第258話 【支配されし姫編】:化けの皮

「リックマン……そんながずねえだろぉ? 奴らは俺が一人残らず殺した! 人間の分際で俺様の提案を断りやがった愚か者どもだ。生かしておく理由もねえ」


「漏れがあったと、そう言っている。リサーナはリックマンと猫族のハーフだ。彼女の中には確かに彼らの血が流れている」


 イグノータスは真っ直ぐルシウスさんを睨んだ。

 対しルシウスさんも睨み返すが、その意図は嘘ではないことの証明だ。

 そして、その視線を幼きリサさんへとずらしたイグノータスの表情が、徐々に真実を理解し驚く者のそれへと変わる。


「ビシャス! フェルゼン!」


 突然、血相を変えたイグノータスの叫びが声が広間に響いた。

 名を呼ばれた二人の魔族は叫びに応じるように、一瞬のうちにルシウスさんとリサさんを囲んだ。


「まさか、あの瓦礫の山を漁ったのか? 暇な野郎だ」


 ニヤリと笑みを浮かべるイグノータスだが、そこには焦りも見えた。


「お前の素行の悪さと乱暴さが仇となったんだ。おかげで一面がれきの山。確かにそれ以外はなかった。だが、微かに魔力を感じたんだ。そんなことにも気づけないとは、今のお前の姿を見たら、ファウストはなんと言うだろうな?」


「死んだ奴の話なんかすんじゃねえ! 臆病者に用はねえんだよ。ルシウス、お前もだ。さっさとそのリックマンを置いてうせやがれ! そいつは俺が手に入れるはずだったもんだ。お前には不要なはずだろ? 人間に興味がないとぬかすお前はどうせリックマンについて何も知らねえ」


「それを聞きにきたんだ。殺した命はもとにはもう戻らないが、魔族が人間に関与すればまた戦争が起きる。お前は自分のしたことがどれほどのことなのか分かっていない。人間がその気になれば、魔族など容易く滅ぶぞ?」


「臆病者の戯れ言に付き合う気はねえ。ビシャス! フェルゼン! ルシウスを抑えろ!」


 その瞬間、ビシャスとフェルゼンの口元が微かに動いた――詠唱だ。

 イグノータスは席を立ち、二人に続き魔力を灯した右手をルシウスさんへ向けた。


「――ひれ伏せ」


 だがその時、目前の彼らへルシウスさんが何か呟いた。

 それは小さな声だったが、低くはっきりとしたものだ。


 すると、まるで広間に冷たい風でも吹いたかのように緊張が高まり、気づくと周囲で魔力を込めていた三人の魔族は、床に両手をつき息を荒くしながら、恨めしそうにルシウスさんを睨みつけていた。

 体が動かないのか立ち上がろうとしない。

 痙攣したように震えている。


「説教はしない。はなからそのつもりもない。もう、お前たちも私の言い分を素直に聞き入れるような年ごろではないだろ? お前たちは自分で気づく必要があるんだ。自分たちの行動の意味を理解する必要がある。だがリックマン一族は滅びた。それはもう取り返せない。そして魔力の痕跡を辿れば、人間もそのうちに気づく。それが魔族の手によるものだと、必ず人間は理解する」


「だったら!……はぁ……はぁ……殺しゃあいいだろうがあ! なにをビビッてやがんだ! お前は魔王だろうがあ! 《支配》がなけりゃあ俺たちをひざまずかせることもできねえのか!」


「……話にならないな」


 ルシウスさんはリサさんの手を取り、イグノータスに背を向けると広間の入り口へと歩き始める。


「この子は私が預かる。私たちの家族とする。手出しは無用だ。もし指一つでも触れてみろ……その時は、容赦しない」


「そいつは俺のもんだ……リックマンはぁ……」


「お前のこだわりなどに興味はない。分かったら大人しくしていろ。虐殺などという子供じみた愚かな真似はもうやめろ」


「お前には分からねえんだ……」


 ルシウスさんは振り向かない。

 ビシャスとフェルゼンもイグノータスと同じように、遠ざかるルシウスさんの背中を睨んでいた。


「ただ一人、その身に人間の……下等生物の血をもって生まれた魔王の気持ちが、お前に分かるか?」


「兄者……」


「兄上……」


「ラグパロスは魔王の国だ! 魔族であるはずが人間の血がわずかに入っているだけで最弱と蔑まれ続けた俺たちの気持ちが! お前に分かるか! ルシウス!」


「兄者、もういいいポロン」


「兄上、もうよいのです。あの者には分かりますまい」


「…………そうだな」


 ルシウスさんは扉の前で立ち止り、「理解すべきはお前たちの方だ」と暗い声で呟く。


「うぬぼれた若造の言葉など、理解したくもない。誰しもつらいことの一つや二つはある。自分だけだと勘違いし、他人に理解を求めるとは……」


 それは冷たく、魔力はないのにまるで冷気を放っているような言葉だった。


 その瞬間、周囲の景色がまた闇に覆われ始める。

 その間際、一瞬、イグノータスの据わった目と、感情のない表情が見えたような気がした。

 口元は閉じ、まるで何も抱いていないような目だった。


 完全に闇に閉ざされた視界の中、俺の耳には声が聞こえていた。


『リックマンだと!? リサーナ以外にもリックマンが……』


 それはまるで木霊こだまのようであり、聞こえた瞬間から周囲へ散り、消え去る。

 するとまた次の声が聞こえる。


『ウラノスに何をした!』


『俺は何もやってねえ!』


 ルシウスさんとイグノータスの声が聞こえる。

 俺は声が聞こえるたびに、暗闇を見渡した。


『この件は不問とする。イグノータス……お前たちを監視しているぞ?』


『俺は何も、やってねえ……』


 どこか寂しげなイグノータスの声。


 すると急に赤子の声が聞こえた。


『ルシウス、この子の名前は?』


エレクトラさんの声だ。


『トアトリカ……』


『じゃあ……トア。ロザリア、今日からあなたもお姉ちゃんね?』


『うん……』


 今のは……ロザリアさんの声か?


 俺はただ、どこかに誰かの姿が現れないかと何度もあたりを見渡していた。


 するとそこで視界が歪み始め、また同じように煙がまいては花々や空といった景色が現れ始める。


 ここは湖か……。


「姉様、私も姉様みたいに綺麗になりたい」


 誰だ?……まさか……。


 目の前に小さな女の子がいる。

 髪は薄いピンク色で、肌は透き通っている。

 どこかで見たことがあるような親近感を覚える……まさか、トアか?


 そして俺の目の前に、一面に広がる湖があった。

 だがそれほど広大という訳でもない。

 湖の向かいにある森が見える程度だ。


 素足を水に入れてブラブラと遊びながら、小さなトアは隣の女性へ話しかけていた。


「きっと、トアは私なんかよりもずっと綺麗なお姫様になれるわ」


 この人はきっと、ロザリアさんだろう。

 今の成長したトアと瓜二つだ。

 トアと同じ薄いピンク色の髪に、透き通った肌。サファイアのような瞳。

 トアよりも髪が長く、毛先に少し癖がある。


「本当? 姉様みたいになれる?」


「――ロザリアよりも立派で美しい姫となろう」


 そこにもう一人、別の者が姿を現した。

 俺はその微かになびく赤毛の長い髪を見た瞬間から、それがカサンドラであると気づく。

 だが、何故カサンドラがここにいるのか……あいつはシャステインの魔族だろ?

それも魔王のはず。

 それに何より、カサンドラが二人と親しいはずがない。


 カサンドラの表情には笑みがあり、カサンドラの姿を見た二人の表情には親し気な笑みがあった。

 面識はあったとしても、それはおかしい……。


「カサンドラ、遅刻よ」


 ロザリアさんはわざとらしく不貞腐れたような表情で振り返った。


「魔王の仕事は大変なのだ。ルシウスのようにはいかない」


「カサンドラ!」


 カサンドラを見つけるなり、湖から足を上げ立ち上がると、トアはカサンドラへ飛びついた。


 なんでだ……なんでトアは……こんなにも親し気に……。


 俺はその微笑ましいはずの光景を前に、急に頭が真っ白になってしまった。

 そして、何か選択を間違えたような……罪悪感に襲われた。


「トア? カサンドラ様でしょ? カサンドラはこれでも魔王なのよ?」


「これでもとは失礼な……私もそれなりに立派にやっているのだぞ?」


 ロザリアさんとカサンドラは他愛もない会話に二人、笑っていた。

 そんな二人の間には笑顔のトアがいる。

 カサンドラを見るトアの瞳は、ロザリアさんを見つめるそれと変らない。


 まるで三人は……姉妹のようだ。


「どうかしたの?」


 そこで急にカサンドラが思わしくない表情をした。


「少し、話があるのだ……」


「そのために呼んだんでしょ? 何? 言ってごらんなさい? お姉さんが聞いてあげるから」


「真面目な話だ……。どうやら私はもう、子を産めないらしい。魔族は元々繁殖力に乏しいが、私の場合、カイゼルで最後なのだそうだ」


「それって……」


「ああ……私は女を授かれない。これはシャステインにとっては死活問題だ。シャステインは女性以外を魔王とは認めない。ロザリア、私はこれでも長く生きた。その点お前はまだ若い。もし私に何かあった時は……その時は、お前にシャステインの魔王を継いでほしいのだ」


「ま、待ってよ!? 私が!? だって私はウルズォーラの魔族よ? 私が魔王になってしまったら……シャー・ステインの血は滅ぶわ。それに、私では蜷局族を従わせられない。彼らはあなたのいうことしかきかないでしょ?」


「シャステインは白蛇と魔族の一族だ。私たちよりも蛇人の血は多いかもしれないが、蜷局族も同じなのだ。彼らの祖先は錯乱した白蛇に里を襲われ、命からがらこの国へ辿り着いた。そんな彼らを私は受け入れた。家を失った者の気持ちは分からないが、同じ蛇の血を分かつもの同士、どうにか支えてやれないかと考えたのだ。ロザリア? 彼らは心を痛めている。そこに理解を示せば、彼らも自ずと理解を示してくれる」


「でも……それはやっぱりあなただからできたことよ。シャー・ステインがもし白猫族と魔族の子孫だったなら、彼らはあなたに心を開かなかったはず」


「さっきからなんの話をしてるの?」


 深刻そうなカサンドラの顔をトアが見上げていた。


「ん?……王女がいないのだ。トア……」


「王女? じゃあトアが王女になってあげる!」


 無垢な少女の言葉に、カサンドラは微笑み返す。


「ありがとう……トア」


 トアはカサンドラの微笑みに頬を赤くし、愛らしい笑みを浮かべていた。

 そんなトアの頭を撫でるカサンドラの表情には、深刻さが見え隠れしている。

 二人を見つめるロザリアさんの表情も、どこか晴れない。


「ロザリア……お前ならシャステインの国民も反対しない。皆、快く受け入れるはずだ」


 その言葉を最後に、カサンドラの姿が黒い煙に巻かれだし、トアとロザリアさんの姿も消える。

 俺はまた、暗い世界に戻された。







「お前が死んだらこの国は終わるぞ?」


「分かっている! 分かっているが!……もう、手の施しようがない」


 そこはどこかの広間だった。思うに王座の広間だろう。

 そこにはイグノータスとカサンドラの二人だけがいた。

 ラグパロスではない……カサンドラがいるということは、シャステインか?


 風通しの良い場所だ。

 換気のためでもないだろうが、窓が多い。窓の外にはバルコニーが見えていた。

 少しくすんだ白い柱や床や天井。おそらく元からそういう色なんだと思う。

 比較的、雰囲気の明るい部屋に、話し声は響いていた。


「ロザリアがダメならトアトリカでいい。どっちでも同じだ。結局ウルズォーラの血が最強なんだからなぁ。ウルズォーラであれば誰だっていい。別にロザリアにこだわる必要はねえ。それにトアトリカの方が若いんだ。好都合だろ?」


 その瞬間、カサンドラの姿が消えた。

 俺は一瞬見失い、気づくと、イグノータスへ馬乗りになり、首元にナイフを突き立てているカサンドラの姿があった。


「ヒャッヒャッヒャッヒャッ! 俺を殺す気かカサンドラ? お前に俺が殺れるとでも思ってんのか?」


「差し違えることくらいはできる……トアに手を出したら許さないぞ!」


「けっ! 他人の子供だろ? なにを溺愛してやがる。そんなんだからお前はいつまでたっても甘ちゃんのままなんだ。いいじゃねえか? トアトリカもその気だったろ?」


「お前……見ていたのか?」


「偶々だ。別にいいだろ? 起源の湖はウルズォーラのもんじゃねえ。なあ、カサンドラ? 俺に任せてみないか?」


「なんだと?」


 そこに、しばらく沈黙が流れた。

 そしてカサンドラはイグノータスを開放し、イグノータスは気だるそうに起き上がる。


「お前ももう時間がねえことくらい分かってんだろ? トアが大人になるまで生きられるとでも思ってんのか? カイゼルやプラウザに王は務まらねえし、国民も認めねえ。じゃあどうする? じゃあもうロザリアに頼るしかねえだろ? 親友だ、助けてくれる。だがそれもダメってんなら、もうトアトリカしかいねえ。俺は……トアトリカがベストだと思ってる」


 カサンドラは鋭い目つきでイグノータスを睨んだ。だが何も言わない。

 何故か今の俺は《感情感知》を使えないが、カサンドラは迷っているように思えた。


「お前には昔から行動力がねえ。カサンドラ、もう一度言う。俺に任せろ。ロザリアを説得してやる」


「だが、どうやって?……」


「奴はトアトリカが心配なだけだ。安心させてやりゃあ、どうにでもなる。俺にはロザリアが首を縦に振る姿しか見えてねえほどだ」


「だが……」


「迷った分だけ時間は過ぎる。行動が遅れた分だけ無駄な時間は生まれる。無駄のつけはそのうちお前の首を絞めるぞ? いや、それだけじゃ済まねえ。王を失えば国は滅ぶ。特にシャステインの場合は簡単だ。答えは二択。どうする? これは強制じゃねえ。ただ助けてやると言ってるだけだ」


 カサンドラはイグノータスに背を向け、空席の王座を見つめながらしばらく黙った。


「分かった。お前に、任せる……」


「――引き受けた」


 イグノータスのニヤリとした不敵な笑みが見えた。


 するとイグノータスは床に落ちていたナイフを音もたてずに拾った。

 それは先ほどカサンドラがイグノータスに突き付けていたものだ。

 サバイバルナイフほどの小さなもので、握りの先端――柄頭つかがしらに丸い装飾があり、そこにコウモリのような二つの羽が描かれていた。

 カサンドラの気づかぬ間に、イグノータスはそのナイフ片手に姿を消した。

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