第217話 【惨劇の雨編】:平和の象徴

 これは獣国がウラノスの襲撃を受けるより、数日前の話だ。

 本日も快晴に恵まれた、ここアノール・フェリアでは、セレナとレイヴン、そしてネムが幸せな日々を送っていた。


「やあっ! やあっ! やあっ!」


 ネムはミネルヴァに教わった猫拳の修行に励んでいた。そして、傍らでその姿を見守るセレナ。ミネルヴァが帰ってからは、セレナがネムの先生だ。


「なあ、そろそろお昼にしないか?」


 時間は昼過ぎだが、日は真上に見える。


「そうね。ネム、特訓もほどほどにして、お昼にしましょ?」


「はいなのです!」


 天真爛漫、それがネムの良さだ。いつもニコニコと微笑み、町中の者を笑顔にさせる。


「じゃあ、お母様のところへいきましょう」


 今日はレイヴンの母親であるトリシュがお昼をごちそうしてくれることになっていた。

 3人の住居は町の中心から少し離れたところにあり、レイヴンの実家は中央に位置しているが、それほど遠いというわけでもない。


「ネム、ちゃんと付けてなきゃダメでしょ?」


 すると青く光る鉱石のネックレスをネムにかけるセレナ。レイヴンがセレナに渡した『アノールの光の結晶』だ。だが今はネムに託されている。

 ネムは胸元にある鉱石を見つめ、そっと微笑む。そんなネムの頭を撫でるセレナ。

 3人はいつものように手を繋ぎ、町一番の幸せ家族として町を歩き、中央市場へと向かった。

――――。




 中央市場から少し外れた黄土色の家々が立ち並ぶ住宅地の一画。そこにトリシュの家はあった。「母さん」と言いながらレイヴンが扉を開けると、そこには準備をして待つトリシュの姿があった。


「あらあらネムちゃん、よく来たわね」


「トート!」


 するとネムは、トリシュを見つけるなり飛び付いた。ネムはトリシュを『トート』と呼ぶ。これはネムなりの信頼の証なのだろう。

 この頃ネムは、気に入った相手にあだ名をつけていた。

 これが日常だ。そしてセレナとトリシュ、レイヴンとネムは、皆で協力して料理をテーブルに運ぶ。

 運び終えると席につき、今日という日を迎えられたことに感謝する。ネムは誰もに愛され家族に見守られ、幸せだった。


 だが、その幸せは帝国の襲撃により、終わりを迎える。それはセレナの表情が曇った以前より、既に始まっていた。


「今のは?!」


 その時、家の外から大きな爆発音が聞こえた。そして家が大きく揺れたことで、昼食をとっていた手が止まり、レイヴンやセレナ、トリシュの表情が動揺へと変わる。

 すると、家の外から町民の叫び声が聞こえてくる。

 そして家の扉を強く叩く音が聴こえると、急いでトリシュが開けた。そこにいたのはトリシュの隣人。犬族の女性ワンダだ。


「トリシュ! ああ! ネムちゃんもセレナさんたちも来てたんだね、早く逃げた方がいいよ!」


「ちょっと落ち着いてワンダ! 一体、何があったんだい?」


「南側で何かあったみたいなんだよ、大きな火の手が見えるんだ。あんたらも早く非難した方がいい。私は先に逃げるからね」


 するとその時、セレナの表情に暗雲が立ち込める。町の南側、そこに、とてつもなく大きな魔力の波動を感じたからだ。


「これは……」


「どうしたんだい、セレナ?」


 妻を心配そうに見つめるレイヴン。


「早く……早く逃げた方がいいわ」


「母様?」


 首をひねり、不思議そうな表情で肉をほおばるネム。まだネムには魔力を感じ取れない。


「レイヴン、私が着てた『隠れ身のローブ』なんだけど、確か戸棚にしまったわよね?」


 すると何かを思いついたように、焦る表情のまま、急にそんなことを尋ねるセレナ。


「ああ、しまったけど? それがどうしたんだ?」


「じゃあ一度、家に戻りましょう?」


「ローブを取りに戻るのか? でも逃げた方が……」


 だが家に戻りたいと話すセレナの表情は真剣そのものだった。レイヴンには、それが一時の気の迷いとは違うような気がしたのだ。


「……分かった。じゃあ家に戻ろう」


「3人とも、早く逃げるよ?!」


 急かすトリシュ。


「お母様、ネムを連れて、先に逃げてください。私とレイヴンも直ぐに向かいますので」


 するとセレナとレイヴン、2人の表情を確かめるトリシュ。2人の目を見つめるトリシュの表情には不安があった。だが2人の事情を察したのだろう。


「分かったわ、でも急ぐんだよ?」


 事情を深く理解した訳ではない。だがこの逃げることを優先すべきである状況において、迷うことなくそう話すセレナの都合をトリシュは認めたのだ。それはこれまで長く共に暮らしてきたことで、セレナの性格を理解しているトリシュなら納得できることだった。


「はい」


 それでも心配するトリシュに頷くセレナ。


「母さん、ネムをよろしく頼む」


「母様? 父様?」


 ネムは不安な様子で母親と父親を見た。


「ネム、直ぐに私たちも行くから、先にお母様と一緒に行っててくれる?」


 ネムの心を深い不安が襲った。だがネムは2人の表情と声から、幼いながら何かを察したのだ。ここは従い、信じるべきだと、そう言葉にはできなくとも、感情のまま理解した。


「……直ぐに、来るのですか?」


「ええ、直ぐにレイヴンと向かうわ」


「本当、なのですか?」


「ネム、セレナと俺を信じるんだ。直ぐに行くから、母さんを頼む」


 不安がるネムに、あえて「頼む」などというレイヴン。役割を与えることで、安心させようとしているのだ。


「……分かったのです。ネムは、怖くないのです」


 それはネムの強がりだった。2人を心配させないがために言ってみたのだ。そして我が子を抱きしめるセレナとレイヴン。

 その後、ネムはトリシュは先に家を出ると、大急ぎで爆発のあった方向とは反対方向に逃げた。


 そしてセレナとレイヴンは、必要なものを取りに家へと向かった。行き交う人々とは逆の方向へ走る2人。だが爆心地とは少し離れた方向だ。


「セレナ、一体どうしたんだ?」


「隠れ身のローブよ、あれが必要なの」


「あれが? どういうことだ?」


「あれはアンナが国を抜け出した時、ミネルヴァが彼女に持たせた物と同じ者なの、あのローブには、『認識阻害』と『魔力阻害』の2つの効果がある。もしもの時、ネムを隠せるわ」


「隠せる?……その、どういうことだ? 一体なにから?」


「……強い、魔力を感じるわ、それも、その辺りにいるような半端な者の魔力じゃない」


「つまり、そいつが町を襲ってるってことか?」


「分からないわ、だけど……」


 セレナは嫌な予感がしてならなかった。それはミネルヴァが別れ際に発した言葉に関係している。

 獣国に送られ続けていた帝国からの文書が途絶え、それから月日が経過した。だが近頃、また帝国からの文書が届いているというのだ。建国以来、まったくと言って良いほど動きのなかった帝国が、何故また獣国に接触を求めてきたのか? はっきりとしたことは言わなかったミネルヴァであったが、セレナはそう話す姉の表情を覚えていた。


「まさか……」


 隣で不安そうにセレナを見つめるレイヴン。だがセレナの疑念は深まるばかりだった。

 王となり、その後ある者たちを除いて、すべての者を追放したウラノス。そんな異常な王に、果たして常識など通用するだろうか? セレナの中には漠然とした不安からくる憶測が広がっていた。


「兎に角、ローブを持って、早くネムとお母様のところへ戻りましょう」











 中央から離れた町の一角。辺りには住宅と様々な店が乱雑に立ち並んでいる。そこには多数の避難民が集まっていた。

 そこへ、ローブを片手に現れるセレナとレイヴン。2人は無事、目当ての物を手に入れられたようだった。


「母様!」


 満面の笑みで大きく手を振るネムの前に、セレナが現れる。セレナはネムを見つけると幸せそうに抱きしめると、直ぐにローブを着せた。


「これは、何なのですか?」


 疑問符を浮かべるネムに、微笑むセレナ。


「あなたを守ってくれるわ、これを肌身離さず着てなさい」


「……分かったのです」


 ネムは何のことだか分からないが、とりあえず言う事を素直に聞いた。

だがその時だった。


「……」


 セレナは口を開けたまま静止した。背後に強大な魔力を感じたからだ。


「第三王女セレナ、探したぞ?」


 低く圧のある声がセレナに語りかける。するとセレナはゆっくりと後ろへ振り返った。


「……ウラノス」


 動きを見せぬ謎の国、ダームズケイル帝国。だが皇帝の顔を知らぬ者はいない。何故ならウラノスは皇帝になる以前より、名の知れた大魔導師、英雄だったからだ。

 セレナはローブとフードで前進を隠したネムを密かに体で隠す。その動きにウラノスは気づかない。


「この我が、直々に文書までくれてやったにも関わらず、中々返事がこない。お主の国の王は一体、どうなっておるのだ? 王女セレナよ?」


 すると皇帝の言葉に、避難し集まっていた周囲の町民たちがざわつき始める。どうやら町民の多くはセレナが獣国の元王女であることを知らないらしい。


「ん? なんだ? 知らぬのか? では殺す前に教えてやろう、冒険とは時に急ぎ、基本的には怠惰に行うものだ。我のような者にとってはな? それは殺しとて同じこと」


 するとウラノスは笑みも浮かべず、視線だけを町民に向け語った。


「獣国ネイツャート・カタルリア。この者はその国の第二王女である。自国の風習とやらを嫌い、正体を隠し、この町へ逃げてきたのだ」


 さらにざわつき始める町民たち。レイヴンとトリシュは皇帝に敵意の視線を送っていた。

 傍らのネムは何のことだか分からない。ネムは自分の母親が王女だと知らされていないのだ。故に自分が王族であることも知らない。


「そんなことはもう、どうでもいいことよ、それよりも何故この町へ来たの? どうして町を襲ったの? この町は……この町の人たちは、ただ自然に暮らしたいだけの…「暇つぶしだ――」


 するとセレナの説法に飽きたように、退屈そうな表情で答えるウラノス。


「暇つぶし?」


「そうだ、特に驚くようなことでもなかろう? 我にもストレスはある。それよりも本題に入ろうではないか? 我は帝国繁栄のために戦力となる戦士を集めておる。種族に拘るつもりはないが、特に獣人は生命力が高く、戦争時には一般的な人間以上の力を発揮する。どうだセレナよ? 我と共に、帝国へ来ぬか? このような退屈な町では余生も過ごせまい」


「断るわ」


 ウラノスの勧誘を即答で断るセレナ。するとウラノスは大袈裟な溜め息を吐き、わざとらしく頭を抱える素振りを見せた。どうやら断られることが分かっていたらしい。


「多種多様な弱者が蔓延はびこる町アノール・フェリア。お主が獣国を飛び出し、この町へいることを知った時から、その返答は予想していた。だが万が一も考え、我は尋ねてやったのだ。だがやはり、上手く行かぬものだな」


 その時、ウラノスの魔力に微かな揺らぎが見えた。


「では、死んでもらうとしようか? 暇つぶしに――」


 その瞬間、ウラノスの魔力が肥大し、手のひらに微かな光が見えた。


「レイヴン、お願い!」


 直後、ネムをレイヴンに任せるセレナ。

 ウラノスは容赦なく魔法を放った。手の平から上空へ巨大な火の玉を無数に放つウラノス。


「【雷光の縮地ライトニング・ソル】!」


 対し魔法を詠唱するセレナ。すると足元に魔法陣が現れ、セレナの足を発光する雷が包んだ。

 そして迫りくる炎の群れに意識を集中し、交わすタイミングを見極める。だがその時だった。


「お主は後回しだ。散らばられては面倒だからな?」


 ウラノスの放った炎はセレナと接触する直前で方向を変え、そのまま背後で逃げ惑っている町民たちへと向かった。


「皆ぁあ!」


 セレナはウラノスの狙いに気づいたが、その時点でもう遅い。

 無数の悲鳴が聞こえたかと思うと、その後に爆音が鳴り響く。辺りにそれらの悲鳴をかき消すほどの衝撃波が走った。

 町中の建物に引火し立ち上る火と残骸、そして煙だ。熱を直接浴びた者は焼き殺され、もう跡形もない。そして衝撃波に呑まれた者は体をバラバラにされ、それらは町中に散らばった。

 既に悲鳴など過去のものとなり、その様子をウラノスは真顔で眺めていた。退屈そうに。

 セレナは怒りと悲しみを押し殺し、この町へ来たことへの罪悪感をも押し殺した。だがそうするしかなかったのだ。悔やんでいる時間など、もう残されていないのだ。


「私に用があったんじゃないの?! 何故! 罪もない人たちまで?!」


「罪もないが何もないではないか? たかが獣人、たかがドワーフ、たかが人間だ。何を怒っておる?」


 セレナはウラノスの言葉すべてを理解できない。いや、理解できるはずがない。皇帝は既に狂っているのだ。もはや言葉が通じるような相手ではない。


「お前を! 殺す!」


 ネムのために。セレナはそう発し、腕を構える。だが圧倒的な力量差。セレナはもう分かっていた。



 一方、爆風を利用し、ネムと母親トリシュを近場の比較的被害の軽い家に隠すレイヴン。


「ネム、ここでじっとしてるんだ。いいな?」


 ネムはレイヴンの不安な目を見た。そしてレイヴンの心を感じ取っていた。


「母様は?」


「大丈夫だ。父さんが助ける、俺だって多少の魔法は使えるんだ。心配しなくても大丈夫さ。ネム……」


 すると言葉を詰まらせるレイヴン。ネムは疑問符を浮かべる。


「おばあちゃんを頼むな?」


 するとネムのフードを直し、深く被せるレイヴン。母親にアイコンタクトで「ネム頼む」と送り、レイヴンは家を出た。



 電気を纏った両手でウラノスに襲いかかるセレナ。だがウラノスは気合のない表情でいとも容易く避ける。


「動きは俊敏で力強く、そして白猫族ということもあり魔力も高い。だが戦力にはなれど、決定打とはならぬ。ドラゴン退治には向かぬな」


 その言葉に心の中で疑問符を浮かべるセレナ、だが考えている余裕などない。


「セレナ!」


 すると背後にレイヴンの姿が見えた。一瞬、何故戻ってきたのかと困惑するセレナ。だがレイヴンの目を見た時、その思いを感じ取った。

 一度ウラノスと距離を取り、レイヴンと合流するセレナ。


「レイヴン……ごめんなさい」


「分かってる、分かってるさ。だけど……いいんだ」


 互いに通じ合い、つたない言葉で語りかける2人。


「ネムは?」


「近くの家に隠した。大丈夫だ」


 するとこちらにゆっくりと近づいてくるウラノス。


「中には魔族やエルフもいた筈だが、弱い、弱すぎる。もうお主ら以外に魔力を一つしか感じぬぞ? 貴様らを殺し、そして残りの者も殺し、この町は終わらせてやろう。これが我を無視し続けた報いだ。我に従わぬ者はすべて殺す」


 ”魔力を一つしか感じない“……それは誰の魔力か? 無論、トリシュの物だ。

 つまり皇帝ウラノスは、ネムを数に入れていない。認識阻害と魔力阻害のローブを纏ったネムの存在に気づいていないのだ。その言葉にセレナとレイヴンは心の中で安堵し、そして互いに見つめ合うと、もう一度覚悟を決める。


「レイヴン? 行くわよ?」


「ああ、援護する」


 レイヴンの力はセレナよりも劣る。それも考慮し、レイヴンは前へ出るよりも、援護に回った方が得策だと判断した。


「レイヴン?」


 するとそんなレイヴンに問いかけるセレナ。


「愛してるわ……」


 ――これが最後だと、セレナは分かっている。これが終われば、もう自分がレイヴンに愛を告げることはない。


「ああ、分かってる。俺も、愛してる……」


 それはレイヴンとて同じだ。2人はもう分かっている。


 ――もう、ネムに会えないことを。


 そして2人は皇帝ウラノスに刃を向け、颯爽と地を駆けた。

 ウラノスは相変わらず表情を変えず、そんな2人の覚悟になど興味も持たず、容赦ない波動を向けた。

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