1-2. 新米女王の憂うつ

 ダンスをしている会場が明るいせいで、玉座付近は影になって暗い。メドロートはリアナの膳を見て渋い顔をしているようだった。母エリサの叔父だから、リアナにとってはもっとも近い血縁にある五公の一員だ。雪深く閉ざされる北部の領主で、権謀術数うずまくタマリスにあっても疑いなく信じられる実直な初老の男である。政治上のパワーバランスもあって公的な役職にはないが、同じ一族の近しい血縁として、彼女の後見役と目されている。


「こんなところでたくさん食べられないわ。人目もあるし、誰かが踊るのなんか見てもおもしろくもなんともないし」

 リアナはつぶやいた。「それに、子どもじゃない。もう、〈成人の儀〉だって済んだのに」

「んだがし」

 大叔父はとくにさとすでもなかったが、内心で子ども扱いされていることはよく身に染みていた。


「こういう場はあなたも苦手なんじゃないの? ネッド」

 ネッド、つまりメドロート・カールゼンデンは、白い長衣ルクヴァを身につけ、髭も形よく整えていた。が、雪に閉ざされた北方の領主は、社交の場に出てこないことで有名だ。

「んだけんじょも、『繁殖期シーズンの務め』だば、しょうあんめ。やっちゃぐね、と思えども、子をなすためにはな……」

 それなら、わたしだってあの場にいていいはずなのに、とリアナは思った。王になったって、自分の思うとおりになることなどなにひとつない。目の前でデイミオンがほかの少女たちの手をとり、笑いかけ、踊るのを止めることもできない。


「露台で風にあたってきます」


 メドロートにそう告げ、〈ばい〉でも同じことを繰りかえした。玉座から立つと、踊っている最中のデイミオンと目があった。彼のほうからは、自分は高いところに立つひとつの影に見えるだろう。先に目をそらしたのは、リアナのほうだった。 


  ♢♦♢


 〈王の間〉から扉ひとつへだてただけの露台に行くのに、リアナの背後には数人の護衛が影のようにつき従っていた。竜騎手ライダーのハダルクと、〈ハートレス〉のテオとケブだ。


 ハダルクは、多忙なデイミオンの代わり。そしてテオとケブは、フィルの代わりだった。でもリアナは、代わりではない二人の男のほうがよかった――デイミオンにしろ、フィルにしろ。〈隠れ里〉ではじめて出あった二人の青年は、頼れる身内をすべて失った彼女の人生にとってほかに代えがたい存在となっていた。里からこの王城に来るまで、そして即位するまでのあいだ、彼らはそれぞれの方面から彼女のことを陰に陽に守ってくれていたことを後になって知った。


 二人のどちらも、最近では彼女の近くにいないことが多いのも、リアナの憂鬱のひとつの原因には違いなかった。デイミオンは通常の業務にくわえて繁殖期シーズンの社交があるし、フィルのほうは、この半月まったく音沙汰がない。


 フィルバート・スターバウはおだやかで、少しばかり乾いたユーモアの持ち主で、リアナの小さな変化も見逃さず気にかけてくれる優しい青年だが、驚くほど秘密主義でもある。なにしろ二つ名が多い。「大戦の英雄」、〈ハートレス〉、〈ウルムノキアの救世主セイヴィア〉、〈竜殺しスレイヤー〉。そのうちのどれ一つとして、彼が自分から話してくれたことはない。


 でも、いま彼女が常に目で追ってしまうのは、デイミオンのほうだった。背が高くて高慢で皮肉屋の五公の貴公子。そして、彼女と〈血のばい〉でつながっている後継者にして、時には政敵でもある。政治的にやっかいな相手というだけでなく、彼女自身の年齢が、二人のあいだをはばんでいた。あと、たった一年。そうすれば自分も『夏』の年齢に入る。そしたら繁殖期にも参加できるようになる――


 掬星きくせい城とも呼ばれる城の、まさに星に手が届きそうな露台。そこに立ってもの思いにふけっていたリアナに、声がかかった。


「まぁ、陛下をこんなところで一人きりに放っておくなんて。わたくしのかわいい甥たちは、いったいなにをしているのかしら?」


 品がありながら快活さも感じさせる女性の声に、リアナは振りかえる。

 五公の一人、そしてデイミオンとフィルの叔母でもあるグウィナ卿は、長いドレスの裾を手にもって軽やかに近づいてきた。淡いブルーのドレスと白い肌が夜空に映えて、まるで星を自分の宝石にしているみたいだった。

「グウィナ卿……」

 なにか言おうと思った。星がきれいですね、とか、今夜の宴はいかがでしたか、とか、そういう当たりさわりのないことを。だが、グウィナのアイスブルーの瞳が間近に見え、距離の近さを感じる間もなく、お腹からふわりと身体が浮きあがる。


(落ちる――!!)


 グウィナの白い顔が紺色の夜空に見え、つまり背を下に落ちている――そして、。瞬間、これで何度落ちたことになるのだろう、とおかしなことを思った。古竜レーデルルとの力の道はつねに開いているから、そこにできるかぎりの力を受けいれ、自分の身体にその力が流れこむのにまかせた――


 ――そして、落下を止めた。


 風の力を使うのはうまくいったが、姿勢を変えるのに苦労していると、白い手に掴まれる。

「んー、ダメねぇ」

「グウィナ卿!」

 グウィナは体重がない者のようにふわりと空中に浮いていて、リアナが頭を上にしようと苦戦しているのを助けた。みっともない体勢の彼女とは異なり、グウィナのほうはドレスのすそにまで風の力がいきわたっている。


が細い。日頃から、もっと古竜の力を使うようにして、身体になじませないといけませんよ」


 リアナは口をぱくぱくさせた。まがりなりにも彼女はこの国の王だというのに、いままさに露台から突き落とされたうえ、古竜の使い方が悪いと説教を受けている。

「グウィナ卿! なんてことをなさるんですか!」


 引っぱりあげられるように浮いて、二人は露台に戻った。護衛の男たちが真っ青になって露台の縁に詰め寄っていた。テオとケブはすでに抜刀して戦闘態勢に入っている。リアナは手をふってとどめた。

「訓練……訓練だから。下がってちょうだい」しぶしぶと言う。「わたしは安全だから」

 グウィナは同調するようににっこりした。そして、落下で乱れた袖まわりなどを整えてくれながら、なにごともなかったかのように「それから」と続けた。

「いまこの場にデイミオンが駆けつけていないということは、〈ばい〉も使っておられない」


 リアナは押しだまった。

 〈ばい〉は一般に竜族が使う念話の一種だが、ここで彼女が言っているのは王とその継承者との間にだけ存在する〈血のばい〉のことだった。王国の端まで二人を結びつけ、会話だけでなく身体感覚も共有する魔法の力。本来なら、彼女が危機を感じた瞬間にデイミオンが飛んできてもおかしくないし、実際にそんなことも何度もあった。でも、リアナはいまその力を、できるだけようにしていた。理由は単純なことだった。


「だって、いまデイを呼んだりしたくないです。……ほかの女の子と楽しそうに踊ったりしてるのに」

「それが繁殖期シーズンというものですよ、陛下。着飾って踊って、相手を見さだめて。華やかで楽しそうに見えるでしょうが、それも子どもをなすための竜族の大切なつとめです」

 グウィナはそう言うと、どこか甥のフィルにも似た、どうとでもとれる微笑みを浮かべた。それでも、彼女はあの場に参加できるはずだし、してきたはずだ。リアナはいま、誰もかれもに子ども扱いされることに、心底うんざりしていた。デイミオンにも、メドロートにも、グウィナにも。



「……成人して次の歳からしか繁殖期シーズンに入れないなんて、だれが決めたの? どうして今じゃだめなの? わたしがデイミオンを好きなのは、来年じゃなくて、いまなのに」

 それが、リアナの目下の悩みなのだった。


 

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