第163話 豚と豆の魔の手

 上空から風の刃が放たれ、それがネムを襲う。

ネムは物怖じせず、即座に合掌のポーズをとった。


その瞬間、両脇の地面がえぐれ、先ほどと同じ巨大な2つの手腕が現れた。

手腕はネムを手の平で包み込み、風の刃から守った。


刃を受けても微動だにしない手腕。

手腕が開いた時、ネムは上空に浮遊するティムに対し強気な表情を浮かべていた。


空を支配したティム。

地を支配したネム。

対極にある2人の試合が、今始まった。


「【疾風の刃ウィンド・エッジ】! 【風の豪圧エアルード・プレス】!」


ティムは遠投するように豪快に腕を振り下し、刃を放った。

そこへさらに風圧を与え、刃の速度と火力を上げる考えだ。

この刃で、あの手腕ごとネムを切り裂く算段だった。

刃は先ほどよりもより風を切り、地面の砂利が微かに揺れるほど空気を振動させ、ネムに迫った。


だがその時、何故かネムは一度、手腕を解いた。


「何?!」


ティムは手腕に気を取られ過ぎていた。


ネムは風の刃を身体的な能力だけで避けることができたのだ。

一直線に向かってきた規則的な魔法など、わざわざ受けるまでもなかったのだ。


「【鬼火シュレイム】!」


ネムは3つの刃を横目で見送った後、間を空けることなく3つの火の玉を放った。


「【鬼の烈風ウィーブル】!」


さらに風を送り、火の玉を巨大なモノにしていくネム。

空気が焼けるような轟音と客席まで伝わる熱さ。


そして、視界を埋め尽くすほどの3つの巨大な火の玉が、ティムに襲いかかろうとしていた。


「【竜巻トルノイド】!」


ティムは目の前へ、慌てるように風の柱を生み出し、3つの火炎を弾いた。

地面を抉るような音と風を執拗に切る音が混ざり合う。


だが竜巻だけでは防ぎきれず、火炎の1つが竜巻により速度を増し、不運にもティムの方へ軌道を変えずに飛んできたのだ。


「くっ! 【疾風の大槍エアリアル・ジャベリン】!」


魔法の規模に合わせ、手持ちの上級魔法で対抗するティム。

低く唸るように空気を振動させ迫る魔法。

ネムの火炎は風の槍により消失した。


だがその時、ティムの背後に巨大な2つの手腕が現れる。


「【阿吽の鬼椀アシュラ・ブラキゥム】!」


知らぬ間に構築され、地響きのような唸りを上げる手腕。

次の瞬間、ティムは巨大な拳により、上空から地上へと殴り落とされてしまった。


「ぐわああ!」


拳とティムが接触した時、痛々しい音が会場に響いた。


衝撃により吐血するティム。

そしてティムはそのまま、地上へと叩きつけられた。



――『おおおっと! これ大誤算だ! フィシャナティカの神童と呼ばれたあのティム・ロイドが! 手も足も出ない! これはどうなってしまうのか!』



司会者が観客を煽る。

その声に反抗するように、瓦礫から姿を見せるティム。

そこからは悲痛な表情が窺えた。


だがネムは容赦しない。


「【雷鳴の鬼装トニトルス・レリック】!」


足元に魔法陣が現れた瞬間、ネムの姿が消えた。

ネムは足に雷を纏い、バチバチと無数の静電気を引き起こしたような音と共に、電光石火の如き速さでティムの目前に迫ったのだ。


「【猫風怒キャット・フード】! なのです!」


ただの打撃。

いや猫拳だ。


その時、ティムは、ネムに力一杯、腹を殴られた。


「グハッ!――」


ドスッっという低い音が、観客の表情を引き攣らせる。


一瞬気を失いそうになりながらも何とか踏ん張るティム。

そしてティムはどうにか気を保ちながら、魔法を詠唱しようとする。


だがさらに、ネムの次の攻撃が待っていたのだ。


「次は【七色の猫拳ミラクル・キャット】! なのです!」


ネムは一瞬の内に、7発の『猫風怒キャット・フード』を打ち込んだ。

どこに当たったのかはネムにも分からない。

打撃音は始まりそして止んだ時、1発でも気を失いかけた拳を7発も受けたティムは、もう、ふらふらだった。


「がはっ!……」


白目を向き、気を失いかけるティム。


「【疾風のディボル……鉄槌ウィンド】……」


無意識による詠唱。

ティムの上空に巨大な風の玉が現れた。

だがティムは白目を向いており、意識があるのかどうかさえ分からない。


そしてそれが、前方のネムに向かって迫った。

だが詠唱と発動までに十分過ぎるほどの時間を与えてしまったティムの魔法は、もはや戦術と呼べるような代物ではなかった。


ネムは雷の足で素早くティムの背後に回り込んだ。


そして……


「【阿吽の鬼椀アシュラ・ブラキゥム】!」


周囲の瓦礫が宙に浮き、そして2ヵ所に集結し、巨大な手腕を構築する。

そして手腕はネムの手の動きに合わせ、大きな2つの拳を作った。

それはまるで、ネムの背後に鬼の巨人がいるかのように、観客たちを錯覚させた。


「これで最後なのです! 【七色の猫拳ミラクル・キャット】!」


ネムは地の手腕を構え、猫拳の体勢に入った。


だがその時だった――



――『試合終了ぉおおお! 試合終了ぉおおお!』



突然、司会者が試合終了の合図を告げた。



――『ティム・ロイド選手の意識の喪失を確認いたしました!』



それは突然に告げられた吉報だった。


ネムは魔法を解除し、構えをやめた。


音を立て崩れていく手腕。

それに伴ったように、観客から歓声が徐々に聞こえてくる。


『うぉおおおおおおおおおお!』



――『勝者! ネム選手!』



その瞬間、観客席から大歓声が巻き起こった。


『嘘だろ? まさかチビの方が勝っちまうとは……しかも余裕じゃねえか!』


皆、口々にその以外な結果に驚いた。


『あの子は一体誰なの?』


『確か、ネムとか言ってたなぁ』


会場に訪れた者たちが、次第にネムに興味を持ち、ネムを認知していく。

そこにはフランチェカとドリーの姿もあった。


「ちゃんとおさえた? ドリー」


「ばっちりだぜ!」


「後はニトさんに念のため確認を取らないとダメかしら? でももう、隠すことなんてできないと思うけど」


フランチェスカはスクープを手にし、ギラついた記者の目をしていた。

そして直ぐにニトを探しに向かった。


歓声は一向に鳴りやむ気配がない。

ネムはただ嬉しそうに、ピョンピョンと飛び跳ねていた。


その時、医療班が到着し、意識を失ったティムをタンカに乗せ、治癒魔法をかけながら急いでその場を後にする。

もちろん命に別状はない。

この空間で死人が出ることはないのだ。

この会場には常に、ダメージに制限を与える加護が付与されているのだから。



 そしてここはVIP席。

校長2人は出資者たちへ挨拶を終え、丁度、ダームズアルダンの王シュナイゼルのところへ戻ってきていた。


「いやあ! 素晴らしい! 彼女の魔法は実に素晴らしいものであった! 何より魔法の組み合わせが絶妙であった! 彼女はまだ幼いようだが、是非! ダームズケイルの宮廷魔導師として招きたい!」


「は、はい。彼女は……ネムと申します」


「ん? どうした?」


どこかぎこちないサブリナに、シュナイゼルは違和感を覚える。


「その、実は、彼女はニトさんの……」


「うむ、なるほど。そうであったか、道理で……」


シュナイゼルはサブリナがすべてを説明する前に納得した。


「ということはどちらにしろ、まずニト殿を説得せぬ限りは、彼女の勧誘も不可能と言うことか」


「……申し訳ございません」


「仕方のないことだ。だが我は良いとして、他国の王が黙っておるかな? サブリナよ。気を付けるのだ。対校戦はただの試合ではない。これは悪く言えば、出資者たちを招いた魔導師のオークション。下劣な言い方をしてすまぬが、中には権力を安易に振りかざす下劣な王もいよう。その者たちも間違いなくネム殿をマークしたはずだ。それは同時にニト殿との衝突を意味する。何事もなければただの会話に過ぎん。だが一つ間違えれば……いや、そこまで愚かな王がいようとは、考えたくもないが……」


ダンジョン攻略者のニトを差し置いて、無理やりネムを連れて行こうとする王がいるとは思えない。それがシュナイゼルの考えだった。


「しかし、ニト殿は冒険者であろう? 偏見など持ってはおらぬが、可能性は無きにしも非ずだ」


サブリナはシュナイゼルの言葉に嫌な予感を覚えた。

そして直ぐにでもニトを探すべきだと考えたのだ。


「陛下……申し訳ありませんが、私は一先ず、ネムさんとニトさんのところへ向かわせていただきます」


「うむ、その方が良かろう。オズワルド、お主もついて行くがよい。事が起こった時、頼りになるのはお主だ。老体を労わらぬ我を許してくれ」


「とんでもございませぬ……」


そして2人は一礼し、直ぐにその場を後にする。











 第一試合が終わり、俺たち3人は選手用の通路の前で待っていた。

すると選手室から出てくるネムの姿が見えた。


「ご主人様! 勝ったのです!」


「ああ! ちゃんと見てたぞ! 頑張ったな!」


「はいなのです!」


ネムは俺を見つけるなり、勢いを抑えることなく飛びついてきた。


「おっと!」


俺はネムを抱きかかえ、そしていつものように頭を撫でてやった。


「今日はお祝いだな! ネムは何が食べたいんだ?」


「お肉なのです!」


いつもと同じことを答えるネム。

スーフィリアとトアは、その様子に少し呆れながらも、ほんわかしたような優しい表情を浮かべていた。


「お肉なら今日も晩餐会はあるんだし、いつでも食べられるじゃない? 偶には違うものを食べたら?」


「ネムはお肉が良いのですぅ!」


強きに答えるネム。

トアはやはり呆れていた。


「じゃあ学校に戻ろう。今日の晩餐会はフィシャナティカだっただろ?」


「昨日がハイルクウェートだったから、確かそうね」


晩餐会の会場は交互に変わる。


「距離が長いので、転移でいきましょう。その時はニト様、お願いします」


スーフィリアは少し面倒くさそうだった。


するとその時、こちらに走ってくる何やら怪しげな3人組が視界に入った。


あれは何だろうか?


両端に、全身を薄紫色のローブのようなもので隠した何とも怪しげな者が2人。

対校戦を見に来た来客であることは確かだ。

生徒ではない。


そして真ん中には、腹の肉を執拗に揺らし、短い脚と手をブルブルと交互に振りながら走ってくる。

小さな“豚”がいた。

もちろん“豚”というのは例えであり、見えているのは人間だ。

いや、こんな悍ましい生き物と豚を比べるなど、豚に失礼だろう。

この世界に豚がいるかどうかは知らないが。


その男は頭に、白い生地と金の淵で飾られたアラビアン風の帽子を被っていた。

首から下もすべて、白の生地で出来た服を着ている。

そして金のブレスレットや、金と輝かしい宝石で飾られたネックレス。

そしてすべてが金一色の靴を履いてた。

どこかの国の王様だろうか? そんな気がする。


それにしても汚らしい。

男は額から油のような汗を滴らしていた。


「おいお前! は、その猫族を所望するよん!」


そして男は堂々と指を差し、開口一番にそう言った。


「は?」


「“は?”じゃないよん! 余は、その白い猫族を所望するよんと言っているよん!」


喉が脂肪に邪魔されているのだろうか?

ねっちょりとした耳障りな声だ。


こいつは何を言っているんだ?

ここに猫族はネムしかいない。

特に白猫族は珍しい。

では間違いなく、ネムのことだろう。


すると俺の疑問に答えるかのように、左にいた者が前に出た。


「こちらにおられるのは、パスカンチン王国の現国王! トンパール・パスカンチン様だ!」


声からして男か?


男は、真ん中の生き物に手を掲げ、そう説明した。

はっきり言って、飼育係と飼育されている豚にしか見えない。


「トンパール様は先ほどの試合を観戦なされた! そしてそこにいる獣人をパスカンチンの宮廷魔導師に所望されたのだ! さあ、その獣人を大人しく引き渡すがよい!」


飼育係は、まるで当然と言わんばかりに、俺にそう言っている。

黙ってネムを渡せとそう言っているのだ。


「また余のペットが増えるんるんよん! 増えるんるんよん! 増えるんるんよん!」


トンパールとかいう王様は、腹の脂肪を揺らしながら、嬉しそうに飛び跳ねていた。

まるでこいつの中では、もうネムがその国へ行くと決まっているようだ。


「申し訳ありませんが、ネムは私のパーティーメンバーですので、勧誘はご遠慮ください」


「何を勘違いしている?」


「は?」


すると右にいた者が口を開いた。

こいつも男だろう。


「勧誘ではない。黙って渡せと言っているのだ」


……なるほど。

貴族のバカ息子の次は、王国の馬鹿な王か。


……だがそうだったな。


この対校戦は、そもそも出資者たちのオークションだった。

そしてこいつが初めに手を上げたというわけだ。


「これこれはパスカンチン王! 久しいなぁ? 相変わらずの太りっぷりよのお?」


するとそこに、もう一人別の奴が現れた。


「ぬわぁ?」


鼻から鳴ったような声で反応する、肥えた王。


「おんやあ? ユートピィーヤ王国のチビな王がいるよん?」


また王か……。


どうやらこの2人は面識があるらしい。

するとトンパールの時と同じように、現れた王の護衛が前に出る。


「こちらにおられますわ、ユートピィーヤ王国のナッツ王である! 先ほどの対校戦を観戦なされたナッツ王は、その獣人をお求めになっている! 速やかに渡しなさい!」


説明にあったナッツ王は、とにかく小さい王で、また体の小ささに対して頭のデカさが異常だった。

こいつらは本当に人間なのだろうか?


「何を勝手なことを言ってるよん! こいつは余が先に見つけたよん! もう余の物よん!」


「おやおや、何やら豚がうるさいですな~、食えたものではありませんが、とりあえず狩って帰りましょうか?」


どいつもこいつも……腐ってやがる。

ネムを置き去りに話を進め、さらには、まるでネムを物のように言う。


「さあ! その獣人を早く余に渡すよん!」


「いいえ、その獣人を貰うのは私です!」


どうせロクでもない国なんだろう。

こんな奴が王なんだ。

そうに決まっている。

そしてこの学校もそうだったと言うわけだ。

こんな連中に支援された学校だったとは……


「ニト? どうするの?」


「大丈夫だ、何とかする」


トアが心配して尋ねた。

ネムは俺に強くしがみ付いていた。


目の前には口喧嘩を止めない豚と豆。

見ていてイライラするな、こういう連中は。

外ならとっくに殺している。


だが……そういう訳にもいかない。


「すいませ~ん!」


俺はわざと大きめの声に、ふざけたような口調で叫んだ

すると、同時に2人の王がこちらに振り向く。


「2回も言わせるな、俺は勘違いなんかしてない。ネムはお前らとは行かないって言ってるんだ。豚は養豚所に帰れ、そしてあんたはその出しゃばりな顔面を引っ込めろ。そして、分かったらとっとと目の前から消えろ、見ていて不愉快だ。空気が腐る」


俺はマスク越しに、淡々と答えた。

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