最終章

第333話 深淵の王

 砕けたヴェル。

 首のない巨人。

 魔術も、深淵すら通用しなかったはずのこいつに、ただの手刀が通じた。


 いや、ちょっと待てよ……。


 あれほど大きな図体をした者が倒れたのに、揺れ一つなかった。


「これは……」


 ――道理で揺れないはずだ。


 地面に転がる巨人の体と首が、赤子のものに変わっていた。


「なんだこれ……」


 ガリガリの巨人、ではなく、浮遊する赤子の姿があった。

 額から汗を流し、動揺を隠せない様子で俺を睨んでいる。

 赤子の体に大人の顔。


「――いやはや、何とめでたいことか!」


 突然、俺の隣に両開きの扉が現れた。

 開き、そこからロメロが現れ。


「ロメロ……」


「ご帰還なされて何よりです、王よ」


「何を言って……今までどこに行っていた?」


「ロメロ、これは貴様の仕業か!」


 赤子が激昂し怒鳴ってきた。

 額に血管が浮いていて、幼さのかけらもない。

 声が大人の男性のものだからか違和感がある。


「いえいえ、私も驚いていたところですよ。王となる条件が、まさか半身を自ら破壊することだったとわ……。道理でこの世が始まって以来、王が一度も現れていないはずです。半身を失ったものは王の資格を失う――そう思い込まされていては、壊せるはずなどない」


 口調が、いつものロメロと違う。

 まるで観察者と親しげだ。


「それでは参りましょうか、王よ。話さねばならないことが山ほどあります」


「……お前は、誰だ?」


「…………ご存知でしょう、ロメロです」


 俺の知っているロメロではない。


「さあ、参りましょう」


「ロメロ!」


 赤子の呼び声が聞こえた。

 ロメロは振り返る。


「すべて崩れ去るぞ?」


「……深淵の王はお生まれになった。これで世界は開かれる。それだけのことです。すべては原初へ帰るのです」


 ロメロは愉快そうに微笑み。


「伝えてください、ゼメント」


「貴様……」


「正しき世界で、久しぶりにお茶でもどうかと」


「貴様ぁ!」


「さあ、行きましょう」


 一瞬、老人はいつものロメロだった。


 俺は何も分からないまま招かれ、ロメロの後に従って扉の中の奥へ進んだ。







「疲れておられるようですな。それもかなり」


「……」


 扉の先は狭く暗いトンネルだった。

 しばらくすると道の先の光が見え――。


「ここは……」


意識廟いしきびょうです」


 長いトンネルを抜けると――暗黒だった。


 果てしない曇り空。

 雲に稲妻が走ると雷鳴がとどろき、どこか遠くで世界が割れたような音が繰り返す。


「行きましょう」


 どこへ行くのかは訊ねなかった。

 ただロメロの後について歩いた。


 枯れた大地に枯れた木々。

 紫色の煙を出す、沼。

 なんとなく眺めていると、遠くに白い湖が見えた。


「アドルフ・シグマの《妬み水》ですよ。彼に深淵が芽生えた時に現れました」


 言っている意味が分からず、何から聞けばいいのかが分からない。


「現れた?」


「すべての深淵がここにあります」


 知らぬ間に、俺の隣に浴衣を着た少女が歩いていた。

 手に持ったリンゴ飴を舐めている。


「ファーニエス?」


「マスター……あれ、なんかやつれてない?」


 彼女は俺を見上げて言った。


 また別の方角には地を跳ねる大きな顔面や、じっと動かない大きな足も見えた。

 上空に赤黒い気泡のような大きな玉。

 そこには俺の持つ、深淵魔法に似たものがいくつもあった。


「ここです」


 ロメロの声に振り返る。

 目の前に巨大な階段が続いていた。

 それは横幅も長さも異常なほど大きく、まるでついさきほど相対した観察者にぴったりなサイズだ。


 階段を上りきると、目の前に神殿が佇んでいた。

 いつか夢で見たことのあるものと似ているが、辺りに暗雲が立ち込めているからか別のものに見える。


 神殿に入ると蝋燭の灯りすらない暗い広場があり、数々のモンスターの姿があった。

 いや、これはモンスターではない。


「――魔物」


 魔物たちが順に振り返り、俺を見つめている。


「ミノタウロスやスライムはご存知でしょう。すべて、深淵に帰属するものです。さらに言いますと」


 王の候補者となった者には家が与えられると、ロメロは説明した。

 それは主人の想像で自由に内部を変えることのできる自由な空間であり、世間ではダンジョンと呼ばれているものだ。

 試練を乗り越えられるかはともかく、大抵のものはこれを見つけるのだと。


「中にはオリバー・ジョーのように見つけることのできない者もおります。彼の家は不運にも湖の底に現れてしまったのです。ダンジョンもまた深淵の産物、その内部はここ意識廟に繋がっています。が、意識廟ではありません」


 突然、ロメロが入り口の前でかしこまった。

 神殿の奥にある玉座へ導くように、片腕を広げ、少しお辞儀をするように首を傾け――。


「王がご帰還なされた!」


 広場全体に響き渡るほどの声。

 その場にいるすべての魔物がロメロと同じように、俺へ頭を傾けた。


「さあ陛下、玉座へ」


 当然、いくつかの疑問はあった。

 急になぜ俺を陛下なんて呼ぶのかとか、いつ俺が王になったのかとか……。

 観察者に襲われたとき、なぜ抵抗したのか。

 ヴェルが壊せと、動けと言ったからか。

 そのすべてが、もう、どうでもいい。


 周囲の魔物たちの様子を窺いながら、一歩一歩玉座に向かって進む。

 辿り着くと、数段の短い階段の先に玉座があり。

 外の暗雲はどこにいったのか、玉座にだけ月光のような薄い青色の光が注いでいる。

 天井付近の窓から差し込んでいるものか 。


 階段を上る。玉座に腰かけた。


 背後で魔物たちが一斉に立ち上がる音が聞こえた。振り返る。すべての者がこちらに体を向け、かしこまっていた。

 中央の道をゆっくりと進むロメロ。

 ふさわしい距離を保ち、階段をはさみ俺の前に立った。


「おかえりなさいませ、深淵王陛下!」


 天井を突き破りそうなロメロの声があり。

 全魔物が声をそろえて言った。


「――――おかえりなさいませ、深淵王陛下!」


 一同が、片膝をつき首を垂れた。







 魔物たちは広間で晩餐会を楽しんでいる。

 言葉は通じるというが知った仲ではないし、深淵王陛下なんて呼ばれ方をされてはどうすべきなのか分からない。


 俺は広間を抜け出した。

 適当に回廊を歩き進んだ。

 しばらくして、だだっ広い庭園のような場所を見つけて足が止まった。


「プレアデスです」


 背後でロメロの声がした。

 俺は庭園へと続く階段の途中に腰かけた。


「生命界にもここと同じものがあります」


 プレアデスという言葉はカリファさんに教えてもらった。

 とある人間の書物によれば、それは観察者の暮らす神の国の名であるらしいが。


「その利点は、生命から認識されない隔絶された空間だということくらいでしょう」


「王とはどういう意味だ」


「あなた様は今や生者でも死者でもないのです」


「……お前は誰だ?」


「ロメロです」


「俺の知っているロメロじゃない。お前は俺に、自分の素性を亜人だと言ったはずだ。本当にそうか?」


「いいえ、違います。私は元観察者です」


 さっぱり分からない。

 でも特に感想も出てこなかった。

 こいつが誰であろうと、俺が誰であろうとどうでもいい。

 重要なことはどこにもない。

 最初からなかった……。


「原初の世界とでも申しましょう、かつてこの世界は一つでした。それは生者と死者、私や陛下のような意識体の共存する世界であり――」


 その世界では、死が訪れても肉体は滅びず死者という形で在り続けるらしい。

 ときに肉体が滅びたとしても、意識は残る。

 今の俺のような者も少なくなかったそうだ。


 ロメロは、俺には門を開く役割があると力説した。

 それを開けば「あなたの愛する者たちも戻ってきましょう」と言った。

 実際には死は訪れていない、生者でなくなっただけだと。

 何が言いたいのか、耳鳴りの奥でそんなロメロの声が聞こえる。


「殺した事実は変えられない」


 そう言ってみると耳鳴りと声が止んだ。


「陛下……」


「トアを助けられなかったスーフィリアを刺し殺した、ヴェルを見殺しにした、それが俺の現実だ」


「意識廟を開放してくだされば、すべて元通りです」


「全部、道化師の戯れ言に聞こえる。自分でやればいいだろ、お前の方が物知りじゃないか」


「深淵の王のみが知る扉の記憶が必要なのです」


 俺は目の前にダンジョンの渦を開いた。

 背を向けたまま何も言わずに去ろうとする俺に、ロメロは落ち着いた声で言う。


「自殺し、死にきれなかった者に深淵は宿るのです。そちらの世界はあなたにはもう無理ですよ」


「またあいつらが襲ってくるってか?」


「そうではありません、産声の理由を知っている以上あなた自身が耐えられないと言っているのです。赤子は愛情など欲していない。純粋な死が欲しいのです。生まれたことを酷く後悔し、憎んでいる。だがあなたのように自殺することもできない。だから殺してくれと泣き喚くのです」


「慈者の血脈は解散だ。世話になった」


「あなたは今や赤子のように純粋だ。純粋な者が生きられるほど、そちらは優しい世界ではありません」


 歩を進めると声は聞こえなくなった。


 ダンジョンを抜けると元の世界が広がっていた。

 暗雲のない晴れた空。

 辺りは草木に満ち溢れていて、目の前には草原が広がっている。

 ここはグレイベルクとラズハウセンをつなぐ街道。途中、ターニャ村がある。

 俺は別に村に寄る訳でもなく、しばらく歩いた。


 ラズハウセンが遠くに見えてくると足が止まった。

 前にこの景色を見た時は、傍にシエラやトアがいた。

 そういえばあれはウィリアムの馬車だった。だから彼の護衛のケイズもいた。

 でも、エルフェリーゼ卿が殺してしまったんだっけ? 確かトムたちがそう言っていた気がする。


 あいつらは人間が憎かった。

 俺もそうだ。俺にも殺したい奴がいた。

 もう殺してしまったが、今考えると別に俺が殺さなくても良かったのかもしれない。

 どうせみんな、すぐに死ぬんだから。


「みんな死んでいくな~」


 意外と空が青く見えた。

 もしくは空の色をド忘れしたか。


「誰も生き返らないさ、もう……」


 ラズハウセンには行かなかった。

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