2-2. じき雨になる
リアナは双子になった実をじっと見て、ひとつを
「……甘いわ」
「ほんとうに?」フィルはいぶかしみながらリアナを見た。赤い実を
「このあたりのは野生だけど……」
フィルはデイミオンとは違い、彼女をあまり直視することはない。目が合うと微笑んでくれるような優しい青年だが、見つめあうような状況はうまく避けている。だから、こんなふうにじっと見られるのは珍しかった。
「……渋い。嘘をついたね」
「そうよ」自分も種を吐きだして、すまして言う。「わたし嘘つきなの。知らなかった?」
そのとき、またレーデルルが水面に飛びこみ、ばしゃんという大きな音とともに大量の水が周囲に飛び散った。もちろん、リアナも背中側から水を浴びた。
飛びこみの余波でボートが大きく揺れる。フィルは、「嘘つきの罰かな」と意地悪な笑みを浮かべた。
リアナは頭を振って水を落とした。「背中が濡れたわ」
「そろそろ戻りましょう。あなたが風邪をひくといけないし」
「こんなに暖かいんだし、平気よ……」
湖面を渡ってくる風が生暖かい。水の匂いに草いきれが混じり、なにか濃密な空気を運んできた。
フィルが顔をしかめて空を見上げるのとほとんど同時に、稲光が雲の裏をぱっと光らせた。
「今の……」
リアナが言いかけるよりも早く、フィルはすでに
「雷だ。じき雨になる――」その声の最後は雷鳴でかき消される。
湖面にぽつぽつと輪が浮かんだかと思うと、あっという間に視界すらさえぎるほどの灰色の雨に包まれた。
岸に戻るあいだにも雨脚が強まり、水を吸ったドレスの重みによろめくリアナにフィルが手を貸して降りる。この時には、リアナはまだ気まぐれな夏の雨であることを疑っていなかった。
フィルがレーデルルと
「リアナ――明かりを、はやく」どこか、切羽詰まったような声だった。
ほとんど黒く見える髪から、水滴が勢いよく滴っている。すぐ脇の
いま彼が、見たことがないような顔をしている。そんな気がしたのだ。
フィルは布をつかんでリアナに渡した。自分も乱雑に髪をぬぐう。
「すみません」
そして、唐突にそんなことを言う。
「たまには、こういうことだってあるわよ」気楽に聞こえるように、リアナは言った。「朝は天気が良かったもの。こうなるなんて、あなたにも……」だが、フィルがそれをさえぎった。
「こうなることをわかってたんです。嵐になることを、俺が知らないはずがないでしょう? 俺は、兵士だ」
「フィル」ふいに口が乾いてしまったように、うまく言葉が出ない。
自分の髪からも水滴がしたたって、顔をつたって落ちる。いつもならまっさきにタオルで髪をぬぐってくれる青年は、ただ黙って声をひそめた。
「俺が最初からこうするつもりだったとは思わないんですか? こうやって、誰にも知られず、どこにも声が届かないような場所で、あなたを……」
「どうしてわたしを試すようなことを言うの? フィル、わたしにしてほしいことがあるのならそう言って。思わせぶりに、自分だけが悪者みたいに言うのは聞きたくない」
今まで一度も感じたことのないような激情を感じた。最初は怒りだと思った。フィルの人当たりの良さは、誰に対しても一定以上は踏みこませないための壁のようだと、ずっと思ってきたからだ。だが、実際にはもっとさまざまなものが入り混じっている。困惑。恐怖。熱望。……自分はたしかに、なにかをフィルに望んでいる。でも、なにを?
それを知りたいという思いと、知ってしまったらもう戻れないのではないかという漠然とした考えが浮かんだ。
「明かりを」かすれた声で、フィルがもう一度そう言った。
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