第334話 悟る児童と怒る赤子

 アルフォードさんの死後、組織内の雰囲気がおかしくなっていった。


 ラズハウセンからの要請を無視し、カーペント様は一度結んだ同盟を破棄した。

 あの国には日高くんの友人もいる。彼もおそらく戦いに参加するだろう。

 手を貸すことが、せめてもの彼への償いになるだろうと思っていた。


 そんな彼は俺の左腕のことばかり気にしていて、助けを受けいれようとしない。

 いや、そもそも彼に助けはいらないか。


「一条よ、これは決まりだ。帝国は問題ではない、慈者の血脈だ」


 カーペント様の考えは変わらない。

 アルフォードさんを殺したアマデウスの捜査と、教団の破壊こそ優先すべき問題だと。

 エリザさんもジークさんも、ヴァハムさんも、誰も反対しなかった。


 その後はそれぞれ分かれての行動になった。

 目標をアマデウスにしぼり捜索を続けた。

 教団の信者がひそむ地域を捜索し、いくつもの国を渡り歩いた。


 そんなある日のこと――。


「勇者、イチジョウユキムラじゃな?」


 広大な枯れた砂の大地。

 沢山のひび割れた地面とそこから生える折れ曲がった茎のような木。

 どこまで見渡しても水一つない、そんな風景にぽつんと彼は現れていた。


「子供……」


 ――目の前に、4、5歳くらいの少年が立っていた。


 足がわずかに地面を離れ、彼は宙に浮いている。

 その状態を保っている。


わしと一緒に来てもらおう、勇者よ」


 幼児の体から発せられる古臭い口調。

 俺はそれをすぐ呑み込めないでいた。


「戸惑う必要はない。助けが必要なだけじゃ、他でもないお主の助けが……」


 言葉が途切れ、彼は俺から目をそらし、神妙な目つきで違う方向を見た。

 そこにもう一人、別の者の姿があった。


「お前、何をしていた……」


 赤子だった。


 同じく、浮遊しその状態を保っている赤子。

 違うのは、目の前の幼児よりもさらに幼いということだ。

 まるで生まれたての姿をしている。


 目の前の彼は黙っていた。


「お前は監視すると言ったはずだ、愚者は出さないと」


 どうも切迫した雰囲気だ。

 なんて表情豊かなんだ。

 赤子は今にも叫び出しそうなほど、追い込まれた者の表情をしていた。

 対して目の前の彼は呆然としている。


「生まれたぞ、深淵の王が」


「……バカな。一体、どうやって?」


「あの方は私にお前の処刑を命じられた、だが今更お前ごときを殺したところで、もうどうしようもない。すべて崩れ去る」


 時間が止まったかのように、二人の会話が止まった。

 しばらくして、彼が静かに俺を指さした。


「彼です」


「……は?」


「彼は終焉の者。儂が彼をそうします、まだ手はある」


「この者は?」


「イチジョウユキムラ、ただ一人の勇者です」


「……くっ」


 赤子が何かを食いしばるようにして笑った。お前は幸せだな――皮肉のように、子供に向かってそう言った。


「深淵の王だぞ、奴はもう我々と同じ御業みわざを使える。魔法なんて通用しないんだよ!」


「あの方に直接ご相談します」


「偉そうにものを言いよって……あの方はお前のような人間と無駄話をしているほど暇ではないのだ」


「あなた方にももうすべはないのでしょう? 儂のこれは最後の望みです。彼こそが最後の希望、それには観察者の有する雷雲らいうんが必要なのです」


「雷雲だと。貴様ぁ……我々をどこまで愚弄すれば気がっ!――」


 目前に稲妻が落ちた。

 大地が大きく揺れ、何が起きたのか意識が飛んだ。


 聴覚と視界が戻り、目の前の焼き焦げた光景が見えてくると、赤子の姿が消え、地面には何か焼き焦げたような跡があるだけだった。

 物怖じしていない様子で子供の姿だけはあり。


「――申せ、アダムス」


 どこか遠く、空の上の天から、反響する声が降ってきた。

 声は徐々に反響をせばめるかのように、やがて鮮明なものになった。


「…………アダムス?」


 その時になって、初めて、俺は目の前の彼に問いかけた。







 戦争も終わり数日が過ぎた頃。

 魔国――魔王城の庭園には二台のベッドが用意され、そこに、今も目を覚まさない一人の王女と、一人の元王女の姿があった。


 ネムは付きっきりで看病した。トアの母親エレクトラやリサーナも付き添った。

 だが傍に寄り添うだけだ。今や誰も二人には触れられない。

 それはルシウスやローグ――シュピルマンもそうだ。

 トアとスーフィリア。二人は今、彼らの強力な魔法により肉体の時間が止められていた。


 晴れた空の下で庭園の花々がそよ風に揺れている。

 そこには音のないおだやかな時が流れていた。

 だが彼らの心は全く逆だ。誰もが思いつめた表情で俯く。


 シエラは寝たっきりのトアにあまり近づこうとしない。

 躊躇っている様子だ。

 それが気になったラインハルトは傍で彼女が話始めるのをじっと待つ。

 庭園へと続く短い階段の柱の陰だ。日陰になっている。


「最初から、皇帝を殺すつもりだったのですか……」


 シエラはゆっくりと口を開いた。

 だがそれは気分を紛らわすために誤魔化しているようなものに過ぎない。


「俺はラズハウセンを滅ぼすつもりだった」


 ラインハルトは静かに答えた。

 地面を見るシエラの目が見開いた。


「父は俺に何も言わなかった。俺には兄弟が二人いて、どちらも俺と同じだと思っていた。だがそうではなかった。世界から魔石を奪うため、ラージュにはパルステラの破壊が言い渡されていた。死んだジェイドにはモッドヘルンに生息するドワーフとエルフの殲滅。少しでも脅威を排除するためだ。そして、それらは世界の混乱につながり黒龍を呼び寄せると父は信じていた」


「どういうことですか? 黒龍を呼ぶとは……一体なんのために?」


「母のためだ。皇帝ウラノスにも妻がいた。世界が不安定になると観察者が現れる、父はそう信じていた。父は……母を生き返らせようとしていたんだ」


「……それだけの、ために」


「それだけのためにヒルダは死んだ……」


 誤魔化さずに真実を伝えること、それがラインハルトにとっての償いだった。


「なぜあなたは寝返ったのですか、一体いつ?」


「アーノルド王は俺を白王騎士にした。その時には既に気付いておられた」


「あなたがリックマンの姓を名乗っていたからですか、なぜあなたは?……」


「……分からない」


 ラインハルトは正直に答えた。


「だが陛下が気付いた理由は別だ」


 ガイアと同じ波動を感じる――アーノルドはラインハルトにそう言った。

 今は亡きダームズアルダンの元国王――シュナイゼルの姉がガイアだ。ウラノスが世に現れる以前、アーノルドは二人と親交があった。

 当時ガイアは大陸全土においてすべての王族が認めるほどの美貌を誇っていたことから、アーノルドも気を惑わされた時期があった。


「父は俺にだけ役目を言わなかった。時が来れば分かる。その時に、ラズハウセンに混乱が生じる。それに乗じて滅ぼせと……」


「それが、あの奇襲ですか」


「そうだ、彼がいなければ今頃ラズハウセンはない。俺の力は兄弟の中で一番弱い。ギドという、吸血鬼すら止められなかったからな」


「役目を知らされなかったから、だから父親を裏切ったと?」


「分からないんだ……未だにウラノスを斬ったときの感触が手から抜けない」


「ラインハルト……」


 ラインハルトの不安を聞けば気はまぎれた。

 だがシエラの目はすぐにトアの眠るベッドへ向かい、その傍らで何やら会話する、二人の魔族を見つめた。


「ルシウス、悪いが」


「分かっている」


 シュピルマンの言葉の先は分かっていた。ルシウスはそれを拒んだ。

 誰にも、どうすることもできなかった。

 ルシウスは政宗のことについて訊ねた。彼はどこで何をしているのか。

 だがシュピルマンにも――。


「分からない。あんな言葉の通じない彼を見るのは初めてだ。それに僕は彼の全部を知っている訳じゃない、所詮は観察していたに過ぎない」


「……二人の時間はいつまで凍結できる?」


「君が死ぬまでだ。でもはっきり言って」


「分かった」


 シュピルマンに言わせれば、二人はとっくに死んでいる。

 時間を止めようが表面的な傷を癒そうが生き返るものではない。

 分かっている、だがルシウスはトアを生き返らせるつもりでいる。


「数々の呪いが私とお前によって生み出された。それが今、娘を苦しめている」


「後悔は過ちとは違う。これはただの結果だ」


「救えなければ間違いも同然だ。ローグ、何としてもだ、何としても……私の命を使ってもいい、トアを生き返らせろ。魔術などいくらでも作れる」


 悲しみは怒りに変わり、ルシウスの視野を狭めた。

 ルシウスはローグの才能を知っている。だから妄信した。生き返らせる方法はあると模索する。

 まるで本棚を漁るかつての政宗のようだ。


 魔王の目つきは以前よりも魔王のものになっていた。


「――お主がロゼフの子孫じゃな?」


 突然に聞こえた声が、二人の会話を止め、庭園の空気を変えた。


 そこに、小さな子供の姿があった。

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