宝探し-8 プレイヤー藍子 握手

 不穏な空気しか流れていない。


 息を吸うのも息苦しいような気さえしてくる。


 恵美は矢印の男性を見るなり、平手で殴ったからだ。


 一瞬にして修羅場と化したこの場に、私はとても居心地が悪かった。いや、これは私ではなくて他の誰かでも居心地は悪くなるだろう。


「えーっと、彼は……?」


「彼じゃない!」


 恵美は言葉を遮った。彼は微笑を浮かべて見ている。その態度も気に入らないのか、恵美は更に不貞腐れてしまった。


「あのー、あなたは……?」


 尋ねると彼は恵美に視線だけをやり、また少し笑った。何だか楽しんでいるみたいだ。


「ああ、俺は、恵美の彼氏だよ」


「元! でしょ!」


「なんだよ、まだ怒ってるのか? あれは本気じゃなかったんだからいいじゃないか。そもそも、あれは恵美のせいだろう?」


「何が私のせいよ! 勝手に責任を押し付けないで!」


「ホント、恵美は怒りっぽいからなぁ」


 言った後、ははは、と笑っているあたりがこの人の図太さを示しているようだ。というか、この人は本当になんなんだろう。目の前で起こっている修羅場に口出しも出来ずにただ見守っているだけしか出来なかった。


「ああ、そう言えば自己紹介してなかったね。俺は和志。見ての通り恵美の彼氏。よろしくね」


 和志君は右手を差し出し、握手を求めてきた。だけど、それを恵美が右手で振り切った。


「元! でしょ! あと、勝手に藍子に毒牙を撒かないでくれる?」


「なんだよ。ただの握手だろう? そんなのに深い意味なんてないよ」


 恵美は意思を曲げる気もない。居ても立っても居られなくなり、私の方から声をかけてみる事にした。


「和志君も、やっぱりこの世界に……?」


「うん、電光掲示板も取扱い説明書も見たし、アプリも確認済み。あと、二人が知らない事も多分知ってるよ」


「えっ、本当ですか?」


 声を大きくして反応する私に対して、恵美はツンと顔を向こうにやり知らんぷりを貫いている。


「そそ! だから、仲良くしておいた方がいいよー」


 和志君はにっこりと笑い優しく声をかけてきた。この人が恵美の元カレで、浮気をしていた人なんだ、と今更ながら再認識した。


 なんか、話しやすいけど、軽い……というか、なんというか。典型的な人なんだろうな、と思った。


「ありがとうございます。それで、和志君の知っている事ってどういう事なんでしょうか……?」


「まあまあ、焦らないで。時間は……、三時間ぐらいはあるんだし。ちょっとくらいの時間切れは大丈夫でしょ」


 大丈夫な世界だったら安心していられるけれど、そういう世界ではないから焦っているのだ。そう遠回しに言っているのに、和志君は奔放に時間を使っている。


「まぁ、まずは握手から始めようか?」


「あ、はい」


 私は右手を出し、和志君も右手を掴んだ。恵美は眉間にしわを寄せながら見ている。すると、右手が繋がった瞬間に、和志君は言った。


「お宝見つけた」


「え……?」


 呆気に取られていると、和志君は左手で鞄の中から花束を取り出した。私と恵美の持っている青い花束と同じものだった。


 和志君の持っている花束の内の一本が急速に枯れ落ちた。和志君のポケットの中から警報と警告の音声が流れだした。


「お手付き。お手付き。イチ輪、没収」


 地面に枯れ落ちた青い花は涼しいはずの地面で粉のようになり、最後には消え去ってしまった。恵美は和志君の頬を叩いた。


「ふざけないで! 藍子に何してんのよ!」


 頬を叩かれた和志君は不敵に口元を吊り上げた。


「だから、これが俺の知っている二人の知らない事の一つ」


 和志君の持っている花束を見ると、花束の本数は残り四本になっていた。私と恵美は九本ずつある。


「藍子ちゃんは気付いたかな?」


「勝手に『ちゃん』付けで呼んだりしないで。ほんっとイライラする!」


「何回試したんですか?」


 和志君はその質問を待っていたかのように、にっこりと笑った。


「五回だよ」


「じゃあ、四回……さっきみたいに、えっと……お手付き? をしたんですか?」


「ちょっと違うかな」


 勿体ぶるようにわざと答えを隠してる。本当はもっと先まで知っているはずなのに、それを全て一度で教えようとはしない。


「じゃあ、持っていた花束は九本じゃなかったんですか?」


「いや? 元は九本だったよ?」


 恵美は私と和志君のやり取りが面倒になったのか、入ってこられなくなったのか、コーラに手を伸ばし一時休戦を決めていた。


 すると、和志君はフッと笑い、恵美に視線のやった後、私に視線を寄こした。


「藍子ちゃんは真面目だね。誰かさんと大違いだよ」


 恵美は立ち上がり異議を立てようとしたけど、和志君が制した。


「大丈夫。恵美に喧嘩を売ってるわけじゃないから。でも、本当に二人は正反対だ。面白いくらいにね」


 この状況で面白い?


 この人は一体何なのだろう?


 疑問は浮かべようと思えばいくつも浮かぶけど、それを全て飲み込んだ。


「もしかして、試したんですか?」


「そそ。正解」


「何でそんな事を……?」


 和志君は笑みを残したまま、私の質問に答えた。


「藍子ちゃんは、こういう状況で一番やっちゃいけない事ってわかる?」


 私は頭にルールを思い浮かべた。そのルールは出来る限り守ったつもりだし、正解を導き出すように努力をしようともした。けれど、和志君は私の思考を読んだかのように、言った。


「違うよ。その方法では辿り着けない」


「じゃあ……?」


「目の前にルールがあるんなら、まずはそのルールを試さないと。一番やっちゃいけない事は、ただ考えて何もしない事。正解と不正解。自由に出来る範囲内で不正解を出す。それが正解への一番の近道だよ。二人がやっていた事は、ほとんど無意味だったって事。わかった?」


 私は何の反論も弁論も出来なかった。けれど、そんな思いを持っていた私に気付いたのか、恵美が和志君に言った。


「で? そんなくだらない事を言いに来たの? それとも構って欲しかったってわけ? そんな上から目線じゃ誰も相手にしてくれないわよ?」


 バッサリと切り捨てるように言った。和志君は表情を変えず、恵美の反論を受け取った。


「その通りだよ。一人で出来る事はある。けれど、それも限界は見えてくる。だから、二人にも協力して欲しい」


「最初っからそう言えば良いのに。ほんっと面倒な奴―。今度また同じ態度できたら首絞めてやるから」


 そう言いつつもどこか嬉しそうに見えるのはどうしてだろう。


「さて、じゃあ、もう一人を迎えに行こうか」


 和志君はポケットからスマホを取り出した。スマホの電源を入れて、アプリを起動させる。


「もう一人って……?」


「ん? ああ、このゲームに参加しているプレイヤーだよ」


 恵美と私はスマホを取り出してアプリを起動する。画面には、赤い矢印が一つ、青い矢印が三つあった。三つのうち二つは宝探しバーガーにあり、もう一つの矢印は私たちの近くのコンビニにあった。


「この矢印の人って知ってるんですか?」


「いや? 知ってる奴かもしれないし、知らない奴かもしれない。恵美と藍子ちゃんもまさか知り合いとは思ってもみなかったでしょ? だから、面白そうじゃん?」


 そう笑う和志君の表情には、企みを持つ大人のようにも、冒険に夢を馳せる少年のようにも見えた。

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