第296話 開戦

「あなたは本当に怠け者ですよね。それで損するタイプだ。言われません? 今の一瞬にでも殺せば良かったんだ」

「個人的なことに口を挿むな」

「その個人が組織の要な訳ですよ、もう少し自覚を持っていただきたいもんだ。聞くところによると、彼はあなた方、勇者の中でも、ガチの勇者だって話じゃないですか。アマデウスさん、勇者を甘く見過ぎですよ」

「しかし、お前の話では奴は真の勇者ではないのだろう」

「彼をあまり、この国に近づかせない方がいいですよ、化けたら厄介だ」

「どういう意味だ?」

「さあね、知りたきゃ爺にでも聞けばいい。ま、あれは何も知らないだろうけど。ところでアマデウスさん、戦争が始まるよ」


 シュピルマンは呑気に言った。


「どうやら八岐が、帝国にスパイを潜り込ませていたみたいなんだ」

「なるほど、わざとだな」


 アドルフが気づかない訳がない。遊んでいたのか。


「八岐の王と冥国の戦争が始まる、だから聞きに来たんだ。これをあなたはどうお考えなのかを」

「考え?……別に考えなんかない。むしろお前の方が詳しいんだろ? エルフェリーゼ卿の数倍生きてるんだ、そうだろ?」

「詳しいけど、僕は深淵は知らない。深淵に寄り添うものについては知らない」

「……そうか」嘘ではなさそうに思えた。「どうなるか知りたければ、また戦場を飛び回ればいいだろ。だがこの戦いで変わるものは何もない。アドルフはまだ動きがない」


 あの時、去り際に、アドルフと《感情感知》で意思を交換した。

 あいつは言った――「待っている」と。


「あいつはゼファーが戻るまで動かないそうだ。ウラノスやラインハルトだけでも先に殺しておきたかったが、まあ良しとしよう」

「じゃあいつ決行するのさ、その間にも人間は侵すよ?」

「そこは今まで通りだ。だがそうだなあ……5年後か、6年後か」

「え、そんなに」呆れたような声だった。

「数倍生きているなら大したことはないだろう、オブジェクトの生成には時間が掛かるらしい」

「あれってそのまま使えないんだ」

「綺麗な状態だったが、どうも無理らしい。内臓はすべて腐っていたらしいからな」

「げっ、そのアドルフってやつは変態か何かなの? そんなもんを飾ってたなんて」

「それだけ思い入れがあったということだろう、ゼファーに」

「ふ~ん、じゃ、僕はそろそろ行くよ。とりあえず、また過信して足元をすくわれないようにね」

「わかった、悪戯もほどほどにな」

「悪戯じゃないよ、実験さ、境遇で思想は変えられるのかっていうね。で、どうだった、いつもみたいに影は見えたかい?」

「……」俺は思わず黙った。


 シュピルマンは満面の笑みを浮かべた。


「やったー! 影は見えなかったんだね」両手を上に掲げ、無邪気に飛び跳ねた。

「さっさと行け」

「君の意志は彼を排除しなかった、影が出てなかったってことはそういうことだろ? だけど彼には、間違いなく獣人への差別思想が芽生えていたよ。ねえ、これってどういうことなんだろうねえ、ねえ?」


 シュピルマンは「ねえ、ねえ」とニタニタしながら顔を近づけた。口元を全開に歯茎を剥き出しにしている。

 この世界では吟遊詩人は特にモテるらしいが、世も末だ。


「見た目で人を判断したのさ。そして間違えた。見た目が獣っぽければ誰にでも優しくする。君が一番差別してるじゃないか。自覚もない。深淵って、そんなに不正確なものなのかい?」


 俺は背を向けあゆみを進めた。


「ますます矛盾するアマデウスさん、これはもう病気だ」


 沸点ふってんを越えた俺は感情任せに振り返った。が、もうそこにシュピルマンの姿はなかった。魔力の反応もない。

 大した魔力でもないくせに、大した奴だ。組織の中では奴が一番恐ろしく、そしてうざい。


 俺は今度こそ背を向け、帰路についた。







 シュピルマンの情報から一年近く経とうとしていた頃、八岐の王と冥国シグマデウスによる戦争が始まった。

 しかし俺の読み通り、冥国は一方的に他国の兵を退けるのみであった。誰も殺さなかったのだ。観戦していたシュピルマンいわく「白い波が邪魔をして、近づやしなかった」と呑気に語っていた。

 ラズハウセンも龍の心臓と共に参戦する方向だったらしいが、龍の心臓の意向でなくなったらしい。シエラから聞いた。


 その数カ月前の話になるが、何ともおめでたい話が一つ舞い込んでいた。

 グレイベルクにいる佐伯とファインゴールド家の令嬢――ユリアスとの間に、娘が生まれたのだ。アリシアから情報を得た。どうやら結婚前には既に……ということらしい。


 2年が過ぎた頃、フィシャナティカでは卒業式が行われていた。勇者たちはそれぞれ進路を固め、多くは「冒険者の支援組織を立ち上げる」という野望の元、巣立っていった。中には他国からの引き抜きもあり、グレイベルクなど、他国へ向かった者もいた。

 一方、パトリックは正式にラズハウセンの王となった。クレスタ家が補佐的な役割を担うということで合意したのだ。つまり、クレスタがパトリックを認めたことになる。

 それにはアリス・クレスタじょうの存在が大きいのだそうだ。いつも隣に黒い猫族を連れ歩いていた生徒であり、最終的には彼女が父親を説得したのだとか。

 今では右に白王騎士のダニエル・キング。左にアリスの父親――ファラベル・フォン・クレスタがいる。アリスは王宮内ではパトリックの秘書のような役割だそうだ。誰に聞いたのかは言うまでもない。

 だがクレスタはデトルライトの貴族のはずだ。

 その辺りの詳しい話は、デトルライトにいるあいつにでも聞くとしよう。

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