曼珠沙華
憂類
曼珠沙華
つくづく、自分という女がいやになります。今まで人様には到底打ち明けられぬような、穢れた人生を送って参りました。そうです、話すつもりなど無かったのです。でもこのような機会ですし、お話しいたします。
私は越後の、貧しい家に生まれました。ひどい暮らしでした。あなたのような恵まれた方には、わからないでしょうね。
私には母と年の離れた妹がおります。私は母が嫌いでした。いや、軽蔑していたのです。私がこんなに成ってしまったのも、おそらくは母の所為でしょう。そうに決まっております。母は売女でした。汚らわしいことです。
家では料理の上手な、優しい母を演じておきながら。週末にはいなくなるんですのよ。「お茶のお稽古があるの」ですって。馬鹿々々しいわ、汚らわしいわ。
そうして妹をこさえてきたのです。父は当惑しておりました。だって私ができて以来、致していなかったんですものね。当然です。ああ、これは母から聞いたことですよ。父がいなくなってから、泣きながら話しておりました。父は絶望の末、発狂してしまいました。どうして気づかなかったのでしょうね。父もまた、馬鹿な男です。
妹のことですが、これが存外優秀なのでありまして。よっぽど種が優秀だったのでしょう、頭もよくて、可愛らしくて、うらやましいわ。私なんて目は小さいし、顔もにきびだらけですのよ。見たらわかるでしょう?
父が妹に替わってからも、私の家は三人でした。お風呂もない小さな家でしたが、妹の幼い頃は、それでも快適でした。一つ文句を言うとすれば、トタンの屋根から響く雨音が、それはもう大きかったことくらいでしょう。しかし妹が中学に上がった頃から、だんだんと不便になってきました。原因はわかり切っています。母の箪笥です。お嫁に行く時に、お婆さんから頂いたらしいのですけれど、これが本当に大きくて。私らにそんな大層なもの、必要ありませんのに。ですから私は、母に何度も言いました。
「お茶のお稽古になんて行っている暇があるのなら、箪笥の一つも売ってきてもらいたいわ」
嫌味ですよ、勿論。それでも母は譲りませんでした。家宝なんですって、阿呆らしいわ。
こんな私にも、恋というものはありました。生活に困って、町の本屋で働いている時です。
ある夏の昼下がり、私は新書の整理をしておりました。私はその時によく咳をしました。店の主人があまり掃除をしませんで、整理していると埃が舞うのです。私はそれに弱かったのです。
「大丈夫ですか」
そう後から声を掛けられました。決して美男子というわけではありませんでしたが、誠実な方でした。私は貧乏でしたから、学は無かったのですけれど、彼と私は仲良くなって、店先で世間話などしておりました。彼は話している間、顔に深いしわを作って、紙を丸めた時みたいに、くしゃりと笑うのです。私はそれが好きでした。その笑顔が本意からだとしても、また単に彼の癖だったとしても、私には良かったのです。嬉しかったのです。
そして私は、見栄を張りました。少しでも彼に、彼と同じ何かに、触れてみたかったのです。
私は学校に行きました。働きながら通うため、時間帯は夜間でした。忙しい日々でしたが、少しでも彼に近づけて、嬉しかった。楽しかった。
しかし学校というのは、私の想像していたよりずっと、上流に属すものでした。私の粗末な稼ぎでは、すぐに限界が来たのです。半年が経つ頃には、翌月の学費も払えなくなりました。
嫌でした、学校を辞めるのは。だから私には、どうしてもお金が必要だったのです。
私は身体を売りました。でも母とは全く別物ですわ。私は学びのために、彼を愛するために、仕方がなかったのです。快楽のためじゃないわ。
でも身体を売るって、大変なことよ。名前も知らない、汚らしい男性が、私に触れてくるのです。触れられたその場所から、黒い何かが身体に入ってきて、そして這い回っているのです。気持ちが悪いわ。
私の身体は、汚れてしまいました。たった一回だけじゃないかって? 違うのです。これは精神の問題なのです。人を愛するために、身体を売ってなんかいけないのです。男性にはわからないかしら?
そして私は、本屋の仕事を辞めました。彼に会いたくなかったから。こんな身体で会っても、私は彼の前で、素直に笑えないでしょう?
でも店を辞めてしまって、今度は生活に困りました。私を雇ってくれる店なんて、そうそうありませんからね。私はまた身体を売りました。そこからはよく覚えてないわ。何度したかなんて。
何度も何度も何度も、なんどもなんどもするうちに、私の中の恋だとか、嬉しみだとか悲しみだとかが溶け出して、消えてゆきました。人形みたいになりました。
しばらくこんな事を続けていると、小さい町ですから、私の噂は広まっていきました。男性で知らない方はいなかったのではないかしら。女の人はわかりません。どうせ軽蔑してるに決まってるわ。
そして、とうとうあの日が来てしまいました。私の元に一人のお客が来たのです。
彼でした。無感情に平坦だった鼓動が速くなって、私は倒れそうになりました。彼の顔は見られませんでした。でもきっと、私を蔑んでいたのでしょうね。
彼は何か、私に声を掛けてきました。私にはそれが、よくわかりませんでした。少し遠くにいた彼がだんだんと近づいてきて、私は怖くなりました。あんなに好きだった彼が怖いだなんて、可笑しいわね。
彼は、私に触れました。黒い何かが、私に触れました。
気がつくと、私は近くにあった石を彼に打ち付けていました。何度も何度も何度も、なんどもなんどもなんども。彼は動かなくなりました。最後に「どうして」と言っておりました。どういうことでしょうか。
私は動かなくなった彼を、ずっと眺めていました。どうしてか、そうしていると落ち着いてきて、心地いいのです。そうです、私は安心していたのです。
最初は、それが何なのかよくわかりませんでした。でも、今はわかっているのです。
それは「生」への安心でした。死という恐ろしいものに触れた時、自分がまだ生きているという事に対して、安心したのです。生きているって本当に、素晴らしいことです。こうしてお話したり、食事したりできるもの。それを教えてくれた彼には、やっぱり感謝しないといけないのかしらね。
ねぇ看守さん、あなたはどう思うかしら?
了
曼珠沙華 憂類 @yurung13
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