼女を逃がすためだったという。


 それだけではない。どうやら正樹は、この一連の事件の真相の部分にまで近づいていたらしい。犯人が誰かも、隠れ家が何処なのかも推測がつき、あとは自分だけの力では解決出来ない状況をどうすべきかを考えるだけだった。


 しかしその方法を思いつくより早く、相手が動いた。


 周囲への発覚を恐れた犯人は、直接、正樹たちの前に姿を表したのだ。


 その男は、白い着流しの上に、花菖蒲が描かれた黒い羽織を着ていたそうだ。


 正樹の知り合いだったのか、男は親しげに話しかけてきたらしい。


 男は世間話をするように真相に近づいた正樹を賞讃したあと、正樹たちに屍獣を差し向けた。


 直前に縁を断たれたことで、明乃はなんとか身を隠すことが出来たが、その後は犯人から逃れるための逃亡生活を余儀なくされた。何処の駅にも敵の屍鬼が張られ、道路にも鼠の見張りがいたらしく、一度はタクシーで逃げようとしても失敗に終わった。その後は一条たちも知る通り、彼女は仕方なく、漫画喫茶やカラオケボックスを宿屋代わりに生活をするしかなくなった。それからの数日間、立花は正樹がどうなったのかも、彼が何をしているのかも知るこ

とは出来ず、ただ助けを待つことしか出来なかったそうだ。


 正樹が無事であると伝えると、立花は安心した顔をした。


「良かった。正樹さん、ちゃんと逃げることが出来たんだ。でも、そうですよね。一般人のあたしが逃げることが出来たんだもん。正樹さんならもっと確実に逃げれますよね」


 だが安堵する立花とは対照的に、一条の正樹に対する疑いはより強いものになっていた。彼女の話が真実なら、正樹は事件の真相に近づいたことを、自分たちに話すべきだった。


 いや、もしかしたら曼荼羅の検閲により、それも話すことが出来なかったのかもしれない。


 だがその点を考慮しても、明乃の件を隠したことは不自然だった。


 一条が考えを纏めていると、明乃がソファに置いた鞄を持ち出した。


「正樹さんがこの件について纏めた資料があるんです。もし助けを求められる状況になったらって。絶対に読むなって言われたから、私はまだ内容知らないんですけど」


 彼女は鞄から分厚い紙束を出すと、それを一条に渡した。


 紙束をペラペラと捲ると、そこには事件のあらましや、それに関わる人間の相関図が纏められていた。ページを捲れば捲るほどに、驚く情報が書かれており、同時に正樹が彼女に読ませなかった理由に納得する。


 曼荼羅が規制をかけるのは、一定の情報を知るものに対してだけだ。明乃は書かれた内容を知らないから、あっさりと一条に紙束を渡すことが出来た。


 考えたなと思った。同時に、彼に対する違和感もより強く感じた。正樹には、この資料を誰かに託そうとする意志がある。にも関わらず、彼は自分の行動について偽りを述べた。曼荼羅の規制があるにしても、もう少しやりようがあったのではないかと思ってしまう。


 しかし資料を読み進むにつれ、一条はある考えが浮かんだ。


 この資料に書かれた人物が、本当に犯人なら、いま思いついたことも可能な筈だ。


 一条は資料から得た情報を、灯籠堂の面々が使う類に上げてから、資料を仕舞った。


「綾人、誘たちの所に急ぐぞ。早く行かないとマズいかもしれない」


「うん、それは良いけどなんで……」


 理由を聞こうとする綾人の言葉が、立花の悲鳴に遮られた。


 彼女の視線の先、天井近くの壁へと目を向ける。そこには樹に生えたキノコのように、半身を壁から出している無面の式神の姿があった。立花は一般人だが、すでに幾つもの怪異に関わっている。その影響で、怪異を認識することが出来たのだろう。


「無面? なんでこんな所に……」


 完全に実体化した瞬間、無面が動いた。壁を走り、間合いを狭めたかと思うと、片手の短刀を明乃に向かって一閃する。だが刃が当たるより早く、一条が霊気の弾丸を放つことで無面を倒した。霊気を固めただけの一撃だが、無面相手ならそれで充分だ。


「祭塚さん、なんなんですかこいつら!」ほとんど泣きそうな顔で明乃が叫んだ。


「神祇省の式神だよ。まさかと思ったが、奴さん、曼荼羅の粛清機能まで使えるらしいな」


 部屋を出た先には、すでに二体の無面たちが道を塞いでいた。廊下には他に誰もいない。すでにこの一帯に、人払いと認識阻害がかけられているようだった。


 一体の無面が正面から、もう片方の無面が壁から天井へと移動しながら襲ってきた。

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