第330話 人殺し

「トア…………」


 意識が戻ってすぐ。

 軽い日差しを手で遮りながら、今見ていた夢の内容を思い出そうとしている。


 何か、大切なことを忘れている気がする。


 驚くべきことに俺は立ったまま眠っていたようだ。

 地面に直立した状態にあった。


 ……ん?


 俺に覆いかぶさり泣き叫ぶ、誰かの背中が見える。

 青い髪をしていて――。


「……マサムネ、様?」


「なんだ、スーフィリアか」


 スーフィリアは背後に立つ俺に気付くと、死人でもみたような顔をした。


「何でそんな顔して……」


 ……あれ?


 なんで俺、こんなところで寝てるんだ?


 というか、あれ……この寝そべってる奴、俺だよなあ?


「どうなって……」


 それは確かに俺の体だった。


 いつもと違うのは、胸に大きな風穴が開いていることくらいか。

 自分の顔を鏡以外で見るのが何か変な感じで、すぐには気付けなかった。


 そもそもなんでスーフィリアは泣いてるんだ。

 覆いかぶさりながら泣くなんて、まるで俺が死んっ……。


「ご主人様……」


 ネムまで泣いていた。


「ネム、お前まで」


「これは一体……」


 ルシウスさんまでが、そんな目で。


「ど、どうしたんだよ皆、そんな不気味な顔して」


 ふと、足のかかとが何かに触れて振り返る。


 背後にもう一人、横たわるものを見つけた。


「……トア」


 ――トアだった。


 目を閉じたまま、眠っている。

 俺と同じように胸に大きな風穴を開けて。


「トア……」


 しゃがみ込み頬に触れると、トアは冷たくなっていた。


 いつもこんな体温だっけ?……。


「……はっ……はは……はははははは!」


 途端に笑えてきた。

 何故かは分からない。


「おかしいなあ…………あれ、何がおかしいんだっけ?」


 バカみたいに自分に問いかけていた。

 そんな自分を殺してやりたくなる。


「そうか…………もう、いないんだな」


 頭の整理がつかないまま。

 けど俺は分かってる……分かっていて……。


「マサムネ様」


 スーフィリアの声に振り返ると、そいつはまだそこで横になっていた。


「スーフィリア、どいてろ――」



 ――こいつが悪いんだ。



「――――うわあああー! あああ、あああ、あああ、うわああああ!――――」


 拳を握りしめ、俺は……そいつに叩きつけた。


「――――こいつがああああああ!――――」


 何度も何度も殴った。

 横たわり、何もしようとしない、できない……できなかったそいつを。


 身がほぐれて中の肉と骨がむき出しになっても、尚、殴り続けた。


 いつのまにか隕石でも落ちたかのようなクレーターができていた。

 穴の底の俺をみんなが見下ろしている。

 それでも。


 何度も何度も、俺は、俺を殴り続けた。


「なんで、まだ生きてるんだ……」


 悲しみが急に溢れてきた、吐きそうだ。

 遅れたころに意味を理解し……。

 声も出ないくらいの感情。

 わざと咳き込み、それを誤魔化した。


 そこにはもう俺の体はなかった。


 穴から上がると動きを止めた状態の帝国兵の姿が見えた。

 まるで息すら飲むように、静かになり動かない。

 隊の中心にいる河内から何故か謝罪の念を感じた。

 意味不明な偽善者だ。


 だがこいつじゃない……。


 俺はトアの元に戻り、目を閉じたまま動くことない体を抱き上げた。


「ルシウスさん、トアを……」


 トアの体を預ける時、まるで人を強く疑うかのように見つめるローグの姿が見えた。

 手にはまだ黒い槍を持っていた。


「ローグ、だったよなあ?」


「…………忠告はした」


「ああ、聞いてた。楽しい魔法をありがとう、ローグ」


「シュピルマンでいいよ」


 口調はくだけているのに表情はまるで強張っている。


「シュピルマンか……」


 俺は異空間収納から「死と生の愚弄と欺き」を取り出し彼に放り投げた。


「返す」


 シュピルマンはしばらく黙って俺を見つめた後、火属性魔術を放って本を燃やした。

 その姿に俺は満面の笑みを送ってやった。

 楽しいことがあるとつい出てしまう、そんな幸せな笑みだ。


「僕のせいじゃない」


 急にシュピルマンは言った。


「聞いてない」


「……そう」


「――――《理不尽な強奪リディック・ロスト》!――――」


 対象の全身を捕捉し、傷かつかないように配慮しながら強奪の引力で強引に引き寄せる。


「――うぐっ!」


 そして対象の頭を鷲掴みにして宙づりのまま維持。


「お前に恨みはない。殺す理由も特にない」


 俺は前方のシュピルマンに言った。


「そ、そうか……」


 どうやら殺されると思っていたらしい。

 シュピルマンは安心しながら恐怖を誤魔化し笑っていた。


「日高くん、やめて!」


 河内の声が聞こえた。


「おいおい、隊を率いていながらなんて情けない顔をするんだ?」


「西城さんを放しなさい!」


 俺は小鳥を右手に持ち、右前方の偽善者――河内へ軽快な笑みを見せた。


「――――私じゃない!」


 俺に頭を掴まれながら、必死そうな声で小鳥が叫ぶ。


「違う、違うの! 私じゃない、私じゃないの政宗くん、私は!」


「何が?」


「日高くんお願い西城さんを!――」


「――静かにするんだ学級委員長!……小鳥が必死に喋ろうとしてるだろう!」


「日高くん、あなた目が……」


「聞こえなかったか学級委員長!」


 ようやく河内が黙った。


「さあ小鳥、話してくれ」


 俺は小鳥を地面に下ろし、頭から手を放した。

 そして――。


 ――小鳥はゆっくりと口を開き、最初の一言を喋った。


「スーフィリアさん……」


 途端、激しい動悸に襲われた。


 なんでだ……なんでそこでスーフィリアの名前が出てくる。

 なんで小鳥の口からスーフィリアの名前が……。


 だが小鳥の目ははっきりとスーフィリアを捉えていて。


「スーフィリア?……」


 そこには以前の――作為的な笑みを顔に張り付けた、アルテミアスの王女の顔があった。


「どうされましたか、マサムネ様?」


「こんな時に作り笑いか……どういう、ことだスーフィリア。なんで小鳥がお前の名を知ってる?」


 俺がそう問いかけると、スーフィリアの表情は一変し。


「――そんな悲しい顔、しないでください」


 スーフィリアは今にも泣きだしそうな顔で笑った。


「私は政宗くんを解放した、その女の洗脳から助け出した、そうでしょスーフィリアさん!?」


 訴えかけるように小鳥は言った。

 だがスーフィリアからの返答はない。


「洗脳だと?……」


 一体何の話だ。


 焦るように小鳥がまた――。


「殺せと言ったのはスーフィリアさんでしょ! 政宗くんはあの人に操られてるって、そう言ったから!」


 なんだこれ……どうなってる?


 スーフィリアが命じた?

 トアを殺せって?


「はあ?……お前、何を言ってるんだ?」


「うぐ、やめてっ……」


 小鳥の首を掴んだ。


「止めて日高くん、西城さんが死んでしまうわ!」


 河内がうるさい。


「お前、何を言ってるんだ、スーフィリアが命じただと? バカにしてるのか?」


 小鳥だ、問題はこいつ……。


 だが今になって。


 その刹那、スーフィリアの感情をはっきりと感じた。


「…………スーフィリア?」


 なんでだ……なんで気付かなかった。


 スーフィリアの中から伝わるもの、それは紛れもなく殺意。


 ――横たわるトアへの殺意だった。


 死んでもなお、スーフィリアはトアに殺意を向けていて……。


「…………殺したのか、なあ、スーフィリア?」


 小鳥の首を放し、俺はスーフィリアに訊ねていた。


 スーフィリアはまた泣きだしそうに微笑み。


「はい…………命令しました。あなたのために、マサムネ様」


「俺のため、だと……はあ? 何を言って――」


「それがあなたのためなのです! でなければあたなはトアに壊される!」


 スーフィリアの言いたいことが分からない。


「壊される、だと? 俺が何に壊されるって……」


「マサムネ様……」


 まるで分かってくださいとでも言うような表情だ。


「お前がトアを殺したんだな」


 理解した。

 小鳥じゃないだ……。

 トアを殺したのは――。


「スーフィリア、お前だ――」


 ふと手に温かいものを感じた。


「え……」


「スーフィリア?」


「マサムネ、様……ごふっ!」


 スーフィリアの口から血が零れ出た。


 ゆっくりと下に視線を下ろす。

 自分の手を確かめた。


「へ……」


 訳が分からない。


 手に黒い槍を持っていた。

 これは確かシュピルマンが持っていた、反魔法の槍。

 その刃先が、スーフィリアに突き刺さっている。


 槍を握っていた手の力が抜けると、スーフィリアはその場に膝から崩れるように倒れた。


 痙攣しながら、口から血を吐き。


「マサ、ムネ、様……わたくし、は、あな、たの、ために……」


 俺じゃない……俺は刺してない……。


「スーフィリア!」


 俺はスーフィリアの手を握り、治癒魔法をかけていた。


「良いの、です……この傷、は、もう、治りません……」


「俺は……俺は……」


 なんでだ、なんで俺はスーフィリアを刺した……。


「なんでこんなことに、なんで、なんでこんな……殺すつもりなんてなかった! なのになんでだ、なんでこんな……」


「すべ、ては…………あなたの、ため、に……」


 スーフィリアの瞳が、一点を見つめたまま動かなくなっていた。


 まるで時間が止まっているようだ。


「スーフィリア…………」


 何を、どこに目を向ければいいんだ。


 どこに目を向けても答えがない。


「ルシウス、まさか彼は?」


「……トアの《支配》を取り込んだんだ」


「そういうことか……」


 シュピルマンとルシウスさんの会話が聞こえた。


 何がだ、何が「そういうこと」なんだ?


「ルシウスさん、スーフィリアを、トアを、助けてください!」


 俺は情けなくも魔王にすがっていた。


 まるで心と体が噛み合ってないみたいで、自分が今なにをしていて、どんな表情をしているのか分からない。


「なんて、顔をしているんだ……」


 トアを抱きかかえ、ルシウスさんは言った。


「へ?……」


 なんとなく自分の顔に意識が向き、徐々に分かった。


 ――俺は涙を流したまま、笑っていた。


「ご主人様……」


 ネムが俺の前に立っていた。

 しゃがみ込み。


「もう、帰りましょう……」


 苦しそうな顔で言った。


「ネム…………スーフィリアが……スーフィリアが……」


「ご主人様?」


「スーフィリアが……トアが……」


「もう、終わったんです」


「……終わり?……」


「はい。戦いは……もう、終わったのです」


 ネムの精一杯の笑顔が、心をえぐる。

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