第168話 逃避という拠り所

 「え?! 一条?! なんで一条がここに?!」


木田は純粋にただ驚いて見せた。


「佐伯様? 知り合いですの?」


ジョアンナは一条を警戒しつつ尋ねた。


「ああ、俺たちと同じ勇者だ。と言ってもこいつの場合、“本物の勇者”だがな」


「本物の勇者? とは……」


だがジョアンナは、直ぐにその意味に気づいた。

勇者を職業に持つものなどいるはずがないと思っていたジョアンナだったが、佐伯の様子と言葉のニュアンスから意味に気づいた。


「一条? 今までどこに行ってたんだ? 心配してたんだよ?」


その時、歩み寄ろうとした木田を佐伯が阻止する。


一条と佐伯の間に起きた出来事について知っている者はいない。

佐伯は誰にも喋っていないのだ。


「木田! 馴れ馴れしくすんじゃねえ! こいつはもう、俺たちの仲間じゃねえんだ! こいつは今……『龍の心臓』だ!」


「え?!」


その言葉に木田だけではなく、ジョアンナとデイビットも驚愕した。


「龍の……心臓ですか? まさか……あの龍の心臓?……」


ジョアンナは言葉を失っていた。


だが当然だ。

これが本来あるべき反応なのだ。

龍の心臓とはそういうものである。


国をも滅ぼすその存在には、実際のところ、非のない者でさえ恐怖するのだ。


「佐伯、アリエスの影を追うのはもうやめろ。そんなことをしても意味はない。お前は彼女に騙されていただけだ」


「知った風なことを言いやがって……なんならここでお前を殺してやろうか?!」


「俺は、以前の俺とは違う。お前には無理だ」


だがそれが分からない佐伯ではない。


「【火炎の乱舞フレギネンス・タクト】!」


だが佐伯は、それでも抑えきれなかった。


自身の足元に魔法陣を展開すると、螺旋状にうねる炎を上空へ放ち、それを一条に向かって容赦なく落としたのだ。

だが乱舞とは名ばかりではない。

上空に火を放って直ぐ、さらに螺旋状の炎が魔法陣から2つ現れたのだ。

それは、最初の炎が一条に直撃し、周囲に爆風と煙が巻き起こると、畳み掛けるように追撃した。


3発のうねる炎を受け、もはやそこに一条の姿は見えない。

あるのはむせ返るほどの煙だけだ。


その様子を見るなり、佐伯は笑った。

だが笑みは直ぐに崩れる。


周囲にあった煙が見る見るうちに吸い込まれていったのだ。

そして煙がある程度消えた時、そこには、乱回転する水の球体に包まれた一条の姿あった。


一条はこの水で、佐伯の炎を防いだのだ。


すると一条は魔法を解く。


「中級魔法か、使いこなしているようだな? だが俺には及ばない」


「くっ!……」


そんなことは佐伯にも分かっている。

佐伯の予想をはるかに上回るほど、一条の成長は著しいものだった。


「龍の心臓を殺すだと? 佐伯……お前が何を考えているのかは大体想像がつく、だがやめておけ。今のお前ではどれだけの月日を得ようとも、俺たちには勝てない。俺はこれでも、龍の心臓の中では一番弱い。それがどういう意味か……分からないお前じゃないだろ?」


しばらくの間、2人は見つめ合った。

睨む佐伯と、その視線を哀れに思う一条。

だが一条は、佐伯をどうにかして救ってやりたかった。


「アリエスはお前に嘘をついていた。お前にだけじゃない。あいつはそうやって周りをたぶらかし、支配してきたんだ。それが奴の最大の“魔法”だった。 佐伯? お前もそうだ。惑わされていただけなんだ」


「知った風なことを聞くんじゃねえって言っただろ! お前に俺の何が分かる? ちょっと強くなったからって全部分かったような気でいやがる。傲慢が過ぎるんだよ、お前は。お前は何も成長してねえ! 前と同じだ! お前はいつもそうやって他人を見下していた。無意識にな? お前自身はそれにまったく気づかねえ、だが周りは気づいてたぞ? だから日高もお前の手だけは取らなかったんだ。お前が誰よりも他人を理解できない奴だってことに気づいてたんだよ!」


「……」


一条は佐伯がすべて言い終わるまで待った。


「そうかもしれないな? だが嘆いても仕方がない。後悔するだけでは、人は成長できないんだ! 先へは進めないんだ!」


「へっ……勇者気取りか? もっともらしいことを言いやがって、何も分かってねえくせによぉおお!」


「日高くんの名前を出しても無駄だ。俺の心は揺さぶれない。佐伯。お前は日高くんに対し、未だに何の謝罪もないんだな? それが今、分かったよ?


「へっ……聞いてて呆れるぜ? だからどうした? くだらねえ」


「俺は彼が生きていると信じている。彼を探しだし……助けだし、そして力になりたい。これは……そのための力だ」


「死人を追うのはお前の勝手だ。お前にはもう、呆れて言葉もねえ。これじゃあ恩恵も勇者も持ち腐れだ。その力も、何の意味もねえ!」


「佐伯? それが俺とお前の違いだよ。それが、賢者であるはずのお前の成長が止まっている、最大の理由だ。気づいていないようだから言っておいてやる」


「ああ?」


「お前は自分が思っているよりも利口だ。だからお前はもう分かっているんだ。自分がアリエスに騙されていたということを」


その言葉に佐伯は、さらなる憎悪を一条に向けた。

それは口角が歪み、笑ってしまうほどの憎悪だった。


「黙れ……」


「気づきたくないか? 佐伯……」


「黙れと言っている……」


「佐伯様?」


様子の異常さに、ジョアンナが心配そうに尋ねた。


「木田、君も友達なら言ってやったらどうだ? 一番近くにいたんだろ? なら気づかないはずはない。何故、何も言わないんだ? 佐伯は間違った道に、進んでいるんだぞ?」


「黙れぇえええええ!」


だが佐伯は木田が何かを言い返す前に、叫んだ。


「佐伯? その怒りが答えだ……君は利口な男だ。だから分かっている。龍の心臓は君にとって、敵でもなんでもないということを」


だが佐伯はそうは思わなかった。


「一条……俺たちはもう、一生、孤独なままだ。この孤独から抜け出すことはできねえ! 俺たちは元の世界には帰れねえんだ。あいつらが今、どうしてるか分かるか? 徒党を組み周囲を寄せ付けず、同じ世界の者同士で集まってる。 一条? お前にもその理由は分かるだろ?」


「……」


それは一条にも理解できる話だった。


「皆、戻りたいと思ってる。だがそれは無理だ。何度も探した! だが教師ですら、校長ですら! 知っていた者はいねえ! それどころか! あの勇者召喚について知っている奴が一人もいねえんだよ! 名前しか知らねえと言いやがる。自分たちの世界で起きたことなのにだ! なあ一条? 俺たちは一体……何に……巻き込まれたんだろうな?」


孤独。佐伯は孤独だった。

佐伯の表情は悲痛に満ちていた。

だが今更、素直になることなどできない。


「お前が孤独だと言うのなら、日高くんはさらに孤独だ。今も一人で、どこかに……」


「ちっ! またそれかよ……」


佐伯は日高の名が出る度に、うんざりしていた。


「他の者の思いを理解していて、何故君は、日高くんにしたことの罪に気づけないんだ?」


「はあ?」


「君は日高くんを! 見殺しにしたんだぞ?」


だが次に、佐伯の口から出た言葉は、一条には理解できないものだった。


「甘ったれてんじゃねえよ? 弱者が死んだだけだろ? それのどこか問題なんだ?」


「お前……」


その時一条は、佐伯への可能性を捨てた。


佐伯は違ったのだ。

一条の持つ倫理や道徳が通用しない人物なのだ。

何故そんな風に思えるのか? それは分からない。

それすらも、何か原因があるはずだと、理解しようとする一条。

だが佐伯の考えは、常人に理解できるようなものではなかった。


「そういやぁ、あいつらも同じことを言ってたな? 小泉でさえ、“日高に申し訳ないと思わないのか”と、俺を咎めてきたんだ。あれは笑っちまったなぁ~……。一条、道徳の授業がしたけりゃ他をあたれ、お前もあいつらと同じだ。お前が強ぇってことは認めてやるよ? だが中身が変わってねえ。弱者のままだ。罪悪感なんてのは弱者のエゴなんだよ」


そう吐き捨て、佐伯は一条に背を向ける。


「もうその面、見せんじゃねえぞ? 今は勝てねえが、その内だ。その内、俺の方が強くなる。そん時は殺すからな?」


それを最後に、佐伯はその場から立ち去った。

ジョアンナとデイビットは訳もわからず、とりあえず佐伯を追う。


そして最後に残ったのは、木田だった。


「木田……佐伯を止めてやってくれ」


「……お人好しが過ぎるよ? それに、上級騎士の俺に佐伯を止められるわけないだろ? もう俺たちは、そういう世界にいるんだから」


そして木田も去っていった。


木田の目にも、希望はない。

一条にはそれが一瞬で分かった。


あれからいくつかの貴族や賊を殺した。

一条はジークらの後ろにいて、その様子を見ていただけ。役割は主にサポートだった。

だがそれでも、いや……だからこそ、色々な景色が見えた。

当事者よりも、半ば傍観者のように離れた距離から客観的に、世界の実態を見ていた一条は、以前よりもこの世界がどういう世界なのかが分かるようになっていった。


「上手くは……いかないな……」


一条は救えるのなら、佐伯も救いたかった。

だがそれは無理だと、今、気づいた。

救うなら今が最後だ。

だがここで救えない以上、もう何もできない。

今後、佐伯はもっと変わっていくだろう。

この世界は純粋なものを変える。

今の一条にはそれがよく分かった。


「日高くん? 俺は……どうすれば、いいんだろうか?」



しばらくすると、一条はフードを被り、そしてその場から立ち去った。











 翌日、晴天の中、政宗と佐伯の試合が行われようとしていた。


各出資者たちは、やっとこの日が来たかと安堵の表情を浮かべている。

そして今か今かと待ち望んでいた。


そして選手専用の待ち合い室。

そこに一人で椅子に腰かけている、政宗の姿があった。






 魔力が混在していて一条の魔力が分からない。

だがおそらく客席にいるはずだ。

あれからサブリナとオズワルドも何も言ってこない。

おそらく試合に出てほしいのだろう。

でなければ俺は既に退学になっているはずだ。


……“出資者たちへの面子がたたない”。だったか? 


「ハッハッハッハッハッハッハッ!……本当に、ロクなもんじゃないな。どいつもこいつも」



昨日、あの後、トアが俺に気を遣いながら、尋ねてきた。


――『あの2人はどうするの?』と。


あの時でさえ、トアは何も言ってこなかったが、そう尋ねるトアの表情を見た時、トアが何を考えているのか分かった。

俺が殺すつもりだということに、気づいたのだろう。

そして俺が何故、直ぐに殺さないのかも分かっていたのかもしれない。


今、人が把握しきれないほど集まっているこの状況で、あの2人を殺すことはできない。

万が一を考えればそれはできないのだ。

サブリナは兎も角、あのオズワルドの魔力は強大なものだ。

会場にいるものの魔力を感じ取ってみても、それに匹敵するほどの者はいない。


今殺せば、真っ先に疑われるのは俺だ。

殺すだけ面倒事が増える。



するとその時、部屋の扉をノックする音が聞こえ、係の女性が現れる。


『失礼します。準備が出来ましたので会場の方へお願いします』


「分かりました」


佐伯と……試合か……

茶番だな。


何のためにやるのか、もはやさっぱり分からない。

おそらく向こうは意気込んでることだろう。

だが俺にとっては、暇つぶしにもならない。

それどころ殺せない分、気分が悪い。

昔のことを思い出して、殺してしまわないようにしないといけないな。


だがどうせなら、あいつのプライドを折ってやろう。

ここは冷静に英雄を演じてやる。

俺が本気を見せるだけ図に乗るからな。


佐伯。いかにお前が未熟で、この世界に来てからの数ヶ月、いかにお前が無駄な日々を過ごしていたか、それを教えてやるよ。



薄暗く、そしてひんやりと冷たい通路を抜け、光の差し込む方へと歩いて行く。

すると次第に歓声が聞こえてきた。

それが徐々に、大きなモノへと変わっていく。


そして俺は、大歓声により、迎えられた。



――『今! 最も注目を集めている! 今大会の花形! ニト選手の入場です!』



会場と俺を包み込むほどの歓声。

そして青空と、突き刺さる日差し。

それは俺を照らす、称えているようであった。


司会者の大袈裟な紹介により、俺はフィールド上へと招かれる。


俺はそこで、直ぐに3人の姿を探した。

そして直ぐに見つける。


トア、ネム、スーフィリア。

3人は俺が見ていることに気づくと、こちらに手を振っていた。


ふ……試合か。悪くない。


これが学生というものだろうか?

試合に出て、誰かに応援されて、俺は……そんな感情を今まで知らなかった。

以前の俺は、特に部活動には入っていなかったし、試合なんてものには一度もでたことがなかったから。


なんだ……こういうのも、悪くないな。



――『そして今回、3位枠で通過し! Sランク冒険者ニトに挑むのは! 皆さんご存知! あのグレイベルクの勇者召喚により呼び出された! 恩恵を授かりし勇者が一人!』



おいおい、そこまで言うのかよ……

おそらくこれも出資者へのアピールなのだろう。

利用できるものは利用するか……まったく、イカれた校長共だ。



――『佐伯選手の入場です!』



佐伯が現れ、フィールドに上がり俺と向き合った。


その時、俺の感情が一変した。


急に俺の中に黒い何かが広がり、それがまるで何かを侵蝕していくような、そんな感情だった。

冷静さを保ち、ただこいつのプライドをへし折る。

今重要なことはそれだけだ。それ以外は、余計なことだ。

そこにだけ集中していればいい。


「大船に乗ったつもりで挑んでやるよ。そして勝つのは俺だ」


佐伯は俺の前に立つと、嫌悪感を放ちながらそう言った。


「……よろしくお願いします。良い、試合にしましょう」


愚かだ。

どこからそんな発想が出てくる。


「魔力は感じ取れるようになりましたか? 佐伯さん」


「ちっ!……」


佐伯はあからさまに舌打ちした。



――『ではこれより! 第三試合を始めます!』



試合開始の合図を告げるゴングが鳴り、再び大歓声が巻き起こる。



その時、佐伯が詠唱を始めた。

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