第206話 豚が統べる王国

 ここはパスカンチン王国、主に産業で発展した国だ。そして国内のいたる所には工場があり、そこには見渡す限りの煙突が見える。そこから噴き出た有害な煙で覆われた空は、この国の荒んだ実態を表していた。

工場と煙突の隙間を埋め尽くすように立ち並ぶ家々では、奴隷が生活しており、皆、早い段階で謎の病にかかり、命を落とす。だが民の死は国にとって、何の意味も為さない。減った分は足せばいい。この国には毎日のように、どこからか奴隷が送られてくるのだ。

国王が獣人を好むことから奴隷の大半は獣族だが、中には人間の姿もあった。そして工場で働く者の大部分は獣人だ。だがそんな獣人でさえ、送られてきた半年後には、病にかかり命を落とす。パスカンチンとはそういう国だ。

そして国を囲む防壁の外側には、王の好みにより、無数の突起物が施されている。

針で埋め尽くされた壁が、この国へ訪れた者に攻撃的なイメージを与える。


「煙に巻いた人生! 私利私欲に塗れ、獣人を支配しゴミのように扱い労働を強いる。そして命を使い捨ての道具のように捉え、悪戯に奪う。そしてそれらすべての罪を! この煙で誤魔化しているのだ! 己の愚かさと共にな。トンパールめ……今、その命を終わらせてやろう」


慈者の血脈を背に、アンク・アマデウスは、この国の実態を説いた。

そして白き者たちは怒りと悲しみに震えながら、同胞が囚われた国を見つめる。


すると一人の者が答えた。


「アンク様……私が間違っていました。この国は、放ってはおけません。今すぐに何とかしないと……」


女性の声だ。透き通った女性の声。


「そうだアリシア、この国に猶予を与えることはできない。おそらく皆の求める絶望は与えられぬであろう。だが大いなる意志を貫くには、時に耐えることも必要なのだ。組織としては同胞の救助が最優先。今回に限り、その思いは捨てろ……」


アマデウスは“何か”について話していた。

だがその“何か”が分からない。

それは彼らにとって重要なことであり、それが彼ら本来のやり方であったが、この国に関しては例外であり、思いは捨てる必要があると説いた。


「ではこれより慈善事業を開始する! 清掃だぁあ! ハッハッハッハッハッハッ! 」


嘲笑が荒野に響き渡る。


「――みんな好きだろ、ボランティアは? 」


そしてアマデウスは、皮肉交じりに笑った。











 「全然気持ちよくないないよん! 全然よん! 全然よん!」


トンパールは大浴場にて、獣人に汗を流されていた。

猫族、犬族、熊族、狐族……様々な獣人を取り揃え、そのどれもが美形の女性。


そしてトンパールはとある狐族の女性に当たり散らしていた。


「お前は何回言えば分かるよん?! それでは余は満足しないと何度も言っているよん?!」


「キャッ!」


狐族の頬を引っ叩くトンパール。尻餅をつき、女性は涙を流していた。

どうやら背中の流し方に不満があるらしい。細かい男だ。


「お前が美形でもなければ、とっくの昔に死刑よん?! 有難く思うよん?!」


「はい゛!……すみ゛ま゛せん゛!」


涙を流しながら謝る女性。だがトンパールはさらに手の平を振り上げた。

そして、恐怖のあまり目を瞑る女性。


「トンパール様ぁ!」


するとその時だった。


「ぬっ! 何よん?!」


血相を変えた伝令が現れる。


「今いいところよん!」


激怒する王。

その伝令は呼吸を荒くし、緊迫した様子だった。


「国が攻撃されています!」


「のぉお?」


トンパールは間抜けな表情に疑問符を浮かべていた。


「国が何者かによって攻撃されています! 複数の工場から火の手が上がり、塔が崩され! 町の奴隷たちが塀の外へ逃げていくのを確認いたしました!」


「どういうことよん?!」


そこで伝令の表情の意味に気づき、困惑しながらも、奴隷の獣人を置き去りに浴場を後にしたトンパールは、バスローブを羽織り、国全体を見下ろせるテラスへと飛び出した。

そしてそこからは、伝令の言った通り、火の手の上がった工場や倒壊した煙突が見えていた。


「なっ! 何が起こっているよん?! 一体何が起こっているよん?!」


頬と体の肉を震わせながら焦るトンパール。表情は完全に取り乱している。


「分かりません、ですが兵の一人が白装束の者たちを見たと証言しております」


「白装束よん?」


だが、その正体は分からない。

何故なら戻って来たのはその兵ただ一人であり、その兵すら話して直ぐ、息を引き取ったからだ。


「国王様! ここは危険です! 直ぐにお逃げください!」


城を捨て、逃げるように促す伝令。


「おかしなことを言うんじゃないよん! 余は国王よん?! トンパール王よん?!」


「ですがこのままでは!……「しつこいよん!」


トンパールは言葉を遮った。


トンパールにとってこの城は、財産だ。

各部屋にはこれまで必死に集めてきた“コレクション”があり、それらはトンパールのすべてだ。


「何としても死守するよん! 何としてもよぉおおん!」


そう簡単に手放せるものではなかった。











 パスカンチン王国、工場地帯。

そこに、アンク・アマデウス率いる慈者の血脈の姿はあった。と言ってもこの国は大半が工場であり、全うに国民が暮らせるような住居などはない。工場から延びた無数のパイプは各住居の間までに至り、隙間なく埋め尽くしているのだ。


「分散する必要はない! 命を第一に考え! 同胞を救うのだ!」


各工場から奴隷として働かされている獣人やドワーフ、人間などが何人も飛び出してくる。

そして白き者たちが、それぞれに声をかけ、一時、国の外へ避難するように呼び掛けていた。避難が完了した工場から、アマデウスはおかしな力を用い、破壊していく。それは魔法なのかスキルなのか分からない。


「その工場に一人残っているぞ! 漏れなく救出せよ!」


アマデウスは優れた感知を行い、国中に感知網を張り巡らせていた。そして手前の家や工場、良く分からない建物へ避難を呼びかけた。

実際に救出へ向かうのは『属さぬ者マキャベル』であり、アマデウスは飽くまで司令塔である。


「“適応者”の選別は後で行う! 先に避難を優先せよ!」


アマデウスは国中を歩き回り、一つ一つ確認しながら、奴隷を解放していった。そして国内のいたるところには、衛兵や騎士の死体が転がっていた。だがそれは主に、“白き者”に殺された者たちだ。アマデウスと相対した者は、血潮に変わるか、跡形もなく消滅する。後にはまるで生命など最初からなかったように、何も残らない。


「【貫く魔剣マジック・ピアス】!」


するとその時、とある白き者が青く発光する剣先を、衛兵に突き刺した。

剣は摩擦を軽減し、豆腐に刃が入るように、衛兵の腹を突き刺した。


「ゴハッ!」


吐血する衛兵。

すると白き者はそのまま剣を上に振り上げる。


「ひゃああ!」


気合と共に“豆腐”が切れる。腹・胸・首・顔の順に切れ目が入り、そして脳天に至った。


「ヒャーヒャッヒャッヒャッヒャッ!」


笑い声と共に、体の半分以上がパックリと分かれた衛兵は、そのまま血を流し倒れた。


「クソ人間がぁああ!」


目の前に横たわる人間を罵倒し、言葉を吐き捨てる者。だが……


「貴様ぁああ!」


その瞬間、油断し隙を見せた白き者に、別の騎士の刃が迫った。


「うわああああ!」


白き者は油断から、目視してはいたが体が反応しない。

しかし次の瞬間、白き者の眼の前で、振りかかった騎士が血潮に変わった。

鮮血すら舞うことなく、完全に消滅したのだ。後に残ったのは、地面に見える血のシャワーの跡だけだ。


「……」


白き者の表情はデスマスクにより見えないが、おそらく動揺していることだろう。

だが直ぐに動揺は消え、すると、何が起こったのかに気づく。


「アマデウス、様……」


アマデウスはすべてを見ていた。そして同胞が殺されぬように、常に見張っていた。そこには1ミリの隙もない。


「油断するでない、救出が最優先だ。今回は我慢しろ」


任務を忘れ、一瞬、私情に流れた仲間に注意を促す。だがアマデウスは決して怒らなかった。


「もっ! 申し訳ございません!」


「良い! 気持ちを切り替えるのだ!」


「あ、ありがとうございます!」


すると白き者は頭を下げ、また剣を振るい、人間の駆除に励む。


アマデウスは仲間を慕っていた。そして彼らが抱える心の病についても理解していた。だからこそ強くは責めず、何よりもまず理解を示し、本人が罪悪感にかられぬよう安心させた。だがそこには何か、理解の難しい異常性のようなものが窺えた。


属さぬ者マキャベル』とは何か?


――それは“カテゴリー”に属さぬ者たちだ。


だが種族というものは切り離せない、そういうものだ。

彼らは白いデスマスクとローブで、それぞれ正体を隠してはいるが、中身は獣人かドワーフか? あるいはエルフかもしれない。だが人間ではないということだけは断言できる。

彼らの異常なまでの人間に対する憎悪と復讐心を考えれば、人間であるはずがないだろう。


「そろそろ動き出す頃合いだ……避難を急げ! 完了次第! 王城に潜入する!」


アマデウスは号令をかけ、慈者の血脈を急がせた。


するとその時だ。そこへ、黒鋼くろがねの鎧を纏った一人の騎士が現れる。

全身を鋼の黒い鎧で覆った騎士は、人間の顔が歪んだような奇妙な兜で顔を隠し、両手で巨大なグレートソードを握り締めていた。


「お主が、アンク・アマデウスか?」


黒鋼騎士は、周囲に散らばった白き者を確認すると、目の前の巨大な男にそう尋ねた。

トンパールやその側近たちとは違い、世間の情報に詳しかったのかもしれない。だが騎士長が分かっていながら何故、彼らが慈者の血脈だと、王も重役も分からないのか?

それは『慈者の血脈』というものがまだ新しい組織であるからだ。そして事実として人々を助ける活動を主としていることから、世間的に警戒の外にある存在であり、そこに至る発想すら得られないことが理由だった。つまり常識的に考えてあり得ないのだ。慈善事業団体『慈者の血脈』が国を襲うなどということは。

そしてそういった背景から、それだけこの黒鋼騎士が特殊だとも言えた。


「他の者とは明らかに様子が違うな? 何だ、お前は?」


「アーシュバルツ・ゲルタルト……王直属部隊『豪壁の団』騎士長」


アーシュバルツは、黒く光る強大な刃が伸びたグレートソードを構え、こもった声で答えた。


「王直属部隊か? クックックックッ……なるほど、確かにその辺りに転がっている肉塊も、先程、同じことを言っていたなぁあ? なるほど、『豪壁の団』というのか」


アマデウスは『豪壁の団』については初耳である様子だった。つまり、それはこの国の警備についての知識が薄いということを意味している。にも関わらず襲撃を決行したところに、この者の異常性はあるのかもしれない。

工場地帯を襲撃して直ぐ現れたのが、この『豪壁の団』だった。だがアンク・アマデウスは姿を見るなり、まだ彼らが相手にするには早いと判断し、即座に首を吹き飛ばした。

そんな首の無い死体が、近くにいくつも転がっているのだ。

そして傍にはこのアーシュバルツと同じ、グレートソードが落ちていた。

アマデウスは特にこの巨大な剣について疑問を抱いていたが、目の前の男の言葉で納得した。

するとその時、アーシュバルツが詠唱を始めた。その表情は兜で見えないが、声には力がこもっている。


「【豪人の防壁プロテクト・プロテクト】! 【火炎の剣ファイア・ソード】! 【力の増強ステロテイン】! 【暴速脚プライグ・パワー】!」


赤いオーラを放つ鎧、そして炎に包まれた大剣。肥大する筋肉と青いオーラを浴びた足。アーシュバルツは連続詠唱を行った。


「ほお?……中々ではないか? だがくだらん。お遊戯レベルだ――」


するとアマデウスの言葉を無視し、さらに詠唱を続けるアーシュバルツ。


「【波動の十二珠テュアル・マグラム】!」


魔法をさらに発動した黒鋼騎士の周りには、彼を守るように12個の魔弾が浮遊していた。


「油断はせぬ! 国を守り! 誇り高く死んでいった彼らのためにも! 我は全力でお主を倒す! 恐怖せよ! 自身の過ちに震えるがっ!……なっ!…………」


すると突然、騎士の怒号が止んだ。そして見ると、騎士は明らかに取り乱し動揺していた。


「なんっ……だ……と……」


――魔法が一瞬にして消えたのだ。


連続詠唱を行い発動した魔法。そしてさらに詠唱し出現させた12個の魔弾。それらすべてが一瞬の内に、消えてなくなったのだ。今、黒鋼騎士自身にも周囲にも、魔法はない。


「聞き間違いか? 今、“誇り高き”と、そう聞こえた気がしたのだが?」


「あっ……あっ……」


声も出せず、剣を落とすアーシュバルツ。自身の戦意の喪失に気づかぬほど、彼は動揺していた。だがもう、アーシュバルツは分かっている。これまでの騎士人生で培ってきた最強の戦法が、まるでガラクタのように掻き消えた時点で、自分に勝ち目はないと、そう気づいていた。


「勘違いするな? お前らの誇りなどクソの役にも立ちはしない。腐臭を漂わす汚物以下だ。およそあの豚に洗脳でもされたのだろう? フハッハッハッハッハッハッハッハッ! 実に愉快だ! 誇りなどと! 愚物が自らを命と勘違いしているぞ! フハッハッハッハッハッハッハッ!」


すると地面に落ちたグレートソードがゆっくりと浮かび上がり、それがアマデウスの手に収まった。


「勘違い騎士に剣の使い方を教えてやろう」


するとアマデウスはグレートソードを片手で構え、そっと近づき、恐怖から動けなくなった騎士の腹に、先端を添えた。


「――帝国式剣術【剛突きの破刃】」


大剣の刃が、刹那の如き速さで騎士の腹を貫いた。


「ゴファッ!」


そして、口から血を吐いたと同時にはじけ飛ぶ騎士の体。人型の鎧がひび割れたビスケットのようになると、すでに形の崩れていた肉塊が垣間見え、鎧と共に周囲へ散った。魔法ではない。単純な斬撃だ。

だが放たれた斬撃の勢いは、それだけでは治まらない。留まるところを知らない斬撃は空を切り、地面を抉りながら真っ直ぐに飛んだ。そして遠くに見える王城の正門を破壊すると、庭園を荒し、城の柱にぶつかって消えた。

その様子に周囲は静まり返る。同じ慈者の血脈ではあるが、アマデウスの力は常軌を逸していたのだ。


アーシュバルツは熟練の騎士だ。何より『豪壁の団』の長であり、パスカンチン王により唯一、『貴族』の称号を授けられた元平民。だが獣人を虐げているようなトンパールが何故、平民を貴族にしたのか? それは特に疑問に思うようなことではない。トンパールはそれだけ自分本位な人間と言える。誰であろうと自分以外はどうでもいい。アーシュバルツの剣技はそれだけ信頼に値するものだった。だからトンパールは傍においた。それだけのことだ。そこには特に、何の感情もない。

――――。


国内に放たれた王国騎士を殲滅し、するとアマデウスは一先ず問題ないとそう判断した。展開された感知網には騎士の気配はなく、慈者の血脈と開放された奴隷のモノのみがある。アマデウスは王城を含めたこの国全体を見ていた。だが手つかずの工場がまだ一部残ってはいた。


「これより王城へ潜入する。アリシア――」


アマデウスは何故か襲撃を急いでいた。


「はい!」


すると、とある白き者が一軍の前に出る。


「皆をまとめ、残りの工場から同胞を救い出し、防壁の外へ誘導せよ。私はロメロとラーナを連れ、先に王城へ入る。完了次第、数名を連れ王城を捜索しろ。その後、合流する。城内の様子と同胞の位置については、念話で随時連絡しよう。“ネズミ”の気配がする……すべきことを終わらせ、国を落とし次第、速やかにずらかるぞ。この次はユートピィーヤだ」


「分かりました。――では、みんな! 工場を捜索するぞ!」


するとアリシアと呼ばれる女性の号令に従い、慈者の血脈の活気が響き渡る。

そして3人を残し、『属さぬ者マキャベル』たちは工場へと向かった。


「ではロメロ。ラーナ。我らも行くぞ――」


両脇に並ぶ2名の白き者。アマデウスにとって、特に信頼のおける人物であろうか? だがその正体は白いデスマスクとローブに隠れ見えない。


「アンク様、皆の疲労が窺えます」


そう話すのはロメロと呼ばれていた者だ。声からして男性だろう。


「……そうか、では終わり次第、一度休ませるとしよう。既にユートピィーヤへは偵察を向かわせているが、転移は私一人で十分だ」


「懸命な御判断です」


「終わったら皆の治療は任せたぞ? 私も助力しよう」 


「かしこまりました」


そして3人は正門を抜ける。


「ラーナ? 豚の王を見つけても、直ぐには殺すなよ? 救出が最優先だ。だが安心していい。奴には、それ相応の殺し方を用意している。ただでは死なせない」


「分かりました」


するとラーナは深々と頭を下げる。声からして女性だろう。風になびくローブの隙間から褐色の肌が見えた。どうやらトンパールに恨みがあるらしいが、判断するには情報が足りない。王は関係なく、単純に人間や王族、貴族に対しての恨みかもしれない。


「ご拝領、感謝いたします」


「気にするな、それに、私も奴には色々と思うところがあってな? お前ほどではないが、それなりの恨みはある」


正門、そして庭園を通り、王城へと向かう。すると庭園の影から複数の衛兵が現れた。そして3人の逃げ道を塞ぐように、左右から挟み囲んだ。

だが姿が見えたその一瞬だった。


――すべてが血潮に舞った。


様々な色に恵まれ鮮やかだった庭の花たちが、一瞬にして赤く染まる。


「ふっ……死んで尚、次は花々を汚すか? まったく……人間とは生まれるだけ罪だ」


アマデウスは見向きもせず、そう呟く。するとロメロは「まったくその通りです」と答え、ラーナは「実に価値のない生き物です」と答える。

そんな他愛もない会話をしながら、3人は王城へと姿を消した。

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