第26話 ダンジョンの真実

「汚いおっさんなのです」


 トイレに鎮座するヴェルを見てからネムがずっと鼻を摘まんでいる。


 リビングのソファーに4人で腰掛けヴェルを待つ。

 トイレの方で水の流れる音がする。

 しばらくして大きな体のヴェルは二足歩行でリビングに入ってきた。

 この家の雰囲気に合わない悪魔的でファンタジックな見た目だ。

 ヴェルフェゴールの大杖――その先端に掘られた姿と同じだった。


「汚いおっさんなのです」


 ネムが同じことを繰り返し言った。


「猫娘、そりゃあ人間どもに言ってくれ。俺は毎日、奴らの腐った悪玉を尻の穴から排出するんだぜ? 世界の環境保全に協力してやってんだ」

「そうなのか?」

「嘘だよ」

「なんだよ」


 嘘ばかりつきながら向かいのソファーに腰を下ろすヴェル。

 ため息をつきタバコに火をつけながら俺たちを見た。


「それで、ダンジョンはどうだった?」

「俺の知り合いにも同じことを言う杖がいるんだけど、その、お前ってヴェルでいいんだよな?」

「何を今更。あ、そういえばこの姿で会うのは初めてだったな。俺はヴェルフェゴール、これが本体だ」


 ヴェルフェゴール。通称ヴェル。

 魔導具 《聖女の怒り》を反転させることで現れるヴェルフェゴールの大杖だ。


「あれだけ忠告したのに、深淵を疑っちまったみてえだな」


 ヴェルのぎらついた目が俺を見る。


「なんだよ」

「俺はマスターの半身だ。マスターのことならマスターの知らねえことまで分かる」

「ねえ、知り合いなの?」


 トアが怪訝そう言った。


「ヴェルっていうんだ、会うのは初めてだけどな」

「初めてなのに知り合いなの?」

「まあ、色々あるんだよ」


 3人に杖のことを説明しておいた。


「その杖の先端に掘られてた像がこの人ってこと?」

「そうらしい。それよりヴェル、なんでお前がダンジョンにいるんだ?」

「俺は初めからずっとここにいたさ。なんでと言われても分からねえよ、それよりうみを取り除くのが先だ」


 ヴェルがデカい尻を上げる。


「膿?」とトア。

「俺の忠告を無視したマスターは深淵に少し呑まれた。この状態ならまだ俺の力で何とか戻せる。まあ、それも半身の役割だ」

「半身って何なんだよ、呑まれたってどういうことだ?」

「質問は後にして手を出してくれ」

「いいけど、お前トイレから出てきて手は洗ったか?」

「洗ってねえ」

「汚いおっさんなのです」とネム。

「猫娘、そりゃ汚ねえ人間共に言ってくれ。俺は毎日、手にこびりついた人間共の穢れを洗い流してるんだぜ?」



 ヴェルは「潔癖症だなー」と不貞腐れながら台所へ行った。

 手を洗い終わると膿取りの続きをする。

 俺の手に手の平をかざし、しばらくして「これでいい」とヴェルは言った。


「え、それだけ?」とトア。

「膿は取れた」


 3人には何事もなかったように見えるだろう。

 ただ何か肩が軽くなったような気がした。


「何度でも取り除いてやれる。だが完全に呑まれちまったら俺にも無理だ」

「呑まれるってどういう意味だ、前にも言ってたよな?」

「自分を疑うと深淵に呑まれるってことだ」

「それに似た言葉を聞いたことがある――深淵に呑まれた者は、最愛を失うってやつだ」

「最愛を失う? なんだそれ、誰がそんなこと言ったんだ。いや、人間の仕業だな」


 ヴェルは一人納得したような顔をする。


「いいかマスター、深淵に呑まれると人格を失うんだ」

「どういうことだ?」

「敵と味方の区別もつかなくなり深淵に見境がなくなる。意図せず深淵は他者を襲い、いずれ襲ったことにすら気づかなくなる。王の器を失った――俺たち半身はそれを深淵の愚者と呼ぶ」

「深淵の愚者? それは深淵使いの異名だろ」

「何を言ってんだ、愚者は愚者。深淵に呑まれた者のことを言うのさ」


 ヴェルが小さな笑みを浮かべる。


「そうか、また人間か。人間どもが何を勘違いしたのかそう言ったんだろう?」

「とある黒龍から聞いた。アダムス・ラド・ポリーフィアっていう魔法使いが残した伝承と共にな」

「伝承ねえ」


 深淵に染まった者は寿命を失う。

 深淵に呑まれた者は最愛を失う。

 深淵に落ちた者は自由を失う。

 これがアダムスの伝承だ。

 黒龍はこれを警告文だと言っていた。

 それを無視して深淵に触れた者を愚者と呼ぶのだとか。

 俺はヴェルに説明した。


「間違っちゃいねえかもしれねえ。人格を失えば愛していたかどうかすら分からねえ。そうだろ?」


 アダムスは深淵の行きつく先を見たのかもしれない。

 ヴェルはそう言った。

 アダムスもダンジョンが深淵と関係があることを知っていたのだろうか。

 気になることがあった。

 ダンジョン内部が高校の校舎だったこと。

 魔物が疑問を投げかけてきたことだ。


「マスターが深淵に呑まれかけたからだろう。ダンジョンが勝手にやったことだ」

「まるでダンジョンに意思があるみたいに言うんだな」

「あるに決まってんだろ。そんなこより何か飲まないか?」


 ヴェルが立ち上がり台所の方へ向かう。


「飲む?」

「ジュースとか酒とか、水でもいいけどよ」

「ここはダンジョンだろ、そんなものあるのか?」

「あるに決まってんだろ、ここはマスターの家なんだぜ。物なら何でもある。持ち込むこともできるしな」

「確かに見た目は俺の家だけど」

「ダンジョン自体が家だって言ってんだ。俺と同じようにマスターに深淵が宿った時に生まれ、王の候補者と半身が出会うため世界に一度だけ現れる――それがダンジョンだ」

「王の候補者?」

「マスターのことだ」


 冷蔵庫からビールやジュースを腕いっぱいに抱えて戻ってきたヴェル。

 テーブルに置いた。

 ヴェルが嬉しそうに言った。 


「そういやマスター、左眼が赤くなってきたんだな。深淵が馴染んできたじゃねえか」


 感情に呼応して左目は赤く光る。

 ヴェルは言った。


「使えば使うほど深淵と宿主は互いを理解していく。関係性が深まると眼に影響が表れる」


 オリバー・ジョーも王の候補者なのだろうか。

 ヴェルはオリバーについては知らなかった。

 情報を聞き出すにつれヴェルのことも分かってくる。

 こいつはどうやら過去の王の候補者の情報をいくつか持っているらしい。

 ただそれも完璧なものではなく、かなりいい加減だった。


「挨拶がおくれて悪いな御嬢さん方、怠惰の半身ヴェルフェゴールだ。以後よろしく」


 貴族のように一礼するヴェル。

 その姿を観察していたトアが不機嫌そうにヴェルへ言った。


「マサムネが怠惰だって言うの!」

「マスターが怠惰だから俺も怠惰なんだろ、何を睨んでんだよ」


 ス―フィリアがソファーから立ち上がった。


「ニト様があなたのような者と同じなはずがありません!」


 ネムがソファーの上に立ち上がり爪を立てた。


「ご主人様を愚弄することはネムが許さないのです!」


 トアが魔法陣を展開した。


「何でマサムネが怠惰なのよ、こんなに頑張ってるのに」

「知らねえよ、もっと深い部分で怠惰なんじゃねえの?」

「ちょっとみんな、大丈夫だから落ち着いてくれよ」


 ヴェルは3人から嫌われっぱなしだった。



 見送りたいと言ってヴェルは何故だか俺たちを高校の屋上へ転移させた。

 ここは俺が初めて死んだ場所だ。

 不思議に思っていると、グラウンドを見下ろしながらヴェルが言った。


「なぜマスターが転生者なのか分かるか?」


 ステータスにある称号のことだろう。

 久しぶりに思い出した。

 初めてステータスを見たとき不思議に思ったもんだ。

 転生とは生まれ変わることだが、そもそも俺は死んでない。

 落下している最中に召喚された俺は、むしろ死んだかどうかすら怪しいところがある。


「ステータスは、そいつの中にある数値をデータ化したものに過ぎねえ。つまりマスターは、データ上は死んで生まれ変わったってことになる」

「でも俺は今もこうして生きてる」

「召喚直後の数値が転生者を示してたってことだ、要はご認識だな」

「一体なんの話をしているのですか?」


 ス―フィリアが言った。


「ニト様が死んだとか、死んでいないとか」

「マサムネは生きてるじゃない」とトア。

「俺な、ここから飛び降りたんだ」

「飛び降りた?」

「自殺だよ。生きるのが辛くなって、逃げて。その直後にこの世界へ召喚されたんだ」

「マスターはその時、死を自覚したんだろう。だが肉体は残ってる。それでバグが起きた」


 ネムが目をうるうるさせて言った。


「ご主人様はゾンビなのですか?」

「違うよネム、俺は人間だ。体のどこも腐ってないだろ?」


 少し笑ってしまった。


「精神的な問題ってのはどうしようもねえんだ」


 俺はヴェルに言った。


「魔法で治せばいいだろ」


 それこそ魔術でどうにでもできそうだ。


「精神を癒す魔法はある。だが根っこまでは治せねえ」

「レベルを上げても精神は弱いままだったしな」

「ステータスは状態を表す。だから数値の変動に反応する。例えば世間の常識から極端に離れたものを好む人間がいたとして、マスターはそいつを病気だと思うか?」

「それが何かによるな。でもそれって個性だろ、病気とは違うんじゃないか?」


 だがステータスはそう思わない。

 数値は変動する。

 一定以上を超えれば異常と認識する。

 そして最後は本人に影響する。

 最後にそう説明して、ヴェルは俺たちをダンジョンの外へ転移させた。

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