第294話 種差
部屋に辿り着くと院長は立派なベッドの上でバナナを
「君たちか、あれを退治してくれたのは」
院長は天井を見つめたまま尋ねた。
「一条です」一礼する一条。
礼儀正しい奴だ。変わっていない。
俺は特に名など名乗らず、本題を話した。
「“あれ”とは、なんのことですか」
「ん、違うのか。私はてっきり、あの男を殺してくれた者とばかり」
「いえ、ハーパー殿、こちらがニト殿です」
シエラはあえて敬称で紹介した。公務中だと割り切っているようだ。
「……英雄殿、ありがとうございました」
「“あれ”とはどういう意味かと聞いています」俺は口調を強めた。
「……あの男のことに決まっています。狂暴で、命を救ってやったというのに、こんなことに」
俺はシエラの顔をちらっと見た。首を横に振るシエラ。どうやらまだ何も話していないらしい。尋問は体が回復するまで待つつもりだろうか、だが俺は待てない。
「あの虎は、あなたに獣人に変えられたのだと言っていた、何か心当たりがあるはずだ」
「……いいえ?」何の話だとでも言う様に、院長は目を丸くした。
「彼は数日前、あなたの診療所に急患として運び込まれていたようです。重症だった男に、あなたは手近にあった獣人を使った。するとどういう訳か、男は獣人に変わった――」
「ちょっと待ってください。私が、獣人の内臓を移植した? ご冗談を、そんなことするはずがありませんよ。許可を得たってしません。確かに王都は平和になり獣人への差別もほとんど見なくなりましたけどねえ、それでも流石にそんなことはまだできませんよ」
「ではあの虎はどう説明するつもりですか」
「先ほどから虎と仰っていますが、英雄殿、その虎とはどういう意味ですか。あの男の話をしているのですよね、でしたらあれは人間ですよ? それに、これは私の分野ですしはっきり言わせていただきますがねえ、仮に獣人の内臓を移植したとして、人間が獣族に変わることなどあり得ませんよ。白王騎士殿、あなたからも何か言ってください」
「ニト殿。先にお伝えした通りですが、そんな事例はこれまで一つもありません」
「では、あの男の体毛が濃くなっていたのは何故ですか」
「それならいくつか例はあります」と院長。「たとえば胃や腸を移植して、もちろんこれは人間に人間のものを移植した例ですがね、不思議なことに、前の持ち主の好みまで引き継がれていたなんて事例は時にあることなんです」
「前の持ち主の好み?」
「術後、その患者は嫌いだったはずのラズビールが好物になったらしいのです。以前はどうも鼻から抜ける花の香りがダメだったということですが。調べたところ、移植に使われた臓器の持ち主が、ラズビール愛好家であったらしいのです」
「……移植に使った臓器の提供者は、体毛が濃かった訳ですか」俺は冗談半分に訊ねた。
「提供者といっても既に生体ではありませんでしたがね。確かに体毛の濃い方ではありました」
ということは……どういうことだ。
あの虎は虎ではなく、ただの人間だったということになる。あの男は普通に人間の臓器を移植され、普通に命が助かっただけの……。
俺たちはその足で、拘留されている虎男の元へと向かった。
男は地下牢で一時的に閉じ込められていた。処分は後日決まるそうだ。
「そんな……そんなはずない。そんなはずないんだ。なあ英雄殿、あなたなら分かるでしょ、これはあの院長の、違法な手術の結果だって」
「ここにいるシエラが全部調べてくれた。ここ数年、あの診療所に獣人が診察を受けにきたことは一度もない。お前に移植された臓器も人間のものだ。お前はただ、勘違いしていたんだ」
男は言葉を失っていた。目を丸くし、「そんなはずは」と繰り返す。
「いや……だが、俺は確かに獣人に襲われたぞ」
「……それについてはまだ分かっていない」
「他にも襲われた奴がいるだろ」
「いや、お前が供述したもの以外、この国では何も起きていない。相変らず平和な国だ」
「いや……いやそんなはずはねえ。俺は見たぞ」
鉄格子を両手でつかみ、男はこちらへ迫った。
「強い雨の日だったからなあ……俺は覚えてんだ」男が歯茎を剥き出しに、醜悪な笑みを浮かべた。トアとネムが俺の後ろに下がる。
「下がりなさい」とシエラ。手が腰の剣に触っている。
「気持ちのいい音色が聞こえた、大雨でずぶ濡れだったが、俺は気分が良かった」
「音楽?」と一条。
「酔いもまわってた。音は次第に強まり、それは路地の奥から聞こえていた。俺は誘われるように、その路地の先へ目を向けたんだ。そしたら……背後から」
急に目線を下に落とし「どうせ、誰も信じねえ」と男は牢の奥で座わりこんだ。
その後は大人しく、何を問いかけても反応すらなかった。
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