5-2. 朝食会にて

「リアナ陛下を守れと」

 その声は固く、テオの顔には迷いがあるように思えた。


」リアナは言った。「。あなたもそうなの、テオ?」

 テオは目に見えてびくっとした。

 それを見て、少しばかり皮肉な気持ちになる。フィルならきっと、動揺のかけらも見せずに返答するだろう。


 リアナは青年に一歩近づくと、その金茶の目を見ながら言った。

「じゃあ、わたしが、あなたに違う命令を言うわ。……フィルのところに行って。彼が成し遂げようとしていることを、あなたも手伝って」


「いきなり何を」テオは目を見張った。

「おれは……あなたの兵ですよ。そういうわけにはいかない。なにかあればいつでもあの人を切り捨てるし、そもそも、いまはあなたの敵となる男だ」


 自分に言い聞かせるようなテオの声に、やっぱり迷っている、とリアナは思った。〈ハートレス〉、彼らのあいだには強いつながりがあって、隊是モットーと、苦しみと、自己犠牲的なまでの勇気を共有している。


「フィルを助けて。きっといまも、すごく危険な綱渡りをしているはずよ。

 ……こんなところで、スパイのまま死なせないで。お願い、テオ」

 

 少し卑怯な押し方をしたかもしれない。テオの名誉のためにいえば、彼はずいぶんと悩んでいた。でも、結局は、ためらいながらもリアナの頼みを聞いてくれた。ケブとハダルクのそばから絶対に離れないと彼女に念を押させて。


 その背中を見送ってから、リアナはひとりつぶやいた。 


「わたしには、たぶんもう、してあげられることがないから」


  ♢♦♢


 外遊中でも、書類仕事から逃れられるわけではない。タマリスからの急送公文書が、伝令竜バードを駆って毎朝、届けられることになっている。その日の朝も、リアナは朝食用の陽当たりのいい小ホールにいて、エサルと数名の廷臣たちとともに会議を開いているところだった。


「アエディクラに開戦の動きがあるやいなや、ですって?」

 文書を読んだリアナは毒づいた。「ガエネイス王と側近たちがここ、イーゼンテルレの宮廷にいるのに、戦争の指示ができるはずがないじゃないの」


「そうともいえますまい」別の文書に目を通しているエサルが、顔を上げずに言った。スパイス入りの、変わった風味の卵焼きをもくもくと口に運ぶのも忘れない。

「各国の首脳たちが集結しているのだから、逆に動きやすいとも言える。急襲、のち宣戦布告という例だってあるのですよ。あの竜殺しの武器をごらんになったでしょう?」


 リアナはしぶしぶながら認めざるを得なかった。「……ええ」


「軍備費の補強は今からでは間に合わないだろうが、王の直轄地の税収を臨時費としてこちらにまわしていただければ、古竜をもっと増やせます」

 結局はそれが目的なわけね、とリアナは胸中でつぶやいた。もっとも、あの恐ろしい武器を見た後で、その申し出を断るだけの材料があるかと言われると怪しいものだった。


「直轄地の予算は王の裁量内にある。陛下の裁量で決めていただければ、と申しあげているのです」

「そうは言うけれど、五公会にも聞いてみないと。すでに使い道が――」


 言いかけたリアナは、はっと口を閉じた。〈ばい〉の強い力が、ふいに流れこんできたのだ。いぶかしむよりも早く、その人物はホールに入って来た。軍靴の足音、背の高い濃紺の長衣ルクヴァ姿。


「デイミオン!」

「閣下」

 廷臣たちがあわててカトラリーを置き、低頭する。

〔いったい、どうして?〕

 リアナは呼びかけた。〔国外に出るなんて。あなたは掬星城きくせいじょうにいるはずじゃ――〕


 デイミオンは〈ばい〉など聞こえていないかのように大股に円卓に近づき、どっかりと腰を下ろした。小走りで近寄ってくる給仕を、手のひと振りだけで下がらせる。

 どんな集団でも、そこに彼が入ってくるだけで、とたんに空気が変わってしまう。エサルを含めた全員の緊張感を、リアナは感じる。


「こんなところで予算審議とは、聞き捨てならんな」尊大な口調で言う。「王太子の私に断りもなく?」

「デイミオン卿。陛下の御前だぞ」エサルがたしなめる。「そもそも貴公がなぜ、ここに? 陛下の名代としてタマリスを守っておられるはずでは?」

 そして、リアナのほうを疑わしげに見た。〈ばい〉があるのだから、当然王太子が来ることを彼女は知っていたのだろう、という顔だ。だが、もちろん知らないので、首を振ってみせる。


「城の守りなど竜騎手団でこと足りる」デイミオンはぞんざいに手を振って、問題ないというポーズをとる。

「それより、ガエネイス王の新兵器について、私に報告がないのはどういうことだ?」

「それは……」

 エサル公が渋い顔をした。その顔で、どうやら王太子には知られたくないことだったということがわかる。デイミオンは立場上、エンガス卿の一派に属しているので、リアナ派であるエサルが情報を出し惜しむのはおかしなことではない。


 だが、彼の顔にふとひっかかるものを感じて、リアナはしげしげと王佐の顔を見た。――思いかえせば、ガエネイス王のフルードラク狩りを見に行こうと提案したのは彼なのだ。

「閣下は、陛下と〈ばい〉の絆があるではないか? なにもこちらから報告しなくても……」


「そんな機密事項を、でやり取りできるとでも?」

 デイミオンはふくみのある言い方をした。

「あるいは……陛下のほうには、私と協力したくないようなご意向がおありなのかもしれないが」

ですって? よくもあなたに――」

 言おうとしたことは、青い目に遮られた。


 リアナはデイミオンの顔を見て、演技をしているのだということが飲み込めた。人を見下したような顔、威圧的で皮肉っぽい口調。五公会で、よくこんな彼を見る。貴族たちが思うデイミオン・エクハリトスそのままの姿。


 でも、リアナがよく知る彼とはすこし違う。たしかに体格も態度も大きいし皮肉屋でもあるが、他者を威圧するためだけに傲慢にふるまう青年ではない。

 この違和感は、あのときに似ている――それは、南部からタマリスに向かう途中でデーグルモールに襲われ、彼と二人で森に落ち、ならず者たちに誘拐されたときのこと。


――人聞きの悪いことを言うな。私と彼女は駆け落ち者などではない!

――我が身より大切な妻子だ。おまえの言い値で払おう……


 そう、それは敵の目を欺くための芝居だった。


 だから――今回も、彼に話を合わせればいいのだ。きっとデイには、策がある。



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