第250話 陰湿
アーノルド王によるレイド・ブラック追放の公表が行われたその日、しばらくして、王座の広間では謁見が行われていた。
右からラインハルト・リックマン、ダニエル・キング、エミリー・アンダーソン。
そして、シエラ・エカルラートだ。
今や四名となった小規模な白王騎士団。王はその光景に、深刻な表情を浮かべていた。
「正しいことであったとは思っていません」
そんな王に対し、そう意見したのはシエラだ。だがシエラの表情も苦しい。
「再び帝国が来ようものなら迎えうつ。ただしそれは防衛の手段としてだ。こちらから出向き襲うような、戦争を仕掛けるような真似はしない。それが我の考えだ。あ奴にはそれが理解できなかった。《灰の団》の元隊長であったあ奴を支持する者は多い。今回の一件は、レイドを支持する潜在的戦争派の彼らへのメッセージとなろう。でなければ……オリバーの二の舞になりかねん」
「オリバーの二の舞?」
と、シエラは王のその言葉の意味を理解していな様子だ。
「あ奴の炎はあの日のオリバーを想起させる。火の魔法には怨念が住みつく、という言葉もある。火に優れた者の心には、破滅的な思想が巣食いやすい」
「つまりそれは平たく言えば見せしめってことじゃないですか?」
王の言葉に半ばな挑発的ともとれる態度で意見するダニエル。
統括を任されているラインハルトはそれを咎めない。
王も注意しない。既に敬意のある関係性は崩れているのだろう。
「そうだ。レイドには申し訳ないが、この国のため、我は取るべき手段を選んだまでだ」
その答えにダニエルは密かに表情を変える。表情が見えないように床を睨みつけたまま動かない。
エミリーは会話をただ聞いていた。特に意見することはない。
今回のこの一件には、さかのぼればシエラの姉であるヒルダの死が関係している。
ヒルダが帝国に殺されて以降、レイドは戦争に対して積極的になっていった。
エミリーはただ、シエラのことを心配しているのだ。
姉を失い、ヒルダの死後、唯一でもないがシエラを気にかけていたレイドが追放され、今やシエラを気にかける者もエミリーくらいのもの。
『誰かが彼女を支えてあげないといけない』――エミリーはただ、シエラの背を見つめていた。
「賢明なご判断です。レイドの追放は、避けようがありませんでした」
だが一人、王の意志に賛成する者がいた――ラインハルトだ。
集まった白王騎士は皆、彼の言葉に床を見つめたまま驚く。
「そう思うか、ラインハルトよ?」
「……はい。王のご意志に異論はありません」
だがダニエルもシエラも、ラインハルトその言葉に対し、意見することはない。
誰も意見することもなく、ラインハルトのその言葉を最後に謁見は終わり、それぞれは広間を出た。
それぞれの中に気軽さがなくなりつつあった。容易く声をかけあうことはもうない。
いつからかそれぞれの間に溝は生まれ、深まり、そして口数は減っていった。
皆、自分なりに考えがあり、思うことはあるだろう。だがそれを打ち明けることは次第になくなった。
▽
レイドを追放したことは正義だったのでしょうか?……。
それが分からず、私はこうして姉の墓の前に立つ。ですが姉が答えてくれることはない。
そこへエミリーの姿が見えました。彼女が私を気にかけてくれていることは分かっています。
ですが、今の私には彼女の思いやりに感謝し、彼女に答えるほどの余裕はないのです。
「ヒルダなら……なんて言ったんだろうね?」
姉なら、今回のレイドの追放に対して何と言ったでしょうか?
「……分かりません」
「レイドの追放に賛成したかしら?」
「……分かりません」
エミリーはそれだけを私に問い、気づくと私をそっとしたまま、その場から去っていました。彼女が去った気配にすら、私は意識を向けられませんでした。
――『シエラ。もしこの国に居づらくなったら、まず白王を辞めろ』
今思い出すのはレイドの言葉です。
彼はこの国を去る時、私を呼び出しおかしなことを言ったのです。
――『俺のようになる必要はねえ。これは俺なりのけじめだ。王に背いた罰を自分に課せただけ、それ以外の意味はねえ。王もそれを理解しているはずだ。アーノルド王は情け深いお方だ。だから俺が謝れば今回のことも許しただろう。だがそんなことはあっちゃならねえ。あの人が……王が王であるために、そんなことはあっちゃならねえんだ。だがもしもお前が俺と同じ考えに辿りつき、その肩書きが邪魔になったなら、その時は迷わず国を出ろ。そして俺を探せ。場所は整えておく。俺は……必ずヒルダやエドワードの仇をとる』
“肩書きが邪魔になったら”とは、一体どういう意味でしょうか?
私にはその意味が分かりません。
「シエラ」
気づくとそこにラインハルトの姿がありました。
「珍しいですね。ラインハルトがここに来るなんて」
私がそう言うと、彼は一度だけ姉の墓に目を向けました。
「龍の心臓から文書が届いた」
「え?……」
それは突然に知らされました。
「どういう、ことですか?」
「今回の帝国の一件だが、どうやら彼らは帝国が大規模な戦争を仕掛けるのではないかと危惧しているらしい。ラズハウセンがその気であるのならば、迷わず手を貸すとそう言っている」
「手を貸す?……」
「俺たちに戦争の意志があるのならば、彼らも帝国との戦いに参加するということだ」
「それは……ですが彼らは常に物事の裏から状況を変えてきた組織ではなかったですか? 正々堂々とした者たちではありません。そんな彼らの言葉など……」
「ああそうだ。だから今後どうするのか、彼の申し出を受けるのか、それを決めるための会議を行う」
「……分かりました」
ラインハルトはそれだけを告げ、直ぐにその場から立ち去りました。
若くして王国騎士となり白王騎士に選ばれ、団長の座にまで上りつめた天才の彼には、一体、何が見えているのでしょうか?
私には何も……この先の未来が見えません。
彼には見えているのでしょうね……。
「マサムネ……」
トア……ネム……私は、間違ったのでしょうか?
「お姉さま……この国はどうなってしまうのでしょうか?」
墓標に尋ねても、答えを見出せる訳でもなく……。
「マサムネ……」
今思い出すのは、あの日、最後に別れた時に見た彼の表情です。
何故、今さら私はマサムネのことを思い出しているのでしょうか……。
▽
ルシウスさんにリサさんとの出会いについて軽く話を聞いた翌日、目が覚めた俺は、一人この魔王城を散歩がてら目的もなく歩いていた。
どうやら寝ようと思えば寝られるらしい。
だが必ずしも必要という訳ではないのが、この深淵に染まりつつある体の不思議なところだ。
俺の頭の中には昨日のルシウスさんとの会話の内容が繰り返し流れていた。
ルシウスさんの言葉が何度も飽きるほどに流れ、俺はその言葉に「どういうことですか?」と問う。
だが答えはでない。
そして俺は最後にまた尋ねる。
――「それは誰ですか?」と。
ルシウスさんは話さなかったのだ。
リックマン一族はリサさん以外にあと四人いる。
だがルシウスさんは教えてはくれなかった。
渋った後、「やはりもう少し時間がほしい」とそのまま世界鏡を引き連れまたいつものように消えていった。
流石に腹が立つ。まったく、この家の人たちはどうなっているんだ?
いや主にルシウスさんだ。
初対面時、《感情感知》をこれでもかというほどに使い、俺の心を読み、上から目線んで魔王としての貫禄と力を見せつけてきたルシウスさん。
だが箱を開けてみれば、実態はただの臆病な王。というのは言い過ぎだろうか?
まるで自分を見ているような感覚を覚える。
もちろん俺も悪かったとは思っている。《魔王》という存在に会う前から憧れを抱いていた俺も悪かった。
魔王への固定観念がそのまま先入観となり、俺はあの人を知る前からどこかで美化していたのだろ。
魔族であれ、生きる者にはそれぞれ都合があるのだ。
俺のこの押し付けがましい憧れに都合よく答えてくれるわけではない。
結果、こんな風に反省している俺はお人好しか?……まただ……また俺はこの悪循環に陥っている。
イラついた傍から俺はあの人に気に入られたいと思っているのか、直ぐに自分の考えを咎める。
そしてそんな悪しき感情を抱いていしまった自分をまた咎め、罪悪感にかられる。
だが罪悪感にかられているこの結果を生みだした諸悪の根源は誰だ?――と問い、それは《あの人》だとルシウスさんを責める。
一瞬、エレクトラさんが《あの人》と呼ぶ理由が分かったような気がした。正解がどうかは不明だが……。
だがそう思った傍から、それらも含め本人にもう一度問い質すべきだと、一人で悩み間違った方向に結論を出す自分をまた咎める。
この繰り返しだ。だから疲れる。
自分のこの面倒臭い性格に辟易する。
「母様……今日も姉様は帰ってこないの?」
その時、とある部屋からトアの声が聞こえた。
「仕方がないでしょ? ロザリアは忙しいと何度も言って――」
「――じゃあ私から会いに行くわ!」
「おはようございます」
エレクトラさんの声も聞こえていたため俺は敬語で挨拶をしながら、半開きの扉をゆっくりと開けた。
「あらマサムネさん。おはようございます」
いつもの笑顔で挨拶を返すエレクトラさん。俺に気づいたトアの表情は暗く沈んでいた。
「トア、おはよう」
「うん……おはよう」
姉のロザリアさんが仕事で忙しく帰ってこないせいで、トアは機嫌が悪い。
すると場の空気を変えようとしたのか、
「そうだわトア! 今日こそ町で遊んでらっしゃい! しばらくちゃんと行っていなかったでしょ? あなたの小さい頃よりも様子が変わっているし、きっと楽しいはずよ?」
「……嫌よ。だって、知らない人がみんな私のことを”姫様“って呼ぶのよ?!」
「あなたはこの国の王女なのよ? 当たり前でしょ?」
「お辞儀までしてくるのよ?! あんな大勢の知らない人に頭を下げられたって……」
「それが王女としての務めです!」
「変な人たちだって来るじゃない!」
おそらく蜷局族のことを言っているのだろう。
「それに、なんでかリサも機嫌が悪くなるし……」
リサさんの機嫌が悪い? どういうことだ? そんなはずはないだろう?
だってリサさんはいつも敬意をはらい、王女としてのトアを立てていたはずだ。
「
「別に……いい」
トアの返答に呆れるエレクトラさん。そこで会話が途切れた。
丁度良い。俺も少し気になったことがあるし、この辺りで少し話を変えよう。
「あの、エレクトラさん。お聞きしたいことがあるんですが」
「聞きたいこと?」
「その、蜷局族のことなんですけど。何か、その、言いあらわしがたい違和感があるといいますか」
「性別がないのよ、彼らには」
「え?」
「元はそうじゃなかったみたいだけど。起源は蛇人。蛇人は分かるかしら?」
「はい」
確かシャオーンも蛇人だった。
「その昔、とある蛇人の里を白い大蛇が呑み込んだそうよ。ほとんどの蛇人が殺されてしまったらしいわ。生き残ったごく少数のうちの数人が、この魔国に辿りついた。魔族との生活を続けていくうち、彼らから性別が消えた」
妙な話だ。
蛇人と魔族の繰り返される交配の果てに、蜷局族は生まれたという。
だが何故、性別が消えたのか……。
それに性別が消えたという割には、見た目は明らかに女性だった。
「性別が消えた理由は分からないわ。特に誰も彼らに興味を持たないし、知ろうとしないから誰にも分からないのよ」
「その、なんであの人たちはあそこまで嫌われてるんですか?」
「それは彼らがそれだけのことをしたからよ。問題は性質でなく、彼らの特異な人格。誰も、彼らと理解し合うことはできないわ」
魔族との間に子供を作っただけで……何故だ? 何故そんな変化が訪れる。
それに、“それだけのこと”ってのは何だ?
知れば知るほど疑問は深まるばかりだ。
「ルシウスは彼らに同情的だけれど、私は彼らを受け入れられない。私はあの人とは違うから」
気づくとトアも俺と一緒になって話を聞いていた。お姉さんのことはもういいのだろうか? まあ話を遮ったのは俺なわけだが。
たまにエレクトラさんはルシウスさんを”あの人“と呼ぶ。流石にそれについては聞けないが、そこにもなんらかの意味があるのだろうか?……。
「彼らの見た目は一言で表せば絶世の美女と言えるわね。あの艶のある長い黒髪と透き通った肌は男性を惹きつける。女性だって惑わされることがあるほどよ。けれど彼らには性別がない。そして彼らは何より、陰湿で感情的な生き物……」
「どういうことですか?」
「それがまるで生まれ持っての性であるかのように、彼らは気づくと群れをなし、他者を陥れようとする。これまで何度問題を起こしたことか。咎めても、彼らは相手のことなど目もくれず、自分たちの痛みを主張し始める」
「その、つまり……」
具体的に何があったのかを言わないエレクトラさんの言葉を、俺は深読みし考える。
そういえばリサさんも同じようなことを言っていた。
手を差し伸べても自分の手を取らなかったと、悲観的な感情と共にそう言っていた。
「自己愛が異常なほどに強いということよ? おまけに彼らは痛覚が多種族よりも生まれながらに弱く、ほとんど機能していないの。それは周期的な脱皮による激痛に耐えるためだと言われているわ。だけどそのせいか痛みに鈍感で他者の痛みを理解できない。陰湿、感情に流されやすい理性、痛みのない感覚。まるで他者に迷惑をかけるために生まれてきたような種族……」
彼女たちは迷惑な存在だと、はっきりとそう話すエレクトラさん。だがそう言わざるを得ない過去があるのだろう。
彼らのことについて話すエレクトラさんの表情は深刻で、心は複雑な感情で満たされていた。怒りもあれば悲しみもある……どういうことなのかわからない。
「今も変わらないわ。マサムネさんも二度ほど会ったというなら分かると思うけれど、彼らに言葉が通じたことがあったかしら? おそらく彼らは聞く耳を持たなかったのではないかしら?……。ルシウスはそれでも“理解し合えるはずだ”と言うけれど、あの人は優し過ぎる。優しさに分別がない。私にはあの人の言葉を受け入れることができない。彼らを……受け入れることはできないわ」
俺はそれ以上は何も聞かなかった。
ルシウスさんに対してもそうだが、最近、人の感情というものが分かってきたような気がする。
以前からこの感覚はあった。だが最近は余計に実感することがある。
この人はこれ以上質問しても答えない――それが分かる時があるのだ。
《感情感知》に慣れてきたということなのか俺の怠惰が原因なのか、それは実際のところ分からない。だが分かる。
だから俺はもう、聞かなかった。
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