第8話 黒い球体と勇者たち

 その日、グレイベルク王国に巨大な黒い球体が出現した。


 城下町から最も遠い国境付近の関所でも確認できるほど巨大であり、王の住居である王城を含めた敷地内すべてを飲み込んでいた。


 おい、あれ……。

 ん、どうしたんだ……。


 城下町への入口となる門の衛兵二人は、その黒い球体を見上げながら愕然として、魂を抜かれたかのように立ち竦む。

 商店などが立ち並ぶ一帯では、旅行客や店員、冒険者や国民たちが同様の反応をしたあとパニックに陥っている。

 騒ぎを鎮めようにも衛兵や役人たちにも事態が分からず、どうすることもできなかった。

 この国はもうおしまいだ。

 そう言って酒瓶を片手に震える酔っ払い。

 神よどうか我らをお救い下さい。

 その場にひざまずき祈る者。

 混乱の仕方は様々だ。


「おい衛兵、あれは王城の方じゃないのか!」

「すでに他の者が向かっているから心配ない!」

「他の者とは何だ、適当なことを言うな、お前たちが魔国へ侵攻したからこんなことになっているじゃないのか!」

「俺たちは魔王を怒らせちまったのか……」


 絶望に満ちた論争がいたる所で繰り広げられている。

 皆、理由が知りたかった。


 黒い球体は学園からも見ることができた。

 生徒たちは校庭に集まり、校舎の窓から顔を出し、遠くの城を眺めている。

 そこには召喚されし勇者たちの姿もあった。


「木田、あれが何か分かるか?」


 校庭に出た佐伯は、遠くの黒い球体に目を奪われながらそう呟いた。

 木田は「知る訳ないだろ」とため息くらいの声を返した。

 二人の間抜けな表情を笑う声が聞こえた。

 小泉明。勇者の一人だ。

 低い背丈。

 眼鏡の奥に下卑た目つきと陰湿そうな面が見える。

 歯茎をむき出しにした笑みを浮かべていた。


「この国は魔族と戦争してるんだろ。じゃあ魔王の仕業と考えるのが妥当なんじゃないかい? それか龍の心臓とかいう盗賊かもな」


 小泉は「リーダー面するなら少しは頭使えよ」と佐伯へ言った。

 今に始まったことではない。

 政宗が彼らの元を離れ、しばらくして小泉は佐伯へこのような小言を言うようになった。

 最初は言い返していた佐伯だが、今では苛立つ目つきを向けるくらいになっていた。


「ところで、今日はまたフィールド訓練に行くんだろ? だったら早くしてくれ。これじゃあ早起きした意味がないじゃないか」

「いけないよ小泉くん、佐伯くんにそんなこと言っちゃあ」


 橘武。

 肥満体形な小泉の友人だ。

 見た目は小泉よりも背が高く体も大きい。

 だが口から飛び出る言葉の数々は変わらない。

 類が友を呼んだのだろう。


「佐伯くんは頑張ってるんだから、アリエスさんのためにね」


 小泉と橘は二人して肩を揺らしながら笑った。


「いくら眺めたって正体は分からないんだ。それより朝食でも食べにいくかい?」

「さっき鉄平と食べてきたところさ」

「なんだよ、誘ってくれよ」

「もう一回食べてもいいよ」


 二人の背後から幽霊のような顔をした生徒がぬっと現れた。


「おはよう」


 田所鉄平。

 橘や小泉よりも長身だが、ナナフシというあだ名で呼ばれるくらいに細身。

 無口でほとんど喋らない。


「じゃあ僕らは食堂に行ってくるから」


 佐伯が苛立っていることを分かった上で小泉はそう言った。


「ここにいろ」

「はあ?」とわざとらしく聞こえなかったふりをして、小泉は「どうして?」と続けた。

「すぐに訓練だ」


 黒い球体の出現。

 嫌な予感がしていた。グレイベルクに何かが起きている。

 だが今の自分に何ができるだろうか。

 この世界へ来てから勇者たちは大切に育てられてきた。

 戦闘経験は著しく低い。

 命のやり取りの中で、自分がどこまでできるのか自信がなかった。

 それを解決してくれるのがフィールド訓練だった。


 小泉には分かっている。

 佐伯はアリエスを想い行動するだろう。

 そこから導き出される焦り。理解できない事態。そしてまた焦り。

 焦りそうな時こそ冷静になろうとして――。


「何かあるたびに訓練だ。それがすべて解決してくれると君は思ってる。だけどそれは君だけなんだよ佐伯」

「議論するつもりはねえ」

「僕たちはねえ、君が生み出したこの同調圧力に屈してあげてるんだよ。それくらい気づけよ」

「じゃあ他に強くなる方法でもあんのか」

「知らないよ、君が強くなりただけだろ?」


 理解ができなかった。

 アリエスのために、グレイベルクのために強くならなければいけない。

 それが今の佐伯の常識だった。

 佐伯は、小泉を睨みつけた。


「てめえ、ふざけて言ってんのか?」


 小泉の胸倉をつかむ。


「おいおい、ここで一戦おっぱじめるつもりかい?」

「強くなるために学園にいる、そのために俺たちはここで生きてる、違うか?」

「違うね、生きられているから生きているだけさ。僕たちは今すぐに強くなろうなんて思ってない」


 佐伯の握りこぶしに小泉がにやける。


「殺してくれても構わないよ。でも、そんなことをしたらみんなどう思うかな。君について行こうって思えるのか。分かってないようだから教えてあげるけど、誰も君をリーダーだと認めてないんだよ。君は日高を虐めていたような奴だからね。そもそも仕切っていること自体がおかしいのさ。急にやる気を出されて俺たちまで巻き込まれて、こっちはいい迷惑さ」


 胸倉をつかんでいた手を強く離す。

 尻もちをつきそうになる小泉を支えたのは、一条だった。

 隣には、西城小鳥という気の弱そうな女子生徒の姿もあった。


「もめごとか?」


 注視する一条の視線に、佐伯は「もう終わった」と苛立つ。


「あれは城の方角か」と一条が黒い球体へ指を差す。「俺には城の真上にあるように見えるんだが」

「どういう意味だ」

「意味? 思ったままを言ったまでだ。それよりバトラー先生を見なかったか、今朝から姿が見えないが。外へ出るなら許可が必要だろ」


 勇者たちのほとんどは、学園内で自分たちだけのコミュニティで生活している。

 他を寄せ付けない勇者たちの評判は悪く、学園では浮いた存在となっていた。


 学園の生徒たちは転校生――勇者に興味津々だ。

 勇者が召喚されたというのに、魔族との戦争は終わる気配がない。


 ――あいつらは何をしているんだ、何故学園にいる。


 黒い球体へ向けられていた好奇心は、次に勇者たちへ向けられた。

 国に異変が起きているにも関わらず、勇者たちはまだ学園にいる。

 生徒の中には貴族の子供もいるが、国からの説明は未だない。


「許可ならもらってある。正門前に集合しろ」


 佐伯は周囲の生徒たちを睨みつけながら、その場を去っていった。

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