第329話 悪夢

 目を開けた。


 顔に朝日が当たる。

 手で遮ると、覗き込むトアの姿が見えた。


「トア……」


 魔国の庭園。

 俺はそこで寝ころんでいた。


「おはよう、マサムネ。ずっと寝てたの、こんなところで?」


 トアに手を貸してもらい、起き上がる。


 この橙色の光は朝日ではなく、夕陽か?

 いや、今さっきまで朝日だったような……。


 途端にカラスの声が聞こえ、辺りをセピア色の景色が覆う。


「トア?」


 夕陽を見ていた間に、すぐ隣にいたはずのトアがいなくなっていた。


 トアは近くの白い屋根の下にいた。

 白い椅子に座っている。


「寝ぼけてるの?」


 テーブルに置いてある紅茶をカップに注ぎ、一口飲みながらそう言った。


「なんだ、も、もう夕方か……起こしてくれれば良かったのに」


 俺はまるで、何かを誤魔化すかのように言った。


「気持ちよさそうに寝てたから、起こしたら悪いかなーと思って」


「そ、そうか……気にすることないのに。あれ?……」


 ネムやスーフィリア、リサさんやルシウスさんや、エレクトラさんの気配がない。

 庭園からでも城内の気配は分かる。


「みんな、出かけてるのか?」


「何が?」


「何がじゃなくて、ルシウスさんとか、ネムとかスーフィリアのことだよ」


「マサムネ、何を言ってるのよ?」


「へ?」



「――みんな、あなたが殺しちゃったんじゃない」



 辺りが一瞬にして真っ暗になった。

 照明は落ちたみたいに。

 庭園もトアも、夕陽も、カラスの鳴き声も消え、何もない黒い世界。


「マサムネ……」


 トアの声が聞こえてきた。

 辺りに反響しているようで、何度も重なって聞こえる。


「トア?」


 だが問いかけても返事はなく、ときおり俺の名を呼ぶだけだ。


「…………あ」


 不意にトアの姿を見つけた。


 闇にぽつんと立っていて、こちらに背を向けている。


「なんだ、そこにいたのか」


 トアのところまで走った。

 それからトアの肩に手を乗せ――。


 ――トアの姿が消えた。


「あれ…………」


 するとまた違う場所にトアが立っていた。


「なんだよ、トア。そこにいた、の……か……」


 もう一度歩み寄った。

 でも、トアの姿はまた同じように消える。


 消えるとまた違う所に、背を向けた状態のトアが現れ。


「トア……」


 トアは振り向いてくれない。

 いくら名を呼んでも、聞こえていないみたいだ。


 近づいても、またいなくなる。

 そんな恐怖が次第に襲う。

 それならもうこれ以上近づきたくない……。


 でも……。


 それでも俺は、トアに振り向いてほしかった。

 その想いだけが、闇で俺を支える。


「トア」


 またトアを見つけた。

 俺は足を一歩ずつ歩ませ。


 トアが走り出した。

 走って、俺から離れていった。


 どれだけ近づいても、息が切れるほど走っても、トアの背中に追いつけない。

 いくら名前を呼んでもトアは振り向かない。


 世界は常に闇で、トアは俺の姿や声に気付かない。

 辿り付けない。


 トアに、触れられない。


「トア!」


 ――――大声を出した。


 笑い声が聞こえ……。

 トアの姿は消えていた。


「…………」


 俺は一人、また闇の中に残された。


 自分の手や足は見えるのに、そこは果ての確認できない闇で何も見えない。


「トア……どこにいるんだよ。出てきてくれよ……」


 呟いた言葉が反響し。

 それは次第に俺の鼓膜を支配した。


「やめろ……やめてくれ!――」


 耳鳴りが止まない。


「止めろ!」


 ――辺りの景色が変わった。


「え?…………」


 目の前に焚き木が見えた。


「ここは……」


 身に覚えのある場所だった。


「ターニャ村……」


 夜の闇に、ぽつぽつと小さな村の全容が現れていく。


 村人たちは火を囲み、歌い、酒を飲んでいた。

 盗賊から村の女性たちを救った俺たちへのお礼だそうだ。


 よく見ると、そこには楽しそうな様子のヒルダさんとアルフォードの姿があった。

 二人してワインの飲み比べをしている。

 ヒルダさんの方が優勢なのは予想通りだ。

 そんなことより、いつの間に二人は知り合ったのだろうか。


 村には何故かイグノータスの姿もあった。

 白猫族の小さな少女を追いかけて遊んでいる。

 あいつはこんなに面倒見のいい奴だったろうか。


「……トア」


 ふと、俺の隣に座るトアの姿が目に入った。


「なんだ、いたのか。どこ行ってたんだよ」


「ずっといたわよ」


 少しツンとした感じでトアは言った。


「二人とも、ちゃんと楽しんでる?」


 そこへトアと同じ桃色の髪をした綺麗な人が現れた。

 後ろからトアに抱き着いて、トアは恥ずかしそうに嫌がる。

 俺とトアに一つずつワインの入ったグラスを渡してくれた。


「ありがとう、お姉ちゃん」


「え……ロザリア、さん?」


「それじゃあ邪魔したら悪いから、あとは二人っきりで」


 そう言ってロザリアさんはどこかへ姿を消した。


「色々あったけど、楽しかったわ」


「盗賊を蹴散らしたのはほとんどシエラだけどな。てかオリバーの奴、誘拐はやりすぎだろ」


「覚えてる、シエラの家でやったバーベキュー?」


「ん?……うん、もちろん。また魔国に戻ったら……」


 気付くと村人の歌声が聞こえなくなっていた。

 誰の姿もなく、そこにいるのは俺とトアだけだ。


 俺は何度も辺りを見た。

 でも何度見ても、誰も姿もなくて……。


「私はずっと、あなたの傍にいる……」


「トア?……」


「あなたの傍にいるから」


 トアは焚き木の周りを歩いていた。

 俺の隣に座っていたはずなのに……。


「悲しまないで」


 トアは言った。


「いつかはみんな死んじゃうのかもしれない。でも、私はずっと……マサムネの傍にいるから」


「あ、当たり前だろ、俺だってトアの傍にいるよ……みんな、ずっと一緒だろ?」


 トアは火の周りを歩きながら微笑んだ。


「そうよ、ずっと一緒……」


「どうしたんだよ?」


「それを忘れないで」


「あれ?……」


 急に酔ったような感覚に襲われた。

 ゆっくりと視界が斜めに落ちていく……。


「あれ、飲みすぎたか……」


 俺はまた何かを誤魔化すように苦笑いをした。


 席を立とうとするとバランスをくずした。

 倒れてしまい……。


 顔を上げると、少し離れた場所でしゃがみ込み、俺の顔を覗き込むトアが見えた。

 俺は自然と笑顔になった。


「トア」


 何故か重く起き上がることがきできない。


 俺は両手で土を掻き分け、トアの元まで辿り着こうと必死になった。

 だがいくら進もうと距離が縮まらない。


 トアは立ち上がり。


「私たちはずっと一緒よ、マサムネ……」


 トアが背を向けた。


 ロザリアさんやヒルダさん、アルフォードやイグノータスや、白猫族の少女と共に暗い森へ離れていく。


「待ってくれよ、トア。なんだよそれ……。なあ、トア…………トア!」


 雑談を交え、笑い合いながら。

 まるで俺の声など聞こえていないみたいに、みんな俺から離れていく。


 何度名を叫んでも誰も振り向いてくれない。

 俺は無力で起き上がることもできない。

 眺めることしかできない。


 離れていくトアの笑った横顔を、ただ見つめることしかできない。


「トア……俺も一緒に!…………」


 急に視界が狭まり、眠気が襲ってきた。

 体に浮遊感が現れ、意図せず目を閉じる。


「トア、待ってくれ…………」


 何故か少しだけ涙が出て。


 微かにトアの声が聞こえた気がした。



「ずっと一緒よ」



「……当たり前だろ」



 ――――トア。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る