第345話 無風帯

「イチジョウ殿、いい加減処刑されたらどうなのだ!」


 円卓のみが置かれ室内に、ゼルスの怒号が響いていた。

 そこには席に着く一条と、起立してテーブルに両手をつくゼルスの二人だけだ。


「あの黒龍の炎では格子こうしすら熔かせません、どうなっているのですか!」


「俺が作った牢屋ですからね、当然ですよ。誰にも壊せません」


「いつまで深淵の王を生かしておくつもりですか、四天王や魔物すらままならない状況なのですよ!」


「だからですよ」


 感情的なゼルスに対し、一条はいつまでも冷静に話す。


「魔人や魔物はもう、人間にはどうすることもできません」


「あれから2年も経つのですよ……どうにかすべきです。絶望で時間を無駄にする時間はもう終わりです」


「それだけの時間をすでに無駄にしている訳です。こちらからもお願いします。いい加減、あとは俺に任せてください」


 苛立ちを残したまま、乱暴な足取りで部屋を出ていくゼルスの背を、無関心な様子で一条は見つめた。あとには溜息もなかった。


 しばらくして同じように部屋を出た一条は、長い屋外の廊下をわたり、突き当りの扉の前で止まった。

 石造りの壁に簡素な木製の扉。開けると、その先は大地だった。

 平面の砂地で、広大だ。だがどこまでも続いている訳ではなく、遠くに防壁が見え辺りを囲んでいた。

 視界に移るのは防壁よりも上空から降り注ぐ火柱だ。中央の何かへ放射されている。一条が扉前から歩き出して傍に辿り着くまで、その火柱が消えることはなかった。


「カーペント様!」


 上空に黒龍カーペント・ゼ・バッハの姿はあった。一条に気がつくと火炎の放射を止め、人間の姿となり地上に降りた。

 鋭い敵意だ。カーペントは無言のまましばらく一条を睨みつけた。

 一条は微笑みを含んだ表情で軽くお辞儀し、「少し彼と話します」と言った。

 カーペントは最後まで何も言わず、一条の傍を素通りして立ち去った。


「だいぶ嫌われてるみたいだな」


 そこに大きな鉄格子の檻があった。

 政宗は中であぐらをかき、動かず床を見つめていた。


「誰もが君の死を願っている、だからさ」


「だがお前がそれを許さない。なんでだ?」


「まず君は誰にも殺せない」


「そうだなあ。殺せないと分かった時、あいつらが次にどんな行動に出るか、見てみたくないか?」


「君の思い通りにはさせない。人間は君とは違う」


「俺を殺さない時点で認めてるようなもんだ。お前は人間が所詮そんなもんだと分かってる。でもさあ、いいじゃないか、別にそれで」


「君にはこの状況を解決する責任がある」


「魔物や四天王をか? おいおい、それは傲慢だろ。あいつらだって同様に尊いんだぞ」


「もう西や北に住んでいた人間はみんな死んでしまったよ」


「そうだろうなあ」


「グレイベルクが今どのようにして凌いでいるのか、君は知っているか?」


「いいや。ここがグレイベルクだってことも今知ったくらいだ」


「町や村から集めた人間を魔物に渡しているんだよ。彼らの食糧には人間も含まれるから。主食という訳ではないそうだ。なのに彼らは、一生食えないというのも困ると言って、この協定を守っている。人間が人間を生み続ける限り、グレイベルクは人間の国であり続けることができるんだ」


 檻に住まう動かない無色の細目が言った。「おめでとー」


 政宗は一条など見ていない。床の鉄板にかかとを擦り付けて作った穴。そのぽっかりと空いた穴から見える、地面の砂を見つめていた。ときおり指の間にはさんで遊ぶ。


 バノームの比較的東に位置するグレイベルクだが、そのさらに東には大森林――魔国領がある。これら東の地は澄んだ青空だ。だが西に振り返れば、遠くの空には赤が広がっている。それは檻の中からも見ることができた。

 政宗はときおり遠くの赤い空を眺めては、また足元の穴に視線を戻す。


「今や多くの人間がグレイベルク領で暮らしている。なぜ世界が魔物で満ちているのか、ほとんどの者はその理由を知らない。深淵という言葉すら知らず、魔物や魔人が意図的に放たれたものであるということも知らない。日高くん、君を知る者ももう残りすくない。君がここにいることを知るのは数名だ。人間は君のように長くは生きられない。あと何十年かすれば俺もここに来られなくなるだろう。君は、この先どうなるんだろうか」


「異世界から、意識廟から、穴倉から、そして今度は檻に移動した。それだけのことだ。この先だと? 別にどうもならないだろ。大人しく封印されてやるだけだ」


「その封印だけど、もうとっくに解けているんだろ?」


「……」


「二年前ですらそんなもの、機能してなかった」


 政宗は無言のまま、またどこか遠くを見つめる。







 遮る建物が一切ないから、ここは風が強い。

 遠くに防壁が見えると、まるでコロシアムの中心にいるような感覚になる。いつか対校戦のフィールドに立った頃の記憶が思い出される。

 観客席にネムとスーフィリア、トアの3人の姿があった。俺の勝ちが決まるたび、手すりから身を乗り出して3人は俺に手を振った。


 記憶の中の3人は、笑っている。


 思い出すたび口元が緩みかけた。ただそれだけ。以降に何か感情はなく、ただそれだけだ。そして緩みかけた口元の感触が消え、また無に戻る。

 そんなことが偶にあり、俺はこの檻の中で2年くらいを過ごしているらしい。

 二年前ターニャ村で、ロメロかアダムスか分からにような幻影と遭遇した。そこで俺は、何かに気付けた気がした。

 ただ何に気付いたのかが思い出せない。

 ど忘れに近い感覚があれ以来続いている。


「一条、 知ってるか」


「ん?」


「アドルフは友を妬んだ。だからあいつの深淵は嫉妬に満ちてるんだ」


「それがどうした」


「ゼファーは忘却。アダムスの姉のビクトリアは絶望。オリバーは憤怒。なあ一条、俺の深淵って、何だと思う?」


「君の深淵?」


「俺は結果的に俺に負けた。その敗因は、俺に宿る深淵の本質と同じであるそうだ」


「誰かにそう言われたのか?」


「たぶんアダムスが言った」


「アダムス様が?……でも、アダムス様は」


「たぶん生きてる」


 一条は疑わしい表情をした。


「姿を見せる気がないんだろう。本人なりに役目を終えたんだ」


「……役目」


「アダムスにも敗因があった、何かは知らない。俺たちは誰しも敗因を背負うそうだ。だが俺には分からない。俺の深淵は未だ空白だ」


 いつかヴェルが何か言っていた気がする。たぶんヴェルは俺の深淵の根源を知っていた。半身だからだろうか。たぶん俺はそれを忘れている。


「いつだったかそれに気づけた気がした」


「それがこの状況に関係しているとでも言うのか、君が目を向けるべきは」


「俺はいつだって自分自身に目を向けてきた。魔物と魔人を放ったのは俺だ。俺にはその役目があった。誰しも何かしらの役目を負う」


「狂った思想だ、人間虐殺が君の役目だったとでも言うのか。だから仕方がなかったとそう言いたのか」


「言わないさ。ただ人は日々の多くを変えられない予定調和の中で生きる。実感できるほどの変化を得られたとしても、それは結局一部に過ぎないってことだ。すべては調和の中にあるから」


「何が言いたい」


「封印されて、それで終わりのつもりだった。だが俺は今こうして檻の中にいる。目の前にはお前がいて、相変わらず説教くさい小言を言ってくる。教室で佐伯にいじめられていた頃と、なんら変わらない光景の一部だ。一条、なんでお前は、まだ俺の前に立ってるんだ?」


 何年も前から、この光景を頭の奥のどこかで想像していた気がする。封印されてそれで終わりだと思っていたはずなのにだ。そして以降には何もなく、たとえるなら二年間過ごしたあの穴倉みたいな空白のイメージがずっとあった。

 ただ何もないなんてことはあり得ないとも分かってもいた。意識が消えない以上、終わりはない。だから行動すれば、いつまでかは分からないが、その「終わり」を見ることになる。俺は分かっていた。


「俺の力ではどうにもできない」


「だから俺の前に立つのか。違うな。お前にはまだ役目があるんだ」


「だとすれば日高くん、君にも役目があるってことなんじゃないのか?」


「どんな?」


「俺の役目を手伝う役目さ」


「……ねえよ、そんなもん」


 俺がそう言ってすぐ、急に一条が気分を悪そうに顔色を変えた。

 その場に膝をつき、


「一条、 どうした?」


 首を押さえ、軽く咳き込んでいる。


「息が、できない……」


「息?」


 全くなんともない。

 この場所は空気が薄いのだろうか。緑は一切見えないが……。

 倒れかけた一条の体が黄金に光った。それが何故か、俺が体から赤黒い存在を放った時のような感覚に近いと思えた。

 一条は何事もなかったかのようにすうっと立ち上がり、たそがれるような眼差しで俺の後ろ、どこか遠くを見渡した。


「一条?……」


 思わずこいつの視線の先へ振り返ると、


「なんだあれ」


 西方を支配していた赤い空の中に、急に台風の目のようなものが現れ、瞬間的に赤を吹き飛ばした。あとにはグレイベルクの上空よりも澄んだ青空が現れていた。

 一条は険しい目つきで見つめ、


「……魔力じゃない」


「となるとスキルか。いや、違うな。これは御業だ」


 御業みわざは観察者が使う能力だ。スキルはこの御業から出た屑のようなもの。かつてオズワルドが俺を封印するために使った能力なんかは御業に近い。あれはスキルの集合体だった。


「あの空は魔人の影響で染まっていたものだ。そう言われている。それを一瞬で吹き飛ばすとは……魔物の仕業か」


「違うな」そう思った。「魔物に御業は使えない」


「たとえば、成長したとか」


「魔物は今や最強生物だぞ。中には魔人に匹敵する連中もいるくらいなんだ。成長の必要がない」


「俺は今、息ができなくなった。ということは……空気か」


 何かに気付いたように一条は血相を変え、すぐに走っていった。

 大変だなあと思いながら、俺は頭の後ろで腕を組み格子にもたれる。


 西の空がやたら青い。それが徐々に、東の無事だった青空を侵蝕していくかのように思えた。

 気のせいか……。


「なんだろう」


 辺りの風が、ぴたりと止んでいた。







 町の通りを駆ける一条の顔は深刻だ。辺りの路上には次々と倒れる人の姿が見えていた。誰もが首を押さえ、あるいは突然にばたばたと倒れていく。

 兵舎前にゼルスの姿を見つけ、一条は駆け寄った。


「ゼルス、しっかりしろ」


 体を起こすも薄目を徐々に閉じ、ゼルスは意識を失っていく。


 肩に担ぎゼルスを診療所に運ぼうとするが、グレイベルクの上空を黒龍が通過していった。一条の足は止まった。

 空を見上げ「カーペント様」と名を呼んだ。

 黒龍は明らかに地面に向かって落ちていた。数秒してカーペントのものと思われる振動が地面から体に伝わってきた。どこかに不時着したのだろう。

 悩んだ末、


「ゼルス、すぐに戻る。ここで待っていてくれ」


 ゼルスをその場に残し、一条はまた町を駆けた。







 その赤子は最初からそこにいたかのように、目の前に浮遊していた。

 久しぶりに見た。すぐに思いだして「観察者か」と俺は呟くように言った。相手側からの返答はなかった。

 

 赤子はその場で飛躍的に成長した。外見の話だ。

 みるみる背丈が伸び、今の俺と大差ない姿になった。色白で、能面のように静かな顔立ちが、大人びたものになった。

 目には色がなく置物のように生きた感じがしない。着衣はなく全裸。真っ先に股の間に目がいった。そこには何もなかった。タイツの表面のようにつるつるだ。性別がないのか、アルカリ性とでもしておこう。


「なぜ観察者が赤子の姿をとるのか分かるか」と観察者は言った。


「さあ」


「純粋な感性が欲しいからだ。死を前提とした生を理解できるのは誕生の直後までだ」


 それももう今は必要ないと観察者は言った。そして俺に手をかざした。

 直後、檻が砂のように細かいものへ変わり、風に流されるように消えていった。その時だけ肌に風を感じた。

 ますます辺りには何もなくなった。俺はただの更地に腰を下ろしていた。


「風がない……西の空を変えたのはお前か、魔人たちをどうした」


「これは無風帯だ」


「無風帯?」


「西の空が赤く見えていたのはイフリートやトールの仕業ではない、お前が生み出した、この無風帯のせいだ」


「めんどくさ。ちゃんと分かるように言えよ」


「先ほどグレイベルクに無風帯を転移させた。今この地には酸素がない」


 観察者は直立不動で淡々と語る。何がしたいのか分からない。

 視界に違和感を覚えた。宙に砂のつぶてが浮いている。無数だ。漂うのではなく停滞している。辺りが砂のような色に変わった、辺りはまるで砂漠だ。だが音がなく静か。


「これをバノーム全土に広げる。この地点から」


「あっそ」


「人間には空気が必要だ。それは獣人にとっても同じ。では魔族はどうか。あれはロメロの破片が生物化したものだ。つまり生物。では魔人はどうだろうか。あれは元は精霊だ。精霊はアダムスが誕生させて以降に野生化した、つまり生物だ。反転しているとはいえ、あれらも生物的なものなのだ。観察者やヒダカマサムネや、イチジョウユキムラなどの存在濃度の濃いものは摂理を無視できる。魔物もそうだ。だが生物はそうはいかない。無風帯を広げれば、それらすべてが死滅する」


「つまり、バノームが魔物だけの世界になる訳か」


「バノームだけではない。ゆくゆくはこの大陸の外にも広がっていく」


「お前は何がしたいんだ」


「お前がやりたかったことだ」


 今一ぴんとこない。俺がやりたかったことを俺は知らない。


「誰も虐げられることのない、侮蔑のない世界が欲しかったのだろう?」


 そういうことか。

 獣人も魔族も、人間同様に殺すべきだと考えた訳だ。

 それにしてもだ。仮にも神仏的な存在でありながら人間的な愚論をするのか、この観察者ってやつは――。


「ヒダカマサムネ、お前は次の観察者となるのだ」


 挙句の果ては、一切理解できなかった。

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