第257話 【支配されし姫編】:憐憫の記憶

 大蛇族や白猫族、人間を巻き込み生まれた国。

 その根源は、種をバラまきながら大陸を歩いたある一人の、最初の魔族だった。


「それがトアとなんの関係が? 俺は事の原因が知りたいんです。ロザリアさんのことを」


「この身にただ一人、生まれながらに、弱く残酷な劣等種である人間の血を受けた魔族の気持ちが、お前に分かるか? イグノータスはそう言った。分かるはずがない。だが、だからなんだろうな。古くから続くそのしがらみが、ロザリアを殺したんだ。いや違うな。イグノータスの痛みに気づいてやれなかった私のせいだ。彼は私たち魔族と、何より自分自身の中に流れる人間の血を憎んでいる。人間自体にも嫌悪しているだろう」


「イグノータスがロザリアさんを殺したんですか? だからトアの精神は壊れた、そういうことですか? でもそれだと分からないことがいくつかあります。トアはカサンドラに殺意を抱いていました。それはおそらくロザリアさんを殺したのがカサンドラだと思っているからなんだと、今ならそれが分かります。といってもそれはもう一人のトアだったんでしょうけど……。それともう一つ、ルシウスさんは以前、俺にこの件を話すことから逃げてましたよね?」


「……」


「まるで、それが恥であるかのような感情でした……ルシウスさんはまだ、過ちについては話してませんよね? それはトアにも関係のある話のはずです。教えてください。何を恥じてるんですか?」


 そこでルシウスさんは自分の右手の平を見つめた。それが何であるのかは分からないが、俺はルシウスさんが答えるまで待った。


「これは、そう簡単な問題ではない。君はおそらく選ぶことになるだろう。私が放置してきたからだ……」


「はっきり言ってください。別に俺はルシウスさんを軽蔑したりしません」


「……ウラノスだよ」


「え?」


「ウラノス・リックマン。彼がもう一人のリックマン一族だ」


「え? ウラノスって……帝国のですか?」


 これは後悔だ。

 ルシウスさんは語ることから逃げようとしている。


「私が彼の存在に気づいた時、彼は既に英雄と呼ばれていた。8つの首をもつ八岐の白龍を殺し、世界を救った英雄……これをきっかけに、彼は《終焉帰りの英雄》と呼ばれることになる。それを耳にした時、直ぐにリサーナに会わせてやるべきだと思った。だが同時に、なぜ人間が八岐の白龍に勝つことができたのか。何故、彼がそれほどの力を有しているのかと、それが気になった。八岐の白龍……あれは偶発的に生まれる、いわば天災だ。生まれたその瞬間から終わりに向かい、土地を荒らし生命を無差別に侵した後、人知れず姿を消す。ゆえに殺すなどという概念はそれまでなかった。だが私は能天気だったんだ。まずはリサーナに家族が見つかったと、それを知らせてるやることが先決だと……だがいざ人間界へ向かおうとした時、彼はもう英雄ではなくなっていた」


「帝国ですか……」


「彼が八岐の白龍を討伐してから数年が経過していた。彼はダームズアルダンの王となっていたんだ。私がもたもたしている間に時間は過ぎていた。だがエレクトラが丁度トアを身籠ったことで、私も彼女の傍を離れることができなかった。魔族の妊娠期間は長い……。だが私が幸せに浮かれていたある日、ダームズアルダンが滅び、新たにダームズケイル帝国という大国の誕生を耳にした。王の名はウラノス、彼だった……。それから3年後、丁度今から17年前にトアは生まれた」


 17年前……。

 トアは俺と同い年か。


「私がリサーナを救い出した時、彼はすぐ傍にいた筈だ。彼はあの瓦礫の山から抜け出し、その後おそらく終焉の学院ビクトリアに辿り着いた。だがあそこは私ですら干渉することのできない未知の領域だ。誰も受け入れないはずのビクトリアが何故、彼だけは受け入れたのか。当時、私は随分と考えた。だが答えは単純なものだった。だからイグノータスはリックマンの力を欲しがったのだと分かった」


「欲しがった? なんでそこにそいつの名前が出てくるんですか?」


「リックマン一族の館を襲撃したのがイグノータスだったからだ。奴の行動に気づき私はすぐに人間界へ向かった。そしてリサーナを見つけた。だが私はイグノータスの行動理由が分からなかった。リサーナを始めて目にしたイグノータスは、喉から手が出るほどに彼女を欲しがった。その理由を知った時、何故ウラノスが終焉の学院に入れたのか、いや、こう言った方が正確だろう。何故ビクトリアがウラノスを保護したのか、それが分かった」


「保護って……まるで学院側から接触したような言い方ですね」


「そう言ったんだ。彼らはウラノスがアダムスの意志を受け継ぐ一族の生き残りだと知っていたから彼を招き入れたんだ」


 アダムスの意志……。


「リックマンとはマーセラス・ハイルクウェートとベアトリス・フィシャナティカ。この2人の人間から生まれた一族なんだ。マサムネくんは以前、私にリサーナの魔法について尋ねたね?」


「はい」


「前にも言ったがあれは深淵魔法ではない。あれはベアトリス・フィシャナティカが考案した魔法だ。魔力を術式に変換する過程で自身の《存在》を混ぜることにより詠唱となる、リックマン一族固有の魔法。リサーナが言っていた、リックマン家では最初にあの魔法を習得をさせられるのだと」


「ルシウスさんはこう思ってるんですか? 自分がウラノスを見つけていたら世界は今みたいにはなってなかったはずだと。だから帝国が生まれたと。帝国が世界を脅かしている今は自分のせいだと、そう思ってるんですか?」


 おそらくルシウスさんは帝国についても調べているはずだ。


「彼はおそらく魔族を恨んでいるだろう。イグノータスがやったことの責任は私にもある。人間からみれば魔族などどれも同じだろう。一度、謁見を申し出たことがある。だが彼は私にもリサーナにも会おうとはしなかった」


「つまりウラノスがダームズアルダンを裏切ったのはイグノータスのせいだと?」

「分からない。イグノータスは確かにリックマンを滅ぼしたが、その後の彼の動向にイグノータスは関与していないはずだ」


「……その、分からないんですけど、ルシウスさんは何をそんなに恥じてるんですか?」


「すべてだよ。トアに背負わせてしまったことも、そこにいきくつまでに私が気づけなかったことも、すべてだ。マサムネくん、君にすべてを見せる」


 するとルシウスさんはある小さな小瓶を取り出した。


「これは……」


「ウルズォーラの直系血族には稀に《支配》と呼ばれる能力が宿る。この固有スキルはその身に魔族の血が流れたすべての生命を相手の意思に関わらず支配し、服従させることが出来る。つまり魔族を支配することのできる能力だ。古くからウルズォーラの魔王は《支配》と《感情感知》、この二つを有することで魔国を治めてきた。それはウルズ様が《支配》を有し、ゾーラ様が《感情感知》を操ったことに由来する」


「そういえば、トアのステータスにもその文字がありました」


「そうだ。トアもこの力を持っている。だが《支配》にはリスクが伴う。この能力がその身に宿ったその時から、その者の精神は不安定になり意識の中にもう一人の自分が現れ始めるんだ。だがそれも年齢と共に馴染んでくるものなんだ。生半可なことではないがな。適応できなければその者の自我は崩壊する。過去にはそういった例もあったそうだ。そして、トアもそうなる可能性がある」


「俺は何をすればいいいんですか? どうすればトアを救えますか?」


「私を信用してほしい。そしてこれを飲みなさい。秘薬だ。一時的に君の性質を魔族に変えることができる」


 ゼファーの秘薬を思い出す。あの時もこんな気分だった。

 良く分からないものを口に入れる前というのは、いつも気持ち悪い。


「トアに関わる過去、そのすべてを君に見せよう。これは多重的な問題だ。それを見て、その上で決めればいい。この先、どうするのかを……」


「どうするかって……何をですか? 俺は何を選ぶんですか?」


 だがルシウスさんからの返答はなく、『知りたければこれを飲め』と言われているようで、俺はそれを飲み干した。


「今から君に《支配》をかける。その後、君は一瞬で過去のすべてを理解することになるだろう。私が何を間違えたのかも、分かるはずだ……」


 そこで語ることを止めたルシウスさんは、ゆっくりと右手を前に出し、俺へ手の平を翳した。

 傍では《ロザリア・ロゼフ・ウルズォーラ》と書かれた墓石が俺を見ている。


「君が深淵の愚者であろうと、世界の裏切り者であろうと、私は……」


 ルシウスさんが俺から目を背けた直後、まるで穴に落ちた時のような浮遊感に襲われ、俺の体は下へ下へと落ちていく。

 校舎の屋上から飛び降りた時のことを思い出していると、傍にあったはずのロザリアさんの墓は消えていた。もちろんルシウスさんの姿もない。


 どこまでも上昇する不気味な黒い影が周囲を包んでいた。


 すると微かに何か雑音のようなものが聞こえはじめ、気づいた時にはそれが声であると分かる。

 声が徐々にはっきりとしたものになっていくと、周囲の景色にも変化が現れていた。

 黒一色であった視界に、こまごまとした色が煙と共に現れ始める。

 天井、支柱……タイルの床……王座。


「何故だ! 何故彼らを殺した! 彼らは人間だ! お前に一体なんの関係がある!」


 俺は、王座の見える広間の真ん中にいた。

 目の前には何故か激高するルシウスさんの姿がいる。

 先ほどまでとは違い、冷静ではない様子だ。


『ルシウスさん? ここは……あれ?』


 声が出ない?

 発したはずが、まるで夢の中にいるように喋れない。


「お前には関係のねえ話だろ。そのガキを連れてさっさと帰れ。俺は忙しいんだ。保護者気取りなお前の話に付き合っている暇はない」


「イグノータス……」


イグノータス? これがラグパロスの魔王?


「そうだポロン! さっさと帰るポロン!」


「いやはや実に厄介な男ですな! 断りもなし兄上の城に立ち入り、あまつさえ説教ですか? 一体あなたは何様のつもりなのですかな!」


 こいつらは誰だ? あれがイグノータス……こいつらは?


「ビシャス、フェルゼン……私は約束したのだ。ファウストに、お前たち3人のことをよろしく頼むと……」


 そこにいるはずが、俺の存在には誰も気づいていない。

 誰も俺を見ようとはしない。

 ここは……夢か?


 その時、ルシウスさんの足元に、茶色い耳の生えた幼い獣人の姿を見つけた。

 おそらく猫族だ。


『君は……』


「死んだ奴の話なんかすんじゃねえ。あいつを弔いにでも来たのか? 臆病者の感傷ほど吐き気を覚えるもんはねえなぁ。気が済んだらその獣人を連れてとっとと帰りやがれ、二度とここには顔を出すな。この城はもう、俺たちのもんだ」


「リサーナだよ」


「は?」


「この子はリサーナというんだ」


「頭がおかしくなったポロン? いま兄上は帰れと言ったポロンよ?」


「あなたもそろそろロザリアに王位を譲られてはどうですかな? あのような者でもあなたよりはマシといえるでしょう。あなたよりは立派に王として……」


「リサーナ・リックマンだ」


 後ろの二人に馬鹿にされながら、ルシウスさんがもう一度彼女の名前を呼ぶ。

 するとイグノータスの瞳孔が開き、彼は王座から前のめりになり、身を乗り出した。


「なん、だと……」


「聞こえただろ? 彼女の名はリサーナ・リックマン。お前が滅ぼしたリックマン一族の生き残りだ」


 この小さい女の子がリサさん?

 するとここは。

 過去か。


 どうやら俺は。

 ルシウスさんの夢の中にいるようだ。

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