第160話 揺るぎない薄志弱行

 フィシャナティカ魔法魔術学校。

ここは生徒たちが自由に使うことの出来る、集いの場だ。

申請なども必要とせず、誰でも自由に使うことが出来る。


「ねえダニエルくん? 明日の晩餐会の後、2人で遊びにいかなぁい?」


真島 京香。

召喚前、一条の金魚のフンだった女だ。

召喚後は佐伯に鞍替えし、その後、佐伯すらも捨て、今では上級生のダニエルというイケメンを見つけ、ふしだらな日々を送っている。


「ねえケビン? 明日の夜は空けておいてねぇ?」


木原 まどか。

真島と同じく佐伯から鞍替えし、今ではふしだらな学園生活を満喫している。


「おいお前ら! 今日は大事な会議だって言っただろ?! 関係のない男なんか連れ込むなよ!」


だらしない2人にキレているのは、サッカー部キャプテンの飯田いいだだ。


「はあ?! 関係ないって何よ?! ダニエルも同じ仲間なんだけど?!」


「ケビンは私のパートナーよ?! 仲間外れにするつもり?!」


引き下がらない2人に、さらなる苛立ちを募らせる飯田。


「別に良いじゃないか? 性欲お化けは放っておいて、さっさと話を始めよう?」


小泉がニヤつきながら、2人を馬鹿にする。


「小泉! もう一回言ってみな! 佐伯にも勝てやしないあんたなんか! 私の聖属性魔法で! 口も利けなくしてやるわ!」


真島と小泉の口論が始まった。

周囲の者はため息をつきながら、その様子を横目に見ている。


「そういえば君はプリーストなんだったね? ふ……まったく世も末だよ。僕はこんな品のない、ふしだらな聖職者は初めてみたよ。君のどこに聖の要素があるんだろうね?」


「小泉ぃいいい!……お前ぇえええ!」


「いい加減にしてよ!」


その時、ひいらぎが2人を止めた。


「佐伯を仲間に入れる案を考えるっていうから集まったんでしょ?! 淫乱な女と陰気なガキに付き合うつもりはないわ!」


柊の言葉にその場が静まり返った。


柊は、以前はもっと慎ましい人間だった。

口うるさい高飛車な性格は変わらないが、以前はもっと言葉を選ぶ女性だったのだ。

汚い言葉を容赦なく使うような女性ではなかった。

異世界の生活に慣れ、少し変わってしまったのだろう。


皆のため息で空気が重くなる。


「あの……」


するとその時、小鳥が手を上げた。


「西城さん、どうしたの?」


不思議に思い、河内が問いかける。


「とりあえず、ニト……さんに、謝りにいかない?」


「ニトさんに? どうして?」


河内は、小鳥の提案の意味が分からない。


「その、だって、やっぱり迷惑はかけたわけだし、佐伯くんのこともあるけど、その……」


「確かに……佐伯を仲間に加えるというなら、佐伯の行いの責任は私たちにもあるわね」


河内は小鳥の言葉を理解したが、小鳥にとっての心意はもっと別のものだ。

佐伯どうこうではなく、政宗に謝りにいきたいという、ただそれだけのことなのだ。


「それはちょっと、お人好しが過ぎるのではないでしょうか?」


そう河内の言葉を遮ったのは、神井絵美。

戦闘向きの魔導師ではないが、勉強熱心だ。


「確かに佐伯さんを仲間にするのなら、そういった考えにはなってきますが、現状、佐伯さんは仲間ではない訳ですし、それに相手はSランク冒険者ですし英雄です。謝りにいくだけ迷惑なのではないでしょうか?」


「んんん……確かに、そうねぇ……」


河内ははっきりしない答えを返す。


「僕は反対だね」


小泉は、この案には否定的だ。


「佐伯くんは強いかもしれないけど、チームワークを大切に出来るようなタイプじゃない。そんなことより僕は卒業後のことを見越して、今からでも仲間を集めるべきだと思うんだけどね? まずは真島と木原の新しい大人の玩具でもいいから仲間に加えて、我慢しようじゃないか」


「小泉ぃいい!」


すると真島と木原が立ち上がり、詠唱を始めた。


「おっと! ここでやる気かい? やっていいけど、手を出した君たちは即退学だよ? そうなったらどこへ行くんだい? 娼館にでも勤めるつもりかい?」


2人は小泉に煽られながらも手が出せない。

足元の魔法陣は直ぐに消えた。

今、学校を追い出されたところで、行く当てなどないのだ。


「くだらない……」


すると柊が部屋から出て行った。

その後ろをおどおどしながらついて行くのは加藤 詩織だ。

いつも柊と一緒にいる。


そして、怒った真島と木原も男を連れ、そのまま部屋を出て行った。


「まったく、あの2人は危機感ってものがない。卒業後、あのイケメン2人が救ってくれるとでも思っているのかなぁ? 見たかい? あのイケメン2人の見下した目を? あれは僕達のことなんかまったく相手にしていない者の目だった。あの2人も遊ばれているだけさ。どうせその内、使い捨てのティッシュのように、汚されて捨てられるだろうね」


誰も何も言わない。

ただ小泉が苛立ってペラペラと一人で喋っているだけだ。

だが小泉は、自分が喋っていることに対し、何も言う気がない一部の奴らにも、苛立っていた。


「……まず、君たちはその根性からどうにかした方がいいんじゃないかい? 誰かがやってくれると思ってるだろう? 河内、前にも言っただろ? 僕は別に君たちの仲間になんかならなくたって、生きていける算段をちゃんと考えてるんだ。僕は協力してあげている立場なんだよ? 少しはマシな会議ができないのかい?」


言いたいことだけ吐き捨て、いつもの2人を連れ、部屋を後にする小泉。

河内はその背中を見ながら、ため息すら吐くことなく、怒りを抑えた。


ここに集まった者たちは、卒業後のビジョンがまるで見えていない。

小泉が言ったように危機感がないのだ。

ただこうして何度か集まっていれば、何かは動くと当然のように思っている。

皆、人任せで、案など考えてすらいない。

だがそれは、このチームを引っ張るリーダーがいないことも意味していた。

現状、河内がリーダーのような立場にいるが、結局のところ河内は学級委員気取りの女であって、そんな役割を担ったこともないのだ。


「あの……皆に聞きたいんだけど?」


すると小鳥がまた手を上げた。


「はぁ……今度はどうしたの、西城さん?」


小鳥は周囲の顔色と、河内の面倒くさそうな様子を窺いながら話し始めた。


「その……ニトさんのことなんだけど」


「またニトさんのこと?! さっきも言ったでしょ?! そんな必要はないって?!」


辟易する河内。

少し声が荒い。


「そうじゃなくて、その……皆はあの人を見てどう思ったのかなって、そう思って……」


「は?」


河内が落胆したように、尋ねる。


「どう思ったって! そんなこと今は関係ないでしょ?! 佐伯を仲間に加えるって言ってるのよ?! 今はそういう時間でしょ?! 話をややこしくしないでよ!」


河内は少しイライラしたように指摘した。


「そうじゃなくて! ニトさんはきっと強いし、もしかしたら、私たちの助けになってくれるじゃないかと……そう、思って……その……」


とんでもないことを言いだす小鳥。


小鳥はニトを政宗だと確信し、疑っていない。

そして政宗を見放したのは自分たちであり、政宗が自分たちを恨んでいるだろうということも分かっている。

素性を明かさないのはそういうことだろうと、考えてはいる。

だが楽観的だったのだ。


小鳥は、ニトがあの日アリエスに飛ばされて以降、どれほどの孤独の中で生きてきたのかを知らない。

もちろんその孤独はニトの場合、トアやネムが癒してくれた訳だが、復讐心は消えていないわけだ。

だが小鳥にはそれが分からない。

何故なら小鳥は正直なところ、政宗が死んだものだと思っていたからだ。


願ってはいたが、心の奥深くでは死んだとばかり思っていた。

見放した事実を認めたくない感情と、見放した事実による罪悪感。

2つの悪夢から逃れるために、『自分は政宗を助けることを諦めてはいない』という言葉を、偽善と分かっていながらも心の中で呟き、運よく成長できたことで、より自分に嘘をつくようになっていった。

つまりそのことで『自分は政宗を助けることを諦めてはいない』という嘘が濃厚になっていったのだ。

強くなればなるほど、自分を騙すことが出来た。

それは後々、政宗が生きていた時のための保険。

小鳥は政宗が生きていた場合に、助けにいかなかった理由として、自分自身に言い訳できる保険を作っていたのだ。


そして政宗が生きていた事実を知り、ヒーラーである政宗でも生き残れたことから、この世界を甘く見た。


だがそれらは無意識であり、小鳥に自覚はない。

小鳥には政宗を軽視しているという自覚がないのだ。


“ヒーラーでも生き残れたのだから、上級鍛冶師の私ならもっとやれる”

そこに、政宗が憎悪を糧に生きてきたという予想は、一ミリもなかった。


この提案は、それ故の提案だったのだ。


もちろん、政宗がこの者らを助けることなど、“もう一度転生”したところで在り得ない話だ。

だが小鳥にはそれが分からなかった。

小鳥は政宗を見ていたようで、見ていなかったのだ。


そして知らなかった。


政宗の痛みを……


政宗が、常識を逸脱した、異常な者であるということを。


「ニトさんは他人でしょ?! 他人が私たちに手を貸してくれるはずがないでしょ?! それに……この世界にとって私たちは、余所者よそものなのよ?!」


オズワルドの思いも空しく、彼らの素性は入学初日に校内中に広まった。

それから河内は、日々、周囲からの阻害感を覚えていた。

実際のところ、それは生徒たちの好奇心の表れであり、差別するようなものでもなかったのだが、河内やここにいる殆ど勇者たちは、そこに嫌悪感を覚えていたのだ。

誤解は、せめて直接話してみないことには解決しない。

だが、あろうことか彼らは、同じ世界の者だけで集まるようになったのだ。

勇者たちはてっとり早く、目の前の安心を求めたのだ。


「でも……」


「でもじゃないわよ!」


その時、河内の堪忍袋の緒が切れた。

ただでさえややこしい状況の中、小鳥が意味の分からないことを言って皆を振り回していると思ったからだ。


「私たちを混乱させないでよ! これ以上、問題を増やさないで! 私たちには後4年しかないのよ?!」


フィシャナティカは6年制の学校だ。

河内らは2年生であり、卒業までには後4年ある。

だがそれすら短く感じていた。


“恩恵を授かりながら予選すら通過できなかった自分が、これ以上強くなれるのだろうか?”


河内は日々、不安にさいなまれていた。


「西城さんはまだマシよね? だって私たちの中では一番予選を勝ち進んだわけだし、ここ最近一番成長しているみたいだし?」


「私は、そんなつもりじゃ……」


「じゃあどういうつもりよ?! 関係ない冒険者の話なんかして! 一体どういうつもりなのよ! もっと真面目に考えてよ!」


河内は、“自分には皆をまとめる義務がある”と、そう思っていた。

だがそれが重圧となっていたのだ。


「話にならねえな」


「今度はちゃんと話まとめとけよ?」


するとそこで、人任せな飯田と佐藤が呆れたように部屋から出て行った。

それに続き、ため息を吐きながら他の者も次々と部屋を後にする。

その光景が、河内のリーダーとしての器のなさを表していた。

そしてこの状況は、小泉が言ったように、それぞれにまったく危機感がないということも表していた。


皆、人任せだ。


だが誰もそれに気づかない。

河内はまとめようと必死に苦悩しながら頑張ってはいる。

そして周りの者は、利口ぶった態度で河内や、口論の様子を眺める。

それだけだ。

ここ最近、そういった何の意味もない時間を、彼らは共有していた。

話が進んでいないことを分かっていながら何もせず、発想を持たない彼らはまた集まる。

そして呆れたように部屋を後にする。

いつもの光景だ。


そして、最後に河内も部屋から出て行った。

小鳥へ八つ当たりしたことを密かに反省し、罪悪感を覚えながら。


するとそこには小鳥を含めた3人だけが残っていた。


「西城さん、行きましょう。もう皆出ていきましたよ?」


神井は小鳥を気遣い、そう声をかけた。


「あの人は……だって……」


「小鳥ちゃん? 確かにニトさんはSランク冒険者だし、それに英雄って言われてるくらいだから、もしかしたら助けてくれるかもしれないけど、それでも……無理だよ」


御手洗みたらい 千春。

大抵この3人はいつも一緒にいる。


「そうじゃないの……」


「そうじゃない? とは……どういうことでしょうか?」


神井にも御手洗にも、小鳥の言葉の意味は分からない。


小鳥は、言うべきか黙っておくべきか迷っていた。

政宗が素性を明かさない以上は、喋るべきではないと思っていた。

だが誰かに相談したかったのだ。


「あの人なら、助けてくれるはずだよ」


「何故そこまで、見ず知らずの他人に拘っているのか、私にはまったく分かりませんね。河内さんの言った通り私たちは余所者ですし、難しいと思いますが……」


「そうだよ? いくら英雄でも、実際どんな人かなんて分からないし」


「だて……ニトさんは……」


「西城さん、行きましょう。今夜は晩餐会です。それほど気になるのなら、自分で確かめたらいいじゃないですか?」


神井には小鳥の考えが分からない。

だが小鳥は、その疑問に答えるように口を開いた。


「ニトさんは……政宗くん、だもん」


「……」


「……」


2人は目を点にしながら、そう言った小鳥を見た。


「は? 今……なんと、言ったんですか?」


「もしかして、今……」


2人は小鳥の言葉に困惑した。


「ニトさんの正体は……政宗くんよ」


聞き間違いではなかったことを知った2人は、言葉にならず、ただただ驚愕した。


「それは……本当ですか?! もし本当なら、大変なことですよ?! みんな彼のことは内心、死んだと思っていますし……」


神井にとっても、その他の者にとっても、政宗の死は受け入れやすいものだった。

それは自分たちの成長が止まるほど、信じやすかった。


“ただでさえ最弱職の日高が、何の知恵もない状態で外の世界に放り出されて、生きているはずがない”


そう考える方が、彼らにとっては自然だったのだ。

それに都合も良かった。


「その、ご本人に確認したのですか?」


「していないけど、声を聞けば分かるもん」


その言葉に神井は落胆したと共に、内心ほっとした。


神井はあの時の政宗の言葉をしっかりと覚えている。

殺しにいくと言った政宗の言葉を。


だがそれは神井に限ったことではない。

ここに、河内や柊や他の生徒がいたならば、皆、同じ反応をしただろう。

彼らは心のどこかで、政宗に怯えていたのだ。


“もし日高が生きていたら、あいつは俺たち私たちを、殺しに来る”


言うならば、それは亡霊に怯えているようなものだ。


「申し訳ありませんが、それでは信憑性がありません。さきほど河内さんに言いたかったことは理解しましたが、“声を聞けば分かる”など、一体誰が信じるというのですか? あなたと日高さんが幼馴染であるということは知っていますが、それでも信用できません」


「多分、皆も同じことを言うよ? 日高くんの死は私たちにとって大きなことで、後悔もしてるけど、だからって、そもそも生きているとは思ってない。生きてるってことだけでも信じられないのに、まさかSランク冒険者なんて……信じられるわけないよ」


御手洗も神井に賛成した。


「だけど……声が政宗くんだったんだもん」


「似てる人なんていくらでもいます。それに記憶はあてになりません。西城さんの勘違いということも十分あり得ますし、それは判断材料にはなりません。気持ちは分かりますが、その話は私たちの中だけに留めておきましょう。ただでさえ皆ピリピリしていますし、これ以上、混乱させるわけにもいきませんから」


小鳥は酷く落ち込んだ。

不発に終わってしまったが、小鳥にとって、これは覚悟を決めた発言だったのだ。

だが徐々に、2人の反応は当然であることに気づいていく。


「そうよね……政宗くんだって証拠は……ないもんね」


神井と御手洗は同情していた。

顔を見れば小鳥の政宗への思いは2人にも分かったからだ。


「ニトさんが日高くんであるという話は信じられませんが、それでも、まだ彼が死んだというわけではありません」


「ヒーラーなら傷を治せるだろうし、きっとどこかで生きてるわよ」


何の意味もない会話だ。

小鳥には分かっている。

2人が同情から嘘を突いているということを。

だがそれは優しさであるということも分かっている。


「そう……よね」


小鳥がそれ以上、何かを口にすることはなかった。


それでも小鳥は、ニトが政宗だと確信している。

それだけは揺るがなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る