第七夜 休息

 テーブルに並べられた甘味の数々を、蓮司は呆れた表情で眺めていた。


 苺パフェにパンケーキ、プリンにブラウニー、甘ったるいデザートの群れに何故か紛れる一皿のカプレーゼ。その見てるだけでむせ返りそうな甘味を食すのは、しい女の子たちではなく、呪術師の少年、六倉綾人だった。綾人はスプーンでプリンを掬って食べると、次はパフェ、その次はパンケーキ、さらにその次はカプレーゼのトマトと、目の前の品々を食べていく。


 蓮司はカルボナーラをフォークで巻き取りながら、ぼやくように尋ねた。


「お前さ、普段なに食って生きてんの。いつもこんな感じ?」


「さすがにそれはないって。今日は爺ちゃんの眼がないからね。自分の好きなものを頼んだん

だ。いつもはタンパク質は豆腐や卵、食物繊維やビタミンは適当な果物から取ってる。ぼく、肉と魚と野菜が駄目なんだよねー。あ、でもトマトとお米は食べれるよ」


「ほぼ主要な食材抜けんてじゃねえか。なにそれ。アレルギー?」


「ううん。単なる偏食」


 この孫の面倒をひとりで見ているというお爺さんに同情する。


 さぞ気苦労が多いだろうと思いながら、蓮司は巻き取ったカルボナーラを口に入れた。


 西新宿周辺の調査を終えた蓮司たちは、腹ごしらえのため付近のファミレスを訪れていた。


 誘は一条との用事があるらしく、途中で別れたためこの場にはいない。男だけのむさい食事になると思ったが、注文した品はその真逆を行くとは予想だにしなかった。


 夕どきを越えたとはいえ、まだファミレスにはそれなりの人がいる。家族連れに、勉学に励む学生、友人で集まる者たち。だがさすがにこれだけの甘味をただ一人の少年が食べているのはこのテーブルくらいだろう。


 ホールを歩いていたウェイトレスのひとりが、軽快な足音を目の前で止めた。


「うっわー。注文受けた時も驚いたけど、実際に目にすると強烈ね。ねぇ蓮司、あんたの友達、ほんとにこれ全部ひとりで食べるの」


 大橋緑。現在大学三年生で、セミロングの黒髪をお下げのようにして左肩に流した女性だ。


 彼女はかつて蓮司が喫茶店でアルバイトをしていた時の先輩だ。このファミレスを選んだのも、以前彼女から貰った大量のクーポン券で、安上がりに夕食が食べれると考えたためである。


「お構いなくー。ちゃんと全部食べますとも。もし食べ切れなくても蓮司君が食べてくれるし」


「お、その手があったわねー。きみぃ、蓮司の扱いわかってるじゃなーい」


「いやいや何で俺がそんなことしなきゃならないんすか」


「だって人の面倒見るのってあんたの得意技でしょ。ほら、前の飲み会でも、あたしが泥酔したとき介抱してくれたじゃない。助かったわぁ」


「っざけんな! あんな介抱もうご免だっつーの! あの時先輩ほんと酷かったんすからね! x下ネタ乱発に逆セクハラ、絡みはウザいわ、ゲロまで吐くわ。皆さんどん引きしてましたよ」


 本当に思い出すのもれる悲惨な酔い方だった。時間が進むごとに店員の眼も険しくなり、健全な高校生男児の夢をぶち壊すには、充分以上の破壊力があったといえよう。


「あ、あらやだ。あたし、そんなことまでしてたの。どうりで翌日、皆そっけなかったわけね」


「あれ、蓮司くんって高校生だよね。なのに飲み会?」


「こいつには呑ませてないわよ。その辺りはきちっとしてますって」


「一度先輩のバンドのライブに付き合ったら、そのまま他の集まりにも誘われるようになったんだよ。もうバンドは解散したから、単なる飲み会に変わったけどな。いやほんと、酒も呑まないのになんで俺そんなとこ行ってるんだろうね」


「だってあんた便利なんだもん。ひとりだけ酔わないでいてくれるから、皆安心して酔えるし」


「ざけんな。しまいにゃ襲いますよ」


「やれるもんならやってみな。あ、そうだ。あんた今度池袋の音楽フェス行く? 横浜でのフェスは来れなかったけど、今回はどう」


「行けると思います。いまはバイトもないから、代理で働かされることもないっすからね」


「仕事もしてない幽霊部員君の特権というわけだ。来るなら精々楽しみなよ。奢ってやるからさ。じゃ、わたし仕事あるからもう行くね」


 あまり話しすぎたせいか、緑がテーブルから離れると、通りすがりの他の店員が彼女を注意した。その折檻に緑は苦笑いをしながらも、申し訳なさそうに頭を下げた。


 綾人はパフェに乗っていた苺を食べると、緑の感想を言った。


「やー中々パワフルそうな人だね。けど蓮司君、文句は言いつつ楽しそうだったね」


「なんだかんだ世話になってるし、実際楽しいからな、あの人」


 蓮司が大橋緑と出会ったのは、去年の秋のことだ。剣道部に行かなくなり、何か別のことをしたくなった蓮司は喫茶店でアルバイトをすることにした。そのとき自分に仕事を教えてくれたのが、同じくバイトとして働いていた緑だった。


 緑は都内の大学へ通学しており、千駄ヶ谷周辺で一人暮らしをしている。毎夜友人と呑むせいで親からの仕送りもすぐに尽きるという理由でバイトをする生粋の飲んだくれだった。


 彼女と交友関係を結ぶようになったのは、当時、兄が洋楽に嵌っていた影響で、隣の部屋にいた蓮司も洋楽を度々耳にすることになったことに起因する。緑は好きな曲を鼻歌で歌うことがある。その曲のレパートリーのなかに、たまたま蓮司が耳にした曲があったのだ。


 それがきっかけで仕事以外のことも話すようになり、以来、ライブや飲み会、街遊びに誘われるようになった。蓮司がバイトを止め、緑がバイトを変えた今も、その関係は続いている。


 その辺りの過去を話したあと、蓮司たちは、料理を注文する前にしていた話に戻った。


「それで蓮司君、君には本当にお兄さんの死相が視えたの? ぼくには視えなかったんだけど」


「だからさっきも言っただろ。腹部の所にはっきり視えたって。ここへ来る時に、同じ死相持ちを視たのに、まだ疑うのかよ」


 西新宿からこのファミレスへ来る途中、蓮司は死相を持つひとりの女性を目にした。


 二十代前半の栗色の髪をした女性で、腹部に胴体を輪切りにしたかのような死相を持っていた。たまに、死相持ちにはあの手の現実離れした死相を持つものがいる。


 綾人たち呪術師は、蓮司のような眼がなくとも死相持ちを見分ける能力があるらしく、蓮司が彼女を見つけたのとほぼ同じタイミングで、彼も死相持ちに気づいていた。


 綾人はカプレーゼの最後のトマトを食べると、続きを言った。


「君が死相持ちを見分けられることは、もう疑ってないよ。けどお兄さんに関しては別だ。ぼ

くは本当に、あのお兄さんには何も感じられなかったんだ。そうなると、君が本当に未来も視えるのか、それともすでにお兄さん自身が何かされてる場合のことも考えないといけなくなる」


「何かって……なんだよ」


 綾人は真剣な面持ちで黙り込んだ。一日中一緒にいたが、初めて見る顔だった。


「まだわからない。けど、こうなると君の眼がどの程度の力があるかも確かめておかないとね。そこをはっきりさせておかないと、この先の調査がつまづいちゃうよ」


 啓に死相が視えるか視えないかは、綾人にとって余程重要な問題らしい。問題の中心に肉親がいるということもあり、蓮司の不安はより強くなった。


 大量の甘味類を食べ切ると、綾人はレシートを指に挟んで立ち上がった。


「少なくとも、君の回りでおかしなことが起きてるのは確かだ。家に纏わり付く微弱な霊気に、死相を宿すお兄さん。家族だけでなく、ご近所の人たちまで君とは食い違う記憶を持っているときてる。最初は君の方がおかしいのかもと思ったけど、今日一日過ごして、どうもそれが違うこともわかった。一条さんにも報告して、これは本気で調べないとだね」


 そう思ってもらっただけでも、ある意味では収穫かもしれない。


 灯籠堂に依頼をするまでに、色々なヒトにこの問題を話した。けれど、誰も本気で相手をしてくれることはなかった。自分が知らない他人の過去が初めて視えるようになった時もそうだ。皆、子供がふざけて言っているだけだと相手にしてくれなかった。周囲ではなく、自分の方がおかしいのだと気づき、やがては視たものを話すこともなくなった。決して助けることが出来なかったから、死相を持ったヒトたちの命も諦めるようになった。


 だが今回ばかりは、諦めるわけには行かない。家族の命がかかっているのだから。


 レジへ行くと、緑が会計の際、奢ると言って支払いを済ませてくれた。クーポンで金額が減るとはいえ、奢られてばかりでは申し訳ない。なにか返せるものでもあればと考えていると、彼女は介抱のお礼、と口にした。どうやら緑からしてみれば、前払いは済ませていたらしい。


 礼を言い、レジから離れようとすると、緑は思い出したように言った。


「そうだ。明々後日、皆で上野で遊ぼうと思ってるんだけどさ、あんたも来る?」


 奢ってもらって早々悪いが、蓮司は断らなければならなかった。今は遊ぶわけにはいかない。


「あーすみません。やめときます。ちょっとやらなくちゃいけないことがあるんで」


「いま蓮司君、家出中だから忙しいんだ。ぼくはその手伝いってわけ」


「へぇ家出かぁ。青春っぽいことしてんじゃない。けど、家族も心配するだろうから程々にね」


 蓮司は頷き、綾人を連れてファミリーレストランを出た。


 新宿の夜は明るい。陽が落ちてもギラギラと街は輝き、人々は店から店へと行き来する。飲食店からは下品なほど大きな音で宣伝のBGMが流され、路上ではキャッチセールスが行き交う通

行人に呼び込みをかけている。


 その街のなかで、綾人は満足そうに「満腹満腹ー」とお腹をさすった。


「やー緑さん、良いひとだね。お酒も好きみたいだし、誘ちゃんとも相性良さそう」


「酒って、あいつ学生だよな。バレなきゃ問題ないだろうけど、気をつけさせろよ」


「そこは問題ないよ。誘ちゃん、セーラー服着てるけど、学生じゃないし、見た目通りの年齢でもないからね」


 予想外の事実に蓮司は驚いた。学生ではないどころか、あの見た目で酒を呑んでも良い歳だということにさらに驚く。精々自分と同じか、ひとつ上くらいにしか思わなかった。


「じゃあなんであいつ制服着てんの。趣味? コスプレ?」


「んー誘ちゃんが来たの、ぼくが灯籠堂で働く前だから良くは知らないんだ。なんでも最初は着飾ることをしない誘ちゃんに呆れて、和泉ちゃんが色々着せたとか」


「……なんでそれでセーラー服になるんだよ」


「和泉ちゃんがべた褒めしたらしくて、本人も気に入っちゃったんだよ。これがわたしの制服ですって。以来、プライベートでは色々着るけど、灯籠堂で働く時は黒のセーラー服を着るようになったんだ。学割も利くし、不便もあるけど便利の方が多いって言ってたよ」


「学割って、またセコい真似を。そりゃ見た目だけなら通るんだろうけど、確認しろよ、店員」


 そういえば、誘の着ていた制服は見たことがあるような気がする。確か、何処かの女子校の制服だった筈だ。恐らく裏で買ったんだろうが、その制服を持っていた和泉というヒトは何者なのだろう。話に聞く限り、女性ではあるのだろうが。


 そんなことを考えながら歩いていると、周囲の景色が、前触れもなく色あせた。


 街を歩く人影が次々に消え、色鮮やかな街の灯りがモノクロ映画のように色を失っていく。


「どうなってんだこれ。怪異って奴か」


「違う。空間封鎖なんて高度な結界、自然発生の怪異には出来ない。出来たとしても、ぼくたちだけを選別するなんて……」


 綾人が言い切るよりも先に、さらなる異変が起きた。


 路上のマンホールが溢れた水に押し出されるようにして動いたかと思うと、その隙間から挽肉で固めたような鼠が大量に溢れてきた。すべて、昨日の鼠と同じ姿をしていた。


 鼠たちはビルの壁を走ったかと思うと、寄り集まり、巨大な腕を形作って頭上から蓮司たちを襲ってきた。綾人は蓮司の前に出ると、地面に片腕をつき、腕の文様から墨の盾を造り出した。巨腕は盾にぶつかると簡単に崩れ、ぼろぼろと蓮司たちの周囲へと落ちた。その鼠たちが四方から迫り来る。だが綾人は盾から大蛇へと墨の形を変え、鼠たちに対抗する。大蛇は瞬く間に鼠たちを飲み込み、逃げ道を作り出した。


「蓮司君、こっち!」 


 鼠たちとは逆方向に走り出す。一瞬優勢だった墨の蛇も無数の鼠には敵わず、全身をカリカリと噛み削られていく。逃げ切れなければ、自分たちもああなるのだと思うとぞっとする。


「くそっ。時間があれば、もっと精巧な絵を作ってあいつらなんて蹴散らしてやれたのに!」


「んなこと悔しがってる場合か! もっと速度あげろ! 追いつかれるぞ!」


 大蛇を食い切った鼠が、津波のように路上を埋め尽くしながら追ってくる。結界で覆われた街中は、何処へ逃げれば良いのかわからない。それでも逃げなければと思い、道を曲がる。


 その路上を半ばまで走り、蓮司は呆然とした。全速力で動かしていた足もつられて止まる。


 右も、左も、ビルの壁の一面には、数え切れないほどの鼠が張り付いていた。


 赤い眼を光らせ、きぃきぃと嘲笑うように鳴いている。


 前も後ろも、右も左も鼠だらけ。逃げ場などなかった。


 足を止めた蓮司たちに、鼠の大群が襲い掛かる。


 蓮司が諦めかけたその時、綾人が再び腕を地面につけた。だが今度描いたのは盾でも蛇でもない。周囲へと走るように引いた境界線だった。綾人を中心に半径数メートルの範囲を、三重の円が覆う。円と円の間に、幾つもの文字が書かれた境界線に触れた瞬間、鼠たちは弾かれるように吹き飛んだ。


「これでしばらくは保つと思う。けど、さすがにこの数を倒し切るのは難しいかも」


「……どうすんだよ」


「助けを呼ぶ。一条さんたちが来るまで生き残らないとね」


 境界線の内側、円と円の隙間に犬や蛇といった獣の絵が描かれていく。それらは平面から三次元の形を得て、蓮司たちを守るように鼠たちと対峙した。


「けどま、ただ守るだけなんてぼくらしくないからね、全部倒すつもりで足掻かせてもらうよ!」


 墨の獣たちが鼠の群れへと走る。


 獣たちは、鼠に食われながらも、主人の敵対者を蹴散らし始めた。

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