第六夜 後輩

 階段を降り、地下室の扉を開くと、そこには北欧風の内装を施した喫茶店があった。


 女性店員の柔らかい声に迎えられ、一条は店のなかへと入った。 


 空色を基調にした壁には素朴な風景画が飾られ、壁際の戸棚の上には数冊の絵本に、ポストカードを嵌めた写真立て、そして店のメニューをチョークで書いた小さな黒板が立て掛けられている。昼時だが、まだそれほど人はおらず、店内は落ち着いた雰囲気を保っている。


 店の奥には、丹村和泉がふかふかの黒いソファに腰掛けていた。彼女は一条に気付くと、手を振って自分のいる場所を示した。席には彼女だけでなく、昨夜、死体の場所を連絡してきた相川正樹が、肩身を狭そうにして座っている。鳶色に染めた髪に、やや軽薄な

印象を受ける顔立ちが特徴的な男だ。


 二人が喫茶店に来てそれなりの時間が経っているのか、和泉の前には欠けたガトーショコラ

が、正樹の前には飲み終わる寸前のカフェラテが置かれていた。


 和泉の隣に座るなり、一条は怒気を孕んだ声で問いかけた。


「正樹、お前連絡よこしといてこっちのメール無視するたぁどういう了見だ」


「いやほんっとすいませんでした、一条先輩! 俺もまさかあのタイミングで事件に出くわすなんて思わなくて」ぱんっ、と両手を合わせて、正樹は申し訳なさそうに謝罪した。


 相川正樹は、一条が大教院に所属していた頃の後輩だ。


 呪術師としては二流だが、こと探し物においては随一の能力を持つ男で、そんな正樹に眼を付けた一条は、学生時代、なにかと彼を連れ回すことが多かった。大教院を卒業したあともその縁は続き、こうして仕事を一緒にすることもある関係となっている。


 女性店員に珈琲の注文をすると、早速、一条は昨夜のことを詰問した。


「で、なんだって昨日は現場に来れなかったんだ? なにか大事な用でもあったのかよ」


 正樹は苦い笑いを浮かべ、ぽりぽりと頬を指先でかいた。


「いやぁ実は昨日、前に占ってあげた女の子と呑む機会がありまして」


「またかよ。お前と会うと毎っ回女の話になるよな」


 未熟な呪術師である正樹は、それだけでは生計を立てられないことから、祓い屋以外にも探偵や占い師といった副業をしている。むしろ呪術師よりも、そちらが本業といって良いほどだ。女に手の早い彼は、仕事の過程でことあるごとに出会った女性と仲良くなるらしく、飲みの席で、一条は度々その話を聞かされていた。


「ねぇまさか、その女の子を優先したとかいうくだらないオチじゃないわよね」


「いやいやさすがにそりゃないですよ。出来れば優先したかったけど、そんな状況じゃないのは明らかですし。来れなかったのはお察しの通り、返り討ちにされたからです。朝まで路上で気失ってたんですよ。酒入ってたのもマズかったですね。相手、精神干渉系の呪術師で、申し訳ないことに、あっさり意識を奪われました」


「どうりで目立った外傷もないわけだ。けど良かったよ。そのまま犯人が戻って来て、お前を仕留める、なんてことにならなくて。それで、さんの姿は見たんだよな。どんななりしてた」


「あーすんません」正樹は歯切れ悪く言った。「多分記憶をいじられたのか、あまり憶えてなくて。思い出せそうとすればするほど、相手の輪郭がぼやけるっていうか」


「なら、なんの収穫もなしか。犯人が戻らなかったのはその必要がなかったからか」


 一条はため息を吐き、ポケットから煙草を取ろうとした。しかし、今自分が禁煙中であることを思い出した。仕方なく、煙草の代わりとばかりに、シュガーポットのなかの角砂糖をひとつ取り、口のなかに放り込む。そのままガリガリと角砂糖を噛み砕いた。


「一条くーん。角砂糖は金平糖じゃないわよー」


「知ってるよ。金平糖の方が美味い」


 丁度良いタイミングで女性店員が珈琲を持ってきた。「そういうことじゃないんだけどな

ー」という和泉の言葉を無視し、一条は、甘ったるい口内を珈琲の苦みで引き締めた。


「それで神祇省に連絡したって聞きましたけど、やっぱり外法対策局の協力は……」


「ないわ。死相持ちが殺された程度じゃ、局は動かない。むこうも人手不足だからね。人が一人二人死んだ程度の事

件なら、在野の呪術師に任せるってわけ。ま、こっちは仕事がもらえてありがたいけど」和泉はガトーショコラの最後の一切れを食べると、紅茶を呑んだ。


 外法対策局は神祇省の一部局だ。主に呪術犯罪を取り締まることを生業にしているが、彼らが対処するのは指名手配犯や犯罪組織の場合が多く、小規模な呪術犯罪に関しては、捜査資格を持つ呪術師のいる修祓社に任せてしまうことが多い。


 修祓社は神事としてではなく、商売として修祓、つまりお祓いを行う会社だが、単純に土地の穢れや怪異の修祓の他に、霊地計画局から依頼を受けて仕事をすることもある。


 呪術社会全体が人手不足ということもあり、神祇省やその他の呪術組織が扱い切れなくなった面倒事を引き受ける側面が最近では大きい。資格こそ必要だが、小物の呪術犯罪者を捕らえるのも、その一つというわけだ。


 成瀬蓮司に、元々誘から引き受けていた依頼もある。仕事の割合をどうしようかと一条が考えていると、帽子を指でくるくると回しながら正樹が提案をした。


「あの、もし良かったら俺が一人で探しますよ、あの呪術師」


「一度返り討ちにされたばかりだろうが。今度はマジで殺されるぞ」


「いやいやもちろん戦闘はなしっすよ。痛いのイヤですし、下手に戦って顔面に傷でも出来たら、これから出会う女の子口説きにくくなりますしねぇ。なんで、戦闘は先輩方にお任せします。薄いですが、一応、犯人との縁は出来てますからね、そこを辿ればイケるんじゃないかと」


 縁。一般的には、人と人との巡り合わせを指す言葉だが、呪術師が使用する縁は、世間のものとは少しばかり意味合いが異なる。


 呪術師が使う縁は、互いに連絡を取り合うための無線のようなものだ。念話以外にも、霊力供給や互いの居場所を探したり、類というコミュニティを作ってSNSのように呪術師同士が連絡を取りやすい環境を作ることも出来る。現在では曼荼羅に接続して、怪異に関する様々な情報も調べられるため、実質的には呪術師にとっての携帯の代用品のようなものになっている。


 正樹の場合、縁視の天眼という、特異な眼を持っているため、一般的な縁も含めて多様な形の縁を見分けることが出来る。そのため、彼は捜し物に関しては一流の腕を持ってた。


 一条はシュガーポットから、再び角砂糖を取り出して食べた。


 こと探し物に関して、正樹は全幅の信頼をおける。なにせ呪術に関する仕事より、副業の探偵や占いの方が稼ぎが良いときてる。一応警戒はしておくが、任せてみるのも良いだろう。


「なら、そっちはお前に任せる。ただし、絶対に相手と直接会うような真似はするなよ」


「わかってますって。俺がそんなヘマするように見えますか?」


「もう別のヘマしてるから言ってんだが……まぁ良いか。そろそろ出させてもらう。他にも仕

事が控えてるんでな」


 席を立ち上がり、和泉も連れて行こうとした所で、正樹が引き止めるように手を上げた。


「あーっとと、ちょっと待ってください、先輩。俺からも頼みたいことあるんすよ」


「なんだよ頼みたいことって」一条は面倒に思いつつ、レシートを手にしたまま席についた。


 正樹は鞄から一枚の写真を取り出した。その写真には、見覚えのある少女が映っていた。


 何処かの寺の前で撮った写真だろう。茶色の髪をポニーテールに結んだ十六、七歳ほどの少女で、可愛らしい顔立ちに明るく溌剌とした表情で、カメラに向けてピースサインをしている。


 立花明乃。元は一般人だったが、巻き込まれた怪異事件で正樹に助けられて以来、彼のもとで助手としてアルバイトをしている少女だ。


「これ、明乃ちゃんよね。彼女がどうかしたの?」


「実は明乃の奴、二日前から行方がわからなくてなってまして……」


「ちょっと、こんな可愛い娘行方不明にしたの! あんたがいながら何してんのよ!」


 和泉は正樹の胸ぐらを掴んで激しく揺さぶった。


「すんませんすんません! けど縁が切られてるのか、俺でも捜せなくて」


「縁が切られてる?」和泉は胸ぐらを揺すぶるのを止めた。


「は、はい。ちょうど明乃の行方がわからなくなってから少しあとの時間帯から」


「ってことは、立花は呪術師に攫われたのか。けど、お前が捜せないほど縁切りが上手い呪術師なんてそうはいないぞ。縁は単純だが、少なからず運命干渉に関わっている。基本こそ学ぶのは容易だが、極めるのが難しいからな」


「でも正樹くんで無理ってなると、あたしたちで見つけるのもキツいわよね。ああくそぅ。見つけてあげたいなぁ。蓮司くんの件もあるし、どうしたもんかなぁ」


 彼女の言葉で、一条は蓮司の能力を思い出した。もしかしたら探し出せるかもしれない。


「正樹、立花の行方がわからなくなった地点は絞り込めてるか」


「そこは一応。縁を視る以外に、地道な聞き込みもしてましたから」


「なら調べた内容をあとで纏めて送ってくれ。時間がある時で良いなら俺達も捜してみるよ」


「ほんとっすか!」


 一条は頷いた。蓮司の眼の力を確かめるには、これ以上ないほどの案件だった。

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