第346話 勇者と怠け者

 ――焼けた臭いにおいがする。


 王都ラズハウセンの時間は2年前から止まっている。

 風の噂で聞いた、確か一条だったか。佐伯が聖騎士の軍団と攻め込み、そののちに王都全域に火柱が上がったのだとか。詳細は分からない。佐伯の仕業か、もしくはそれ以外の何かか。魔物か魔人か観察者か。人間か。


 半壊した正門付近。半壊とはいえ崩れ落ちず残っている防壁は真っ黒で、つつけば崩壊しそうなほどだ。門は跡形もない。


「どう思う」観察者が当たり障りのない質問をした。


「どうって……」


「誰の仕業か分かるか」


「さあ」


「それが観察者と深淵の王の違いだ」観察者は言った。「これはサエキケンタの仕業だ」


「なんだ佐伯か」


「彼はオートマタの技術を利用し、全身を鋼の義手と義足で覆った。下半身を蜘蛛の足のように、見た者に即嫌悪感を与える外見にしろとグレイベルクの技工士に伝えた。右手にはサソリの爪、そして左手には人の手を模した義手をつけた。一部に人間らしさを残したのは彼なりの希望の表れと言える。明確な考えあってのものではない。サエキは左利きだった。その左手でいつの日か、また娘と妻の頬に触れる瞬間を夢見たのだ。生前は毎日、夢に見ていた」


「俺みたいだな」


「お前は今でも夢を見るか?」


「……」


「それが人間と深淵の王の違いだ。お前はいつからか夢を見ていない。眠ることがないからだ」


「連れてきた理由を言え。退屈なら檻に戻るぞ」


「戻る必要はない、お前は常に檻の中だ。抜け出す気がなく、それどころか立ち上がろうとすらしない。地べたに座りっぱなしだ。常に扉は開いているというのに、そもそも鍵は最初から掛けられていないというのに」


「鬱陶しい言い方をする奴だ、それが人間だろ」


「4年前、サエキの日常は消えた。以来、彼は復讐と破滅を願った。その結果がこれだ。佐伯は体内に爆弾を仕込みアーノルド王に謁見した。それは彼の心臓が止まると同時に起動し、王城から火柱は上がる。深淵の王よ。少なくともその瞬間には、サエキは檻の中にはいなかった」


 不意に歩き出す観察者。正門を抜けて王都に入った。

 焦土と化した町並みを眺めていると、勝手に、記憶の中の映像と重なる。

 店先で冒険者たちと語らうシャロンさん。その向かいには冒険者ギルドがある。中を覗くと集いの場があって、賑わっている。ジョッキを両手にヨーギが手を振っている。ジョッキからこぼれたビールを頭にかぶり、そんなヨーギを見て周りの冒険者たちは愉快そうに笑う。だんだんとその騒がしさが心地よくなってきて、俺も自然と笑みを浮かべる。トアも、ネム、スーフィリアも、シエラも……みんな笑って、いつのまにか手にジョッキを持っていた。


 しばらく歩くと中央広場に出た。確かあの端のベンチで、トアと一緒にジュースを飲んだっけ。


「ヒダカマサムネ――」


 声が聞こえると、景色は元の焦土に戻っていた。黒焦げの瓦礫が広がるだけの荒れ地だ。

 観察者は国の頂上を指さしていた。


「……階段?」


 ラズハウセンの丘にはかつて王城がそびえていた。そして玄関となる立派な白い門と城の間に、長い大階段があった。訪れる者や出入りする者は誰しもその階段を通る。それは町からも見えるくらいに広々としていて、城の次に象徴的だった。


 ――丘に白い大階段が見えていた。


 それは熔けて曲がった門の先から始まり、王城跡を通り過ぎ空に向かってどこまでも続いているようだった。

 階段はプレアデスへと続いているそうだ。その先には「隠室いんしつ」というこいつの住処があるらしい。


「これまで幾度となく人間を観察してきた。飾らない言い方をしよう、好きだと思ったことは一度もない。私は人間が嫌いだ。不快だ。嫌悪する」


「観察者は崇高な存在じゃなかったのか、まるで人間のような口ぶりだぞ」


「――崇高など 以っての外でしょう」


 気配を感じて隣を見ると、そこにロメロの姿があった。

 違和感のある組み合わせだ。ロメロは元観察者だが観察者によって追放された身でもある。

 俺が疑問に思っていると、察したようにロメロが言った。


「世界は存在するに値するもので統一される、そう彼は言いました。私もそうあるべきだと思いました」


「その答えが無風帯か」


「誤解です。今や人間そのものが無風なのです。主体性を失った存在に意義はありません。分かりますか、グレイベルクに無風帯があることは必然なのです。彼が召喚せずとも無風帯はいずれバノーム全土を覆いつくすでしょう。そして無風帯は大陸の外にも広がっていく。現代はすでに魔物の世界なのです」







 桃源郷にでも続いているかのような白い階段を、二人は一段一段と上り始めた。ロメロは階段の前で足を止める俺に「陛下、行きましょう」と声をかける。

 騙されたと思って――その一言で始まる要求には従わない性分だ。


 甲高い唸りが聞こえ、上空を黒いドラゴンが通過した。火炎が降り注ぎ、俺たちは一身に浴びた。

 腕で振り払って視界から火を除去する。

 観察者が飛空するカーペントを指さした直後、青空から突然瞬間的にくいのようなものが突起した。それは黒龍の背から腹へ貫通する。


「カーペント様!」


「行くのだ、イチジョウ」


 空の上から会話が聞こえる。

 龍の背から何かの飛び降りる影が見えると、それは俺とロメロの目の前に着地した。一条だった。

 血しぶきをラメのように振りまきながら、カーペントは遠くの森へ落ちていった。


 俺たちは言葉もなく向かい合った。


「どういうことだ」


 あからさまに怒った顔をする一条。

 視線を一条の背後遠くにずらし、離れた階段にいる観察者に「どういうことだー?」と、代わりに説明するよう俺は伝えた。

 ロメロが「私が説明しましょう」と答える。一条が言葉を遮り「俺は日高くんに聞いているんだ!」と怒号を飛ばした。


「次の観察者にしたいんだってよ、この俺を」


「……ふざけるな」


 怒りに震えるような囁きが聞こえ、


「ふざけるな! 誰一人救えず、辛いことから目を背け、最後まで目を背け、そうやって最後まで逃げるつもりか!」


 熱を飛ばす一条の背に、ロメロは薄っすらと、やんごとなき笑みを浮かべてまた階段を上る。

 一条を素通りして、俺も階段を上った。

 すぐさま背中に声が飛んでくる。


「君を生かしていたのは助けたかったからじゃない!」


「まあ、そうだよな。お前もそこまでお人好しじゃない」


「俺は偽善者じゃないぞ。殺さなかったのは君にまだ利用価値があると考えたからだ、もう君くらいしかこの世界を救えないと考えたからだ。俺では魔物の侵攻すら止められなかったからだ!」


「うん、知ってる」


「グレイベルクが今どんな状況なのか知ってるか?」


「無風帯だろ」


「無風帯?」と一条は知らない様子。


「人間は滅びるそうだ」


 一条の目が答えを求めるように、ロメロと遠くの観察者を見た。「そういうことか」と一条は愕然として言葉をもらす。


「君はそれでいいのか。君は、獣人や魔族だけは残そうとしたじゃないか」


 確かに残そうとした。ただその意味ももう分からない。

 2年前の俺が一体何を考えていたのか、今の俺には思い出せない。

 息を忘れてもう4年が過ぎているのだから。


「現代はすでに魔物の世界だってよ」


 何を考えているのか、一条が剣を抜いた。金色の、勇者のつるぎだ。


「おいおい、それ、どうするつもりだよ」


 俺の質問を無視して、いきなり斬りかかってきた。熟練の剣で。

 流れるような剣技の中、「《爆王の極みエクスプロージョン・マキナ》!」とつるぎに爆破属性を宿し、一条は闘気を放ち斬りかかってくる。花弁が舞うように掴みどころがなく隙が無い。そして力強い。まさに勇者だ。


「佐伯は檻を脱したそうだ」


「……」


「俺もそろそろ檻を出ようと思う」


「……それが、君が観察者になることと何の関係がある。まるで逆に見えるぞ、深淵の王!」


 一条の腕の無い左肩から、金色の何かが生えた。まるで俺たち深淵使いが赤黒い存在を操るみたいに、一条のそれは人の腕の形に成形され左腕となった。

 斬り込んだ一条の剣を俺は《人体革命剣ヒューマニズム・ブレード》で受け止める。接触の瞬間、バランスを崩し背中を反ってしまうほどの風圧が生まれた。反動がでかく、俺たちは互いに剣を手放した。

 すかさず左頬に一条の拳がめり込んできた。そっくりそのままやりかえしてやった。

 それからしばらくは不毛だ。無様な殴り合いが続き、


「――《天命の稲妻セイバー・ライトニング》!」


 一条がそう言い放ってすぐ、上空から無数の金色の剣が降り注ぎ、それは俺の左腕に集中砲火した。

 ぼとっと左腕が階段に落ち、すぐ灰になる。


「これでおあいこだ」一条はニヤついた。


 イラつく笑みだ。

 一条の右腕をわし掴み「じゃあその右腕も奪ってやるよ――《悔恨の産声パルトューレ・ピグマ》!」

 一条はぼこぼこと膨れ上がる自分の右腕に、瞬時に何かを施したように見えた。ライトが一回点滅するような光があり、魔術の効果は右腕から偽の左腕へ流れた。代わりに左腕がはじけ飛び、一条は俺と同じ右腕だけの状態になった。

 そしてそれぞれ金色の左腕、赤黒い左腕を形作って――。


 空気が震えるほどの衝突の中、一条の瞳は血走る。本気の殺意だ。それがなんだか可笑しくて、思わず笑ってしまった。


「人間は、俺たちはもう一度やりなおせる!」


「死んだ奴は生き返らない。もうグレイベルクの生き残りも全滅してるころだ。お前は俺じゃなく、先に無風帯を止めるべきだった」


 一条の険しい表情の奥が見えた。


「分かるぞ。お前は合理的だもんな。見捨ててきたんだろ、残りの人間どもを」


「……」


「理由が分かったんだ、今すぐグレイベルクに戻ればいい。でもお前はそうしない、お前には無風帯を止める力がない。あれはバノームを越え海を越え、他所の大陸へも広がっていく。そうなるとグレイベルクどころじゃない。人間の再生は不可能となる」


 一条は悔しそうに歯ぎしりした。まるで隠そうとしないのが、こいつの純粋なところだ。


「お前は合理的に考え、バノーム最後の人間たちを見殺しにした。住み慣れた土地だろ、風がない違和感くらいは気付いていたはずだ。だがお前は俺に会うことを優先した」


「苦渋の決断だった……それでも俺は、やりなおす努力をしたんだ」


「そうだな。お前のそのご立派な判断は、バノームの人間たちの間で語り継がれていくことだろう」


「皮肉なんか言って楽しいか」


「楽しいねぇー」


「君はやりなおしたくはないのか!」


 一条の声が上空へ渦を巻いて上り、天空で弾けて広がった。

 喧嘩腰な会話が終わった。


 不毛な会話も、傷がしみる程度の嫌悪感は与えた。一条が説得しようと言葉をなげかけるたび、俺は茶化さずにはいられない。真正面から受け止めようとはしない。それが限界だ。


 ぼんやりと遠くを見つめた。アルテミアスへと続く山脈の割れ目――山道から、魔物の群れと思われる蟻のような影が漏れ出していた。

 一条も気づいたが、何も言わない。

 ラズハウセンもグレイベルクもこれで魔物の巣窟だ。無風帯が大森林に広がれば魔族も死ぬ。それでバノームは完全に終わる。西に広がれば獣人も死ぬ。


「もう一度聞く……。やりなおそうとは、思わなかったのか」


 過去系の問いがすべてを表している。一条もとうとう悟ったのだ。


 気が付くと数段先にロメロと観察者が並んで立っていた。「もういいな」と観察者は一条に問いかけた。だが当の本人は何も答えない。

 一条はやる気をなくしてしまったように、階段の途中に座り込んだ。


 それから少しだけ、静寂の時が流れた。まるで別れの直前のように俺たちは一言も話さず、後ろの二人も何も言わない。

 一条は背を向けたまま、しばらく空を見上げていた。

 そして、ぽつりと言った。

 

「君は怠け者だ」

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