第41話 人格

『なあ、マスター。せめて自己紹介くらいしてくれよ、悲しくなっちまうぜえ』


 この気持ちの悪い生き物はなんだ?……。


「お前……まさか、ミミックか?」

『やっときたかと思えばミミックとはなんだ! 違えよ! 全然違えよ! あんな下等生物と一緒にすんじゃねえ!』


 ミミックではない、つまり擬態ではないということだ。

 それに、仮にミミックであったとしても喋れる理由にはならない。

 ではこれは何だ?


「じゃあ、お前は何なんだよ!」


 杖に話しかけるというのも奇妙な感じだ。

 そんな自分の行動に気持ち悪さを抱きながら、俺は当然のように問いかけていた。


『俺の名はヴェルフェゴールだ! ヴェルと呼んでくれ!』

「マスター? そう言えばさっきからずっとそう言ってるよなあ」

『ん、違うのか? だが俺を手にしてるってことはそうだろ』


 意味が分からない。

 手にしているから“マスター”では、理由になっていない。

 となると、もう知ってそうな奴に聞くしかない。


「なあ、これって何なんだ?」


 だが問いかけてみたものの、三人の目は点になっていた。

 と、そこでエリザが興味津々といった様子で杖に顔を近づけた。


『何だ嬢ちゃん、べっぴんじゃねえか。キスしてくれたら嬢ちゃんがマスターでもいいぜ』


 アヒル口で誘惑するヴェル。

 それまでの表情から一変し、エリザは汚い物でも見るかのように表情を歪ませ、すぐさまヴェルと距離をとった。


『けっ! 何だよ、冷てぇなぁ。冗談を言っただけじゃねえか。だから人間は嫌いなんだ。今時の女は冗談も通じねえのか。変わっちまったなあ~、世の中も』

「お前は何だ。モンスターの類か?」


 あれほど冷静沈着だったジークが恐る恐る尋ねている。


『だから違うって言ってんだろ! 俺はマスターの半身だ、ヴェルと呼んでくれ』

「ジーク、こいつが何か知ってるか?」

「知らん。喋る杖など見るのは初めてだ」

「そういえば、小さい頃に読んだ本にそんな杖が出てきたような……」


 なにやらアルフォードがぶつぶつと言い始めた。


「それって名無しの冒険者でしょ? 私も呼んでもらったことがあるわ」

異世界に来てまでおとぎ話とは……もうこいつらに聞くのは止めよう。

「まあいいさ。また今度自分で調べてみる。それより見てみろ、待ってるみたいだぞ」


 広間からこちらを睨みつけているアリエスを見つけた。

 三人の顔を順に確認し、そして俺を見るなり目を細め、ニヤッと見透かしたようにほほ笑んだ。

 だがあの表情は誤魔化す時のものだ。

 俺の勘がそう告げている。

 であるとするならば、奴はいま何かを演じているということになる。

 そんな表情を作らなければいけない理由はなんだろうか……何か、悟られたくないことでもあるのか。

 俺にはアリエスが疑問を浮かべているようにしか見えなかった――“お前は誰だ?”。


「そう言いたげな面だな~」


 フードに付与された認識阻害が効いている証拠だ。だからアリエスには俺が判別できない。

 長いようで短かったが、今日こいつを殺す。

 だがただでは殺さない。

 今にも殺してしまいそうなほど気分は高揚しているが、ゆっくり殺してやる。

 その後ろであぐらをかいている王様もだ。


「ヴェル、お前は何ができるんだ? マスターなんて呼ぶくらいだ、力を貸してくれるんだろ?」

『質問に質問で返して悪いが、マスターは何をしてほしいんだ?』


 先ほどの魔力衝突による衝撃で、入り口は瓦礫の山と化していた。


「これを排除してほしい。それに周りに散らかってる火も邪魔だ、中に入りづらい」

『あれを消せばいいんだな?』

「ああ」

『分かった。じゃあマスター、これからよろしく頼む。杖を構えてくれ』


 礼儀正しい奴だ。

 俺はヴェルに促され、大杖を構えた。


『――《強欲の暗黒珠ブラック・エルゴ》!』


 ヴェルがそう唱えた瞬間、突如、大扉のあった場所に巨大な黒い球体が出現し、辺りに散らばっていた瓦礫や照明の火を一瞬で呑み込んだ。


「ん?……誰か巻き込んだか?」


 頭の中で執拗にアナウンスが流れた。

 合計一七人分の死亡を確認し戦利品が勝手に入ってきた。


『ん、何人か殺っちまったらしい。ま、それもマスターの意志によるもんだ。俺のせいじゃねえ』

「意志? 何の話だ」

『そんなことより、マスターの魔力はとんでもねえなあ!』


 騒がしいヴェルを他所に、その時、展開されていた球体がまるで球の内側に吸い込まれるように収縮し消えた。

 散らかっていた瓦礫は除去され、球は付近の壁面や天井までもを消し去っていた。


『どうだマスター、見事なもんだろ』

「ああ、恐れいったよ。そんな言葉では言い表せないほどだ」


 開放感の増した大広間の中にはローブを着込んだ者が十数人、あとはヨハネスとアリエスだ。

 残りの少なさからして、どうやら入り口付近に兵を固め守らせていたようだ。

 この魔法は重力や吸引の類なのか、対象を無理やり引き寄せるものらしい。

 だが一方で侵蝕にも似ている。

 先ほど、ぐにゃぐにゃと体を折り曲げながら引きずり込まれる兵の姿が見えた。


『もう一発いっとくか?』

「いや、もういい」

『ちっ、つまんねえなあ~。まだまだ全然いけんだぜ? まあ、いいけどよ。にしてもマスターのどこにこんな魔力があるんだ? 今回のマスターはとんでもねえぜ!』


 ヴェルはよく喋る奴だった。

 そんなヴェルから見ても、俺は魔力はとんでもないらしい。


「ニト、もうお前がどんな魔法を使おうと俺は驚かない」


 ヴェルの魔法はジークから感想さえも奪ったようだ。


「ニト、これが終わったら正式に俺たちの仲間になってくれ。歓迎する」

死亡フラグのようなセリフの後、アルフォードはジークに続いて広間へ向かった。

「えっと……その、頑張りましょう」


 社交辞令のような意気込みで誤魔化すエリザ。

 大して言いたいことがないなら黙っていればいいのに。

 それに、ここから先に意気込むような内容はない。


 夜は深く、崩れた天井から月明かりが差し込んでいた。

 それがアリエスの憎き面を照らし、金色の髪はキラキラと輝き風になびいている。

 道中に見かけた男はこの容姿に魅了されたのだろうか。

 節穴には同情する。

 俺の目には邪悪にしか映らない。

 嵐の前の静けさだろうか。

 それぞれの呼吸が聞こえるほど、広間は静寂に包まれていた。


「名乗るのは無意味だろう」


 ジークが先陣を切り口を開いた。


「勇者召喚を行った罪により、アリエス・グレイベルク、ヨハネス・グレイベルク、その他関係者には、ここで死んでもらう」


 ジークが目的を口にした瞬間、アリエスの表情が醜いものに変わった。


「死んでもらうとは、何の冗談でしょうか? それに勇者召喚とは一体どういうことでしょうか? 我々には見当もつきませんが」


 ――あの顔だ。


 無能と罵り、蔑み辱め、俺を飛ばした時の表情。

 あいつは、自分が抱いた苛立ちを他人へ悪意として向けることに、至上の喜びを感じるほどの外道だ。

 だが、そうでなくては困る。



「《転移網展開トランス・フィールド》!」


 アリエスの足元から部屋一杯に魔法陣が拡大した。


「《転移トランスメタス》!」


 その瞬間、アリエスの姿が消える。


「龍の心臓などたかが知れています――」


 反響する声。

 そのたびに広間のあちこちにアリエスの姿が現れては消え、警戒から険しい表情で構えるジークたちを嘲笑った。

 それは瞬間移動とも呼べる一瞬での移動だ。

 ジークたちはアリエスの動きがつかめず翻弄された。


 一方、政宗は無表情のまま「 《術式破壊ソウル・ブレイク》」と静かに唱え「雑魚は任せた」と三人へ告げる。


 突如、ジークの長髪が煽られるほどの強い風が吹いた。

 直後、王座を正面に広間の左壁全面に彩られていた、鮮やかなステンドグラス風の窓ガラスが一斉に割れ、飛び散った。


 苦しむ声が聞こえた。

 悲鳴、荒れた吐息、咳と嘔吐。反射的に誰もが音を辿り視線を向けた。

 

 見えたのは、フードの男に首を絞められ柱に圧しつけられているアリエスの姿だった。

 口元から顎を伝い落ちる血を月明りが照らしている。

 かすれた唸り声はアリエスのものだった。


「アリエス!」


 拘束される娘の姿に、ヨハネスは悲痛の声を上げた。


「ニト?……」


 ジークは政宗の姿に気づくと疑問を浮かべ問いかけた。

 アリエスを捕えるまでの一瞬の動きは、ジークにも見えていなかったのだ。


 聞こえていないのか政宗は振り返ろうとはせず、アリエスの首を左手で掴んだまま離そうとしない。

 右手にはヴェルの大杖が見えていた。


「離し、なさい……」


 足をバタつかせ、アリエスは悶え苦しんでいる。

 政宗はフードから微かに片目だけを覗かせ、表情もなくその様子を観賞していた。


「あの頃とは違って見える……」


 呟きのあと左腕を振り払い、アリエスを床へ放り投げた政宗。


「グハッ!」


 受け身が取れず、床へ叩きつけられたアリエスは激しく咳き込みながら、ゆっくりと立ち上がろうとする。


「お姫様が出していいような声じゃないだろう」


 一歩一歩、這いつくばるアリエスへと近づいていく。


「憎しみの底で殺してやる。お前はただ、俺の顔をその汚れた目と脳裏に焼き付け、殺してやりたいと願い死ねばいい。俺を恨んだまま死ね」


 静まり返る広間。

 政宗の体から漏れ出ている赤黒い波動を見たジークは、一瞬、それが誰か分からなかった。

 魔力なのかそれとも別の何かなのか、ジークは知らない。


「《攻防強化付与オディウム・オーラ》――」


 アリエスを見つめたまま右手の大杖を三人へ向けると、政宗は詠唱し付与魔法を施した。

 三人の体は紫色のオーラを纏い能力が強化された。


「物理的な攻防と魔力面の攻防を強化した。計画通り他は任せる」

「この距離で、魔法陣もなしに付与を!?」


 エリザは自身の体に纏うオーラを確認しながら目を疑った。


「遠距離からの付与は術式が不安定になりやすい。同時に複数ともなれば必ず魔法陣が必要だ。でなければ術式が崩壊し、魔力暴走が起きる」


 ジークは冷静な表情で分析した。


「だがニトは、魔法陣もなしに付与を行った」


 アルフォードは驚きを隠せず言葉を失っていた。

 ジークは政宗の様子に気づいていた。

 ここへ来るまでにも何度かあった違和感。

 政宗はときおり、敵を前に残虐性が増したように非情になる瞬間があった。

 今では赤黒い波動すらまとっている。

 エリザとアルフォードもその波動に説明できない感情を抱いていた。

 しかし三人はさらに理解しがたいものを目の当たりにする。


「ニト……大丈夫か?」


 それはアリエスを見下ろす政宗に、ジークがそう問いかけた時だった。


「ん、何がだ?――」


 政宗が振り向いた瞬間、三人の背筋に悪寒が走った。


 それぞれは言葉を失いただ目を奪われた――紅い眼光がこちらを見ている。

 それは政宗の左目であり、この暗闇の中では一層恐ろしく映っていた。


「ん?……」


 見つめる三人に疑問を浮かべた。


「俺は二人を殺るから、他は任せたぞ」


 政宗は飄々とした表情だった。


 再び視線を戻すと、政宗は片手間のようにアリエスの右手を軽く踏んだ。

 骨が粉砕し、アリエスは苦しみ悶えながらも激痛に耐えようと表情に力が入る。

 だが悲鳴は漏れた。


「アリエス様!」


 広間の歩兵たちがアリエスを助けようと詠唱を始めた。


「《爆轟裂覇エクスプロージョン》!」


 だがアルフォードが空かさず制止する。

 魔法陣もなく、突然、魔導師数名の体が内側から爆発した。

 ジークは大太刀を構えると、アルフォードに続き応戦し敵に襲いかかった。

 軽い身のこなしで魔導師の首をはね、確実に殺していく。


「聞こえるか、アリエス。お前もああなるんだよ」


 政宗は、後ろで次々と殺されていく魔導師たちの悲鳴に喩えてそう言った。


「おのれ、アリエスから離れよ!――《土の大槍サンド・ジャベリン》!」


 ヨハネスは詠唱しながら立ち上がり、右手に構えた大槍を政宗へ放り投げた。


「――《術式破壊ソウル・ブレイク》」


 だがヨハネスの足元で展開されていた魔法陣は砕け散る。

 放たれた大槍は政宗には届かず、空中で崩れ落ち塵と化した。


「なっ!?……《岩石の槍ロック・ランス》!」


 動揺し、慌てるように再び詠唱を始めたヨハネス。

 だが魔法陣は足元に現れた直後またも砕け散り、右手に現れるはずだった槍も形を留める前に崩れ落ちた。

 震える両手に動揺の眼差しを向けながら、気が抜けたように再び王座へと背中から倒れた。


「何故だ……なぜ余の魔法が効かぬ」


 その表情は既に敗北を認めた者のそれだ。

 ヨハネスにもはや勝機はない。


「術式を、破壊したのです……」


 アリエスは這いつくばり、痛む体を震わせながらそう答えた。


「よく知ってるじゃないか。だが誰が喋っていいと言った?」

「ぐはっ!」


 政宗はアリエスの首を左手で掴み、床へ押さえつけた。


「罰として、お前には見ていてもらう。自分の父親が目の前で死ぬ姿をな」


 そう言って右手の大杖をヨハネスへ向けた。


「くっ……外道が……」」

「何とでも言え――」


 政宗はアリエスの髪を掴み軽く持ち上げると、ヨハネスへ視線を向けさせた。


「《怨霊の痛みファントム・ペイン》!」


 突然、ヨハネスは上体を反るような姿勢で絶叫した。

そして口元からよだれを垂らし、荒い呼吸を繰り返す。


 魔術 《怨霊の痛みファントム・ペイン》は、魔術 《魔弾マグラ》に 《反転の悪戯【極】》を施したものだ。

 《魔弾マグラ》は大階段の衛兵より手に入れた戦利品である。


「丁度いい魔法だ。これはお前が殺した者たちの痛みだ――《怨霊の痛みファントム・ペイン》!」

「お父様!」


 アリエスは絶叫する父親に、悲痛の表情を向けた。


「お前もそんな顔をするんだな~、安心したよ。だがそうでなければ殺り甲斐がない」


 政宗はケラケラと笑いながら、もう一度ヨハネスへ杖を向けた。


「《怨霊の痛みファントム・ペイン》!――――――――」


 高笑いしながら何度も重ねて詠唱する。

 だがヨハネスはもう声を上げることはなかった。

 どうやら廃人となってしまったようだ。

 その証拠に体が微かに光り始めていた。


「おっと、危ない―― 《状態異常治癒エフェクト・ヒール》」


 ヨハネスの体に帯びていた光は、体内へ戻るように徐々に消えた。

 ヨハネスは正気を取り戻し、口元のよだれを拭いながら、状況を理解していないかのように周囲を見渡した。


「聞いたぞ。勇者召喚ってのは人を廃人にするまで痛めつけるらしいなあ」


 アリエスは何も答えない。


「それを聞いて安心したんだ。これで遠慮なく殺せるからな。躊躇いさえなかったが、罪悪感はあった。お前ら如きに罪悪感を抱いてしまう弱い自分が許せなかったよ。不愉快だった。だが、今は違う――《怨霊の痛みファントム・ペイン》!」

「や、やめなさい! これではお父様が!――」

「イカレちまうか? ハッハッハッハッハッハッ! 安心しろ、直ぐにまた治してやる。これでお父様も健在だ!―― 《怨霊の痛みファントム・ペイン》!」


 広間に鳴り響く阿鼻叫喚。

 そこでまたヨハネスに限界がきたようだ。

 先ほどと同じように口元からよだれやら嘔吐物を垂らし、目線は明後日の方向を向いていた。

 政宗は再び 《状態異常治癒エフェクト・ヒール》を施し、ヨハネスを正常に戻した。


「……飽きた。次はお前だ、アリエス。とりあえずあの爺には死んでもらう」

「まっ、待ってください! お願いです、やめてください! 私の、ただ一人のお父様なのです!」

「人ってのは、みんな誰かにとって唯一の存在なんだよ。そうなりえるものだ。お前がこれまでに暗殺や生贄で殺してきた者たちだって同じだ。誰かにとってはお前の言う“ただ一人”だったはずだ。お前にはそれが分からない……」


 アリエスは疑問と恐怖の入り混じったような表情を浮かべた。


「直ぐ楽にしてやるよ―― 《女神の血涙ディエス・ブラッドリー》!」


 ヨハネスの足元に赤黒い魔法陣が現れた。

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