2-10.Don't go


 苺、オレンジ、サーモンピンク、紅、朱鷺とき色。あらゆるグラデーションの赤に、雲の灰色と、夕日を照り返す金色が混じる。夜の紺色の毛布が、そろそろと空に手を伸ばしはじめていた。デイミオンの目と同じ色だ。


 靴音にふりかえると、もう、そこにいる。

「父親を探しているのか?」

 前置きも、世間話もなし。それがいかにも彼らしい。

「うん」

「探し当ててどうする。心当たりがあれば、そもそも名乗り出ているだろう」

 厳しい口調だが、〈ばい〉から伝わってくる感覚はおだやかだった。距離はあるが、少なくとも前のように激昂してはいない。


「わからないけど……ただ、知りたいの」


 父親のことを知りたいのは、愛情を求めてというよりも、自分の出自にうっすらと不安を感じるからだった。北部ノーザン出身の王の娘で、王や領主になりうる嫡子でもあったのに、リアナは長いあいだ国境沿いの里に放置されていた。そのことがずっと彼女の心に引っかかっていた。それに、ケイエで半死者デーグルモールたちと戦ったときに現れた、あの黒い樹のような紋様……。


 露台から、手が届きそうな夕焼けの空を二人で見ている。


 孤独に押しつぶされそうになっていると、デイミオンが手を伸ばしてきた。大きな手のひらで頬と耳を覆い、すくいあげるようにして見つめた。本当に、首が痛くなるほど背が高い。温かな湯のような〈ばい〉が流れ込んできて、その心地よさにリアナはため息を漏らした。


「おまえが欲しい」

 紺色の目が静かに燃えている。「おまえには想像もできないくらい強く」

「デイミオン……」

 

「だが、今はだめだ」

「……」

「私にとって、性交は子をなすための義務だった。竜族の男が繁殖期シーズンに果たすべき当然の務めだと思っていた。……だが、おまえがフィルと……わかちあっているのを感じてから、それは違うものになった」

 

 リアナは押し黙り、はるか下の城下街の喧騒を遠く聞いた。


「なぜあんなことをした? ……おまえに求婚する許可を、メドロート公にもらいまでしたのに」

「……デイ」

 責める口調ではないのが、よけいに辛い。ここしばらくは傷つけられると思うことが多かったけれど、デイミオンが自分のことを大切に想っていることが伝わってきた。今度は、自分が彼を傷つけているのだ。今やっていることは、彼への仕返しなのだろうか?


「もう、同じようには思えない。……リア」

「うん、わかってる」


 自分の行動のすべてに責任が取れるなどとは思っていないが、フィルとのことが原因でデイミオンが自分から離れていくのなら、それは仕方がないと思った。少なくとも、あの嵐の夜にはたしかにその覚悟があったのだ。


「1繁殖期シーズンの我慢で――お互いが耐えれば、として認められるはずだったんだ」

 

「その次の繁殖期シーズンまで、待てなかったの、デイ。わたしにも心があるのよ。〈ばい〉でつながっている間、あなたがほかの女性と愛しあうのに、黙って耐えていなきゃいけなかったの?」

「だからフィルバートと寝たというのか? そんな言い訳を――」

「言い訳? 自分は同じことをずっとしていたくせに。毎晩、心臓が燃えるのに、身体が冷たくて凍えるみたいだった。あの夜、いっときでも熱を与えてくれたのはフィルなの。あなたじゃない」


 その言葉に、デイミオンのまとう空気が変わったのを感じる。〈ばい〉は燃えるような怒り。

共寝の理由それをあいつにも聞いてみるがいい。なんと言うかな」せせら笑うような、とげとげしい声だ。

繁殖期シーズンも終わるところだ、ちょうどいい。私が探しだしておまえの前に引きずってきてやろう。アーダルのあごで軟らかくなるまで噛み砕いてからな!」

「外遊の予定があるのはわたしなのに? ……いいえ、フィルを二、三発殴って、首に縄をつけて帰ってくるけど、それをやるのはよ。あなたじゃないわ」


 デイミオンが激情に駆られたように一歩踏みこみ、二人は間近ににらみ合った。顔に息がかかるほど近い。お互いの心をつなぐ〈ばい〉が、さらに二人の激情に火を注ぐ。

「外遊? ハッ……笑わせるな。おまえがフィルバートを追っていくのを、私が許すと思うのか?」

「あなたの許可がいるとでも? あなたは王太子で、王はわたし。……後見でも王佐でも恋人でもないのに、いったいどんなふうに許さないというの?」

「私たちの間にある対立を忘れたのか? 王の不在を狙わないとでも?」

 この期に及んで、まだそんな話をするのか。青年につられるようにリアナの声も鋭くなった。

「そうしたければ、したらいい!」

 胸に指をつきつけながら、激しい身ぶりで怒りを叫ぶ。


「王になりたくてこんなところまで来たんじゃないわ! がわたしを連れてきたんじゃないの!」

 言ってしまって、はっとした。デイミオンは頬を打たれたような顔をしている。


「そんな生半なまなかな気持ちで、王になったのか? あの襲撃の前、ケイエの……自分の民を守ると言ったのは嘘だったのか?」


 言い返したいのに、うまく言葉にならない。それはたぶん、さっきの言葉が自分の本音だったからだろう。

 そんなことが言いたいんじゃなかった。

 ただ、離れていかないで、と言いたかった。

 フィルがいないいま、デイミオンの手を離したら、リアナにはもう、心に空いた穴を埋める温度がなにもないからだった。里が焼かれたあとからずっと続くこの空虚さを抱えて、重責を負ってまで王という地位にしがみつく気にはなれそうにない。自分でなくても、ほかにいくらも代わりがいて、自分が退けばすぐにでも王になれる男が目の前にいる。でも、伝わらない。


「見損なったぞ……!」デイミオンは身体を離して下がると、嫌悪に満ちた目で言い捨てた。

「外遊だろうが知るか。どこへでも行ってしまえ!」


 なにひとつ言い返せず、目に涙が浮かぶのが悔しくて、リアナは逃げるようにその場から駆け去った。

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