第300話 復讐

「お前の時間は止まった。俺を睨んだって、死んだ奴は生き返らない。これはお前が招いたことだ。虫が良すぎるんだよ。他人を虐げておきながら、幸せになれるとでも思ったか? そうはさせない、絶対に。俺が許さない……」


 政宗は占い師が水晶を操る際のように、佐伯の顔の周りで両手をひらひらとさせ、何やら確かめるような仕草をした。

 意味はない。ただの演出にすぎない。

 佐伯にとっては得体が知れないが。


「言うまでもなく、お前の妻と娘は無関係だ。これは俺とお前の問題だ。だが俺も無関係だったはずだ。そうだろ? 俺はこれが、どちらかと言えば悪だと分かっている。だがお前も、まさか正義だと思ってはいなかったはずだ。悪だと知っていたはずだ。知っていながら虐げたわけだ。ではこの状況と、お前が俺にしたことと何が違う?」


 政宗は佐伯の傍を離れると、元いた自分の席まで歩いた。

 佐伯は長テーブルの中ほどに着席しているのに対し、政宗は部屋奥にまで伸びるテーブルの端。

 背もたれの高い椅子の後ろに立ち、両手を背もたれの角に添える。

 腕立て伏せでもするように肘を曲げ、体重を預け、ストレッチでもするように、曲げたり伸ばしたりと繰り返した。暇をつぶすように。


 テーブルの上にあったワインボトルを手に取り、直接口をつけて飲み干すと、壁へ乱暴に投げつけ、「ここには法も同調圧力も何もない」と言った。


「《束縛する者ディエス・オブリガーディオ》――」


 破片が飛び散る姿を見納めると、政宗は詠唱した。

 指揮者が力強く、両腕をゆっくりと上昇させる際のように、両手で表現をつけ魔法を操った。


 床から突き出た無数の白い腕は、政宗の抑揚ある動きに合わせ周囲の家具を部屋の隅へと乱雑に押しのけた。


 すべての家具や物が隅に圧縮されたことにより、佐伯と政宗の周囲には広い空間が現れていた。


「――《屍霊のコープス・狂宴フィエスタ》!」


 興奮の覚めやらぬ間に、次なる魔術を詠唱する政宗。


 これはアリエスから奪った魔術――《転移網展開トランス・フィールド》を反転させたものだ。


「なぜ俺が、お前を6年も生かしたか分かるか? いつでも殺せた。なんなら京極や小泉たちと同じタイミングで殺してやっても良かったんだ」


「なん、だと……」


 佐伯は耳を疑った。

 今に至るまで、小泉明、田所鉄平、橘武。

 この3人はこの世界のどこかで生きているものとばかり思っていたからだ。

 その思い込みは、政宗の言葉により、都合の良すぎるものであったと気付かされた。


「俺にはこの光景がずっと前から想像できていた。だからわざわざ生かしたんだ」


 部屋の床が赤黒く発光し、室内が暗室のような光で満たされた。


「この光景を目に焼きつけろ、佐伯」


 政宗は、あえて損壊させなかった二人の遺体を指さした。


「お前は俺が送れたはずのささやかな日々を、時間を、その自覚した悪意で奪った。俺は未だにあの日をさまよい続けている。どれだけ月日が経とうとも心は癒やされず、精神は成長しない。置き去りの日々だ。周りは飄々ひょうひょうとしていようが馬鹿をしていようが、当たり前のように歳を重ねていく。精神も成長し、大人になっていく。だが俺の時間はそこで止まっている」


「だから娘を、妻を殺したのか!」


「俺は……どこか他所の世界でも求めていなければ精神を保っていられなかった。自殺もしたが死にたかったわけじゃない。生きたくなかっただけだ」


「俺たちが止めなかったからか?」


「見当違いも甚だしい……お前らに止める権利はない。お前らの固定観念は、容易たやすく否定するが、生かした責任がとれるのか? ラグーという町の住民は自殺志願者をあおっていた――早く飛び降りろ、と。まだあいつらの方がマシだ。偽善者の正義で救われた命ほどみじめなものはない。助けた側は満足気に自尊心を充足し、邪魔された側は、ため息さえ枯れるほどに沈鬱になる。殺され続けるようなものだ」


「誰も止めてないだろ。そんなことのために妻を、娘を……」


「お前がべた惚れしていたアリエスが、俺の自殺を邪魔したんだよ!――」


 政宗は醜悪な面で、にやついた。


「だったらもう一回死ねばいいだろ! 一人で勝手に死ねよ! 死にたきゃ一人で死ね! なんでだ! どうして娘を! 妻を殺した!」


「――幸いにも世界はあった!」


 政宗は冷静な声で遮った。

 佐伯の怒りなど全く聞こえていないかのように。


 佐伯は言い切った傍から過呼吸のように肩を揺らす。静かに呼吸を整える。


「だが俺は訳の分からない病に侵されているらしい……。頭の中で、目覚まし時計が癇癪かんしゃくを起している。お前のせいだ。お前らがこの世界にいるから、俺はいつまでたっても自分の異世界を手に入れることができない。異世界ってのは理想的なものだろ。ならばお前らがここにいていいはずがないんだ、そうだろ?」


「お前……」


「約束しただろ。あの時、必ず全員殺すって」


 政宗はしばらく、じっと佐伯の目を見つめた。ゆっくりと口元だけで笑って見せた。見せつけるように。

 

「だが復讐をうやむやにはできない。いい加減に、勢いで、感情任せにやってしまって、それでまた病にでもかかったら大変だ。取り返しがつかなくなる。それはもうアリエスの時に学んだ」


「俺だけ殺せばいいだろ! 俺を恨んでるんだろ? だったら俺だけ殺せ!」


「お前は死んだあと、自分の死を自覚できるか?」


「……は?」


 佐伯は少しばかり涙声であった。


「死んだ人間は悲しまない。そうだろ? だって悲しむための感覚が死んでるから。当たり前の話だ、だから悲しめない。痛みを自覚できるのは生きている者だけだ。ならば殺害は復讐ではない。それが分かった時、俺は考えを変えてみることにした。しばらく考えた。そして気づいたんだ。お前のような俗物が、長い人生の果てに幸せを求めた時、どこに行きつくのかということを」


 政宗は両手を高らかに広げ、


「そうだろ! これがお前の幸せだろ!」


 佐伯の築き上げたもの、家、そのすべてを紹介するように表現した。右往左往しながら佐伯へ問いかけた。

 これが、お前の欲しかった幸せのすべてだろ?——そう言わんばかりに。


「子を成し家庭を築くとは、普通の人間が抱く幸せの最高峰だ! 俺にとっては違う。だがお前にとってはそうだ! そうなんだろ? 分かるか? だからこいつらは死んだんだよ! お前が苦しむためだけに生きていたんだ、これまでなあ!」


 政宗がライトアップされるかのように赤い光が足元から照らした。

 魔法陣は政宗のあゆみに合わせ、着地した足の下に発生しては消える。


「……お前は、人間じゃねえ」


「これが人間だろ? お前、人間をなんだと思ってるんだ、ん?」


 政宗はニヤついた。

 そして佐伯を《念動力》で宙づりにした。


「復讐の仕上げといこう」


 気づくと政宗の周囲に、数匹の小鬼が現れていた。

 全身が赤く、頭に二つの短い角が生えた無邪気な鬼だ。


〈マスター、はいこれ〉


 小鬼は幼い声で、政宗の手に包丁を持たせた。

 一般的な物でなく、肉切り包丁のように力強く、マグロ切り包丁のように細長い物だ。


「復讐は無味無臭。問題は復讐することであって味わうことじゃない。快感など得ていては失敗なんだ」


 宙づりにされた佐伯の周囲では、小鬼たちが円を築き盆踊りをしていた。


 愉快に歌を披露しながら、小さなジョッキに注がれた酒を流し込んでいる。


〈ズバっとやっちゃってよ!〉


血飛沫ちしぶき、見たいよ!〉


〈さあ、切り落としちゃってよ!〉


 鬼たちの声援の中、政宗は両手で包丁を構え、佐伯の足へ定めた。


「お前はこれよりあゆみを失う!」


 続いて鬼たちが歌うように――。


〈お前はこれよりあゆみを失う!〉


あゆみなき明日は楽しいよ!〉


あゆみなき者に足はいらん!〉


 バットを振り抜くように、政宗は、佐伯の両足を一度で切り落とした。


「ぐわぁああああああ!」


 大口を開き、絶叫する佐伯。


 唾液を吐き散らしながら、体をくねらせ悶えた。

 拘束は解けている。


 政宗はすぐに魔術 《治癒ヒール》で佐伯の足の切断部分を癒やした。

 だが足は戻らず、膝から下には何もない。

 床に切り落とされた二つの足。

 周囲には血が飛び散っている。


「お前ら人間は生きるのが好きだろ? だったらこれまで以上のとうとせいを与えてやる!」


〈物好きだねぇ~〉


傲慢ごうまんだねぇ~〉


〈マスター、上々だよ!〉


 政宗は次に佐伯の右腕へ狙いを定めた。


「手探る機会すら与えない! 止まった時間の中で、生前の二人を脳裏で転がせ! ふけりながら唾と鼻水でも噛みしめてもだえていろ!」


「……」


 佐伯の右腕が切断され、宙へ跳ね上がった。

 続けて左腕も切断した。

 佐伯は痛みで意識が遠いていたが、政宗が空かさず魔術を放ち、傷口と同じように癒やした。殺さないために。


「舌は残してやる、救済を求めて無様を晒せ! これから聞こえる他人の幸せは、ほどよくお前の傷口をえぐるだろう! だから耳も残してやる! 目も残してやろう! 眼前に広がるは灰色の空!」


〈眼前、広がる灰の空!〉


〈腕なし、足なし、家族なし!〉


〈舌、耳、目だけ、おまけしよう!〉


 鬼たちは酒を平らげながら、躍動感ある踊りと歌を交え復讐を祝った。


 政宗は佐伯の左目に手をかざし――。


「《理不尽な強奪リディック・ロスト》!」


 佐伯の左眼をえぐり取り、手の平で握りつぶした。

 痛みが遠く意識を連れ戻す。佐伯は悶え苦しむ。


「片目だけあれば見えるだろ? 残った右目で、せいぜい余生を楽しめ」


〈空洞だねぇ~〉


〈空洞だぁ~〉


〈マスター! 上々だよ!〉


 すべての魔法が解除され、部屋が暗闇に戻る。


 微かに照らすのは月明りのみ。

 そこにもう、小鬼の声や姿はなかった。


 佐伯は宙づり状態から雑に床へ落とされた。

 受け身が取れず、這いつくばることもできない。


 眼のない左目から血を流し、床の上に倒れた。


 政宗は静かに部屋を後にした。

 その際、表情に色はなかった。


 蝋燭ろうそくの火が消えた。


 静かになった暗い部屋の真ん中で一人、佐伯は自分の血の涙と唾液に顔をうずめる。


 次第に意識が遠のき、静かに目を閉じた。

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